ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

萩尾望都さんが東京新聞に

2012-01-30 13:37:22 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
             (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 今日1月30日の東京新聞朝刊に「原発に向き合う――漫画家・萩尾望都さんの思い」というタイトルで、モト様のインタビュー記事が載っています。
  モト様は昨年8月からプルトニウムやウランなどを擬人化した作品を発表しており、1月28日発売の「月刊フラワーズ」3月号に掲載された「サロメ20XX」はこの三部作の最終話。
 その三部作を書くきっかけとなったのが、6月に発表の「なのはな」。避難生活を送る福島の少女を描いたこの作品のために原発の構造や歴史を、
それこそ、キュリー夫人から原発の歴史を読んだんです。そうすると二十世紀初頭の科学者が、放射性物質に夢中になっていく様子が分かった。新しい科学、夢のエネルギーだって」。
 ということで強烈に魅力があってさからえない主人公たちが設定されました。
 
 それを踏まえての東京新聞の記事です。抜粋して紹介します。ほんの少しだけでごめんなさい。

 「チェルノブイリやスリーマイルの事故などは遠いよその国の話で、日本ではまじめな人たちがやっているのだから、絶対に事故は起こらないだろうと思っていた」
三月十一日は埼玉県の自宅で、テレビが伝える震災被害にぼうぜんとしていた。原発の爆発事故に
 「天地がひっくり返ったような気がした。一九七〇年代のSF小説そのままじゃないかと思いました」。だが、政府は「大丈夫」と繰り返すばかり。
 「いつ政府は炉心溶融を発表するかと思っていたが、最初の週にはない。翌週にもやっぱりない。計画停電も重なって、どんどん不安だけが膨らんだ。楽しいこと、前向きなことが考えられなくなった。同業者でも書けなくなった人が随分いたと聞きました」

 「原発にどう向き合うか、まだ答えは見つからないという。それでも、萩尾さんは
 「やはり脱原発に向かったほうがいいんじゃないでしょうか」と思う。

 「人間のやることには過ちがある。十万年に一回といわれていた原発事故が、メルトダウン事故だけでもう百年に三回も起こっている。二十~三十年に一回の過酷事故を覚悟して生きていけるのだろうか。持って行き場のない放射性廃棄物はどうするのか」
 
 福島第一原発事故からまもなく一年がたとうとしている。状況はあまり好転していないのに、関心を持つ人と持たない人の温度差が広がっていると感じる。
 情報を後出しするような政治作法や政治用語も相変わらず「不思議な感じ」でわからない。「手探りで進むしかないのが、現状ではないか」とみる。

 「原発事故をなかったことにさえせず、真剣に向き合えば、どこかで解決策は見つかるんじゃないかと思うんです」

 モト様、ありがとう!


動物愛護法改正への力添えを

2012-01-30 10:00:33 | 犬猫

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 1月29日付の「河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり」に、「動物愛護法改正のために」のタイトルで、議員立法であるための困難や、どう採決されるか、現在の状況などについて書いてくれています。
 そして、以下の発言がありました。

「この時点では、多くの国会議員は、今回の法改正について、まだ詳しくは知らない。

 動物愛護法に興味を持っている方々に、今、やってほしいことは、とにかく議員に情報を伝えること。なにが問題なのか、それをどうすべきなのか、中央環境審議会ではどんな議論が行われ、どう結論づけられたのか。

 情報を伝えるためには、それなりに勉強していただかなければならない。

たとえば、幼齢動物を親から引き離す時期について、昨年末の中央環境審議会 動物愛護部会 動物愛護管理のあり方検討小委員会の動物愛護管理のあり方検討報告書では、「具体的日齢については、ペット事業者の団体が目指している45日齢、科学的根拠(ペンシルバニア大学のジェームズ・サーペル博士の行った実験結果)のある7週齢(49日齢)、海外に規制事例のある8週齢(56日齢)に意見が分かれている」と書かれている。

 科学的根拠は7週齢なのに、なぜ8週齢でなければならないのかと尋ねられたら、きちんとその理由を伝えるべきで、罵倒するようなメールを後から送りつけても、その議員の考え方を変えることにはならない。」

 動物愛護法改正に賛成のかた、できることをやっていきましょうよ。
 私も感情に流されず、問題点を勉強して、協力してくれる議員を増やし、支えたい。


なし崩しはダメよ

2012-01-29 17:46:54 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 東京新聞1月26日夕刊の、金子勝(かねこ・まさる 慶応大学財政学教授)による原発再稼働問題についての記事「なし崩しを狙うムラ仲間」を抜粋して紹介します。
 
 関西電力自身が行った大飯原発3、4号機のストレステスト(安全評価)を、一般傍受者を排除して原子力安全・保安院が「妥当」と判断した。業界で数々の「やらせ」問題が暴露されたにもかかわらず原子力ムラの「仲間うち」で再稼働を決めようとしている。
■数学的裏付けなし
 現状でどのくらいの原発が必要か、根拠となる数字は政府から何も示されていない。福島第一原発事故を踏まえて、どの原発が最も危険で、どの原発が相対的に「安全」かを判断する基準も示されていない。
 添田孝史「全原発54基総点検」(『新潮45』2月号)は、「再稼働しないほうがいい原子炉」について「(1)78年の耐震指針(旧指針)が出来る前に作られたもの(旧旧世代原発)、およびマークⅠ型格納容器のもの(2)耐震安全性に問題があるもの(3)3基以上の原子炉が集中しているところ(4)組織に問題があるところ」の「4条件」で検討。

 (2)では活断層の存在が問題になる。最も危険性が高いのは中部電力浜岡原発で「直下で起きる地震の規模(M8クラス)、その確率(30年以内に87パーセント)とずば抜けて」おり、四国電力伊方原発も危ないという。

 (4)では東京電力と九州電力の組織体質をあげる。
 結局「比較的問題が少ないのは新設も含め9基。それに加え、(2)や(4)で課題を検証中の炉が12基残った。これら以外の稼働は危険が大きい」と述べ「2011年の夏もっとも多くの電力を使った8月10日、原発は15基が稼働していた。厳しい節電を積み重ねた成果ではあるが、54基もいらない」と主張する。
■限定される可能性
 原子力資料情報室「原発再稼働は危険だ」(『世界』2月号)は、七つの視点から問題を指摘している。
 第一は古い「マークⅠ型原発」である。「マーク1型」と呼ばれる格納容器は「配管破断などの冷却剤喪失事故や地震に弱い」と考えられ、「配管の破断と圧力抑制プールのスロッシング(水面の大きな揺動)が同時に発生した」時深刻な事態をもたら明日という。
 同様の危険性で、マークⅡ型格納用期の原発にも言及する。
 第二は「老朽化原発」だ。「金属材料は必ず劣化する運命」にあり、過去も「腐食と疲労による劣化」や「放射線による照射脆化」で事故が起きている。
 第三に、地震の危険性が最も高い浜岡原発と東電柏崎刈羽原発をあげ、第四に、女川原発1・2・3号炉、日本原電東海第二原発など、大地震で「被災した原発はいずれも大きなダメージを受けた施設であり、どこにどんな欠陥が潜んでいるかもわからない」と指摘する。第五は「やらせ」を行った九州電力の問題であり、第六は関西電力の高浜、大飯、美浜原発など「十三基の原発が林立している」若狭湾原発銀座で、「活断層の集中している地域」という。第七は、北海道電力の泊原発で、やらせ問題と、活断層の存在が指摘されている。こうして見てくると、再稼働の可能性のある原発はかなり限定されている。
  なし崩しの原発再稼働は避けなければならない。もう一度、同じような事故を起こせば、この国は終わるのだから。

 原発はすべて危険だけど、そのなかでも「相対的に」安全なものはどれかと問われたら非常に数は少ないということなのね。
 ストレステスト自体が正当なものかどうかなどのいろんな疑問が出てるし。

 「何ごとを取り決めるにあたっても、我々の決定が以後の七世代にわたっておよぼすことになる影響をよく考えなくてはならない」、「自然は子孫から借りているもの」と考え、実行することが今本当に必要なのに。


なぜ食べなきゃいけないの? その5

2012-01-28 10:06:44 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

『辰巳芳子 食の位置づけ ~そのはじまり~』
 辰巳さんの言葉の抜粋、その2です。

●食材を守るということ
 風土に即して、いのちと呼応する食材を選び、いのちと呼応しやすいよう料理して食べることが大事だと述べました。食材のことを考えるとき、大きな問題となるのが日本の食料自給率のことです。
 人口一億以上の主な国で穀物自給率(重量ベース)を比べると、二十七パーセントで最下位(平成十五年)。経済大国だといったって、何らかの理由で輸入がストップすれば、飢える人がたくさん出てくるのです。なんとも情けないことです。中でも、小麦、とうもろこし、大豆は、その大半を輸入に頼っています。
 食料を輸入に頼る危険性は、いざというときに困るだけではありません。BSE、鳥インフルエンザ、遺伝子組み換え、ポストハーベスト、放射能汚染、薬品汚染、その他さまざまな問題が見えにくいところにあります。

 自分のからだの健康は自分で守らなければなりません。国産の食材を選ぶことは、自分の身だけでなく、この国の食を守ることにもなるのです。食は国の要です。いまの日本はいちばん大事な部分を他の国に抑えられているのです。それなのに、国は減反政策で水田を減らしてきました。生産者は他国との価格競争と転換しやすい日本の農業政策に翻弄されて疲弊してしまっている。

 さらに言えば、食の運命の鍵を握るのは、憲法九条の改憲と原子力政策の問題です。
 この二つは最大の環境汚染であり、食の根幹をゆるがすものです。

 憲法九条は、当時の若者がいのちを捧げた代償であるということを忘れてはならない。あのとき死んでもよかった人は一人もいなかった。皆々、死にたくなかったのです。
 食を守るためのあらゆる積み重ねも、努力も、一瞬にして突き崩す。戦争に与した二十世紀と同じ轍を、二度と踏んではなりません。
 憲法九条をしっかりと認識し直さねばなりません。
 戦争が始まれば、まず突き当たるのが食糧不足の問題でしょう。兵器によってでなく、食べものがないことで、小さないのち、弱いいのちから失われていく。「食べ方」を知らない人も、真っ先にいのちを落とすでしょう。

 また、原子力産業が生み出す放射能汚染は、水面下でどんどん進行していきます。見えないから危機感を持ちにくく、よけいに怖いのです。国や企業は利益先行です。経済性を優先し、環境、食の汚染を生み出しても仕方がないと思っています。

 ひとりひとりがしっかりと目を開いて、この国の行方を見据え、声をあげ続けていくことが大事です。

 「第三章 食のつながり ~生産の現場から~」では4人の生産者が紹介されています。
 「第四章 食の霊性 ~対談・伊藤幸史神父と~」には“霊性(信仰の方向性)という言葉をキーワードに、辰巳さんの料理の向こうにあるもの、祈り、哲学に迫る”という解説がありますが、“食は祝福である”、“いのちの手応えを感じることから”、“「食の霊性」とは”、などなどが語られています。
 
 いのちって何だろう?
 食べるってどういうこと?
 何となく何かを知ってみたい。
 そんなかたはどうか『辰巳芳子 食の位置づけ ~そのはじまり~』を読んでみてください。
 意気込まなくていいから、ふつうの読み物としてもおもしろいから。
 ぜひぜひ!

 


なぜ食べなきゃいけないの? その4

2012-01-27 08:58:55 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)


『辰巳芳子 食の位置づけ ~そのはじまり~』
 では、辰巳さんの言葉を抜粋してご紹介します。

●生命が受け入れがたいもの
 「本来的な生命の仕組み」を理解すると、BSEはもちろん、放射能も遺伝子組み換え食品も環境ホルモンも、すべて「生命が受け入れがたいもの」になります。これらはすべて、本来の自然の仕組みに入っていないもの。そういったものが、生命の仕組みの網の目をすり抜けて、人間の命を脅かす。
 放射能の問題でいえば、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場は、原子力発電所が一年で出す放射能をわずか一日で海と空に排出するそうです。自然界にはない大量の放射能で海や大地を汚染する。政府や企業は自然界の放射能に比べたら少ない量だし、希釈拡散されるから人体の許容範囲である、という。でも、希釈されても食物連鎖の仕組みでまた何千倍にも濃縮されて還ってくるんですね。食べものから摂り込まれた放射能は半永久的に残って、細胞、遺伝子を傷つける。その人自身の身体だけでなく、子孫の身体までむしばむのです。
●風土に即して食べる
 「何を、どう食べるか」と聞かれたとき、私はまず「風土に即して食べなさい」と答えます。日本の食文化は、この蒸し暑い日本の風土の中で生きていきやすいようにととのえられたものです。それは、旬の食材を食べるということに限りません。


なぜ食べなきゃいけないの? その3 福岡さんの発言からー2

2012-01-23 19:48:59 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
             (↑これをクリックするとホームページに行きます)


 「辰巳芳子 食の位置づけ ~そのはじまり~」で福岡伸一さんが書いていることをもうちょっと抜粋します。青字が原文です。

●生命と宇宙の法則
 (人間には「時間の流れを止めること」と「秩序をずっと維持すること」はできない。秩序をずっと維持できないことを「エントロピーの法則」というが「すべて秩序があるものは崩れ去る方向に行く」、これが時間の流れということでもあるんです。それを逆戻しすることはできない。それは宇宙の法則です。
 その宇宙の中にあって、生物、生命だけが秩序を曲がりなりにも維持している。どうして秩序がそんなに長い間維持できるのか。その答えも、実はシェーンハイマーが出しているんです。
 生物の身体に対して、秩序を壊そうとする宇宙の力は働いています

(でも生物は)自ら先回りして自分の身体を壊している。そしてつくり変えているんです。秩序を維持するために「秩序を壊しながら」新しいものにつくり変えている。そのいたちごっこが「生きている」ということだと。
 でも、永遠に勝ち続けることはできない。やがてその宇宙の力に遅れてしまう。それがエイジング、老化していくということです。それが追いつかなくなったところに個体の死は来る。でもその時に分子はバラバラになって、また環境中の別の生命に流れていくわけです。

 生命の誕生は地球ができてから十億年を経た頃に起こったといわれますが、気が遠くなるような長い時間の試練を経て、現在の平衡状態に達したことが非常に重要です。 
  「環境の世紀」といわれるいま、私たちに必要なのは環境と対峙することではなく、環境と生命は同じ分子を共有する動的な平衡の中にあるという視点であり、できるだけ人為的な組み換えや加速を最小限に留め、この平衡と流れを乱さないことだと思います。


★週刊文春から
 福岡伸一さんはこの“死のメカニズム”について、週刊文春新年号の「福岡ハカセのパラレルターンパラドクス」第177回に「シジフォスの労働」というタイトルで書いていますので、それも抜粋して紹介します。

 私たちはふだん自分は自分、自分のからだは自分のものと思っている。けれどほんとうは、私が私であることを担保する物質的基盤は何もない。私の身体は流れの中にある。分解と合成のさなかにあり、常に新しい原子や分子が食物として取り入れられ、その時点で私を構成している原子や分子は捨てられる。

 脳細胞ですら例外はない。すべてが分解されつつ合成される。ゆえに記憶も実は流れ流されている。全身のあらゆる部位が常につくり変えられている。一年もすれば、物質的には私は別人となっている。

 生物はわざわざエネルギーを使って積極的に自らを壊しては、つくりかえている。
 
 細胞は壊すことの方を必死にやっている。できたてほやほやのタンパク質ですら情け容赦なく分解している。これが動的平衡である。なにゆえに、そこまでして壊し続けるのか。
 秩序は無秩序の方へ、形あるものは崩れる方へ動く。構造物は風化し、輝けるものはさび、熱あるものは冷める。エントロピー(乱雑さ)増大の法則である。時間の矢はエントロピーが増大する方向にしか進まない。
 
 すこしでもその法則にあらがうために、生命はあえて自らを壊すことを選んだ。率先して分解することで、変性、酸化、損傷を、つまり増大するエントロピーを必死に汲み出そうとしているのだ。下るべき坂道をできるだけ登り返そうとしているのだ。あたかもシジフォスの巨石運びのように。
 しかし強大な宇宙の大原則のもとではその努力も徐々に損なわれていく。排出しきれない乱雑さが少しずつ細胞内に溜まっていく。やがてエントロピー増大の法則は、動的平衡の営みを凌駕する。それが個体の死である。
 

 うーん、食べたものは瞬く間に分解されて、食べている体のほうも常に分子レベルで自己解体していて、食物中の分子と体の分子は渾然一体となって高速で入れ替わり続けている。
 体が率先してその入れ替わり、つまり壊しなが取り入れてつくりかえていくこと(動的平衡)をすることで崩壊を少しでも食い止めようとしているが、結局はエントロピー増大の法則によって崩れてしまうということなのね。


なぜ食べなきゃいけないの? その2 福岡さんの発言から

2012-01-20 12:44:08 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)


 「辰巳芳子 食の位置づけ ~そのはじまり~」の引き続いてのご紹介です。

 まず、福島さんの言葉を「食べることは、他のいのちとつながること~福島伸一先生との対談から~」の章から抜粋します。青字が原文です。

●食べること、生きていることの本当の意味
  (シェーンハイマーは)簡単にいえば、「食べたものが分子レベルで身体と入れ換わり続けている」ことを発見したんですね。
 食べたものは瞬く間に分子のレベル、ひいてはそれ以下のレベルにまで分解され、安定なはずの内燃機関たる生物体もまた驚くべき速度で常に分子レベルで解体されていました。そして食物中の分子と生体の分子は渾然一体となって入れ換わり続けていたのです。つまり、分子のレベル、原子のレベルでは、私たちの身体は数日間のうちに入れ換わっており、「実態」と呼べるものは何もない。あるのは「流れ」だけということがわかったんです。
 (肉体というものは)分子のゆるい「よどみ」でしかない。しかも、それは高速で入れ換わっている。この回転自体が「生きている」ということであり、常にタンパク質を外部から与えないと、出ていくタンパク質との収支が合わなくなる。それがタンパク質を食べ続けなければならない理由だったのです。
●生物機械論、還元主義の悪しき側面
 生命現象を考えるときに、僕らがいちばん忘れていることは「時間」だと思います。
 (アミノ酸を含む卵や牛乳を食べるというのは、それを食べることがすぐにアミノ酸を何グラム食べたとことになるわけではなくて)卵や牛乳というたんぱく質を食べているわけです。それが消化されていく途中にだんだんアミノ酸に分解されていくわけですが、そこには時間がかかっているわけですよ。消化管は単にその結果としてできたアミノ酸を吸収しているわけではなく、タンパク質がやってきたということをまず認識している。それによって体の中でいろんな準備反応が起きて、本当にアミノ酸が吸収された後、それを有効に使えるような準備ができているわけですよ。
 そんな風にふうにタンパク質を食べて、それが徐々に分解されていって、吸収される時に起こっている体の中の反応と、アミノ酸を卵と同じ組成だけ寄せ集めてそれを飲んだ時に起こる反応はまったく違うわけです。だから組成としてだけ栄養をとらえると、時間というものが忘れ去られて、そのプロセスが起こっていることは全部すっ飛んでしまう。
●遺伝子組み換え、原子力――「加速」の危険性
 遺伝子組み換え食品を推進している人たちは、これは全然危険なものじゃないですよという。たとえば品種改良みたいなことを人間は昔からやっているじゃないですか。それをもうちょっと効率よくやったのが遺伝子組み換え食品ですよ、と。
  そこで見失われているものはやはり「時間」です。品種改良は非常に長い時間をかけて時間の試練を経て次の平衡状態に達したものだけが生き残り、人間にとって有利な栽培植物になったもの。でも遺伝子組み換えというものは、これをこっちに持ってきたら便利だろうというのを一挙にやっているので、百年ぐらいかかっている時間がそこではまったく課せられていない。だからそれが本当に均整のとれた平衡状態にあるかどうか、一切わからないわけです。
 「無理にやれば、必ずそのツケがくる」とも科学は行っているんです。
 (遺伝子組み換えは)百年かかってあるバランスから次のバランスに到達するものを三カ月でやるというふうに、時間を短縮しているわけですよね。その時間を短縮したことによる対価というかエネルギーを、実は別の形にして払っています。それは今のところは見えないわけです。

 シェーンハイマーの言った「動的な平衡」は、各個人の中だけではなくて、生態系全体のバランスについてもいえることです。
 ここだけを早くしようとか、ここだけが便利になろうとしたら、そこにネットワークの蜘蛛の糸が引っ張られてしまう。歪(いびつ)になってしまうわけです。まさにその状態にあるのが、現在の効率優先の社会ではないかと思います。
 原子力も同じです。原子力は、実はすごい加速なんですね。
 自然界でもウランやラドンといった原子は非常に稀な確率で崩壊して、違うものに変わっています。それを人為的に加速することによってエネルギーを生み出しているのが原子力発電所で、そのツケがどうしても出てきてしまうわけです。何万年も消えないような放射性物質ができるとか、一度間違えば臨界が暴走して何万人にも被害をもたらす大事故を引き起こしてしまうとか。強大なエネルギー、危険な放射能を封じ込めるために強固な原子炉を作らなければいけないわけですけれども、それも四十年も経てばボロボロになっていくわけです。今、日本の原発はまさにそういう状態ですが、廃炉にするにも、その中は放射能だらけで手の着けようがない。その状態を管理し続けるのはさらに莫大なエネルギーが必要になる……という解消のしようのない問題がいっぱい出てきている。そのツケを払いながら局所的にエネルギーを生み出したのが原子力です。

 

 2008年に発行されたこの本にも、原子力発電の危険についてはっきり書いてあったのです。うーん……。
 なんか変だよと思っていた遺伝子組み換えについてもすっきりしました。
 遺伝子組み換えと原発が、「時間」をもとに見てみると問題のありかたがはっきりしたのには驚きました。


なぜ食べなきゃいけないの? その1

2012-01-18 15:29:01 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
                (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 私は十年このかた「人はなぜ食さねばならぬのか」という課題を持ちつづけていた。
 そして、自分なりに「それは呼吸と等しく生命の仕組みに組み込まれている」。多少の体験と知識で言葉中心に組立て、自己納得させていた。しかし、「仕組み」という言葉の事実に、一歩も迫ることは不可能であったから、「私は何もわかっていない」。食に携わりながら、根源がわかっていないという「自戒」を抱きつづけていた。

 「辰巳芳子 食の位置づけ~そのはじまり~」(東京書籍)の「はじめに」にあるこの文章を読んだとき、すっごくびっくりしました。
 だってね、辰巳さんはとても高名な料理研究家で、これをお書きになったときは83~84歳ぐらい。ずっと「食べ物」、「食べること」に関してつきつめてやってこられたかたです。
 簡単にご紹介すると、辰巳芳子さんは1924年生まれ。料理研究家の草分けであった母・浜子さんの傍らで小さいときから家庭料理を学び、西洋料理についても研鑽を重ねたそうです。特に「命のスープ」が有名で、自宅で「スープの会」を主宰。NPO「よい食材を伝える会」会長、「大豆100粒運動を支える会」会長。

 そんなかたが、“なぜ食べなくちゃいけないのか?”と疑問に思っていたなんて!
 辰巳さんが「なぜ食べなくてはいけないのか」がわかったのは、ルドルフ・シェーンハイマーの学説を知ったときだそうで、次のように書いています。

 BSEの問題後、福岡伸一先生は『もう牛を食べても安心か』(文春新書)という本を刊行された(標題は出版社の好み)。その中で、「私たちはなぜ食べ続けるのか」という章をことさらに立て、ルドルフ・シェーンハイマーの学説を解説し、その理由を明らかにされた。
 この解明に出会ったときの感動は、人は年齢を超えて、高揚する実感であった。
 その後、福岡先生は『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を書いてくださった。
 おかげさまで私はやっと思いをかなえ、重荷は減った。荷が減ればゆとりが生じる。ゆとりは視野を広げる。

 シェーンハイマーはユダヤ系のドイツ人。亡命先の米国で、1937年、「人は食べつづけねばならぬ」理由を発表した。世界大戦寸前である。
 
 シェーンハイマーは、自分の努力が東の涯ての小さな国にまったく分野を異にして生きる80歳を超えた料理家を感動せしめるとは、夢想だにしなかったであろう。

 人は個を生きるように見えるが、時空を超えた連帯を生きる。ほんとうの仕事、ほんものの生き方は、世界の涯てまで一人歩きし、貢献なしうる。

「食は呼吸と等しく生命の仕組みに組み込まれている」と言い続けてきた、その「仕組み」そのものが本の中で開設されていたのです。

  それはかみくだいて言うと、食べものというのは単なる「油注し」ではなく、「食べることによって個体の身体は、分子レベルで日々刷新される」ということです。
 
 食べることの意味を栄養学的なところに求めるのでなく、シェーンハイマーのいう「身体の動的平衡」論で考えると、「他の命の分子をもらって代謝回転すること」、すなわち、「自分のいのちと他のいのちとの平衡」であると福岡先生はおっしゃっています。
 「食べることは他のいのちとつながることである」と。

 で、この本にも「食べることは、他のいのちとつながること~福岡伸一先生との対談から~」として福島伸一さんの話が載っています。
 シェーンハイマーの説については2006年12月6日のブログで、「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである」ということで触れているので、お読みいただければ参考になるかもしれません。

 「辰巳芳子 食の位置づけ~そのはじまり~」については、何回か書くつもりですのでよろしくよろしく。


「原発事故を振り返って」と福島県双葉町の町長が手記

2012-01-11 10:46:52 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 双葉郡の双葉町には福島第一原発の5号機と6号機が建っており、原発事故後は警戒区域になり、約七千人の町民が避難したそうです。
 その双葉町と隣の大熊町を有力候補地として、除染で出る汚染土壌などの中間貯蔵施設を設置したい意向を、昨年12月28日に細野環境相が福島県知事と双葉郡の8町村の首長に伝えたとのこと。
  その日に双葉町の井戸川町長が書いた手記が東京新聞に寄せられ、今年1月6日の朝刊に掲載されました。日がたってしまいましたが、抜粋してご紹介します。

 3月11日午後2時46分、突然に地球が怒った。危うい原発を壊した。

 安全だと私たちにうそをついてきた「原子力ムラ」の正体を、世に知らしめることになった。それを地球が私たちに注意したんだと思う。

 私たちは、真面目に電力を首都圏に送ることを誇りに思っていた。それが何とも切ない、罰当たりなことだった。

 (事故直後に「地獄を見た」という現場の作業員他の便りを最近読み、)ちり紙に遺書を書いたという方の話を聞いた時、涙が止まりませんでした。多くの方が死を覚悟されたのですね。政府はこのような方をどう思っているのか。本当に日本の恩人です。

 恥ずかしいのは、いまだにうそをついている人たち。事故は終わっていません。今も、微妙なバランスの中で安定化させている。

  (「収束」宣言を)とんでもないことと思う。私は認めるわけにはいかない。現場にやる気を失わせてしまわないかと心配。 誰もが認める検査プロセスでなければ、信用は得られません。

(町内への放射性物質で汚染された土壌などの中間貯蔵施設建設に反対する理由)除去もできず住む希望も持てない一番ひどい地域とされる双葉と大熊が、事故の最大の被害者。ここに施設を造れということを、誰にも言われたくない。誰よりも早く帰りたい気持ちがある。「放射能をどこかに持っていけ」と、加害者に声を大にして言いたい。

  皆さんは「一番放射線量が高い地域に」、と思うのでしょうか。でも、原因をつくったものは誰か。どう責任を取るのか。誰が負担をするのか。被害者に責任はあるのか。被害者に責任をかぶせることができるのか。被害者に「元の生活をするな」と言える人はいるのか。ここから議論したい。

 私たちに「日本は世界一の技術で絶対安全」と言い続けてきた「原子力ムラ」の全員が加害者であると思っています。この人たちが罪を償うこともなく、中間貯蔵施設で新たな職場を造ろうとしています。
 私たちは昨年3月11日から被ばくを繰り返している。これほどの被ばく者を出し続けていて、世界から原子力輸出国として認証されるのか疑問です。国家の恥だと思っています。

 (がんを)発症するかしないかの議論で、罪隠しにはならない。自然界以外の被ばくのすべては、要求しない迷惑なものを浴びせられていることになる。専門家と称する多くの方たちの安全基準は、まったく意味がない。
 被ばくについて安全と言った人たちに、賠償を求めなければなりません。皆さん、団結しましょう。

 東京新聞の「デスクメモ」では、この手記に対して次のように述べています。
 除染を進めるために中間貯蔵施設が必要なことは、井戸川町長も理解している。立地に反対するのは、責任をあいまいにしたまま押し付けようとする国の「恥知らず」な態度に強い反感を覚えるからだろう。原発に何もかもを奪われてしまったものの悲痛な叫び。期間のめどはまったく立っていないのだ。

 
 東京新聞は継続して原発関連の報道をしてくれ、他紙では報道していないことも載せたり、わかりやすく解説してくれています。感謝してま
す。ありがとう。


東京新聞に小出裕章さんの記事掲載

2012-01-09 21:23:24 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
                (↑これをクリックするとホームページに行きます)


 1月9日の東京新聞朝刊「こちら特報部」に、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章(こいでひろあき)さんの記事が載りました。簡単にご紹介します。(青字は原文)

 小出さんは、東北大学工学部原子核工学科在学中の1970年に東北電力女川原発の反対闘争に触れて反原発の立場から研究を続けることを決意し、原発の危険性を訴え続けて40年。福島第一原発事故後は「不屈の研究者」として広く知られるようになりました。
 その小出さんに、原発を推進することで互いに利益を得る企業や研究者の排他的集団、いわゆる「原子力村(げんしりょくむら)」の中心人物である田中知(たなかさとる 日本原子力学会会長 東京大学大学院教授)さんらが面談を申し入れました。
  実は小出さんもかつては原子力学会に所属していましたが、30年前に関西電力の副社長が会長に就任したのを機に脱会。すると学会誌から名指しで批判されたりしました。
 原子力学会が目の敵にしている小出さんに、学会の中心人物がなぜ会いたがったのか。
 小出さんは次のように推し量っています。
「東大は原子力を推進してきた学問の中心、学会は安全神話一辺倒の集まり。私のことは無視すればよかったが、事故が起きてからは、そうもいかなくなった。彼らも、ものすごい危機感を感じている。懲りずに推進の旗を振ろうとするだろうが、少なくとも私の意見も聞いたという形をつくらざるを得なくなった」
  面談は昨年10月30日におこなわれ、「原子力の学問をどうしたらいいか」と問われた小出さんは、
「原子力を推進するような学問はすべてやめるべきだ。ただ、今回の事故処理、使用済み核燃料、各原発の廃炉の問題などが残っている。これらの負の遺産を乗り越えるための専門家を育成する必要がある」と答えています。

 福島第一原発事故後、事故を過小評価した「御用学者」の権威が失墜し、逆に小出さんへのマスコミの取材が引きも切らないそうです。各地で引っ張りだこになっていて、毎週末には講演で全国をとびまわり、講演内容をまとめた本は16冊も発行されている。そんな動きについてご本人は次のように言っています。
「事故を引き起こした東京電力と政府は犯罪者だ。犯罪者が自らの罪をきっちり言うことなどあり得ない。小さく、小さく見せようとする。情報は隠す。それは3・11から今日まで全く変わっていない。だから私のような人間の話を聞きに来る。ありがたいとは思うが、こんなことにならなければよかったと思う」

  今度こそ原発をとめられるのか、野田首相は「事故収束」を宣言し、政府と電力各社は原発再稼働をあきらめていないがという問いかけへの答えは次の通り。
「今までにない広がりで原発を考えてくれるようになった。ここまで来たんだから、今度こそは止めたい。でも、政府や電力会社の圧倒的な力の前に、私は負け続けてきた。今、この戦いに勝てるかと問われれば、大変不安だ」
「事故は進行中だ。溶けた核燃料は原子炉格納容器の底を突き抜けているかもしれない。東電の発表によれば、格納容器床面のコンクリートを最大65センチ溶かしているが、外殻の鋼板まで37センチ余裕があるという。これは単なる計算にすぎない。仮定の置き方で答えはいくらでも変わる」
「火力発電所と水力発電所があれば電力は足りるのに、政府と電力会社は毎日のように『停電するぞ、節電しろよ』というウソの宣伝を流し続けている。多くの人が、まただまされようとしているように感じる」

 講演会での「自分にも何かできますか」という質問に、小出さんは次のように答えている。
「こういう集会に行くと、『どうしたら原発をなくせるか』と聞かれるが、知っていればやっている。私は、原子力の学問の場にいる人間としてやらなければならないことを続ける。歌のうまい人は歌えばいい。署名もデモも一つの手段だ。これだけは自分がやりたいと思うことを、皆さんがやるようになった時、原発は必ず止まる」


酒をつまみに酒を飲んだお正月

2012-01-08 16:26:27 | おいしい

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
                (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 んーーー、「天の戸 美稲(うましね) シュワロト 発泡にごり酒 生」(浅舞酒造 秋田県横手市)、うまかったよ!
  たっぷりつぶつぶ感がある甘酒にアルコールが入っているような「百楽門 どぶろく生酒」をスプーンですくってつまみにしながら、「シュワトロちゃーん、うふ、かわいい」なんてニコニコしながら、ええ、もう、いただいちゃいました(「ニターリニターリだ」との声あり。黙っといで!)。

「お前は何でもいただいちゃうんだね」って、志ん生さんの声で言ってほしいぞ。わーははは。

「滋賀渡船(わたりぶね)六号 純米生原酒」(藤居本家 滋賀県愛知郡)、まだ大事に飲んでます。これもいい御酒だねえ。

 今日もね、二合だけ、自分にゆるしちゃお。御酒をいただけてうれしい。普通の生活ができてありがたい。
 感謝を形にするからね。


坂本龍一×河野太郎対談 原発関連

2012-01-08 16:10:18 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 週刊文春1月5日・12日新年特大号で、『東京電力と放射能の「タブー」すべて話そう』のタイトルで、政治家の河野太郎さんと、青森県六ヶ所村の核再処理施設に反対するプロジェクトSTOP ROKKASHOをおこなっているミュージシャンの坂本龍一さんが対談してます。
 原子力発電にからむいろいろなことや流れがわかりやすいです。
 それにしても「すべて話そう」ってのは大げさすぎじゃわいなあ。

 河野太郎さんは原発に関する情報や自分の意見をブログホームページにたくさん掲載しています。もちろんほかのことについてもですが、政府内部の動きなどもいろいろわかって、かなーり参考になる。
 ときどき「なんで自民党にいるんかなあ」なんて思いますが(ごめんよ)、内部から変えていってねと願ってますです。


成功の秘訣は三段構え ノーベル賞受賞益川さん

2012-01-04 11:01:01 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 あけましておめでとうございます。
 新年早々、いい本に出会えました。
『「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子』(中山伸弥 益川敏英 文春新書)は、iPS細胞の樹立に成功し、ラスカー賞を受賞した中山さんと、「CP対称性の破れ」の期限の発見によってノーベル物理学賞を受賞した益川さんの対談集。
 これ、面白い。専門的な難しい話が続くのかと思ったら、お二人の専門が違うことがいい具合に役立って、専門知識がなくても「へえー!」と理解できます。本当にかしこい人は、難しいことをわかりやすく説明できるんだよね。
 でね、どんな発想がすごい結果に結びついたのか、アイディアが出るときってどんなときかなどなど、相手に興味をもってお互いに聞きっこしてる感じで、対談がとっても楽しい。
 へえっと思ったのが、自分は挫折しないという益川さんの発言。ご紹介します。

益川  僕は挫折するタイプじゃないの。挫折するということは、「これ、本当にできるかしら」と半信半疑でものごとに取りかかって、結果、うまくいかないから挫折するんでしょ?
 僕はそうではない。「ちゃんとできるか」を評価してから取りかかります。つまり、「これは難しいぞ」という問題には手を出さないわけ。
山中  猪突猛進型ではないということですね。
益川  うん。どちらかというと、僕は憶病なのね。用心深い。
 挫折する人は、自分にはできない問題に、やみくもに取りかかるから挫折する。「これはできそうもない」というものに手を出さないようにすれば、挫折するはずがない。
 だから僕に言わせれば、挫折する人は自己評価が間違っているんです。
山中  「小林・益川理論」は、4次元クォークモデルでは解明できなかったわけですが、このときは一度は挫折したというお気持ちにはならなかったのですか?
益川  それが僕は挫折とは思わなかったの(笑)。「できる」と思ってやったことが間違いであって、できなかったこと自体は間違いではない。「できない」ということがわかったなら、それは一つの成功例だと考えるわけです。だから僕は他人から見たら、「益川はあそこで挫折したな」と思ってるようなことでも自分では挫折と実感してないんだね。それは本人の自覚の問題です。


 私はよく、「やりたいことをやれるようにやっていこうよ。そのためにはまず自分の状況を理解しよう。“こうだったらいいなあ”という希望的観測から出発するんじゃなくてね。でやってみて、もし、これはまずいなあと思ったら、それは失敗ということではなくて、“それ”は自分には合わないやり方だということがわかってラッキーと考えるとゴールにもっと近づくよ」と言います。なので、このご発言を知ってなんか嬉しくなりました。

 よっしゃ、今年も
1. 自分の状況を的確に把握する。
2. できることをやる。
3. 「できなかったこと」を、最終目的の成功のためになる一つの成功例だととらえる。
でやっていきます。