武蔵浦和“
ふうるふうる”のたらです。
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精神科医の中井久夫さんの著作「こんなとき私はどうしてきたか」(医学書院)をまた読み直しました。2008年11月11日に、「精神保健いろは歌留多」についていくつか書きましたが、今回は次の部分が特に印象に残りました。
●診断とは、治療のための仮説です。最後まで仮説です。「宣告」ではない。
●病気がよくなろうとすると、それを引き戻しにかかる力がはたらきます。これは別に不思議なことではなくて、こころもからだも現状を維持しようとする力がとても大きいからです。それゆえの揺り戻しですね。ホメオスタシスというのは、そう言うことです。(中略)
回復に向かう変化のときには、「かならず揺り戻しがある」ということを念頭に置きながら眺めていくほうがいいでしょうね。
●患者が、家庭をかろうじて分離しないようにしているということが実際にあるのです。いや、かならずその目で見る必要があります。「私が治ったら両親は別れる。私は安心して治れない」と。
ペットが、この役割を分担していることがあります。私が往診した先では決まったように犬が私の側に並んで座ったり、私を背に両足の間に座ったりしました。きっと、わかってほしかったのでしょう。その犬がついに出て行ったとの報告を聞いて、私に不吉な予感が起こりました。しばらく後になってですが、飼い主は急に悪化して、慢性病棟の主になってしまったと聞きました。
私は、ペットは家族のことをけなげに心配していると思っています。猫は病気がちになります。
作家の井上ひさしさんは揮毫(きごう)を頼まれると、「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに書くこと」とよく記したそうです。
劇団「こまつ座」の機関誌「the 座」に寄せた文章には次のようにあります。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」 。
中井久夫さんや信田さよ子さんなどの著作を読むと、「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく」という言葉を思い出します。ありがとうございます。
あのね、易しく書いてあるということと、
それをちゃんと理解できるかどうかはベツモノなんだがね。
ねーちゃん、理解しとるけ?
うーん、なにも言うまい。
人の言葉ばっかり借りてんじゃないよ。
自分の体と心と頭で感じること、考えることが大事なんだべしゃ。
アホねーちゃんあわれ……。
うー、言い返せないのがくやしい