ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

2008-03-31 14:20:15 | Weblog


 拾っちゃいました、桜たち。

 小さなグラスに入れ、漆のお皿にのせたら、あら、いい感じです。こんなふうにしたのを3つほど、玄関などに飾りました。

 午前中の雨の中、寒さに震えながら浦和駅周辺まで自転車でお出かけした帰り、白幡沼で、小さな房のまま道に落っこっている桜たちを見つけたのです。こんな形で枝から離れるなんて、鳥のいたずらでしょうかねえ。

 今日はおうちでお花見かな。

 そう言えば、浦和駅周辺に行ったついでに、なんとなくお酒のいづみ屋さんに寄ったら、今年最後の上喜元のにごり4合ビンが1本だけ残ってました。すかさず購入。

 そうか、そのときすでに桜の花房に出会うのを運命づけられていたのだ、今日はしみじみとおうちで飲む日なのだ、と勝手に納得。
 
 いづみ屋さんの若主人といろいろ話しているうち、酒造好適米のさけ武蔵についてや埼玉の酒造元について等にも話が及びました。その流れで、浦和駅脇の「うりんぼう」は埼玉産のお酒だけを扱っているよと情報提供。うりんぼうの名刺まで渡してきました。

 お酒屋さんにお酒のお店の話をするなんてヘンかしら。

北浦和のおそば「なごみ」さん

2008-03-29 14:22:50 | おいしい

 浦和周辺にはおいしいおそばやさんが多いですね。好きなお店がまた増えました。北浦和の「なごみ」さん。開店してからまだ6ヶ月ほどです。

 茨城産そばを自家製粉であらびきにしたおいしい手打ちそばと、私好みの日本酒。つまみは、定番以外にも目先の変わったものが用意されていて嬉しいなあ。

 ご店主の金子さんに、どうしてこの系統のきれいなお酒たちを選んだのかをうかがったら、おそばの味をじゃましないしおいしいからとのこと。深~く納得。

 「安心できるおいしいものを召し上がっていただきたい」と、食材にも添加物のないものを心がけているそうです。

 店構えがおそばやさんぽくなくて居酒屋さんふう。金子さんは、「そば屋というより食べ物屋という感じですかね」とおっしゃってました。1階はいす5席、2階は6人用の畳の個室1と、いす5席。

 駅からすぐだけど、細い道を入ってまた曲がってという場所なのでわかりにくいかも。でもね、味、ご店主の人柄共にいいお店なので、ぜひ探してみてください。ランチもお値打ちだと思います。
 おそばのあとに、中国茶の翡翠館でくつろぐのもおすすめです。

●なごみ さいたま市浦和区北浦和4-8-2 電話048-832-7536
 11:30~14:30 17:00~21:30 日曜日定休
 北浦和西口に降り立ち、右手、線路脇の道を大宮方面に進み、左手側4本目の道(かどが駐車場)を入って進み、細道を右に曲がって左側です。

*翡翠館は北浦和駅西口すぐ。場所は、お店のホームページをご覧くださいね。


 なんか私、お店からのまわし者みたい……。違うからね。おいしいものを分かち合いたいだけよ~。「なごみ」さんはホームページやブログを作ってないから出しゃばっちゃいました。

追記 大変に残念ながら閉店してしまいました。


2008-03-25 14:27:53 | Weblog
 今朝は霧が濃く、近所の建築中マンションの上のほうが見えなくなっていました。
 そのあとはきれいに晴れましたね。昨日は寒かったのに今日はうってかわってあったか。 ここら辺のさくらは一分咲きぐらいが多いけど、数日で満開になるかな。


 ゆすらうめがいっせいに咲きました。ゆすらうめって、花はうめよりも遅く咲き、実はうめより早く実ります。きれいなルビー色で大好き。果実酒にすると美しくっておいいしいです。


 ゆきやなぎの花がまだまだ満開で白く輝いています。白い花って、闇の中だと浮かび上がって見えて素敵です。


 むらさきだいこんの花を見ると、春も盛りだなあと思います。


 家の中の某所にはこんな花が咲いています。中央右側の緑の点は緑の鳥で、さくらの枝にとまっているところ。これじゃわかりませんよね。ごめんなさい。全部ガラス製です。
 
 23日24日と何人ものかたから素敵な言葉をいただき、とってもとってもありがたく嬉しく、何とも温かい思いで満たされました。心から感謝します。

 これまで、そしてこれからのご縁をいただいているかたがた、今後ともよろしく!

感謝!

2008-03-23 14:29:07 | Weblog
 今日の午前中、“自分で自分を変えようと意識した頃の私”にとてもよく似た状況にあるかたが来てくださいました。

 そのかたのお話をうかがい、やっぱり人は、“必要としているものは全てもっている”んだなあと、あらためて感激しました。

 そのかたの気持ちのよい未来に拍手、現在の気づきに拍手!

 自分がたどった道を振り返らせてくれるかたに、誕生日というタイミングでひきあわせてくれた「大いなる何ものか」に感謝。もう、ヒョエ~という感じでした。
 生んでくれた母親に感謝。
 過去のすべてに感謝。
 いまだにジタバタしている自分に感謝。

 ありがとうございます!!! 

今度は横浜の「豚の味珍(マイチン)」

2008-03-19 20:39:44 | おいしい
 17日の土曜日、横浜の「豚の味珍」に行ってきました。遅くなると目当ての尻尾が無くなるので早めにと思って5時に待ち合わせしてもらったら、ほとんどお客さんでいっぱい! 早い時間なのに。

 ここは面白いお店で、向かい合わせに二階建ての店舗があり、それぞれの1階と2階にお店があるので、4店あるのと同じ。

 初めに本店の1階に入ったため、何となくその後もそこに行っていたのですが、今回は満員で入れず、すきまがあった本店2階にうかがいました。当たり前のことですが、1階と2階では雰囲気がちょっと違いました。まあ階段の急なこと! また、お客さんたちの人柄がいいこと!

 あんまり長居しちゃ申しわけないよねと言いながら3時間半ほど居座ってしまいました。いいお店は味もお客さんもすてきです。今度は支店の1・2階の店舗にも行ってみよう。

 帰り際にマスターから「また来週ね」と声をかけられるかたが続いたので、土曜日だけ通っているお客さんも多いために混んでいたことに気がつきました。週1回の楽しみね。

 ご一緒したのはとっても大切な大事な友達Mさん。優しさ、理性、知性、向上心を見習いたいと思っている人です。

 いい時間を過ごさせてもらって本当に感謝!
 そのうえ、今考え中の講演の構成・内容についてもすてきなアイディアを出していただきました。彼女の頭のやわらかさにも感謝感謝!

 なぜか今日になって、「私って本当に恵まれているなあ」としみじみ思いました。にぶいわね。

太いおそばをかみしめてきました

2008-03-14 14:30:46 | おいしい
 私は、おそばの沢畔さんのブログ「そば屋 がんばれ!個人店主。」のファン。もちろんお店のファンでもあります。
 3月12日の“のんだくれ”を読んで、たまにはちょっと足を伸ばして知らないお店に行ってみようと決意しました……決意なんて言葉を使うほどのことでもないか。

 沢畔のたくさんは“そば屋仲間と共に 一日中酒びたりでした”というとってもうらやましい状態だったようですが、私は一人で、お昼しかやっていないという与野本町の「中むら」へ。

 おそばが太くて量が多いのにびっくり、香りが高くておいしいのにうっとり、あなご天ぷらがおいしくって350円なのにびっくり、あまり見かけない佐賀のお酒の東一があってにっこり。

 雨模様の天気を気にしながらでしたが、行ってよかった。お昼は11時~2時のようですが、お客さんが私一人になった1時45分の時点で“支度中”の札をかけていました。

 これならずるずる飲み続けられないから、私にはいいかなあ。 

ボランティア 

2008-03-13 14:33:12 | Weblog
 私は、教育の中でボランティアを義務づけようとする動きには反対です。義務化した時点でそれはもうボランティアではなくなる!!!

 でも、困っている状況に手を貸せるなら自分ができることをやる(相手に負担をかけないように)ということを、自然体でできるようになるためのきっかけは必要なのかなと思います。

 ボランティア論はさまざまあるけど、私は自分が楽しいから自分のためにやってます。

 そりゃ負担などは当たり前にあるし、それなりに覚悟していることもあるけど、それを嬉しさが上回ってるから続けていられる。気づかせてもらえることもたくさんあるし。

 先日読んだ「大人になるための社会科入門」(乙武洋匡 幻冬舎)に、とても素直に納得できる言葉があったので紹介します。


 “ボランティアというと、すぐに「偽善だ」と揶揄する人がいる。評価された い、いいことをした気になりたいからボランティアをするのだ、と冷ややかな視線を送る人がいる。
 だが、偽善とはそんなにも悪だろうか。
 車椅子を使用するある障害者が、自分のブログでこんなことを書いていた。
「困っている側にしてみれは、『偽善だから』という理由で何もしてくれないよりは、たとえ偽善でも行動してくれるほうがずっとマシです」
 同じ車椅子ユーザーとして、この意見には大いに賛成だ。
 きっかけなど何でもいい。大事なのは、その行為が社会にどんな影響を及ぼしたのか、そして、その行為を通して自分がどう変われたのか、ではないか。”

オッケー!

2008-03-10 14:37:44 | 本や言葉の紹介
 猫マンガの『くるねこ大和』さんのブログ、大好きです。

 生後2週間足らずで捨てられ、しかもウィルス性の病気に罹っていて(つまりその状態でくるねこさんに拾われ)、獣医さんも安楽死をすすめたくらいのヒドイ状態で、失明も懸念されたけれどなんとか育ったぽ子さん。今も鼻が悪くて強いにおいしかわからないけど、そんなぽ子にくるねこさんは言います……「それがどうした 生きてりゃオッケー  ね」と(2007年5月23日)。

 うん、生きてりゃオッケー!




 最近の猫デブランカ大王の幸太君と犬のハルト君です。

 こう見てみると、ハルちゃん、ちょっと年齢を感じさせるようになったねえ。

 生きてりゃオッケーなんだけどさ、ねえハルちゃん、自分のトイレのわきでチーチーやウンちゃんをするのはもういいかげんやめてくれんかねえ。まあ、そう言いながらの11年間だから、もう無理かァ。

 うん、生きてりゃオッケーだよ  ね。

家族は弱者が生き延びるための装置

2008-03-06 14:39:25 | 本や言葉の紹介
「家族は弱者が生き延びるための装置」というのは内田樹さんの家族論。

 うーん、さすがはたっちゃん。
 内田樹さんの3月5日付のホームページでのご発言をかいつまんでご紹介します。



午後、朝日新聞の取材が来る。
「女と男」という一年間続いた特集の「しめ」の談話を取りにいらしたのである。
「女と男」というシリーズの記事をいくつか事前に送っていただいていたので、読んだ感想を訊かれる。
「べたべたしてて気持ち悪かったです」と正直にお答えする。
その理由はメディアの諸君もまた男女関係を「理解と共感」の上に基礎づけようとしているからである。
人間の共同体は個体間に理解と共感がなくても機能するように設計されている。
そのために言語があり、儀礼がある。
人間の生理過程が「飢餓ベース」であり、共同体原理が「弱者ベース」であるように、親族は「謎ベース」である。
親子であれ配偶者であれ、「何を考えているのかよくわからない」ままでも基本的なサービスの供与には支障がないように親族制度は設計されている。
成員同士が互いの胸中をすみずみまで理解できており、成員間につねに愛情がみなぎっているような関係の上ではじめて機能するものとして家族を観念するならば、この世にうまくいっている家族などというものは原理的に存在しない。
原理的に存在しえないものを「家族」と定義しておいて、その上で「家族は解体した」とか「家族は失われた」というのはまるでナンセンスなことである。
変わったのは家族ではなく、家族の定義である。
誰が変えたか知らないけれど、ほんらい家族というのはもっと表層的で単純なものである。
成員は儀礼を守ることを要求される。
以上。
である。
それを愛だの理解だの共感だの思いやりだのとよけいな条件を加算するから家族を維持することが困難になってしまったのである。
家族間に理解がない、愛がない、共感がない、価値観が一致しない、美意識が一致しない、信教が一致しない、政治イデオロギーが一致しない・・・だから「ダメ」なんだと結論する。
そのような条件であれば、この世に幸福な家族がひとつとして存在しなくて当たり前である。
家族の条件というのは家族の儀礼を守ること、それだけである。
それがクリアーできていれば、もうオッケーである。
朝起きたら「おはようございます」と言い、誰かが出かけるときは「いってきます」「いってらっしゃい」と言い、誰かが帰ってきたら「ただいま」「おかえりなさい」と言い、ご飯を食べるときは「いただきます」「ごちそうさま」と言い、寝るときは「おやすみなさい」と言いかわす。
それができれば愛も理解も要らない。
私はそういう意見である。
家族の間には愛情も理解も不要である。
必要なのは家族の儀礼に対する遵法的態度である。
家族と言ったって、ほんとのところは「よくわからない人」である。
「私のことを愛していますか?」と心配だったら訊いてもいい。
もちろん、こういう場合には「もちろん愛しているよ。どうして、そんなこと訊くの?」と答えることが「家族の儀礼」で決まっているので、そういう返事がくる。
私はそれだけで十分だと思う。
どうも世間の方は勘違いをされているのではないか。
愛と共感に基礎づけられ、家族同士が世界の誰よりも深く理解し合い、配偶者たちは夜毎エロスの極限を経験している・・・というようなものを「理想の家族」とするならば、現実のすべての家族はただちに遺棄されて、人々は「理想の家族」めざして「家族探しの旅」にさまよい出なければならぬであろう。
家族は「ひとりでは生きられない」弱者が生き延びるための装置である。
家族成員が強者であることを要求するような家族論ははなから論の立て方が間違っているのである。

猫が猫をかぶってた

2008-03-04 14:42:29 | 犬猫
 梅が満開です。

 温かくなってきたので分厚い防寒肌着を薄目のにかえました。と同時に花粉症も本格的になってしまった。温かくなったから花粉もたくさん飛び始めたのね。人も樹木も、気候に敏感に反応してますね。

 ♪ はーるが来ーた  はーるが来ーた  どーこーにー来たー
    はーなに来ーた  のーどに来ーた  めにも来たー   ♪

 季節とは関係ないと思うのですが、猫の幸太君が、もう甘え放題になっています。

 幸太君ですが、はじめは父と一緒に暮らしてもらいました。

 いわゆる独居老人になってから数年間、父は以前からいた紀州犬のダイゴと暮らしていましたが、ダイゴが19歳で逝ってからは、「もう犬を散歩に連れて行かれるからだではないから」と父自身も“犬を飼う”(私に言わせりゃ犬さんに一緒にいてもらう)ことをあきらめました。

 私は父宅に週2~3回は通っていましたが、わがままで寂しがりやの父には、とにかく何か“生きているものが身近にいる感覚”が必要なため、猫を飼ってみてはどうかと提案しました。

 父の猫に対するイメージは「悪さばっかりして、陰険で、人間をバカにしていて、にくったらしい」と最悪だったので、私の提案も最初は無視。

 そこで、「もしどうしてもだめなら私が引き取るから」と、捨て猫のもらい手を探していたかたから譲り受けた猫をあずけてみたのです。

 じーさま豹変! 「こいつは頭がいいぞ」なんて言って猫っ可愛がり。

 でも、猫を犬のように扱うという可愛がりかただったので、幸太君には迷惑なこともたくさんあったことでしょう。それでも巨大に育ってくれてありがとね。

 ウッ、今書きながら思ったのですが、もしかしてストレスのせいで大食して巨大になっちゃったのかも。そうだったらごめんね。

 私のところに来てから3年がたちましたが、去年の初冬ごろまではいつも陰になっているところに潜み、“我関せず”というような態度でした。

 そりゃそーだよねー、先住猫に近寄れば怒るし、今まで見たことがない犬なんていうヘンなものがすぐかまってくるしで、気が抜けなかったんだよね。

 抱くといやがって必死になって逃げようと暴れていたのが、今では自分から私の膝にのるようになり、「かまって」と鳴きながらあとをついてくるようになり、布団の中に入れろと催促するようになり、犬のハルトのすぐそばでも寝られるようになり。

 あのクールなオトナの態度のほうが猫かぶってたのねと納得。苦労かけてしまいました。一緒にいてくれてありがとね。

感謝、自爆、笑いetc.

2008-03-01 14:44:44 | 本や言葉の紹介
★シェアに感謝!
 先日、S・Kちゃんが電話をくれ、とても根元的なところ、悩みや苦しみなどを話してくれました。それは私にもある部分で、Kちゃんの電話は、自分がたどってきた道をもう一度見直すチャンスになってくれました。

 Kちゃん、その葛藤を見せてくれたこと、そして今までのことを栄養に、とってもとっても大きく開いていく過程を見せてくれたことに感謝します。信頼してくれてありがとう。

 そんな素敵な友だちにひきかえ、私は昨日お酒で自爆……。自分としてはとっても気持ちよく酔っていたのですけど、気がついたらお布団のなか。

 昨夜お店で私の両側に座ってしまったかた、ご迷惑をおかけしてごめんなさい。

★昔の人の啖呵っていいですよねえ
 今日は読書三昧。浅田次郎の対談集「歴史・小説・人生」で、宮部みゆきとの掛け合いに気持ちよく笑いました。抜粋してみます。


浅田 うちのじじいは、背中に般若の入れ墨彫ってたんですよ。でも年とると般若もしわだらけになってきてね、なんの絵柄かわかんない(笑)。で、背中も曲がってきてたから、「じいちゃん、背中伸ばさなきゃだめだよ」って言うと、「背中を丸めていないと般若がよく見えねえんだ」って、負け惜しみ言ってんの。
宮部 なんかいいなあ、しゃれてますよね。
浅田 江戸っ子ってかわいいよね。

浅田 僕が小学校高学年のとき、食卓に初めてレタスがでたんです。塩振って食ったら、感動しましたね。それまで生で食う野菜ってキャベツの千切りしか知らなかったから、世の中にこんな優雅でうまいものがあるのかと思って。ところがじじいがそこに来てね、「こいつは何でえ?」。おふくろが「チシャの仲間です」とか何とか言っているうち、じじいの顔にスダレがかかって、「俺ア、ウサギじゃねえんだ!」(笑)。丸いちゃぶ台がね、見事にとなりの四畳半まで飛びましたね。
宮部 「ウサギじゃねえんだ!」(笑)。いい決めぜりふですよね。

宮部 私が子供のころ、母の生家に住んでいたんですけど、となりが工場の男子寮でね。夜中にドンチャンやってうるさいので、母が「子供が起きちゃうから静かにして」と言ったんですよ。そしたら「うるせえ、クソババア!」って返されて、ブチッと切れた。デ、「ババア? テメエだって運がよけりゃあジジイになるんだ!」って(笑)。私、それ聞いてて、よく覚えてるんですよ。
浅田 いいねえ、それ。「運がよけりゃあ」ってところがいいよね。
宮部 ねっ、ねっ、テメエなんかジジイになる前にくたばるのがおちだ、っていう感じがでてるでしょ(笑)。
浅田 と同時に、テメエに対して多少の殺意はあるんだぞ、月夜の晩ばかりじゃねえぞ、っていうのも匂わせるじゃない。
宮部 ですよね(笑)。
浅田 でもいい時代でしたね、口だけでそんな喧嘩ができて。
宮部 昔の人の啖呵っていいですよねえ。



 このお二人の書くものや発言が好きなんだけど、シャイなところと茶目っ気と、理論を押し出さないところなどが似てるような気がします。やっぱり東京下町気質?(気質は「かたぎ」って読んでね)

 わたしゃ宮部さんのおっかさんとお友だちになりたい。

 もう一つ、大きくうなづいたのが、猫の写真集「アイとちび」のキャッチコピー。

「この世には遊びに来てるんだと思っている。」

 お~~~!。
 ワタクシ、人生は壮大な暇つぶしと思っておりますが、このキャッチを見て、「ウッ、猫に負けてる!」と思いましたとも。