ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

本は救い

2007-06-28 11:46:34 | 本や言葉の紹介
 いろいろなことが立て続けに起きたこのところ、本はいつも以上に救いになってくれています。今の読み方は気を紛らわすためや寂しさを埋めるためでしょうからちょっと哀しい利用の仕方なのですが、それでもありがたい出会いはあるものです。
 そのなかから2冊ご紹介します。

●「源氏物語は読めているのか」(望月郁子 笠間書院)
 この本にはうなりました。政治を中心にして源氏を読み解いたこの内容は、私には思いもよらないものでした。

 桐壺帝は、宿曜(すくよう 星占いで仏教上の天の声とでもいうべきもの)の予言を顕現化するために画策して光が藤壺と通じるように誘導し、その結果としての冷泉誕生を喜んでいたとか、六条御息所と光の意識の違い、「斎宮は十四にぞなりたまえる」という文から引き出される前坊廃太子にまつわること、匂宮が浮舟に執着した理由等々もう、びっくり。すっごい深読みです。その言葉からそんな意味が読みとれるのかと……。

 その読みはちょっとおかしいんじゃないのと思えることもありますが、あるテーマを前提とすればこう読めるという指摘の数々に大変刺激されました。
 源氏物語に興味のあるかたにおすすめします。

●「調理場という戦場」(斉須政雄 朝日出版社)
 これには、フランス料理店「コート・ドール」のオーナー・シェフの体験が書かれています。体と頭と経験に裏打ちされた言葉がぎっしり詰まっていて、しなやかな考え方や体験談に感銘を受けました。抜粋してご紹介します。


 採用するかしないかを決める基準は、ふたつだけです。
 気立てと健康。
 そのふたつには、よけいな作為が入っていないからいいのです。どこを切っても裏表なく人に接する人はすばらしい。
 本人は楽しくやってるわけだし、何よりも「まわりが放っとかない」んだから。まわりの人たちが、その子にいろいろなことを「やらせたくてしょうがない」のです。
 いろいろ経験している人がやらせたいと思っていることを、素直にやっていくわけですから、いい仕事をしていくでしょう。
 それでいて、当の本人は、「やらせてもらえるだけでうれしい」なんて思っているわけでしょう? 妙な作為がない。
 それぞれ、自分の器の大きさに見合った技術者になるんですよ。


 斉須さんの他の著書もおすすめです。

黒猫タッタ

2007-06-26 11:44:24 | 犬猫
 やっと復活したところにつらいことが起きました。猫のタッタ君が死亡。
 嘔吐と失禁で脱水症状を起こしたため入院し、点滴を受ければ回復するでしょうとのことだったのですが。

 男の子ですが去勢手術をし、また尿路結石のため、結石を排泄しやすいように尿道を短くしたことによって外見は全くの女の子になっていました。
 近頃は甲状腺機能昂進(いわゆるバセドー氏病)のため服薬によって健康を保っていましたが、よれよれしながらも16年、よく生きてくれました。

 猫かわいがりもせずにかなり淡々とつきあっていたつもりですし、そろそろ危ないなと覚悟もしていましたし、看取ってからは、タッタ君はもう苦しまないですべてのことから解放されたなと思うのですが、ことあるごとに涙が流れます。

 飼い主が泣くと心配して天国に行けないということを聞いたことがあるので我慢しようと思うのですが。泣き虫でごめん。私のことは心配しなくてもいいから、いいところに行ってね。
 
 ターにゃんがいなくなってから、いつも隠れるように何かの陰やすみっこにいた猫のコウタが姿が見せるようになりました。犬のハルトはいつものままです。コウちゃんとハルちゃんの命を幸せに全うさせるまではがんばらなくちゃと思います。

すべてに感謝

2007-06-24 11:48:33 | まじめな話
 無意識領域もアッパラパーになりました!

 やっと終了したと思って落ち着いていたところに、たぶん念押しであろうところの“大きな投げかけ”があったのですが、そのことによって最後のとまどいが吹っ切れたのです。

 一つひとつのできごとを何度もかえりみていたのですが、“大きな投げかけ”のおかげで自分が考えすぎていたことや、深読みしすぎていたことなどがよくわかって、爆笑と共に復活! 笑いは素晴らしい浄化です!

 でも、“大きな投げかけ”をせざるを得なかったのであろうその人の気持ちや、「なぜ、今このようなことが起こるのか?」とさらに深く考えたら、より明確な意識の変容がありました。自分の無防備すぎる部分や不徳にも思い至ることができました。考え過ぎや深読みしすぎもむだではありませんでした。

 結局、大きなこととしては以下のことに気づけたと思っています。

・意識の変容や転換方法を体得するチャンスとなってくれました。
・今まで得た知識を、智恵として使えるチャンスとなってくれました。
・自分の人間理解の浅さに思いいたることができました。
・人がその行動を行うのはどのような理由からかを考える重要性がわかりました。
・自分の“うしろ”をさぐりなおすチャンスとなってくれました。
・受容と愛の実践について、より深く理解できました。
・さらなる大きな一歩を踏み出すきっかけとなってくれました。

 この時期にこんなことが起きたのは、大いなる存在からの大いなるギフトでした。段階を追って気づきが深まるように導かれましたし、友人からのとってもありがたいアドバイスも受け取ることができました。

 ちょうどこの時期に使っているオーラソーマのイクイリブリアムボトルが、このボトルならではの働きで状況を整えてくれ、素晴らしいサポートをしてくれていたのに気づいたときには、もうびっくり!
 42番「収穫」……このボトルのテーマは「喜びと智恵の幸福」「覚醒」「祝福」など。その働きは、気づきを促す、影の部分に光を投げかける、幻想を手放すサポートをする、恐れから自由になれるように力を与える、愛・思いやり・慈悲などの高次な感情を高めて感情的な混乱を一掃する、喜びをもたらす、心の底から真に望んでいるものを示してくれる等々……。もう、そのものずばりでした。

 “私は大いなる存在から慈しんでいただいているんだな”としみじみと感じました。
 そのメッセージに気づかせてくれたその人にも心から感謝します。あなたは素晴らしいメッセンジャーでした。あなたが幸せにお過ごしになれますように。その幸せが、まわりの人たちも幸せにしていけますように。

 ありがとうございます。すべてのことに感謝します。

体さんは正直

2007-06-16 11:51:37 | Weblog
 14日の夜中、胃の痛みで起きてしまい、そのまま眠れずに、でも動くのもおっくうで、お腹に光を入れながら痛みを抑えて夜明けを待ちました。ふだんはあまり買わないお惣菜をおかずにしたせいかも。

 ウトウトしていてふと思ったのが、やはりこのところの大きなストレスが影響しているんだなということ。私にとっての大きな引っかかり1、まあ大きな引っかかり1、その次ぐらいのが2と、4つのことが立て続けに起き、それなりに解消したと頭では納得していたのですが……体さんは正直です。

 頭(意識)で何とか処理したと思っていても、体(無意識)領域はまだアッパラパーになっていないのよねと思い知らせてくれました。笑ってしまった。苦笑いでございます。 体もこのところ、より敏感になっているので、痛みのでかたも強かったのかな。

 結局丸1日の断食をしたことになりました。これでずいぶんと浄化できたように思います。体さんに感謝! 

野口晴哉氏の言葉

2007-06-13 11:53:47 | 本や言葉の紹介
 野口整体の野口晴哉氏の「潜在意識教育Ⅰ 心理指導」からご紹介します。今まで言ってきたことの裏打ちをしてもらっているなと感じた言葉です。

●心と体と
 心と体を分けたのは人間の頭であって、人間の頭でいくら分けたとて別々になるものではない。五臓六腑、四肢五体と体を分けたところで、分けたのは人間の頭の中、ここで息している人間は五臓六腑に分かれてはいない、四肢五体一つになって動いている。人間はあくまで全一的な存在、このことが判らない人が、心に心理療法を、体に物理的療法を行う。

●存在
 自分は自分の頭の中に存在する、記憶、感情、推理等の結果としての行動、その体験を通して、自分というものはこうであると結論を出している。その人の自分だと思っているものはいつも過去の影によって出来上がっていることは確かである。彼自身は「我はこのごときもの」と認むることによって、その認めた自分が出来上がる。彼の言う自分とは彼自身が自分也と認めたるものに他ならない。そして認めた如く自らなって行く。気短と認めたものは気短になり、親切と認めたものは親切な行為をするようになる。

●変化
 自分の認めた自分以外の自分のあることを他から発見されると、承認できるものは自分の認めの中にくり入れる。自分の変化が起こる。蛹はいつか蝶になるかもしれない。彼の蛹の中に蝶の命を認むることが心理療法というものである。
 心理療法は、彼自身の根底に変化を起す技術である。暗示とか説得とか雑念を多くすることでは決してない。

“家庭が最高の修業の場”

2007-06-12 11:56:36 | 本や言葉の紹介
「宇宙心」(鈴木美保子 明窓出版)から。文中のS先生は、沖縄の隠れた聖者と呼ばれているかたらしいです。
 

 ある時、悟りとはなんですか? と問われたS先生は、こう答えられました。
「人は何とか悟ろうとして、出家して山に篭もったり、宗教に入ったりするようだけど、それはみな自分が何とか上に上がろうという、ひとつの欲のあらわれさ。それは悟りとは逆のものだよ。」 「欲を断つために出家すること自体が、とても欲に満ちているよ」
 自分の家族を守り、子どもをまともに育てるほど大変な修業はこの世にありません。良き夫(妻)、良き父親(母親)であることは実に大変です。
「普通の家庭の主婦の修業は大変なものだよ」
「家庭が最高の修業の場だよ。自分の生地、自分の置かれた境遇、その意味を知り、その業が尽きるまで普通に生きることが、何よりの修業なんだよ」というS先生の言葉は、実に深い示唆に富んでいます。究極の解脱法はこれに尽きるといっていいほどです。



 家庭って、本当にすごい修業の場ですよねえ。
 「家族がいるから・子どもがいるから自己実現できない」と言う人がいますが、その“自己実現”ってどんなことをさしているのかなあと考えてしまうことがあります。
 私はそのぶん人間修業が甘いかな。家庭という修業の場を離れたのは自分の意志でしたし。まあ、これも私に必要な“一人で生きる”修業なのでしょう。
 それに、一人で生きられる人こそが二人でも生きられる……。
 
 一人で生きていると言いましたが、他人によって生かされていることを強く実感していますよ~。

感謝です

2007-06-11 11:58:19 | Weblog
 このところの「揺れたこと」やそれが解消したことなどによって、すべてのことが自分の気づきにつながることに感謝しました。

 もっと深く自分をたどってエゴイズムと対面し、それを許していこう、光の部分を見ることも大切だけど、もうあまり動揺せずにより深みに入る準備ができているのだから……と思えるようになりました。

 ありがとうございます。

ダスカロスの言葉

2007-06-06 12:01:36 | 本や言葉の紹介
「メッセンジャー 永遠の炎」(太陽出版)を読み返しました。

 キリアコがため息まじりに“自分もダスカロスのように人を治すことができるといいが”と言った時、それに対するダスカロスの答えは、


「人生で本当に重要なのは、手を広げて人びとを治すことよりも、むしろ人びとが物事に気づき、意識を高めて行けるように手伝ってあげることなんだよ。これが私たちの真の使命だからね。(中略)いずれにせよ、最終的にヒーリングを行っているのは聖霊であって。我々じゃないんだよ。」


というものでした。

 この言葉を読んだとたん、いきなり滂沱の涙。

 なんでこんなに涙が出るのか……「私、自分で気づくことができるように、たくさんの経験を積ませてもらったんだ。そして今私がやっていることはやっぱり“お手伝い”なんだ」と、認識させていただいたからだと思います。

 今までも「私は、その人が自分で自分を幸せにしていくためのお手伝いをしている」と思い、ふぅるふぅるのホームページでも

「ふぅるふぅるでは、“気持ちよく生きる”ためのお手伝いをします。
 アロマセラピー(アロマテラピー)、 オーラ・ソーマ、クリスタルボウル、タロットを中心に、筋反射、レイキ、エンジェリックバイブレーション、石、言霊、エンジェルカード、フラワーエッセンスなどの力を借りて“揺り動かし”のセッションをおこないますので、あなたの本来のエネルギーを取り戻し、それを最高に輝かせるために、ご自分を幸せにしていくために、ご利用ください。」

と書いています。

 それに、「私は“光を通すパイプ役”で、ヒーリングを行うのはそれを通してくれるかた」といつも言っているのですが、それが間違っていないことがこのダスカロスの言葉で再確認できて涙が出たのだと思います。


 「メッセンジャー ストロヴォロスの賢者への道」(太陽出版)でも、次の言葉が深く心に入りました。


 ダスカロスは、拡大を通してヒーリングを行う場合の前提条件は他人を心から愛する能力だ、と言っている。
「<自分と同じぐらい隣人を愛す>意識の状態まで達成しなくてはならない。その段階まで行けば、ヒーリングは簡単だ。本当の愛がなければ、ヒーリングはできないし、普通、人が超常的と呼んでいる領域でもあまり大したことはできない」
「それがどのくらいの悪行を黒魔術師がやれるのかの安全弁になっているのでしょうね」と私は言った。
「黒魔術師とは、自然にある特定の力を会得して、それを誤って利用しているだけの人間だ。邪悪と考えられているものも、実際には神聖な力を間違って使っているだけのことだ。だから邪悪という言葉自体が不適切だと思う。邪悪について語るとき、それは自己を無知なやり方を通して表現しているという意味で使いたいと思う。時間がたてば、人間はカルマの法則を通して学んでいく」
「邪悪だと分かってやる人間はいないとソクラテスが言ってましたが、そういうことを指していたのでしょうか」
「その通り。邪悪は無知が原因なのだ」



 うーん……。
 このところ、ある人のおかげでいろいろと心が揺さぶられ、自分のありかた、やっていることなどをもう一度感じ直し、見直していました。本なども読み返していました。これらの言葉に再会できたのもそのおかげです。ありがとう。

人間理解

2007-06-04 12:03:38 | 本や言葉の紹介
 野口整体創始者の野口晴哉(はるちか)の言葉です。


 「人間の凡てにある要求は生きようとすることである。
  あらゆる動作の中に常に表現している。 ~中略~
   その中でハッキリしているのは自己の存在の主張である」
       
 「生きているということは、
 各自が頭の中で造り上げた
 理由によって生きているのだということである。  ~中略~
  「我ここにあり」と乳児は泣き、
 壮者(常に危険を感ぜざる人)は自己の力を示さんとし、行動する。   
 その端的は、秋死ぬ蝉の夏中鳴くことに似たものがある」


 この言葉で、ちょっと悩んでいたことへの対処法が見えてきました。

 人はなぜ「その行動」をするのか、そのおおもとを知ればやりようもおのずから明らかになる……私はまだまだ人間理解が浅いなあ。
 
 今朝早くからムクドリが騒いでいます。どうやら巣立ちのよう。近所の家の2階戸袋に巣を作っていましたが、手すりのところに4羽出ています。そのうちの2羽がなかなか飛ばず、手すりを行ったり来たりしていました。少し離れた電線や屋根にも数羽いたのは応援団かな。

気持ちのよいコミュニケーションを

2007-06-02 12:06:04 | Weblog
 私は人とのコミュニケーションがへただなあと、またまたへこんでいます。

 今まで、ある友人たち以外のかたがたとのプライベートなおつきあいのときは、友好関係を保持するため、礼儀と敬意を持って相対してかなりの距離を保つか、おちゃらけて自分を見せないようにしていました。

 それでも、好きだなとか興味があるなと思ったかたが少し相手をしてくれると、卑下しすぎて遠ざかってしまうか、いきなり過剰に近づきすぎて失敗するか、我ながら両極端な行動をしてしまうことがけっこうありました。

 このところやってしまったのは後者のほうで、自分の気持ちを優先して忙しいかたの時間とエネルギーを奪ってしまった。これは、タイムバンパイヤ、エネルギーバンパイヤになってしまったということ。されたら困ることを自分でやってしまったことへの嫌悪感はかなり強烈です。

 自分のパターンを再認識できたのはありがたいのですが、そのかたに負担をかけてしまったことがずしりと重く心に響いています。

 今さらなことですが、私は敬意や信頼やユーモアなどをもって、優しい気持ちのよいコミュニケーションをしたいのだということがはっきりしました。

 今までとは違うかたちで“自分の外に出る”……ステップアップする必要を学んだように思います。

 う~ん、いつのまにか自分にいろいろな制限をかけていましたね。そのうちのひとつでも気づけてよかった。自分に“ゴー”を出します。