昨日は「お一人様昼呑みセットB」をいただいた。お酒3種とつまみ2種。成政と白子ポン酢はこれぞ完璧なマリアージュって感じ。千代鶴とウナギ白焼きもナイス。お酒とつまみは日によって変わる。今この状況だからこそのサービスで、この内容で2000円とは! マスターの心意気に大感謝!
新型コロナ対策にもこまやかな心配りをしてくれているので安心して呑めるのもありがたい。
感染しない、感染させない、気をつけてがんばろう。
このところ何かにつけて御酒をいただいておりましたら体重がますます増すばかりなのでございます。ひい。カンゾウあたりも痛いような気が。ウウウ。
さすがに昨日はやめとこうと思ったのでありますが、念のためにお伺いを立ててみたン。そしたら「飲んでいい」&「行くならあの店」とのこと。そうまでピンポイントでご指示いただいちゃったらさ、行かざるをえませんですな、うふ。
そしたらね、ああこのためのおさしずだったのかと思う出来事がありましたよ。ある資格試験を受けるためにちょいと遠方からおいでになったという農業指導技師の若者とお話しできました。まだ20代だろうなあ。まさしく一期一会。
いろいろ話してくださって楽しかった、ありがたかった。本当に感謝!
“皆さんで一緒に考えて問題に対処していきましょう”で運営している会があるんだけど、そこで何かをおこなうときは当然のこととして手順を踏んでやっていきます。
まず役員全員のご意見をうかがい、ご回答があれば必ずすぐに御礼をお伝えし、まとめるまで少し時間がかかるときはそう連絡し、もちろんなるべく早くまとめて報告するようにしています。でもそうしていてさえ、たとえば、
「一言ぐらい報告があってもよいような。見えない管理の中で見えないまま動いているようなと感じます。」
「かなりの上から目線ですよね?」
「さも、自分一人で頑張ってる程で私は一切関わってないと見受けました。」
等々の言葉が来るのよ。
自分一人で処理できるならすぐにできるけど、そうはいかないからどんな手順でやっているかの流れがわかるようにしているんですがねえ。とにかく難癖をつけたい、おまえが嫌いだからぶっつぶしてやるってことらしい。いやな言葉には胸が冷える思いをするけど、でも的外れなのは気の毒だなあ残念だなあと思ってしまう。
こんな言葉を寄越す人って、自分が担当したことさえまともにやってなかったり、お願いしたことを引き受けないってことが多いみたい。
でも、そのおかげで気づけることもあるもんね。
そういう人って、そんな人間にならないようにしよう、ちゃんと自分を省みることができる人間であろうと気づかせてくれる貴重な人なんだよねえ。どんな言葉でも、いただけるってことはありがたいことなんだなあ。
ありがとうございます。感謝しています。
新年あけましておめでとうございます。
近所の弁財天様にお参りし、 「今年もきげんよくすこやかに過ごせるよう努力いたします」とご挨拶申しあげました。
晴天なのに右目の下にしずくが落ちて、右目に涙がわき、「慈悲の涙、畏れかしこみて受けまいらせよ」というようなことば(文法的に正しい言い方かどうかわからないけど)をいただきました。
「弁財天様からの慈悲の涙である。とおといものとしてうやまいつつしんで受け取りなさい」という意味のようです。
うーん、また宿題をいただいたようです。ありがとうございます。
かかわってくださる人など、いろいろなかたがたの慈悲や優しさで生かしていただいていることに心から感謝しています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今、激しい雨が降っています。ときどきカミナリの音も。激しく降ったり小雨になったりが続いています。
オーラソーマの1dayシェアリングが昨日でよかった。雨がそれほどの降りじゃなかったし、風も弱かったし。ラッキーでした。
申し込んだとき、コミュニティセンターなどで開催かなと思ったら、自宅の“ふぅるふぅる”での開催を打診されたので、ボケ犬の遠吠えやウロウロについてお話ししたら、それでも大丈夫とのこと。
受講生が私だけだったのが、前日に急遽お一人参加ということになり、そのかたにも犬のことを説明していただいたら大丈夫とのこと。お会いしてからわかったのが、そのかたも柴犬の痴呆でかなり大変な思いをされたご経験があるということで、ハルトの行動にご理解いただけました。本当にラッキー!
おまけに、ハルトがそんなに暴れなかったのよ!
いつもの、お客様がおいでくださるときの1~2時間ならまあだいじょうぶですが、朝10時過ぎから夕方6時近くまでとなるとどうなるかわからないなととても緊張していたのですが、まあなんとか。 部屋に進入しようとしたことはあったけど、吠え続けたり遠吠えしたりはいつもに比べれば少なかったし、吠えはじめたら中座して対処したらすぐおさまってくれました。
でも、講義中に何回も中座してしまって申し訳なかったです。
ハルトのことが気になって、言動が「ヘンなおばさん」になってしまってすみませんでした。
狭い部屋を我慢してくださり、犬の行動と私の中座をご寛容くださった相澤美和子講師と雫理絵子さんに感謝!
本当にありがとうございました。
ラッキーとハッピーがたくさんの日でした。
ハルトも一応気をつかってたみたいで、昨夜から今朝にかけてがいつもよりすさまじかったのにはがっくり。でも、それだけあんたもがんばってくれたのね、ありがとう。
明けましておめでとうですわ!
だっから、じゃぱにーずしゃんぱんでお祝いですわ
「臥龍梅(がりゅうばい) 純米吟醸 活性にごり酒」(三和酒造 静岡県静岡市)
梅の木や桜草で「臥龍梅」と書いてガリョウバイと読ませてるのを知っていたので、このお酒もガリョウバイと読むのかなと思ってたら、ガリュウバイなのね。
森田商店さんで、「お正月だからねー、シュワシュワプクプク生きのいいのがほしいの」とお願いしたら、これ。
封がさ、こうですがな。期待せざるを得ないでしょうが。
はい、お元気でした!
封を開けるときにとっても怖くて、あふれ出してもいいようにボウルに入れてゆっくりゆっくり栓をゆるめ、もうそろそろかなと思ったら、でっかい「ぽん」の音とともに開栓。おどれいたさ。
で、おいしくいただいておるのだ。「まっぴるまっから飲まなきゃいかんじゃろうが」と言えるのは今日ぐらいなもんだ。(ナイショだが、ほかの日もけっこう言ってる)
ああ、ここまで入力するのにえらい時間がかかった。打ち間違いがすんごいの。これが酔うっていうことかしら、知らなかったわー。
ってことで、今年もよろしくお願いしますです。
なーにが「知らなかったわー」であろうか。頭が悪いから、前のことを忘れているだけである。
それを酒のせいにしているだけなので、たちが悪いのである。
ボク様のご飯とブラッシングを忘れなければちょっとは見逃してやってもよいが。
つきあいきれぬ。寝てるほうがまし。
あ、冷たい。いつものことながら、幸太様すみませんのう。
ま、くだらないこと言って笑っていられる平和な年にしたいぜ。するぜ。であります。
うみゃいです。甘みがある旨口だなあ。素直ないい御酒だねえ。好きだなあ。
水で割ってもしっかりうまいのよね。
前面のラベルには「栃木県産酒造好適米 五百万石 60%精白米使用 下野(しもつけ)の国で若人(わこうど)が醸したまっすぐな酒」。
うしろのラベルには「真・地酒宣言」って書いてある。
「がんばっているすてきなお蔵さんなんですよ」と澤姫・井上清吉商店(栃木県宇都宮市)を教えてくれたのは森田商店の洋子さん。ありがたいありがたい。
うん、またがむばる。
中浦和“ふうるふうる”のたらです。
「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(高橋哲哉・斎藤貴男 編著 日本評論社)から抜粋します。
●どこかの国が攻めてくるかもしれないから、やっぱり軍隊は必要では?
他国と敵対的な関係となったときに、初めてその国が〈脅威〉となります。〈脅威〉であるから政治的に敵対するのではなく、政治・外交上の敵対関係(不正常な関係)が相手を〈脅威〉にしてしまうのです。したがって私たちは、〈脅威〉があるから軍隊をつくり軍事的に備える、どこかの国が攻めてくるかもしれないから軍隊だ、というスタンスに立つのではなく、いかに〈脅威〉をつくらないか、いかに日本に攻めてくる国をつくらない(その国にとっても日本が大切な存在になる)かという観点で外交努力をしていく必要があるのです。周辺諸国との友好関係が築かれれば、軍隊で常に警戒するということも必要なく、相手の警戒心を和らげ、相互に軍縮をはかることも可能です。
●戦争に行っても、愛する人は守れない
国家権力が国民を犠牲にして行うというのが戦争の本質だと言いましたが、「自分は強制されなくても国が危機になれば、愛する人を守るために戦う」という人が出てくるかもしれません。
問題は、それがどういう戦いなのかということです。愛する人のために戦うと言いながら、じつは国家が発動した戦争にただ動員されていくしかない状況になっていないか。それ以外の選択肢がないところで、戦う理由を自分で納得するために、仕方なくなされたものにすぎないのでじゃないのか。
敵と戦うことによって、戦争をますます長引かせ、それによって愛する人が非常な苦難をなめることになるかもしれない。
個人的な決意というものをはるかに超えたところ、国家権力同士の戦いが起こっていますから、そのなかで個人的に愛する人を守るということには、実際にはまったくならないということを、まず冷徹に見る必要があるだろうと思います。
ですから、もし、本当に愛する人を守りたければ、自分が国家の命令で戦争に行かなければならなくなる状況をつくらない、ということの方がよほど意味があるわけです。
さらに、戦争に行けば、あるいはその人を「銃後」で支えれば、愛する人とともに自分が加害者になってしまいます。
もし、本当に命を捨てる覚悟があるのなら、国家の命令によって、従順な国家の手駒となって敵を殺すのではなく、戦争を続ける国家を批判し、その体制に終止符を打つために命を捨てるという選択だってあるわけです。たとえば、映画になっているドイツの「白バラ抵抗運動」の人たちはそういう決断をしました。
そして今日の日本であればなおさら、戦争によって国を守ることもできなければ、愛する人を守ることもできないでしょう。
日本は小さな島国に人工が稠密で、現在では都市化も情報化も非常に進んでいる。エネルギーや通信のインフラが破壊されれば、都市は大きく打撃を受けます。原発も何基も稼働しているので、そこにミサイルを撃ち込まれたらその被害の大きさは計り知れません。そういうところで軍事力によって他国とけんかを始めたら、国民の生命・安全は大変なリスクにさらされます。愛する人はそのなかに巻き込まれることになるわけです。
本当に愛する人を守りたければ、何よりも戦争だけはしてはならないのです。
ですから、まず他国と戦争状態に入ることを回避する、そのような状況をつくらない。そのためにあらゆる政治的な力を発揮し、努力を続けていくことが重要だと思います。
中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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自民党の脇雅史参院幹事長は18日、東京都内のホテルで開かれた会合のあいさつで「政党が国会議員の候補をきっちり選べば、選ぶ人が『あほう』でも選ばれる人は立派だ」と述べた。有権者を軽視する発言として反発を招きそうだ。同席した安倍晋三首相らが「ちょっと」と制止したため、脇氏はその後に「『あほう』と言ってはいけないかもしれない」と弁明した。
新聞各紙が取り上げていたよ。↑これは毎日新聞からの抜粋。
ほほう、脇さんあなたは「あほうな国民に選ばれたけど、自民党は国会議員の候補をきっちり選んでいるから自分は立派」なのね。
トコトンなめられているのね、国民って。
「『あほう』と言ってはいけないかもしれない」の発言のあとで胸の中でつぶやいたんじゃないの、「『あほう』じゃなくて『バカ』だった、いや『間抜け』か、それとも『とんま』か」って。
いよいよノンポリではいられないじゃないのさ。
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え、ノンポリって死語なのかあ。学生運動が盛んに行われたころの言葉だものねえ。
学生運動が盛んな時期、運動に参加せず、政治に関心を持たない学生のことを「ノンポリ」(ノンポリティカルnonpoliticalの略)と呼んでた。私はもっと後の世代だけど、「政治に無関心」の意味で自分をノンポリだなと思ってました。
鼓腹撃壌(こふくげきじょう)でいいじゃんって。でもさ、腹つづみをうち、足で地面をたたいて拍子をとって「政治なんか為政者なんか自分の暮らしにかかわりないよ」って歌ってられるのは、まつりごと(政治)がおさまって善政が行われ、政治のことなんか考えなくてすむ状態だからこそ。平和な生活を送れるからこそ満足して自分の生活を楽しめる。
原発や労働、経済状況などで暮らしの安全が脅かされたり、戦争ができるようにうごめいている動きなどを知ってしまったら鼓腹撃壌してらんない。あーあ。
女子どもの感情論と言われようが、「安心して安全に暮らしたい」「原発は危険」「平和憲法を維持しよう」などなど言っていかなきゃ、いいほうに変えて行かなきゃやばいじゃん。あーあ。
ノンポリだって言ってらんなくなっちゃたじゃないのさ。すばらしい皇帝や天子や王様がまつりごとをおこなうっていうことならともかく、自分たちの代表として政治家を選んで政治を行わせているんだから、まずはまともな政治家を選んで投票すること。そして、どんなことをやってるかちゃんと知ること、目を光らせていること。おかしいことには声をあげること。
これは権利であり義務なのよねえ。
中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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昨日の15日、国内で唯一稼働中だった関西電力大飯(おおい)原発4号機(福井県おおい町、118万キロワット)が発電停止に向けた作業に入り、今日(16日)に原子炉が完全に停止した状態になりました。これで、2012年7月以来、1年2カ月ぶりに国内の商業用原発50基すべてが止まりました。
でも、新しい規制基準に基づいて4つの電力会社が12基の再稼働を申請していて、原子力規制委員会で審査が進んでおり、「原発ゼロ」は数カ月で終わる可能性があります。
原発に頼らずに電力需要をまかなえることがはっきりしているのに、なぜ再稼働するの?
今日の東京新聞朝刊から抜粋します。
●猛暑の今夏 電力余裕
本紙は7月から9月上旬まで、電力各社の資料や取材を基に、各日のピーク時、各社が用意した供給力の何割が使われたかを示す使用率の推移を調べた。(この間、動いていたのは関西電力大飯原発3、4号機の2基のみ)
北海道、東北、東京の電力三社では、使用率が90%未満の「安定」した状態がほとんど。95%以上の「厳しい」日はゼロだった。
一方、気温35度以上の猛暑日に連日見舞われた西日本では、冷房などの需要が増え、「やや厳しい」(90%以上95%未満)日が目立ったものの、全体的には「安定」が大勢を占めた。ただ、原発依存度が高かった関電と九州電力では、「厳しい」がそれぞれ4日あった。
東西で電力を送れる量は今後、大型の原発2基分に相当する210万キロワットに拡大する。広域で支え合う仕組みが整えば、原発に依存しなくても電力不足の心配は減る。
電力需給に詳しい植田(うえた)和弘京大大学院教授は「需給だけをみれば、原発は必要ないことがはっきりした。広域の融通体制の強化や、節電で利用者が得をする料金体系の拡充など、対策の余地はまだある」と指摘する。
人間に制御しきれない危険な原発を再稼働するのは“狂気”だよ。
前にも書いたけど、「狂気……それは、同じ事を繰り返し行い、違う結果を予期することである」(アインシュタイン)。
安全な環境で安心して暮らしたい。関わっている人たち、その人たちが関わっている人たち、そのまた先の人たちすべてを無用な危険にさらしたくない。原発はいらない。
やっと梅雨があけて、今日から8月。でも昨日と今日は風が何となく冷たく感じられました。猛暑になってほしくないけど、冷夏も困りますね。
7月は、高齢者ケア施設と子育て中のお母さん支援グループの2か所で、アロマテラピーについてのお話をさせていただきました。参加してくださったかたがた、企画してくださったかたがたに大感謝!
お母さん支援グループでの講座では、自分用のトリートメントオイルを作り、手のトリートメントをするところまでやったのですが、いただいている時間を30分ほど多く勘違いしてたことが直前にわかり、さあ大変。2時間半もらえて嬉しいと思っていたら2時間だったのです。基礎についてお話しするだけで1時間ちょっとかかるので、エピソードや裏話等があまり話せなくなり、面白くなかったかも……。ごめんなさい。
今日、2~3年前のできごとのように思っていたことが、去年のことだったのがわかってびっくり。この1年で2~3年分ぐらいの経験をしたのでしょうか。時間の流れがすごく速くなっていると、去年あたりに教えてもらったのですが、このことで実感しました。流されず、でも流れにのって、いろいろなことを味わっていきましょう。
数日前やっとクリスタルボウルが届きました。まだ3つだけの到着で、たった3個なのに、音を出していると飽きないのが不思議です。深い響きが長く続き、とっても気持ちいい~。心のままに音を出していると、いつの間にか時間がたっています。
クリスタルボウルは、演奏を聴く側にも深いヒーリングがおきますが、いちばん深いヒーリングを受けているのは演奏する側だと思います。体も心も“すこやか”にしてくれる感じです。音を出したあと、自分のオーラが2~3倍に広がっているのには驚きました。声も気持ちよく無理なく出てくれます。一日中にこにこしていられるんです。
クリスタルボウルの音を出しながら真言(マントラ)を唱えると自然にメロディーが出てきて、すごく気持ちいいです。
皆さんも、演奏を聴くだけでなく、機会があればぜひご自分で音を出してみてください。
クリスタルボウルを取り入れようと思い、リンクページでもご紹介している牧野持侑(潤)さんに連絡したのが1月半ば。ちょうど時間があいているということで1月27~29日の3日間伊豆へうかがい、音について、音のヒーリング効果、実際の演奏などを教えていただきました。紹介していただいた「しいの木やま」もとてもすてきな、そして食事がおいしい宿で、浄化、リラックス、リフレッシュ等々で満たされた、すばらしい3日間を過ごしました。
急に思い立ったことなのにすらすらとことが運んだのにはびっくり。でも、クリスタルボウルを知ったときぐらいからちょうど使い始めていたオーラ・ソーマのボトル“レディ・ナダ” さんが、ちゃんと下準備をしてくれて、大きくサポートしてくださっていたのに気がついたときには大感激しました。必要なものは必要なときに出会えるんですね。
クリスタルボウルは10日ほどで届くはずだったのですが、結局1か月かかりました。でもこの時間が必要だったことも最近判明し、うーん、よくとりはかられているなあとまた感激、そして感謝。“大いなる何ものか”にサポートしていただいていることを実感しました。
とにかくこれで、“香り、色、音”がそろい踏み。実際、セッション内容もレベルアップしたことを感じています。残りのクリスタルボウルにも早く会いたい今日この頃です。
今朝、冬至のご来光をあびてきました。
「太陽の一番搾りの光をあびてみる?」と大宮氷川神社(埼玉県さいたま市)に誘ってくれた友人のおかげです。参拝後、木々の間から昇る太陽をお迎え。きらきらしていて、まわりを虹のようなプリズムのような輝きが取り巻いていて素晴らしく美しかった!
「ああ、これが鏡だ」と納得。
太陽が力を取り戻し,輝きを増していくその一番最初の光を「太陽の一番搾り」と表現した友人のセンスに拍手!!でした。世界各地に太陽復活の祭りがあるのはもっともなことですね。
今は冬のさなかという感じですが、太陽はもう輝きを取り戻し、エネルギーをたくさん送ってくれています。この一年に感謝し、新しい年を元気に迎えてくださいね。
10月9日から14日まで、名古屋でのオーラ・ソーマのカウンセリングコースに参加してきました。そのあいだにご連絡くださったかた、ごめんなさい。
9日はちょうど台風が直撃したため、東京駅では「静岡-掛川間が不通のため、この列車は小田原で運転停止」とのアナウンス。でもまあ、乗ってたら何とかなるかなと、10月2日にご挨拶にうかがった諏訪の神様や他の神様がたにお祈りをして車内へ。ありがたいことに30分遅れぐらいで名古屋に到着し、コース開始にも間に合いました。
参加してよかった! とてもすっきりしました。参加者は私も含めて6人で、シェアし合うには適切な人数でしたし、いろいろなエネルギーの質の違いなどを見せいていただいたり、深く抱え込んでいた自分の問題をセッションのデモンストレーションの例として取り上げていただいたりで、得たものがたくさんありました。
14日は晴天だったのですが、コースが終了するころにいきなり強い雨と風が……。浄化で始まり、浄化で終わったんだなあと感じました。
帰ってからメールを見ると、大好きな友人の身にも大きな浄化が起こっていたことがわかり、バンザイです。
今、全質的な変容がさまざまな人に、場所に、起きているようですね。今までのパターンがかわってしまうことは怖く感じるかもしれませんが、自分自身の神聖さを信じて受け止めていきましょうね。