武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
(↑これをクリックするとホームページに行きます)
このごろハルトが「ベランダに出せ!」とガンガン吠えまくる。
網戸を開けるのを待てずに突進し、ボヨンとはねかえされる姿がなんともかわいい。
で、なにするかってえと、ナーベラ(食用ヘチマ)のつるをご愛食(こんな言葉はないか)。
つるを両手ではさみ、シャクシャクと音高らかに食べる姿がこれまた妙にかわいい。
うまし、うまし。
こんなにうまいもんは早く教えるように。
かくしておいたねーちゃんはひどいやつです。
さあねーちゃん、反省しなさい。
あのね、硬くて大きな葉っぱを選んで食べてたのはあんたでしょ。
軟らかいつると葉っぱをあげても最初は嫌がってたじゃないのさ。
それが今は何? あんたは巨大茶色害虫か?
まだまだこんなに元気で盛んにたくさんつるを伸ばしているから、当分はナーベラ三昧ができそうなハルトです。
ナーベラの実は成らねどもつるが役立つ
ですな。はい、よかったよかったよかったねっと。
あ、軟らかいつると葉っぱは、つけあわせやサラダの飾りにしてもグッドよ。
(↑これをクリックするとホームページに行きます)
きのう(18日)、川口市のSKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ4Fで、「漫画のちから~萩尾望都さんを招いて~」と題した映画上映とトークショーがありました。
上映映画は「手塚治虫の世界 『鉄腕アトムの発見』」(約43分)、トークショーは萩尾望都さんと宮瀧交二氏(大東文化大学文学部准教授)で約1時間。
来場者の年齢層がかなり幅広くてびっくりでした。たまたま右隣が70歳近いぐらいに見受けられたご夫婦で、トークショーが始まったら寝ちゃってました。まあもったいない。
関西など、かなり遠方から来ているかたも多いようでした。
興味深かったお話をいくつかご紹介します。
●望都さんは、「自分は妄想系」だと何度も発言していました。きっかけがあると妄想してしまうそうです。
たとえば、漫画雑誌『月刊アフタヌーン』主催の漫画新人賞の選考をしているときに面白いストーリーのものがあったため、いつのまにかそのマンガのサイドストーリーを妄想して考えていた。
●原作があるものをマンガにするときは、原作を演出するのが楽しい。原作を読んでいると頭の中で映画が始まる、絵が頭に浮かんでくる。
●あるお店に食事に行ったら、「マンガの『美味しんぼ』で店もお客も変わった。産地や食べ方、蘊蓄などを気にするようになった」などと言われて、「マンガってこんなに影響があるのかとびっくりした」
(望都さん、すばらしい傑作をたくさん生み出しているあなたがそんな発言をするなんて……おちゃめ)
●漫画家になるために必要なこと。
★アンテナを広げて出会いを大切にすること。自分を信じてくれるいい編集さんに出会うことが大切。出版社はたくさんあるのだから、頭を切り換えていろんな編集さんに会って、自分に合う人をみつけるとよい。
作品の出し方をいろいろと考えてみるのもよい。ネットや同人誌など、作品を発表する方法はいろいろあるから。
★いろんなカルチャーに接して感性を磨くことが大切。たくさんのものに接して蓄えておくと、いつか発酵して作品になる。
「自分は猫を40年飼っているが、猫マンガを書き始めたのは最近です」
★センスは学習することができる。自分が好きなものは何度も見ることが大切だと思う。
●質疑応答のとき
★「ほかの漫画家に嫉妬を感じたりしたか」という質問に。
自分はベビーブーマーで、受験勉強で競争がすごかった。人と競争するのがほとほと嫌だったので、漫画家になったら競争はないだろうと思った。そうしたら読者アンケートという競争があったので驚いた。
竹宮恵子先生と一緒に暮らしていたときも、嫉妬という感情からは離れたいので気をつけていた。
手塚治虫先生が“嫉妬しい”(嫉妬する人)だと言うのを他の人に聴いたときはとても驚いた。それを聞いたあとはご一緒するときに緊張した(こんな自分でも、もしかしたら嫉妬の対象になるかもしれないと思って)。
●これは宮瀧交二氏の発言です。
漫画を読む子は勉強もする。漫画を読まない子は何も読まない。
望都さんは、いろいろなことを、やわらかい話し方でユーモアたっぷりに、真剣に話してくれました。ありがとうございます。
私は知らなかったのですが、望都さんは今年、インクポット賞(Inkpot Award)というのを受賞なさったそうです。
これは、ウィキペディアによると、『北米最大のコミックコンベンション「コミコン・インターナショナル(Comic-Con International)」が1974年に設立した、マンガ・アニメ・SFなどのポップカルチャー領域において多大な貢献をした作家に与えられる賞で、コミコンゲストの中で特に際立った業績を残した人物に贈られる。第1回受賞者はレイ・ブラッドベリ(1974年)。これまでの日本人受賞者は、手塚治虫(1980年)、高橋留美子(1994年)、池上遼一(1995年)、武内直子(1998年)、小池一夫(2006年)、宮崎駿(2009年)。』だそうです。おめでとうございます。
このイベントを教えてくれて、イベント終了後は長い時間ご一緒させてくれたS・Rさんに大感謝です。本当に幸せな時間でした。ありがとう
(↑これをクリックするとホームページに行きます)
“世界文化福祉財団”と名乗るところから、「社会貢献功労賞受賞内定のお知らせについて 受賞内定おめでとうございます」というお手紙が ふうるふうる松井たら殿 あてに届きました。
さて、どんな詐欺でしょうか。あたしゃなんの社会貢献もしとりまっせんもん。
お手紙の内容は以下の通りです。
▼▼▼▼▼
アメリカ合衆国、ロサンゼルスに総本部があります世界文化福祉財団顕彰日本選考委員会は、2010年(平成22年度)の授与者選考を行ってまいりましたが、その結果多数の中から、尊台の多年に亙日頃の地道な努力と精進の結果、斯道の発展と日本社会の発展に寄与した功績が顕著であることが選考委員で認められ、尊台に対し社会貢献功労賞を授与することが内定いたしました。
当財団から章を授賞することにより、社会に多大なる貢献をなさっておられる尊台への信用も更に増し、より一層のキャリアアップにお役立ていただければ光栄でございます。
これからの尊台の輝かしい未来とさらなる発展・ご活躍にご期待しております。
つきましては授賞伝達式に関して、具体的なお打ち合わせを至急致したく存じます。
ご多用中誠に恐縮に存じ上げますが、本書到着次第、何時当会本部までご足労頂けるのか、或いは、先生がご渡航不能な場合はこちらから参上させて頂きますので、ご都合その他をメール、或いはお電話(1-408-603-8168)にてご返事を賜りたくお願い申し上げます。
メールでお返事を頂く場合は、氏名、住所、電話番号、メールアドレス、表彰の受取方法(アメリカで直接表彰、郵送で表彰、日本で表彰の何れかをお選び下さい)
アメリカで表彰をご希望の方は、渡航可能日時を第三希望まで明記の上、info@worldhcf.orgまでお返事を頂けますようお願い申し上げます。
略儀ながら内定のご通知をさせて頂いております。
World H C Foundation
世界文化福祉財団顕彰日本選考委員会
住所:7095Hollywood Blvd. #673 Hollywood,CA90028
電話番号:1-408-603-8168(ロサンゼルス時間:平日9a.m.-5p.m.)
メール:Info@Worldhcf.org(日本語でお問い合わせいただけます。)
ウェブサイト:http://worldhcf.org
▲▲▲▲▲
たぶん寄付金狙いでしょうが、まず思ったのは「こんなのに引っかかる人はいるのかなあ」でした。
日本語がお粗末なのもハテナだし、具体的なことは何も言ってないしうーん……
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
(↑これをクリックするとホームページに行きます)
前回紹介した「技法以前 べてるの家のつくりかた」(向谷地生良 医学書院)に「病者の祈り」という詩がのっています。
それは、ニューヨークにある物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられており、よく知られているものだそうです。読んだときに涙がこぼれました。
病者の祈り
大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと弱さを授かった
より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことができるようにと病弱を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、神の前にひざまずくようにと弱さを授かった
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆるものを喜べるようにと生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
ちょっと探したら別の訳もありましたのでご紹介しておきます。
●別の訳で
私は神に、私が強くあることを切に願った。何ごとかを成し遂げるために。
しかし、弱さを授かった。自分の間違いをこそ学ぶようにと。
正しく偉大な事を行なうために、健康であることを神に求めた。
しかし、より良き事をなすようにと、神はあえてひ弱さを選ばれた。
幸せになりたいからと富を求めた。しかし貧しさを授かった。知恵深くあるようにと。
あらゆる賞賛と喝采を得たいがために力を求めた。しかし、神は心の脆さをあたえたもうた。大いなる道を感じるようにと。
人生を楽しむためにあらゆるものを私は願った。しかし、悲しみも苦しみも、あらゆることを楽しむようにと人生を賜ったのだ。
神は私の求めになにひとつ答えなかった。
しかし、私の望みはすべてかなった。
自らは語ることあたわなかった私の真の祈りに、神は答えられたのだ。
いま、もっとも豊かな祝福の中に、わたしの人生は、ある。
この詩は、南北戦争に従軍した南軍の兵士がつくったものといわれ、元大統領候補だったA・スティーブンソンが1950年代にクリスマスカードに記してから多くのアメリカ人の心に刻まれる言葉となったそうです。
スティーブンソンは、1952年と1956年の大統領選に民主党候補として出馬して、二度ともアイゼンハワーに敗北しました。その失意のさなかに、田舎の教会でこの詩を見つけたといわれています。
彼は「宇宙船地球号」という概念を世界で初めて示した人だそうで、1965年に国連大使としての最後の演説で、「われわれはみな、旅のみちづれ、小さな宇宙船の乗客。いまにも壊れそうなこの船に、十分な配慮と、愛情を注ごう」と発言しています。
スティーブンソンさん、ありがとう。
【原詩】
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!
ハルト
「ねえちゃんねえちゃん、
おととい焼酎かっくらって記憶なくして真夜中にお家にたどり着き、
翌日寝込んでたねえちゃんは確かに病者だねえ。
弱さ、貧しさ、心の脆さなんかはいっぱいもってんのに、
賢くもならず、よりよきこともせず……。
あーあ、もしかしたらGODさんとは違う方面から祝福されてんとちゃうか?」
えーと、えーと、あたしにだっていろいろあるんだよう。
(↑これをクリックするとホームページに行きます)
「技法以前 べてるの家のつくりかた」(向谷地生良 医学書院)を読んでびっくり。
「シリーズ ケアをひらく」の中の1冊です。(乱読大魔王様も読んでおいででした)
逆説だらけの本に思えるかも。
「その人が、なぜ、そのようにしてしまうか」をみていくと、逆説のようにしか思えない言葉が当事者からひょいとでてくるなんて……。
自分の考えがすべての人に知られてしまっているとおびえる「サトラレ」が実は「サトラセたい」であったとか、トラブルを抱えている人の家族からの「聴いてもらうことに飽き飽きしています」という言葉とか。
そんな具体例がどんどん出てきて、“うーん、自分だったら発想できないなあ”と頭の固さにがっくし。
本文イラストがびっくりもの。あぜん&大笑い。
とにかくこの「シリーズ ケアをひらく」ではいろんな本にびっくりさせられたけど、これの「技法以前」はピカイチでした。
また、最後に無農薬リンゴ栽培で知られた木村秋則さんとの対談がのってたのは、とっても嬉しいおまけでした。
“自分のコントロール障害”を抱えている人が、「一緒に考えること(対話)」のポイントを3つあげており、これは「対話に必要な三つの態度」として次のようにまとめられています。
▼
A 「一人ぼっちじゃない」ということがわかること
B 「自分にも何かができるんだ」ということがわかり、実際にそれを行動に移せること
C 自信がつくこと(自分で自分のことを考えて、自分で決めることができるようになること)
そして、それを可能とする援助職としての必要条件は次の三つである。
①それを見守っていてもらえること
②終わったら報告できること
③結果について否定せずにまた一緒に考えてくれること
▲
そして、これについて向谷地さんは、
▼
「共に考えること、それは当事者と共に現実のこんなんに連帯しながら、同じ苦労の目線で「同労者」として歩もうとするあり方である。私は、この「聴く」という関係のもつ可能性の一つに、「共に弱くなること」があるような気がしている。別な言い方をするならば、聴くという行為は、当事者のかかえるさまざまな困難な現実に、「共に降りていく」プロセスとしてある。その降りていくことを具体的に実現するうえで大切なのが、「共に考える」関係--研究的な対話関係--である。」
▲
と言っています。
これは特に、自分の今のお役目の果たし方についてモデルの一つになる輪郭を描きだしてくれるものでした。
この「対話に必要な三つの態度」って、普遍的なことですよね。
またひとつ思いを深くしてくれる本に出合えました。ありがとうございました。
(↑これをクリックするとホームページに行きます)
たった一つ実ったナーベラを収穫しました。指で押すとちょっとぶよっとしたかんじでやわらかくへこみます。
長さ25センチ、450グラム。
さて、何を作ろう。これはシンプルにナーベランブシー(へちまの炒めみそ煮)か。
「これこれあわてるでない。いったいどんな素材かを見定めねばその先に進めぬぞよ」
「はは、さようでござりました。かたいかやわらかいか、にがいか無味かなどなど、まずは検分いたしもうそう」
ってんで、身ぐるみはいで中身を改めた。
皮をむいたらぬめりがありました。
やわらかくてでかいキュウリみたい。未熟果のため種がやわらかいので口にさわりません。種もわたも取らずに料理してみよう。
と思ったところで、いきなりやる気がプシュウ~。
もういいや、薄切りにして塩もみして食べちゃえ。
ちょっと青臭く、かすかにえぐみがあるので、お酢をたらしてみました。
よかです!
中央の黄色いのはしぼんだ雄花。
もっと実ってくれたら、ナーベランブシーにしたいんですがね。つるばっかり伸ばさずに雌花を咲かしておくれよ、ナーベラさんたちよ。
(↑これをクリックするとホームページに行きます)
ナーベラ(食用ヘチマ)の雄花が次々に咲いています。
お昼ごろになると少ししおれはじめ、夕方にはしぼみます。しぼむと、風が吹くだけでぽろぽろ落ちていきます。
きれいな黄色が美味しそうなので食べてみました。
ありゃ、ほの甘い。
こりゃけっこうなエディブルフラワーでございますな。
つけあわせのいろどりに。
ぶっかけの冷や麦にのせてみました。
しおれたのにはほんのちょっぴり塩をつけてお酒のつまみに。
えっ、物好きなヤツだって?
はいそのとおりざますの。オホホホホ。