ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

ダメ犬ってば!

2007-11-24 15:32:18 | 本や言葉の紹介
 「ダメな犬ほどかわいいのよ」なんていう自虐的なつぶやきが聞こえるような、何とも笑え、でもなぜか涙がからだの奥からにじみ出てきてしまいそうになる本を読みました。

 『犬はきらい? わたしを飼えたダメ犬サーシャの物語』(エミリー・ヨッフェ 早川書房)です。

 愛猫家のエミリーは、幼い娘にせがまれ、「夫と娘は、ふだんの家庭生活のなかでじわじわと私を追いつめて、とうとう攻め落としたのである」結果、BREW(ビーグルの保護、教育と福祉の会)から紹介されたビーグル犬を飼うことに。

 ビーグルはとにかくしつけが大変で、“訓練が楽、よく言うことをきく、トイレのしつけが簡単、室内を荒らさない、ジョギングやフリスビーを一緒に楽しめる――そんな犬が欲しいならビーグルはやめておけ”とBREWでも注意しているほど。でも“よほどの犬バカでなければ、行き場のないビーグル”を飼っちゃったのよ、エミリーたちは。

 手におえないためしつけ教室に行き、獣医に通い、ほかの犬種にあこがれ、でも緊急避難が必要なほかのビーグルたちの一時預かりをし……。

 エミリーはアメリカの人気ライターだそうですが、サーシャがきっかけで、身近な人たちの犬とのかかわりを観察するのはもちろん、ペットとテレパシーで交信するワークショップに参加したり、空港で活躍する検疫探知犬や動物研究家の教授を取材したりと行動を広げていきます。

 エピソード満載で、シニカルなユーモアといえるような書きっぷりが素敵です。


 私が選んだのは、人間が犬を利用しはじめた大昔から、ずっとその鼻を頼りにされてきた犬だった。それなのにサーシャが家の中のもののにおいをかぎまわることに腹を立てていたのである。まるで、幼かったパヴァロッティを親が「ちょっとルチアーノ、歌うのはいいかげんに止めなさい!」と叱るようなものだ。

 サーシャはリードを引っぱるのをやめ、私が指示するとおすわりをするようになった。……サーシャにしつけが入るなんて! そのうち雑誌《プレイボーイ》が豊胸手術反対の方針を打ち出すような奇跡まで起こるのではないかと、私は期待するのだった。

 ローラ(BREW創設者)は言う。「ビーグルはリードからはずしてはだめだとは聞いていたけど、しつけがどれほど大変かなんて知らなかった」。あまりよく知らないまま足を踏み出すというのは、人生で大きな決定を下すときには絶対に必要なことだ。先のことがよくわかっていたとしたら、犬を飼うことはもちろん、結婚したり子どもをもうけたり家を買ったりなどするだろうか?

 ローラは、ビーグルによくある傾向をはっきりと伝えた――頑固、うるさい、おなかがはちきれそうなほど食べる、しつけがむずかしい、決して外で放してはならない、と。こうして書きだすと人間の男性みたいだ。添い寝に最適であり、忠実で、あらがいがたい情熱的な目を持っているところもそっくりである。

 ダッチ・シェパードを飼っている人が、毎朝5時半になると犬に起こされて、自分も妻も気が変になりそうだと言った。ライリーというその犬はベッドの周囲をものすごい速さで駆けまわり、大きく息をはずませ、マットレスに体当たりする。ライリーがなぜベッドの周りを一周できるのかと尋ねてみると、飼い主の男性はベッドを壁から離してあるからだと答えた。
「どうして?」私は訊いた。
「ライリーがまわりを走るのが好きだから」


 たくさんのダメ犬っぷりと奮闘努力の人間たち、もう、いとしい!

ワークショップに大感謝

2007-11-21 15:34:01 | うれしい
昨日はオーラソーマについてお話しさせていただきました。もう、嬉しくて嬉しくて!

 ある会社のスタッフさん用ワークショップの2回目で、前回は5月にワークしています。

 今回はイクイリブリアムボトル、ポマンダー、クイントエッセンスについての説明と、「ポマンダーを感じるワーク」「自分の4本ボトルを選ぶワーク」をしました。4人のかたのミニミニリーディングもできました。

 皆さんに楽しんでもらえるように、オーラソーマの素敵さを感じてもらえるようにと心がけたのですが、どうだったかな。

 時間が1時間半なのでかなり大まかなことしか話せなかったことが心残りですが、これで少しでもオーラソーマに興味をもってもらえたらうれしいな。

 企画してくれたマジェンタの玲ちゃんに大感謝! 大きなチャンスと成長の糧を与えていただけたこと、本当にありがたいことでした。

 やっぱり、いちばんワクワクして楽しんだのは私だったと思います。本当にありがとうございました。

人は、自分の価値観でしか人をはかれない

2007-11-15 15:37:27 | 本や言葉の紹介
 「こんなときにはウソをついていい」というような内容の本を読んだのですが、その導入に、著者の先生の例があげられていました。

 “目立たない人だったのであまり注目していなかったけど、あるときその学識の深さや交友関係などを知って驚いた。もしその人が職場で自分をアピールしていたら、もっとよい仕事ができ、評価もされたのに。だから自己アピールのために、上手にウソをついたほうがいい”

というような内容でした。

 そして本文の内容ですが、自分をおとしめるような言い方をして自分の優秀さをアピールしていけば、周囲に抵抗感を与えずに自分を売り込めるというようなものに感じました。

 たとえば「あの人はすごいよね、○○大学を優秀で卒業して仕事もばりばりしてる。その点自分なんか同じ○○大といっても仕事じゃまだまだ」というような言い方をすれば、○○大学出身ということをアピールできるうえに好意的に受け止めてもらえるというようなテクニックが満載されています。

 読み始めてすぐに気持ちの悪さがこみ上げてきました。
 “美しくない”というのが一番最初の印象でした。

 それから2週間ぐらいたちますが、その気持ちの悪さが消えません。

 昨日ふと、西郷隆盛のことを坂本龍馬が評した言葉を思い出しました。

「西郷という男はどれだけ大きいかわからぬ。釣鐘のようなやつで、小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく響く。こちらしだいに応ずる。得たいの知れない大人物さ」。

 人は、自分の価値観でしか人をはかれない。感性、知識、知性、理性、情緒……。

 どんなに大きな人物に相対しても、それを理解できる大きさをもたない人にはせいぜいが自分と同じ程度の人間としかわからない。“なんかわからないけどすごそうだ”と思える感性や謙虚さもなく、自分はできると思っているような人間ならなおさら。

 冒頭にあげた本の著者は、書かれているようなウソを上手なアピールだと思うほど人をなめているんだな、そういうところが気持ち悪かったんだなと思いいたりました。

 今はまだまだわからないことでも、成長して、“あのときのこういうのはこういうことだったんだな”“あの人はこういうことを言っていたんだな”ともっと大きな目で見られるようになりたい。人からの評価に価値をおくのではなく、自分が召命されたテーマを果たすことをもっぱらにし、楽しんでいきたい。

 自分はそういう生き方を好ましく思っているということにあらためて思いいたらせてくれたという意味ではその本に感謝。

新手の振り込め詐欺に

2007-11-12 15:38:58 | Weblog

 友人が今日、新手の振り込め詐欺のターゲットになりました。

「南区役所ですが、医療費の還付手続きの期限が過ぎたので、連絡します。2ヶ月ほど前に通知を送りましたが、10月25日の期限が過ぎたので取り扱い窓口が変わります。0120-×××-×××に電話をして、金額と手続きを確かめてください」という電話があり、電話したところ、

「銀行のATMまで行って、そこからまた電話してください」とのこと。

 友人は、ここ数年健康保険を使っていないこと、いろいろ操作を指示しているうちに数万円を振り込ませる詐欺があることを知っていたことなどもあり“こりゃ怪しいぞ”と思って電話を切ったそうです。

 そして区役所まで行き、還付金があるというのは本当か調べたところ、やはり詐欺だということが判明しました。

「そういえば最初に電話を受けたときに“非通知”が表示されたので、またセールスかと思って出るのをやめようかと思ったっけ。役所からの電話が非通知ってこともないよね」

「入金額が3万数千円ってことだったけど、微妙に欲をかき立てる金額だわ。設定がうまいなー」

「携帯電話を持ってないと成立しない犯罪だよ。今どきのおじいちゃんおばあちゃんは孫と話したくて携帯を持ってるって人も多いだろうし、機械の操作にはうといだろうから、捜査中にさりげなく指示されたら素直に振り込んじゃうだろうね」とも言っていました。

 ひっかからないように気をつけましょうね。


「自分の頭と身体で考える」

2007-11-11 15:40:35 | 本や言葉の紹介
●「自分の頭と身体で考える」(養老猛司・甲野善紀 PHP研究所)から

※「ある」と「ない」は等価ではないんです

養老 「どこどこに○○がいない」という言明は、「○○がいる」という言明とは、科学の上では等しくない、等価ではないということです。「いる」というのは、一匹でもいたら「いた」ことになるけれど、「いない」というのは、未来永劫にわたって言明しなければならない。それは経験科学の言明にはならないのです。

※スランプはこだわりが生む

甲野 私の場合は、たえず技が進展していますから、スランプもありません。スランプなんて、自分のある状態を良いとして、それにこだわるから起こるので、たえず先を研究していれば起こらないんですよ。
 だから、私が稽古会や講座で話をしていても、その場にいる人間の中で一番熱心に聴いているのが私です。これは確かだと思います。何しろ自分で話しながら、「あ、そうか、そういうことなのか」って自分の考えを整理したり組み立て直したりしていますから。

「人生はミスマッチ」

2007-11-06 15:42:27 | 本や言葉の紹介
 内田樹さんのホームページで11月6日にアップされた「人生はミスマッチ」、そうなんだよねと納得しました。以下に、要約してご紹介します。


リクルートの出している「RT」という冊子の取材が来て、「高校の先生に言いたいこと」を訊かれる。
中高の現場の先生には基本的に「がんばってね」というエールを送ることにしている。
現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。
現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。
だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
要するに教師自身の心身がアクティヴな状態にあって、「気分がいい」ということだけが確保されれば、初等中等教育の基礎としては十分なのである。
子どもは「気分がいいこと」には敏感に反応する。
それが子どもたちのそれまでの「気分がいいこと」のリストに登録されていない種類の快感であっても、子どもたちは「気分がいいこと」にはすぐに反応する。
教師が知的な向上心を持っていて、それを持っているせいで今すでに「たいへん気分がいい」のであれば、生徒たちにはそれが感染する。教師たちが専門的な知識や技能を備えていて、そのせいで今すでに「たいへん気分がいい」のであれば、生徒たちは自分もそのような知識や技能を欲望するようになる。
教育の本義は「子どもの欲望」を起動させることである。
今の子どもたちが劇的に学びの意欲を失っているのは、教育する側の大人たちが「欲望」の語義を読み違えているからである。
現代の大人たちのほとんどは「子どもの欲望」もまた収入や地位や威信や情報や文化資本という外形的なものでしか起動しないと思っている。
だから、「勉強すればいい学校に入れる」とか「練習すれば県大会に出られる」というような近視眼的な目標設定にすがりつく。
だが、本来の教育の目的は勉強すること自体が快楽であること、知識や技能を身に付けること自体が快楽であること、心身の潜在能力が開花すること自体が快楽であることを子どもたちに実感させることである。
「いわゆる目標」なるものは、そのような本源的快楽を上積みするための「スパイス」にすぎない。
教師の仕事はだから「機嫌良く仕事をすること」に尽くされると私は思っている。
日本の教育がひどいことになっているのは、教師たちが構造的に不機嫌にさせられているからである。
膨大なペーパーワークに文科省や教育委員会からの締め付けに保護者からのクレームに勉強どころか基礎的な生活習慣さえ身についていない生徒たちに囲まれて、それでも「機嫌良く」仕事をしろというのが無理な注文であることは私にもわかっている。
でも、そういうときだからこそ「機嫌よく笑ってみせる」ことが死活的に重要だと私は思う。
というような話をする。
さらにキャリア教育についてお訊ねを受けるので、ここでも持論を語る。
大学三年生相手の就職セミナーでリクルートの営業はまず最初に「みなさんは自分の適性に合った仕事を探し当てることがもっとも重要です」と獅子吼する。
その瞬間に若者たちは「この広い世界のどこかに自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事が存在する」という信憑を刷り込まれる。
もちろん、そのような仕事は存在しない。
だから、「自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事」を探して若者たちは終わりのない長い放浪の旅に出ることになる。
就職情報産業は、若者たちが最初のマッチングで「適職」に遭遇することよりも、いくら転職を繰り返しても「適職」に出会えないことから利益を上げるようにビジネスモデルを構築している。
だから、「適職」という概念を発明したことそれ自体がリクルートの奇跡的なサクセスの秘密なのである。
この思考は「自分の個性にぴったり合ったたった一人の配偶者がこの世界のどこかにいる」という信憑と同型のものである。
人生はミスマッチである。
私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。
それでもけっこう幸福に生きることができる。
「自分のオリジナルにしてユニークな適性」や、「その適性にジャストフィットした仕事」の探求に時間とエネルギーをすり減らす暇があったら、「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に資源を投入する方がはるかに有益であると私は思う。

人生はミスマッチ(@平川克美)。
大学三年生の諸君に贈る言葉はこれである。

静かだ……危ない!!!

2007-11-02 15:45:02 | 犬猫
 今朝はハルトが騒がないなあ、もうちょっと寝かせてくれるのかなあとぼーっとしていたのですが……ハッとして飛び起きました。こういうときは何かしらやってくれている!

 やっぱり!!

 ドッグフードを食べ散らかしていました。密閉式容器の閉め方が甘かったようです。猫の幸太もお相伴したようで、道理で二人とも静かだったわけです。ご満足のごようすであらせられました。

 「猫を追うより皿を引け」と言いますが、この場合は「犬を追うより蓋をきっちり」ですかね。
 お腹痛くならないといいねえと声をかけたのですが、夕方ピーピーさんになってしまいました。

 そこで疑問が。野生の犬族の場合、獲物をお腹いっぱい食べたらどうなるんでしょう。お腹こわすとは思えないのですが。

 水分などが少ないカリカリのドッグフードだから、満腹中枢が満足する以前に食べ過ぎになってしまってお腹をこわすのでしょうかねえ。

やっとマンガが

2007-11-01 15:46:50 | 本や言葉の紹介
 図書館から借りている本を優先して、読むのを我慢していたまんがをやっと読めました。
 「拝み屋横町顛末記 9」(宮本福助 一迅社)と「とりぱん 4」(とりのなん子 講談社)。
 
 お年寄りの顔をちゃんとかけるのは画力がある証拠と思っているのですが、「拝み屋横町顛末記」の三爺はキュート。あほらしい展開も好みです。

 とりのなん子さんは、目のつけどころが面白いし観察力がすごい。ときどきはっとさせられる叙情性を見せてくれるところも好きです。

 まんがといえばこのところ、「カールビンソン」「ワッハマン」「細腕三畳紀」など、あさりよしとお作品を貸していただいているのですが、これには“参りました!”。パロディがとっても上手だし、それを抜きにしても面白いです。もう、爆笑。今まで知らなかったなんて不覚であった。

 今夜は寒いです。おこたを出すにはまだ早いかな。