ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

ホームページが壊れちゃった!

2008-09-30 20:31:49 | Weblog
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。


 エ~ンエンエンエンエ~ン……
 せっかく作ったホームページなのに、トップからほかのページに飛べなくなっちゃいました。
 見えるのはトップページだけ。
 また作り直ししています。
 せっかく見てくださったかた、ごめんなさい!!!

ホームページができたことはできたんだけど

2008-09-25 19:43:11 | Weblog
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。


 とにかくやってみました。
 見た目を変えてみたつもりでしたが、前のとあまり変わっていないノヨ。ご覧くださったかた、これからご覧くださるかた、そんな奇特なかたがたにはあやまっておきます。見にくくってごめんなさい。
 ううう、わけわからず、とにかくしんどい1週間でした。でも何となくホームページビルダーの使い方がわかってきたようなつもりになってます。

 しっかし、前回にも書きましたが、ネックは私の美的センスなのよ!
 うーん、これってどうにかなるもんなんだろか……。

ホームページを手直し中

2008-09-22 12:23:47 | Weblog
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。


 チラシができた勢いをかって、ホームページを作り直しています。
 何年か前に使ったホームページビルダーを利用しているのですが、マニュアルを読んでもよくわかっていないでやっているため、いろんなところにいろんなものがとっちらかっちゃって、さあ大変。
 なんせ、現在のホームページがつくれたのは奇蹟のようなもんでしたから。

 しかしいちばん問題なのは、美的センスがないことなんだよねえ……。デザイナーさんってほんとにすごい。
 しゃあない、センスより実用派の私だもんね。わかりやすくをいちばんにがんばるぞ。

脳のオンとオフ

2008-09-19 12:48:59 | お役立ち
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。


 チラシを完成させたはいいけど、目・首・肩がしんどいということで、メンテナンスしに西国分寺の温故堂へgo。
 沢田先生とは、先生が治療をはじめられたころからだからもう25年ぐらいのおつきあい。今、脳についてご興味をおもちらしい。
 私の体、脳脊髄液が減っているそう。あと、交感神経が過緊張とか。そうだよね、頭使ったもんね、慣れない方向に。
 「ちゃんと休んだほうがいいよー」と言われ、「自分では休んでるつもりなんだけどねー」とお返事。
 そしたら「でもさあ、脳って本読んだりテレビ見たり考えたりと何かすると、そのあと3時間ぐらいは働いてるんだよ。せめて寝る前に脳をオフにしたほうがいいよ。オンとオフはきっちりと。寝る前に座って、3分ぐらい瞑想するといいみたい」とのアドバイスをいただきました。
 そうか、本を読みながらいつのまにか寝てるから、夜中目を覚ましちゃうのね。何度も目を覚ますってことは、脳が休まっていないのね。
 そうでなくてもキャパが小さい脳がオーバーワークにならないように気をつけよう。
と思いつつ、図書館で脳についての本などを借りてきてしまった。今、ツンドクになっている本が20冊、脳を休めるにはちょっと……。

緑のカーテンにバイバイ

2008-09-13 11:04:54 | Weblog
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。


 ゴーヤたちにバイバイしました。続いた豪雨のためか、半分以上の葉っぱが黄色・茶色・しわしわ・かさかさに。さわやかさがわびしさにならないうちに、ゴーヤたちにお礼を言って刈り取りました。
 部屋に光と風が入ってきます。でも何となくさびしい。

 夏前に植えたハーブたちも、この気候のせいか溶けたり枯れたりで、無事定着してくれたのは1/3ほどです。残念だけど育たなかったみんな、上手に世話できなくてごめんなさい。ドキドキさせてくれてありがとね。育ってくれたみんな、生き延びてくれてありがとね。これからもよろしくね。

 あしたは満月。風はさわやかだけど昼はまだ暑くて、秋という感じにはまだまだ。でも、ウサギの和菓子をそなえてみようと思っています。
 浦和は「つきのみや」神社があるおかげで、ウサギにちなんだお菓子がけっこう多いのです。

 余談ですが、つきのみやは調神社と書き、「つきじんじゃ」と読むのが正式名称のようですが、私ら地元っこはう~んと昔から「つきのみやじんじゃ」と言っています。
 調神社の「つき」は「月」と関係はないのですが、“中世、調が月と同じ読みから月待信仰に結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれた”とのことで、月神の使いとされるウサギの彫刻が旧本殿や現在の社殿にあったり、狛犬はいなくてウサギが「狛兎」になってたりします。近年、手水用の蛇口や池の噴水をウサギ型に変えたりもしてます。
  
 今年の後の月は10月11日ですね。このころにはもう秋も盛りでしょうから、お月見もまた格別でしょう。あしたの中秋の名月も、後の月も、お月さんと会えるといいなあ。



玄関も模様替え。ウサギさんたちに来てもらいました。

デザインだけで3週間も

2008-09-09 20:22:56 | Weblog
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。


 ふうるふうるの新しいチラシを自分で作ってみることになり、どんなことができるかがわからないままに、とにかくやってみようとパソコンを動かしはじめたら、やっぱり悪戦苦闘。
 ラフを作ってから、レンガをえんえんと積むような作業をし、失敗するとほとんど初めから作り直しして……。ウギャー、やってらんない! と叫びつつシコシコガシガシ。
 これでいいかなと思うものができたので、翡翠館(北浦和の中国茶館)のマスターに知恵を借りに行ったところ、“そこんとこは触れないで、知らんふりしとこう”にしていたことをズバリ! 指摘されちゃった。
 なんのかんのと抵抗したけど、なんせ“そこんとこは触れないで、知らんふりしとこう”と自分でもわかっていたことなので、受け入れざるをえないですな、こりゃ。
 また七転八倒するのかとがっくり。
 パソコンで割付をしているK君に、「これをこうしたいけど、何か方法があるなら教えていただきたい」と即席入門。幸いなことに教えてもらうことができて、作業が格段にはかどるようになりました。

 結局30通りほど試作。決定稿ができあがるまでに3週間以上かかってしまった。 
 デザイナーさんだったらたぶん1日もかからないんだろうなあ。いろいろなアイディアが同時に出てくるだろうし、こうするとこうなるという先も当然わかるだろうし。
 私は、一つのことをやってみてその結果がわかってから、こうしたらどうなるかな、ああしたらどうかなとやってみることの繰り返し。デザイナーさんが全体を俯瞰して進む空を飛ぶ鳥だとしたら、私はのろのろとはって目の前のことしか見ていないカタツムリぐらいの違いがあるね。
 肩はばりばり目はしょぼしょぼ。でもとってもとっても楽しかった。
 思ったことを実現する技術がないから、とにかくやってみながら“おお、こんなことができるのか!”と感激。思った通りにできたら感激。やってみたいアイディアが次々に出てきてくれることに感謝。思いついたら夜中でも起き出してやってみることができることに感謝。いやあ、幸せな日々でした。

 今週末にプリントアウトすることになり、今日の昼過ぎ、やっと落ち着いて本を読める時間ができました。読んでたらいつのまにか1時間半ほど寝ちゃってました。

 実は、チラシと名刺のデザインをお願いしたかたが忙しすぎて手が回らないということで自分でやってみることにしたのですが、ご多忙だったことって今から思えばラッキー。
 知恵を貸してくれたり、感想を言ってくれたり、アイディアを出してくれた人たちがいてくれたおかげで自分の枠を広げることができました。大ラッキー。私は本当に恵まれています。それを感じさせてくださったことに大感謝です。

 8月初め頃に「ほら、ステップアップしなさい」と背中を押されたとき、今度は何をすればいいのか、どんなことになるのか、ちょっと不安もありました。4月頃からその予告は届けられていましたが、具体的なことはわからなかったので。
 でもチラシの作り直しをしていくうちに、じぶんのやりたいことや方向性がより明確になりました。他のことも進行していて、チラシ作りが一段落した今、“おお、今度はこういうことなのかな”と少しわかってきたような気がします。
 何があるかわからないから生きるって面白いです。すべてに感謝!

善意・悪意、加虐

2008-09-06 10:53:05 | 本や言葉の紹介
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。



 田口ランディさんの対談集『生きる意味を教えてください』(バジリコ)から、映画監督で作家の森達也さんの発言をご紹介します。

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●僕はね、最初の映画である『A』撮影時に、初めてオウムの施設に入って信者たちの日常を撮ったとき、事件直後だから世間では、『凶悪な殺人集団』とか『洗脳されて自分の意思を持たないロボットのような集団』などと言われていた彼らが、とても優しくて純粋で善良であることに衝撃を受けたんです。だからこそ考えねばならない。邪悪で凶悪だから人を殺すわけじゃない。むしろ善良で純粋で優しいからこそ、人を殺す場合があるんです。それも大量に。悪意が燃料になった場合は数人が限度です。人はそれほど強くない。でも善意や正義などが燃料になったとき、人はとても大勢の人を殺戮します。なぜなら摩擦係数が少ないから。だからホロコーストでも、あるいは文化大革命とかポルポトとか、これほどの規模の戦争や虐殺を考えるときは、悪意よりも善意を射程に置くべきだと僕は思っている。

●(ポーランドのある村の名士の息子が、自分にはとても優しかった父がユダヤ系住民の虐殺に積極的に荷担したことを知って慟哭したという「NHKスペシャル]のドキュメンタリーを例に引いて)
 人は優しいままに残虐になれる。だから僕は思うんだ。加虐だけを攻める。被虐だけを語り継ぐ。どちらも充分じゃない。特に加虐する側の矛盾、もっと端的に言えば、加虐する側の優しさや善良さ、この属性を僕たちは直視せねばならない。その矛盾や二律背反性に引き裂かれねばならない。

●善意って制御できないんだよね。悪意のほうが制御可能。善意は気持ちいいんです。陶酔できる。だから怖いんだけど。
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 「悪意が燃料になった場合は数人が限度です。人はそれほど強くない。」「悪意のほうが制御可能。」という発言には全面的な賛成はしかねますし、「加虐する側の優しさや善良さ、この属性を僕たちは直視せねばならない。」では、それは属性ではなくて本性のひとつだと言いたいです。
 でも“善意”や“善良さ”などについてのこういう意見は心にとめておくほうがよいことだと思います。

 実際、自分は善人だと思っている人の言動って“こわい”ことがけっこうあります。
“小さな親切=大きなお世話”程度ならまだいいけど、それが戦争のような加虐も引きおこす場合がある……。

 そうならないように、自分の中のいろいろな感情や考え方のくせなどをきちんと把握し理解することはとっても必要だなと思ってます。
 他にもいろいろと考えたり省みたりするきっかけをくれたこの本に感謝。

帰り修業

2008-09-01 19:03:11 | 本や言葉の紹介
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。


 8月31日の朝日新聞「朝日求人」欄の、「仲代達也が語る仕事 3」で語られている言葉をご紹介します。俳優の仲代さんは、俳優育成の“無名塾”でも有名ですね。


 プロなら、自分の芸に垢が付いているかもしれないと感じた時、初心に立ち戻る「帰り修業」が必要だと私は考えているのです。仕事の質を高めようとすれば、生涯それを繰り返さなくてはなりません。(略)
 どうしても俳優は、これで食えるという引き出しだけで芝居をするようになりますが、それは質の高さではないのです。



 東本願寺の広報誌にも次のように語っています。


 無名塾は3年で卒業です。卒業しても、役者ですからしょっちゅう壁にぶつかる。ぶち当たって帰ってきて、また無名になったつもりで1からやり直す。私は出ていくのを〈めぐり修業〉、帰ってきたのを〈帰り修業〉と呼んでいるんです。だから無名塾というのは〈生涯修業〉ということをモットーにしているんです。



 垢がついたことを素直に認める度量、垢を落とす手だてをもっていること、これ、どんな仕事にも必要なことだなあと思いました。

 「めぐり修業」+「帰り修業」=「生涯修業」 なのね。
 
 仲代さん、よい言葉を教えてくれてありがとうございます。