ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

個性

2005-01-18 22:44:54 | 本や言葉の紹介
 今日は「個性」について、また、おなじみの河合隼雄さんの文章をご紹介しますね。「河合隼雄のカウンセリング講座」からの抜粋です。

●「忍法自我隠し」
(「日本ではみんなと一緒にやっていくことを大事にし、西洋では徹底的に個人を大事にする。そのため、個人をあくまで大事にしていくということと、日本の全体を大事にするということがどこか合わないところがある」というような文章の後に)
 ですから私は、カウンセリングをしながら、ある人がだんだんと個性が強くなっていったときに、「あなたはその勢いで生きていったらいいけども、日本の国であなたが生きようと思うと、ある程度考えないとダメですよ」ということを言うときがあります。「ちょっとぐらい言ってもいいだろう」と思っても、それはもっとあとで言うようにしたほうがいいとか、それからその言い方をちょっと変えたほうがいいとか。ほんの少し言い方を変えただけで、また受け入れたれるときもあるんですね。そういう方法を覚えねばならない。 私は冗談で「忍法自我隠し」と言っているんですが、自分の自我をじょうずに隠さないといけない。その「忍法自我隠し」というのを覚えながら、自分の自我を鍛えていくということをしなくてはならない。ただ、「自分を生きる」と言うことはすごく大事なことですけれど、日本の国で自分を生きるにはどういう方法があるか、ということも一緒に考えないといけないんじゃないかと思います。

●人と違うことが個性ではない
 「個性」というと、「何か人と違ったことをすることが個性だ」というふうに思う人がいるんですが、そうではありません。みんなと同じでも「個性的」でありうるわけです。 非常に簡単な言い方をすると、わりあいにみんなと合うタイプの個性をもっている人と、みんなと合わないタイプの個性をもっている人とがあるんじゃないか。それから、その時代に合う個性をもっている人と、時代に合わない個性をもっている人とがあるんじゃないか、というふうに私は思っています。
 みんなと同じことをしていても、安らぎがあったり楽しさがあるという人と、みんなと同じことをしながらいつも暗い顔をしている人と、二つあるでしょ。何も人と変わったことをしなくても、何かその人のそばへ行ったら、こっちの気分が休まるような人がいますね。たとえば、花を売っておられる人でも、そこに花を買いに行くと、ただ「これがよろしいよ」と言うだけなのに、何かちょっとうれしくなる。そういう人は、花を売っているということが、その人の個性とスーッと合ってきているんです。その人の個性がそこに生きているのです。
 個性というのは他人とどう違うかということではなくて、自分のものですから、自分がその上にどっしりと立っておられるかどうかです。

●深く掘り下げる中から個性が開花する
 「私は、自分の個性に合ったことをやっていますのでいつも楽しいです」というようなことは絶対にありません。自分の個性に合うものを見つけたら見つけるほど、どこかで苦しいことがでてきます。これは、非常に不思議ですね。人間というのは不思議なものです。 どんなに個性に合うことをやっていても、深く掘り下げようとするかぎり、必ず頭打ちが来る。これは、もう一度自分を深く掘り下げないと、上へ上がれないということです。
 だから「個性のある人が、個性に沿ったことをやっているかぎり、安らぎがあって楽しい」というのは、うまくいっているときです。ところがそれが頭打ちになると、やっぱり相当苦しいときがきます。苦しいときがきても、「これだ」というようにもう一度掘り当てたら、またグッといいときが来るんです。