ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

惹かれた言葉

2006-12-31 23:55:12 | 本や言葉の紹介
 いよいよ今年も最後の日になりました。このところ惹かれた言葉をご紹介して新年を迎える準備をすることにしますね。

●「東京ファイティングキッズ・リターン」(バジリコ株式会社)より内田樹さんの発言
 「天下無敵」という言葉がありますよね。
 これを「天下のすべての敵を私は殲滅する」という挑発的な宣言だと思っている人が多いと思うんですけれど、本旨はそうじゃないとぼくは思っています。
 「天下に敵なし」というのは、むしろ「みんな仲間」という意味だろうと思うんですよ。

●内田樹さんのホームページ中の「おとぼけ映画批評」『タイタニック』より抜粋
 もし自分がタイタニックに乗り合わせたらどうするだろうと想像してみる。ボートは乗員乗客の半分しかない。半分死ぬのである。「お先にどうぞ」とにこやかに言い切ることができるであろうか。
「お先にどうぞ」。これがレヴィナス老師の倫理の究極の言葉である。混んだ電車のドアの前でも、タイタニックの救命ボートでも人間はそう言わなければならない。その言葉が人間の人間性の核を構成するからだ。自余のことは、すべてそこから派生する、と老師は説かれた。
「お先にどうぞ。あなたには私より多くの権利があり、私にはあなたより多くの義務がある。」
そう言い切れるために何をすべきかレヴィナス先生は語っていないが、映画のなかでディカプリオ君はちゃんと語っていた。「いまのこの瞬間を感謝とともに生きること」である。
 私はあなたより多くの幸福を味わってきた。だから、あなたに幸福になるチャンスを譲ってあげましょう。うう。おまえ、いい奴だな。

●毎日新聞2006年12月10日16面
 「毎日かあさん200回記念」島田洋七さんの発言より抜粋
・中学のときに落ち込んでいたらばあさんが「何な悩んどんねん。おまえの頭じゃ解決せん」て言われたもん。そしたらものすごい楽になって、ニコニコして学校に行きましたよ。
・おばあちゃんにもらった言葉で「おれはアホかな、と思わんでも、もうみんな知っている」(笑い)。これもろうたとき、うれしかったね。なるほどなと。「だから早く学校へ行け」と。これはグーですよ。
・元気で、明るうて、ほんで仕事さえすりゃええのよ。仕事したらだいたいの解決はつく。ばあさん言っとった。「仕事すれば」コメ、ミソ、しょうゆ、友達、信頼がついてくる」て。確かにバイトしたら4000円くらいにはなる。コメ10キロ買えるのよ。2日目も働いたらマヨネーズ、ソースとかも。で、3日目には友達ができるて、バイト先で。4日目には近所の人が「お、あいつ、今日は働いとるがな」と、信頼がついてくるねんて。ただ「努力をしよう、働こう」だけじゃ、わからんて。説明してあげんとね、いまの若い子。
・1回ね、(今月は仕送りが半分だという母からの)見たらあかん手紙を見たの。食事をいつもの半分で残したら、ばあさん鋭いから「手紙見たんやろう」て。あんまり悲しいからバーッと走っていって1時間ぐらいしてから帰ってきたら寝床におにぎりと「子どもがそんなこと考えんでええ。ご飯ぐらいいっぱい食べろ」という手紙。泣きながらおにぎり食べてたら、ばあちゃんがらっと開けて「明日の朝がないだけやから」と(笑い)。これほどすばらしい泣き笑いはないて。そういうことを今の子どもたちにも経験してほしい。

犬養道子基金

2006-12-22 23:53:03 | まじめな話
 犬養さんが「犬養基金」をもうけて難民援助をおこなっていることは以前に紹介していますが、「2006年 犬養道子基金報告書」が届きました。その中で、現状が経済的にも内容的にも今までよりずっと難しくなっていることがあげられています。以下に一部を紹介しますので、ご自分でもできることがあるとお思いになったかたはぜひ実行してください。文中のJRSとはイエズス会難民サービスのこと、MIFは犬養道子基金(mitiko inukai foundation)のことです。


JRSの五大プロジェクトの中には(とりわけアフリカとタイ北西部)、①むずかしい新しい型の難民少年少女が増加し、②EU加盟国増加と共に「それらの国に庇護を求めてゆくことはとても難しくなるからいまのうちに」と考えて相変わらずの内紛(プラス飢餓地拡大)を逃れ、③ヨーロッパ各地をめざす「流浪の人々」が増える一方。ローマのJRS本部での「新到着者」のための昼食だけでも毎日500食ではとても足りないありさま。
 いままでの支援金ではとても足りない。①の「むずかしい難民青少年」とは、各地の紛争の「敵側も味方側も」拉致していくおびただしい数の少年兵や卑しい強姦相手の少女たち多数。心も体もボロボロの少年少女を正常の状態に戻すためには数年がかかります。最善の「回復への道」は算数や読み書きやコンピューター使用の「教育」ですからMIFはなんとしてでも支援したい。拉致体験少年少女はアジアからスペイン領カナリア群島までひろがっています。
*日本国内への難民許可申請者は、2006年、飛躍的に増加しました。申請者は657名(2006年夏現在)に達しているにもかかわらず、許可されたのはたった46名だけですが、受け入れられるまでは収容所あるいは低家賃のアパート住まい。新入管法によれば、仮滞在許可証を受けることができても一切のアルバイト禁止。住まいも限られており、この生活費を難民支援協会(東京都新宿区四谷1-7-2-4F)が苦労して支援している状態です。難民受け入れにおいて先進国中最も厳しい状況の中で活動をしている難民支援協会を当基金は今後も支援していきたいと思っております。
難民支援協会のサイトは、http://www.refugee.or.jp/
*以下はJRSが火急に求めるボランティアについてのお知らせ。くれぐれもと頼まれました。
◎第一陣として、一年のうち丸一ヶ月のボランティア。行き先は、①タイ国北西部マエ・ホン・ソンのキャンプ内。 ②ケニア国内カクマキャンプ内。
◎英語で、英語(初歩レベルと高校程度の二種類あり。どちらも必要)と算数(高等数学も含む)、コンピューターを教えることのできる教員を1000名。
◎国籍、信教の如何を問わず。
◎第二陣として、少なくとも数年をタイ、ケニアでキャンプでボランティア及び教師育成に携われる人材。
JRSのウェブサイト http://www.jrs.net


犬養道子基金ホームページ  http://www.inukai-kikin.jp
犬養道子基金事務局 〒277-0065 千葉県柏市光ヶ丘2-1-1 麗澤大学内
【郵便振替口座】
   口座番号 00120-2-196459
口座名  犬養基金
 【銀行口座】
銀行名  三菱東京UFJ銀行 松戸西口支店
   口座番号 (普)0723331
口座名  犬養基金代表 犬養道子

 今の時期、見知らぬ・でもどこかでつながっている他者に、ご予定のクリスマスプレゼント資金の一部をお福分けしていただけることができたら有り難いことと思います。

へその緒の長さって

2006-12-13 23:49:49 | 本や言葉の紹介
 へその緒って、母胎にいるときはそんなに長くなくてもいいし、出産の時だって産道から出られるくらいの長さがあれば十分なのでは。それなのに約50cmほどもあり、胎児の首に巻きついたりして出産を危うくするほどの長さですよね。

 「可愛がられるために来た」(松井るり子 学陽書房)を読んで驚きました。へその緒の疑問への解答があったのです。要約してご紹介します。


「カンガルー・ケア」という方法があります。生まれたばかりでへその緒のついたあかちゃんを、タオルで拭いただけのはだかんぼで、おかあさんのお腹にうつぶせに乗せると、大声で泣いていたあかちゃんの息がすうすうと穏やかになり、体温の上がってきます。30分ほどするとつんつんと足を蹴り始めます。そうやって自力でゆっくりとおかあさんのお腹をはい上がり、おっぱいに到達すると、ほっぺで乳首を探して自分で吸いつきます。へその緒の長さが、ちょうどそれにぴったりふさわしい50センチなのだそうです。
 おかあさんとへその緒でくっついたまま、おっぱいに到達できる長さにつくられているのなら、本体の目的はそれに違いないと思います。
 それはまた、母子をつなぐひもの長さは50センチだから、身体で覚えておいてね、という長さなのかもしれません。50センチぐらいは離れてもいいけど、それ以上は離れちゃだめ。なぜなら、離れるとあかんぼが泣くからです。
 これは元来、未熟児ケアの方法の一つだったそうです。保育器から小さなあかちゃんを出して、「はだかんぼでおかあさんの胸に乗せて、おかあさんの服でくるみこんで、1日2時間過ごす」というだけで、死亡率が劇的に下がったことから広まったといいます。」


 う~ん、びっくり。そうだったのか。

生命とは動的平衡

2006-12-06 23:48:04 | 本や言葉の紹介
 日商簿記3級検定試験ですが合格しました。うれしいです。

●「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである」

 分子生物学者の福岡伸一さん(青山学院大学理工学部教授)が講談社のCM用雑誌『本』2006年11月号で「動的平衡とは何か」のタイトルで生命について書いてくれました。

 1930年代にルドルフ・シェーンハイマーによって証明された生命観「生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」ことをもとに説明していますが、それは簡単に言うと

・身体のありとあらゆる部位は絶え間のない分解と合成が繰り返されている。
・肉体は、分子のレベルでは個物としての実体があるわけではなく、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかもそれは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。
・生命の営みは、このような絶え間のない流れによってもたらされた動的な秩序である。秩序は守られるために、絶え間なく壊されなければならない。

 ということのようです。
 福岡さんはこの文の最後を次のようにまとめています。

「自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる。
 生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである。
 そしてただちに次の問いが立ち上がる。絶え間なく壊される秩序はどのようにしてその秩序を維持しうるのだろうか。それはつまり流れが流れつつも一種のバランスをもった系を保ちうること、つまりそれが平衡状態(イクイリブリアム)を取りうることの意味を問う問いである。」

 私はこの最後の文を読んだとき、オーラ・ソーマのイクイリブリアムボトルのことを思いました。最初はバランスボトルと呼ばれていたのにイクイリブリアムボトルという名称に変更されました。イクイリブリアム(equilibrium)の意味はバランス(balance)と同じなのになぜ変更したんだろうと疑問に思っていたのですが、この文を読んで何となくですが理解できたような気がしています。
(福岡さんの『もう牛を食べても安心か』(文春新書)はおすすめです)
  
 “大いなるもの”からみたら人間は、少し濃い空気の淀み、揺らめくかげろう、星の瞬きのような一瞬のきらめき……のようなものなのかも。なんだかとってもはかなくていとしいなあ。