武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
(↑これをクリックするとホームページに行きます)
●本の紹介
6月1日のブログに「高木仁三郎さんの著書を読んでいるときなので」と書いたら、「何読んだの?」「どんな本?」等聞かれたので、ちょっと書きますね。
私が読んだのは高木さんが亡くなってから編集された「人間の顔をした科学」(七つ森書館)。
目次
Ⅰ 人間の顔をした科学 (NHK教育テレビ人間講座「人間の顔をした科学」2000年3月28・29・30日放送より)
第1章 東海村臨界事故から思索する
第2章 市民科学者・宮沢賢治
第3章 あきらめから希望へ
Ⅱ 高木学校とその志 (高木学校特別講演「高木学校と宮沢賢治」1999年を元に執筆)
はじめに
第1章 宮沢賢治の志に学ぶ
第2章 プラトンの学園アカデメイア
第3章 自分の営みへの反省と高木学校
第4章 闘病の中で考えたこと
第5章 高木学校のこれから、あるいは高木学校への誘い
Ⅲ プルトニウムと市民 (高木学校講座1998年の講演より)
Ⅳ 原子力神話とJCO臨界事故 (2000年3月7日の特別講演より)
第1章 原子力発電の困難――その基本
第2章 原子力神話――その形成と崩壊
第3章 いま直面する原子力問題
第4章 JCO臨界事故
「人間の顔をした科学」とは、人々が安心して安らかに暮らせるような科学のこと。
設立した原子力資料情報室については、「原子力産業の利害や政府の立場から独立して市民の疑問に直接答える形で、しかも、きちんとした科学的な知識や方法に基づいた正確な情報を市民に供給していきたいという思いで、研究者の有志が中心となって始めた」もので、「原点は、「市民の目の高さで考える」ということ」という説明がありました。
「Ⅲ プルトニウムと市民」では、安全の問題、経済性の問題、セキュリティの問題、なぜやめられないか、“環境にやさしい”という言葉のまやかしなどについて解説。
「Ⅳ 原子力神話とJCO臨界事故」では、原子力は「消せない火」であること、エネルギー転換効率が低いこと、また、「ほとんど無限のエネルギー」「原子力は石油危機を克服する」「平和利用」「安全」「安い電力」「地域振興」「クリーンエネルギー」などの角神話についてそれは欺瞞であることを解説。
数字や論文を見ると目が回る私でも理解できました。で、とにかく内容にびっくりしました。ぜひ読んでみてください。
●こんな書評がありました
検索したところ、朝日新聞の2001年6月24日朝刊読書欄に、次の書評が載っていましたので、参考にしてください。
昨年亡くなった高木仁三郎は、最初から反原子力発電の人ではなかった。原子力というものの可能性を信じ、その未来に賭けていた人だった。しかし、そうはいかないと分かったとき、彼は自らへの問いかけを含めて、痛苦を伴った転換を図る。高木の指摘が、原発を推進する人の側からも耳を傾けられるのは、自分の「過去」を隠さないその誠実さに起因する。
この本は最後の講演集だが、実に分かりやすく、いま直面している「科学と人間」の問題を語っている。とくに説得力があるのは、「知れば知るほど、いろんな問題が見えてくる」と述懐していることである。進歩はまた、未知の領域を広げるのだということで、謙虚な至言だろう。原子力産業は「巨大さゆえにやめられなくなってしまっている」とも高木は語っている。放漫経営の企業に過剰融資をして引き返せなくなった銀行や、不必要な公共事業を続ける政府にも似た構造になっているということだろうか。 佐高信(経済評論家)
●友達いわく、反原発のシンボル
友達に高木仁三郎さんのことを話したら、
「高木さんは反原発活動のシンボルみたいな人で、とっても有名だよ。
知らなかったのオ?!
これだから文系で頭が固まっちゃってるヤツは……」
と、憐れみの目で見られちゃったよ。
高木仁三郎さんは物理学者、理学博士で専門は核化学。
原子力発電の持続不可能性、プルトニウムの危険性などについて専門家の立場から警告を発し続けたかたで、特に地震のさいの原発の危険性を予見し、地震時の対策の必要性を訴えたほか、脱原発を唱えた人として知られています。
1995年には、地震とともに津波に襲われたさいの原子力災害を予見し、「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」するとして、早急な対策を訴えていました。
略歴
1938年、群馬県生まれ
1961年、東京大学理学部化学科卒業
日本原子力事業(日本原子力事業総合研究所核化学研究室)、東京大学原子核研究所助手、東京都立大学助教授、マックスプランク核物理研究所客員研究員を経る。
1974年、プルトニウム問題を考える自主グループ「プルトニウム研究会」を組織。
1975年、原子力資料情報室(政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行うため、原子力業界から独立したシンクタンク)設立
1987年、原子力資料情報室(98年まで)
1988年、反原発運動全国集会事務局長
多田謡子反権力人権賞、サンケイ児童出版文化賞、ライト・ライブリフッド賞(Right Livelihood Award)等を受賞
2000年、大腸癌で死去
こういうかたがいて、こういう情報を発信し続けていたことって、私だけが知らなかったんじゃないと思うんだけど。一般化されていなかったのって、なぜなんだろうなあ。