ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

ロングスパンとショートスパン

2007-04-23 20:23:13 | 本や言葉の紹介
 会社と家庭、よく夫婦喧嘩のもとになる話題ですが……「おまえたちのために働いてるんだ」という夫って多いけど、本音は、仕事が楽しいから家庭のことなんかかまっていたくないということだよねと思っていました。もちろんそういう人ばかりではないでしょうが。

 ロングスパンとショートスパンという見方をすると、それがこういうふうにきれいに説明されてました。またまた「健全なる肉体に狂気は宿る」(内田樹・春日武彦 角川oneテーマ21)からです。


春日 患者さんと話していると、いかに自分が損をしたか、いかに自分が不利な状況にあるか、そういうことはすごく証明しやすいみたいなんだよね。でも、ロングスパンで見れば、もしかしたらものすごくプラスになることだってあるかもしれないんですよ。でも、そういうのって証明できないじゃない。時間が経たなければわからない。そんな曖昧なことは言っても仕方がないんですね。
 それよりも、損をした、不利になったっていう方が、自分の中でくっきりと印象づけられているんだよね。だからすぐに証明可能なものに飛びついてしまう。でも、それってすごく卑しいことなんだよね。
内田 ロングスパンとショートスパンと、どちらもないといけないんですけどね。例えば、ビジネスというのはショートスパンなんです。四半期決算で収益が出たかどうかで測るわけだし、現にやったことに対してすぐリアクションが返ってくる。ビジネスってある意味ほとんど無時間モデルなんです。
 でも、例えば、家族なんてものすごいロングスパンじゃないですが。結婚生活とか親子関係みたいなものというのは、自分のやったことが正しかったかどうかなんて、四十年、五十年経たなければわからない。(中略)
 ついこの間まで大学生でちゃらちゃらしてたやつが、就職したとたんにまるで人間が変わったみたいに過労死寸前まで働いたりすることがあるでしょう。あれはどうしてかというと、ビジネスがショートスパンだからなんです。やったことに対して反応がすぐに返ってくる。こんな「楽しい」経験をするのが人生で初めてだからアディクトしちゃう。でも、それだけでは、やっぱりもたないですよ。
 だって、仕事だけ夢中になってやっていると、それこそ恋愛や結婚や育児や家事や介護はすべて「仕事の妨害要因」でしかないわけですから。家庭崩壊とか過労死とかはショートスパン「だけ」で生きる人間の末路ですよね。
 かといって、ロングスパンだけだと、今度は自分の決断や選択の正否の判定がなかなか出ない。社会の中における自分の立ち位置とか能力とかがよく見えてこない。専業主婦なんか典型的にそうですよね、「私はいったい誰なの?」って、よく昼のTVドラマの主婦がつぶやいていますけど、まさにそうなんです。 
 だから、そういうおかあさんは子どもを有名校に入学させるとか、ピアノやバレエを習わせるとか、そういう目に見える外形的な成果を欲しがる。親子関係における自分の達成度を数値化して、かたちとして触れたい。これはショートスパンで成果を確認できないことの代償行為だと思うんです。
 だから、主婦でもビジネスに準じるショートスパンで成果が出る社会関係をどこかに持っていた方がいいと思うんです。そうすれば、「私は誰なの?」的ないらだちは回避できる。ロングスパンの人間関係とショートスパンの人間関係の両方をバランスよく持っていることが大切だと思うんです。


 とってもきれいに説明されているので、なんだかおかしくて笑っちゃいました。

愛嬌のある変人

2007-04-18 20:25:34 | 本や言葉の紹介
 この数日眠くてしょうがありません。自分としてはこのところけっこう行動したからかな。
 オーラソーマのコースを3日間受けたし、ヒーラーの友人が来てくれたし、大好きな友達と鰻のしみずに行ったし、古いつきあいの知人とまたしみずへ行ったし、おいしい沖縄料理屋さんを捜すために3件回ったし、本を1日3冊平均ぐらいで読んでたし。

 でもそのぐらいで疲れたなんて、ウーン……。もしかしたら、雨が多かったからかもしれません。湿気に弱かったのを今思い出しました。

 さてさて、オーラソーマのコースを受けたこととヒーラーの友人が来てくれたおかげで、自分の傾向や方法などをまたまた確認できました。

 「健全な肉体に狂気は宿る」(内田樹・春日武彦 角川ONEテーマ21)を読み返していて、またウ~ンとうなったところがあったのでご紹介します。もしかして前に同じことを書いたかもしれませんが、そうだったらごめんなさい。


内田 キャリア形成と言うことを「閉まっているドアを自分の力でこじ開ける」ことだと思っている。でも実際は、ドアはあちらから開くものであって、こちらからは開けられない。あっちから「どうぞ」って呼ばれない限りは開かれない。そういうものなんです。
 「これやってみない?」というように仕事を誘われたときは素直にやってみることというようなことを内田さんは言っていますが、それはこういう意味なのね。
 私も“召命(コーリング)”ということは、大いなる意思のもとに行われるのだなあと実感しています。

内田 最初は「非常識なやつだ」というので、嫌われたり警戒されたりもしますが、ある程度パターン認識ができるようになると、次の僕の行動がわりと簡単に予測できるようになる。「内田なら、こう出るな」ということが予測できるし、こちらもだいたいご期待通りのことをする。だからまわりからすればわりとストレスが少ないんじゃないかと思うんですよ。最初に、「内田はああゆうやつだ」ということをお認め頂ければ、あとは多少奇矯な行動をとっても、「内田だからしようがないか」と末永くお目こぼしに与(あずか)れるわけで。
春日 反社会性のある変人だとまずいんだけど、愛嬌のある変人だと放し飼いにしてもらえるんだよね。


 
 世間一般でいうと、常識といわれていることからはずれることってかなり抵抗があるけど(都会ではないところだと特に)、腹くくればいいだけなんですよね。
 そのときのポイントは「愛嬌」なんだね。愛嬌ぐらい出せないなら常識に従ってるほうが楽ということでもあるけど。

 いやいや、内田樹さんはただ者じゃないが、春日武彦さんも相当です。

こんな解決方法

2007-04-17 20:27:50 | 本や言葉の紹介
 こんな解決方法を知りました。

「いのちの力  気とヨーガの教え」(望月勇 平凡社)より

 とにかく、今もし、あなたが問題を抱えて困っていたら、次のようにやってみてください。
(1)まず、悩んだり、心配したりすることをやめること。
(2)静かになって、問題を自分の心に問いかけること。
(3)「この問題は、すべてうまく解決しました」と言って、先に、「ありがとうございました」とお礼を言うこと。
(4)そして、ふだんの生活の中で、気付きをもって、その答えが出てくるのを待つこと。
 本当の幸せを手に入れたかったら、まずあなたの心に、幸せな想念を作らなければなりません。本当の幸せはあなたの心の中にしかないからです。(中略)
 今、あなたが、どんなに最悪な状態にあってもかまいません。ひとり静かになって、自分の心の中に、「私は、今、平和に満ちて、幸せです」と言ってください。そして、それを、毎日続けることです。すると、あなたの心の中は、平和で幸せな想念に満ちてきます。そうして、そのあなたの想念の波動が、やがて宇宙に働きかけて、あなたを物心ともに幸せにしてくれます。

舞踊、インド楽器・雅楽・舞のコラボレーション

2007-04-10 20:30:02 | Weblog
 4月8日はお釈迦様の誕生日である花祭りでした。浦和駅近くの延命寺で「花祭り・新・舞楽法会」が行われることを知って行ってみたのですが、これはすごかった!

 埼玉県佛教青年会による「大般若転読会」のあと、舞踊、インド楽器・雅楽・舞のコラボレーションなどが行われたのですが、コラボがすごかった!

 篳篥(ひちりき):中村仁美、笙:高原聡子、サックス:坂田明、タンブーラ:的場裕子、伊藤公朗、舞:佐草夏美。マイクもスピーカーも使わない生の音が嬉しかったし、全く違和感なく聞けて気持ちよかったァ~。

 延命寺のホームページにそのようすが少し掲載されています。延命寺のことは去年に星川さんに教えていただいたのですが、星川さんもいらしていたのでお目にかかれて嬉しかったです。

 その後、たまたま浦和を通りかかった知人と鰻のしみずへ。遅くまでおじゃましてしまいました。気持ちのよい余韻の中でかなり飲んでしまい、いつもより素直に話せたかな。でもよれよれになってしまってまた迷惑をかけてしまいました。I様ごめんなさい&ありがとうございました。

ベティ・シャインの言葉から

2007-04-03 20:31:38 | 本や言葉の紹介
 ヒーラーのベティ・シャインによる「スピリチュアル・ヒーリング 2」から、ご紹介します。


 目標が何であるにせよ、上り坂で傷つけた人には下り坂で顔を合わせることは覚えておかなければならない。他人を犠牲にして頂点に立った人は、災難を招いているのである。自分が与えたものはそれこそ十倍になって返ってくるという「普遍的な法則」が、いつも最後の決定権をもっている。
 正しい道を歩むには、途方もない努力と他人への不断の心づかいが必要である。また、このへんでやめておこうという直感も大切だ。自らの自然な潜在能力以上のことをしても何もならず、体をこわすのが落ちだからである。仕事や遊びがおもしろくなくなり、足かせになったら、そこでやめておき、あなたほど頭が回らない人に、いちばん甘くておいしいところを取らせなさい。それはいつも、綿菓子のように見かけだけではかないことが判るだろう。
 ねたみは、永遠に私たちの生活から追い出さなければならないものである。見方によっては、それは思考による窃盗だからである。もしあなたが盗みとは無縁で、そんなことはできない人なら、忘れてしまいなさい。

 喜びは心から生まれる感情である。もしも動機が不純であれば、この感情は生まれない。
 純粋な喜びは、恍惚であり、これはまれにしか得られない。それが得られると、天にも昇る心地がする。心と体が調和し、物質界を忘れてしまうだろう。(中略)
 利己的な人はけっして喜びを経験できない。なぜなら、幸せなときでもいつも潜在意識の中で罪悪感がうずいているからである。が、だからと言って喜びを求めようとしないというわけではなく、多くの物を手に入れることにより喜びを得ようとする。が、不幸なことにその努力はむだに終わるだろう。なぜなら、所有欲があるうちは、人間にとって本当に必要なものは何であるかが分からないからである。



 耳が痛い。でも、むさぼりの心を優先させてしまいそうなとき、しっかり思い出したい言葉です。