中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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「野生哲学 アメリカ・インディアンに学ぶ」(菅啓次郎・小池桂一 講談社現代新書)はなぜリクエストしたのかさえ忘れているほどずいぶん前に図書館にリクエストしていた。
引っ越し、かたずけ、リフォーム、整理で1か月以上むちゃくちゃしんどい情況だけど、とにかく本を読める時間がとれたのが嬉しい。
“あ、これを確認したくてリクエストしたんだ”と思い出したのが、「七世代にわたっておよぼすことになる影響」という言葉。ここのところをご紹介します。
きわめて民主的な政治システムを完成していたイロクォイ族(現代のニューヨーク州付近に住んでいた人々)では、部族の会議が開かれるたび、人々はまず自分たちの義務を次のような言葉で誓いあうのだった。「何ごとを取り決めるにあたっても、我々の決定が以後の七世代にわたっておよぼすことになる影響をよく考えなくてはならない」と。ある決議事項をめぐって自分が投票するなら、その票は自分だけではなく、まだ生まれていない者たちも含めて、以後の七世代のための一票なのだ。ざっと見て、百五十年から二百年。そんな遠い未来の子にまで、いくつもの世代を超えて、いま決められたこのことは、影響を与えつづけるのだから。
衝撃的な視点だと思う。単純だが、透明な水のように深い。
子のため孫のためを考える人は、いくらでもいる。それは結局は利己的な視点、延長されたナルシシズムの視点だ。
七世代の後を見通す。それはすでに「家系」はおろか、ヒトという「種」さえも超える。
うーん。そんな先になったら今と情況が違っているんだからそこまで考える必要はまったくないと切って捨てる人は多いかも。
ショートスパンとロングスパンの両方の視点が必要だけど、でも、この考え方、基本にするほうがいいんじゃないかなあ。
世界中で、会議や話し合いのときにこの言葉が使われるようになるといいなあ。
日本でも「七代祟ってやる」なんて言うけど、約二百年ぐらいたつといろんなことが還元されていくのかなあなんて思ったりしました。
ネイティブアメリカンの言葉として、「自然は子孫から借りているもの」というのもありますね。
自然はご先祖様から受け継いだものではなく、未来に生きる子供達から借りているもの。だから、壊したり汚したり傷つけたりしないで、そのままお返しするのだという意味だそうです。
いろんなことを感じ、考え、やっていきたい。