ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

おいしいものを差し上げたい……

2007-09-25 16:08:09 | おいしい
 素晴らしい名月ですね。昼遅くからの強い風が雲を吹き飛ばしてくれて、満月。
 「中秋の名月」を雲も雨もなく見ることができるのは珍しいことだなあと思いました。もうもう、嬉しい。そして、風がおさまってからは、雲のまにまに姿を見せてくれる月を眺められるのが嬉しい。これ、名月というよりは名天気といいたいです。

 中秋の名月は旧暦の8月15日で、ごくふつうに「十五夜」といわれていますが、今の暦だと今年は9月25日の今日です。芋名月ともいわれますけど、この「芋」は里芋のことですね。

 旧暦の9月13日(今の暦だと今年は10月23日)にも月見をする風習があり、これは「十三夜」、「後の月」、「栗名月」とも呼ばれます。十三夜には、月見団子のほかに栗や枝豆をお供えします。「十五夜をしたなら、必ず十三夜もしなければいけない」という言葉が各地に伝えられているそうです。

 それはさておき、今日はお月様に芋ではなく栗をささげました。十三夜のことは頭からすっぽり抜けておりまして……今、栗きんとんの季節なんだもん。

 たぶんあるだろうなと思って行ってみたデパートに、やっぱりありました、栗きんとん。

 うっれしいなと、心の中でスキップ。

 おいしいおかずをくださったN・S様に、おいしいものがお好きであろうN・G様に、この栗きんとんをお渡ししたい。でも、好きずきがあるから……等々考えたけど、エイ、好みでないものはそれを嬉しがってくれる人にお渡ししてくださるか、お捨てになるかなどのご処理をしてくださるだろうと(つまりはお手数をおかけしてしまうのだけど)と思って、お渡ししました。私も一つ食べました。

 正確には覚えていないのですが、「おいしいものを食べたときに、それを誰かに食べさせてあげたいと思ったら、それが好きな人だってこと」というような、「自分が誰のことを好きなのか知りたかったら、おいしいものを食べたときに食べさせてあげたいなと思い浮かんだ人がその人」というようなことが書いてあった小説がありました。

 でも、受ける側からすると、そう思っていただけるのはありがたいけど、でもでも、その品物はとっても迷惑……ということも多いのだろうなと思います。
 もてる人たちって、そういう思いをしているのだろうなあ(うらやましい~なんてちょっと思ったりして)。

 うわあ、なんかめげた言いかたしてますね。いかんいかん。でもね、お米アレルギーとか、でんぷん質がほとんどだめとか、他人には思いがけないものってあるんですもの。それに、好みの違いもあるしね。
 
 う~……
 でもね、今日はとても美しい季節を見せていただいて、おいしいものをいただけてよかった!

 やっぱり今日もいい日。やっぱりしあわせ! ありがとうございます。

「弾物(ひきもの)の楽しみ」

2007-09-10 16:11:44 | Weblog
 9月9日は浦和の割烹千代田での催し「弾物の楽しみ」を体験。

 田島和枝さん(笙など)と中村香奈子さん(横笛、箏など)によるユニット“むすびひめ”に、横山円音さん(よこやまみつね 琵琶、和琴など)が加わった1時間半のミニ雅楽会(食事つき)。

 私は和琴が大好きなのでそれにひかれたのです。

 横山さんの説明がわかりやすく、「和琴の琴柱(ことじ)はカエデの木の二股になった枝を切って自分で作っています」というお話しに、マンガの「陰陽師」に源博雅がカエデの枝ぶりを見ている場面があったななんて思い出したり。

 マイク等の音響装置を使わないなまの音が聞けて嬉しかったです。特に琵琶演奏で左手が作り出すかすかな音がわかったのが嬉しかった。

 Kちゃんにつきあってもらったのですが、はからずも彼女の“お仕事見習い期間終了・正社員就職祝い”になりました。よかったよかった。

まず自分から

2007-09-08 16:17:31 | 本や言葉の紹介
 昨日の7日に、嬉し楽しの本をいただきました。「The Meaning of Life ――人生の意味――」(ブラッドリー・トレバー・グリーヴ 竹書房)です。
 N・Gさんが「たらちゃんに必要なもの」と言って渡してくれたのです。

 どんな内容だかとおっかなびっくり本を開いたのですが、1ページずつが、動物がメインのモノクロの写真と短い文章の組み合わせで構成されているとても読みやすいものでした(スパゲッティを食べているときには思い出したくない写真が1枚ありましたが)。

 この動物さんたちの素敵なこと! ユーモアのある文章、楽しいなあ。文章に合う写真を見つけだすの、大変だったろうなあ。

いくつか抜粋します。
 

「そんなにむずかしいことじゃありませんよ。自分自身に正直になればいいんです。“よりよき人生を送りたいと思ったら手をあげてみましょう” ね、簡単でしょう。」

「心のつぶやきにじっと耳をすませば、魂の声がきこえてくるはずです。」

「それは本音と呼んでもいいし、内なる自分と呼んでもいいし、内なる助言者と呼んでもいいですが、その小さな声は耳をかたむける気さえあればちゃんと聞こえるものなのです。」

「人生に失敗はつきもの。だから過去にこだわって時間を無駄にしないことです。」

「間違ってやしないかとあれこれ思い悩まないこと。心の声に耳をかたむけていれば間違いっこないのですから。」

「人生を心ゆくまで楽しめるようになれば あなたの暮らしは一変するでしょう。毎日わくわくしながら目覚めることになるし、そうした気分は周囲にも伝わるものです。」

「つまり、世の中を変えることができるんですよ!」

「心の声に耳をかたむけて、ちょっと頭を使えば、万事うまくいくんですよ。」


 こういうこと、お客様と一緒にお話ししているんです。実はこれをいただいた昨日も、昼間に

 「自分の直感を信じること、楽しめることをしていくこと、自分を抑えすぎないこと、信頼できる人には本音を話していくことなどで自分を解放して、気持ちよく生活していこうね。
 なーんて人には言うんだけど、自分じゃなかなかでね。私もちゃんとやってかなきゃ」

というようなことを話したばかりでした。

 だから、読んだあと、「たらちゃんに必要なもの」という言葉が頭の中でリフレイン。やっぱり、“まず隗 ( かい ) はじめよ”ですね。N・Gさん、念押しをありがとうございます。

ハルト10歳、まだまだ!

2007-09-02 16:19:25 | 犬猫
 犬のハルトをシャンプーしました。

 以前は暴れてほえまくり、かみつこうとしたりしましたが、今は、「お風呂場に入って」と言うと、かなり迷走&抵抗しながらも自分で入室してくれます。洗っている間は腰が抜けたようにヘタッと座り込んで抵抗もほとんどなし。

 聞き分けがよくなったというかあきらめたというか。
 年で体力がなくなったのかなあと思うと不憫です。でもまだ10歳、まだまだ10歳だよね。

 お風呂場から出るととたんに元気になって、「ごほうびは?」と大催促。うん、まだまだ元気だぞとほっとします。

 いやなことをされてやっぱり気が立っていたのか、明け方に猫の喧嘩のうなり声を聞きつけて、苦情申し立てだか参加だか、遠吠えし、ほえてしまいました。猫の幸太は無関心で寝たままなのに。

 まあでも、シャンプーしたために体力が落ちたということもなく、ちょっと心配していた皮膚の状態もよくなって一安心でした。

 このシャンプーは獣医さんで出してもらった薬用シャンプーで、においがきつくないのが嬉しい。それもよかったことのひとつでした。

「マティーニに懺悔を」

2007-09-01 16:23:26 | 本や言葉の紹介
 「マティーニに懺悔を」(今野敏 ハルキ文庫 角川春樹事務所)を笑いながら読みました。

 ハードボイルドとうたっていますが、拳法の達人であることを隠している茶人がメインキャラ、アイルランド人でのんべのカトリック神父、バーのマスター、幼なじみの美女などがサブキャラの、ちょっとドタバタふうの後味のよいものでした。



茶人「俺は客をもてなすことに一生をささげる茶道の師範です。もし、客が私の拳法のことを知ったとする。客は私に必要のないおそれを抱くかもしれない。私はそれがいやなんです。(中略)それが俺の茶の道だと思っているのです。言ってみれば、忍ぶ心です」
神父「日本のことわざを思い出しましたよ。茶の道はヘビィ」


神父「スミレコはまだまだ若い。そしてきれいだ。番茶もデバナをくじかれる美しさです」   この男にことわざを教えた日本人はいったい誰なんだろう――


神父「さすがシショウのおとうさんだ。はらわたがすわっている……」
茶人「気持ちの悪いことを言わんでください。肝(きも)がすわっているというんですよ」



 好きだなあ、こういうの。