ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

相変わらず飲んでますです で、びっくりのエンゲル係数

2013-09-30 09:08:37 | よもやま話

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
           

 このところ真面目なことを書くことが多いので、アホがますますヘンになったのではとご心配の諸兄諸姉がおいでかもしれん。あ、「誰もおまえなんか気にしてない」。そりゃー失礼しちゃったわね。
 で、相変わらずじたばたしながら飲んでおりますよ。
 ある飲み屋さんのマスターが急な発病で倒れ、ほとんどお一人でやってたしご年齢のこともあってマスターの具合もお店の存続も気になり、臨時のかたが続けていたお店にちょろちょろと顔を出していました。ほぼ約2か月たち、両方とも先の見通しが立ったそうなのでほっとしてます。
 むしろ、マスターの生活を見直すチャンス、お店のいわゆる“金銭とは違う負債”を整理するチャンスになったということなので、よかったよかった。

 また、かなりのこだわりをもってやってるお店で、女将のNちゃんにいつもよりつっこんだ話を聞かせてもらい、「え、そこまで考えて、そこまでやってるの!」とびっくりしたことも収穫でした。そういうのを売りにして宣伝したらいいじゃないのと思ったんだけど、「やれることをやるのは当たり前だし、自分がやりたいことをやってるんだからいいんだ」みたいな感じで、私のやり方と同じだなあ、だからそんなことを知らなくてもなんとなくシンパシーを感じて気になってたんだなあと納得。

 
 うーん、生きてるって面白いよ。そこらじゅうに宝物があるよ。どれに目をとめるか、どれを拾うかは自由だし。
 ちょっと生意気なことを言わせてもらうけど、「現実世界をスピリチュアルに生きる」ってのは精神世界に逃避するんじゃなくて、現実生活と精神生活のバランスをじょうずにとって「現実の生活を楽しみながら自分を生きていくこと」だもんね。ありゃ、じたばたうろうろ飲んでるいいわけになっちゃったかな。 
 しかーし、エンゲル係数が40%以上である上に、その70%以上が酒関係というのはわれながら驚いちゃったよう。  生活水準低すぎ! なんとかしたほうがよいのう。


改憲についての本から 6(終)必要なのは外交 

2013-09-28 09:39:24 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(高橋哲哉・斎藤貴男 編著 日本評論社)から抜粋します。


●「大人の国」は戦争しない、外交する
 野蛮な相手もなだめてなだめて、武器を使わず話し合うのが外交なんです。戦争はど突き合い。戦争の前に外交すればいいんです。きちんと外交努力さえすれば戦争なんかにならない。

●同時にいろいろやるのが外交
 改憲なんて外交努力もへったくれもなくて、けんかの準備をしているだけです。軍とか武器とか、持てば持つほど、向こうだってやってやろうという気になる。こっちがポキポキ指を鳴らせば、向こうだって興奮しますよ。煽ったってしょうがない。そんなことでは平和にならない。
 押したり引いたり、同時にやるのが外交です。外交筋はそういう努力はしていると思う。恐ろしいのは世論です。マスコミ、今じゃテレビとインターネットがけんか腰を煽ってばかりで、それではまた日比谷焼打事件に戻ってしまう。

●「外交すればいい」と言うけど、「いい人だったら攻撃されない」みたいな理屈が、国同士の関係にも本当に当てはまるの?
 他国から攻撃されないようにするためには、基本的にはその国と友好関係を結び、友好関係を破壊することがその国にとってもデメリットであると思わせる必要があります。それには、何でも他国の言いなりになるということではなく、日本との関係が悪くなれば、貿易や金融、技術の移転などの面ですぐにその国にとってのデメリットが現れるような密接な関係をつくることが大切です。国際的には、「いい人」であるよりも「賢い人」であることのほうが重要で、そのための外交努力は、独自に粘り強く行わなければなりません。国と国が付き合うということは、過去の歴史のしがらみがあったり、ナショナリズムが衝突したりして、決して一筋縄でゆくことではありません。また、そのうえで、その国の情報を十分に収集するとともに、政府・民間のレベルでの人的交流をはかることによって、情報収集と意志疎通が十分に成されていえば、国際関係の極端な悪化は避けられます。
 武力攻撃だとか「戦争」といったものは、突然に起こることではありません。情報と意志疎通の不足が、誤解を生み、お互いに相手を〈脅威〉と考えるようになり、敵対的な政策をとっていって、ついには武力衝突といった経過をたどるものです。
 相手に攻撃、軍拡の口実を決して与えないという、骨は折れるけれども「賢い」したたかさをもたねばなりません。

●メッセージ――見ろ、考えろ、交流しろ
 みんな現実というのは半径300メートルだと思っているけど、せめて半径1万キロメートルくらいの現実を見てほしい。
 行って、見て、知って、考える、向こうの人と交流する。政府なんか放っておいても、民間レベルでもっといろいろやればいい。そういうことを積み重ねて、結局は戦争だって一人ひとりの人間どもが拒否していくしかない。
 その前提として、いろんな人がいることを認めなあかん。


  「向かうところ敵なしというのは、自分がいちばん強いということではなく、みんなと友好関係をもって仲良くできること」だから、当然敵なんていなくなるというようなことを内田樹さんが言ってたけど、その通りだ。
 日本は、世界から「なくなったら困る国」「好きな国」「大切な人が住んでいる国」「尊敬できる国」になればいいんじゃないかい。技術力でもおもてなしでもどんなジャンルでもいいからさ。
 アメリカが「世界の警察官」と自称していたのなら、日本は「世界の良心」「世界の賢者」と他称されるようになればいいんじゃないかい。

 理想主義とバカにされるかもしれないけど、理想をかかげることは大切、理想を実現するために動くことは大切なんだよねえ。
  もちろんすぐには到達できないけど、でもやっていったらいいんじゃないかい。そうしながら、どうやって幸せや平和、つまりは国を守っていくかについて真剣に考えようよ。
  粘り強く、それこそ狼の群の中に送り込まれた羊が「蛇のように賢く、鳩のように素直に」思考・行動して生き延びるように。

  たまたまなんだけど、白洲次郎の「プリンシプルのない日本」(新潮文庫)を読んだら、「日曜日の食卓にて――日本人についての雑談」に次の文章がありました。

 将来の日本が生きて行くに大切なことは、全部なら一番いいのだが、なるべく多くの人が、日本の国の行き方ということを、国際的に非常に鋭敏になって考えていくことだ。
(日本は島国のために国際的に考えることができていない)
  国際感覚という問題だが、これを養成するにはやはり勉強するよりほかにしょうがない。日本というものは、世界の国の一国であるということを考えるように教育することだ。

 ああ、エネルギーにしても食料にしても、生活のすべてにわたってどれだけ外国に頼っているか。世界中と仲良くつきあわないと生活できない日本なのに、“なんとか戦争ができるようにしよう”なんて画策してる場合じゃないわさ。
 そんなこと考えるなら、食糧自給率やエネルギー自給率を100%にするにはどうしたらいいか、再生可能な自然エネルギーで電力等をまかなうにはどうしたらいいか、福島原発をどう安全にしていくか、自然災害への備えなど、やらなくちゃいかんことがいっぱいあるじゃないの。
 つまりは、いろんなことをよく知り、自分がどう考えるか、どう生きるか、何を選ぶかが大切なんだよねえ。たとえ1億2640万人分の1の存在であっても、自分の生き方は国の動向と無関係じゃないもんねえ。


改憲についての本から 5 軍隊はいらない

2013-09-27 12:45:35 | ありがとうございます

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(高橋哲哉・斎藤貴男 編著 日本評論社)から抜粋します。


●どこかの国が攻めてくるかもしれないから、やっぱり軍隊は必要では?
 他国と敵対的な関係となったときに、初めてその国が〈脅威〉となります。〈脅威〉であるから政治的に敵対するのではなく、政治・外交上の敵対関係(不正常な関係)が相手を〈脅威〉にしてしまうのです。したがって私たちは、〈脅威〉があるから軍隊をつくり軍事的に備える、どこかの国が攻めてくるかもしれないから軍隊だ、というスタンスに立つのではなく、いかに〈脅威〉をつくらないか、いかに日本に攻めてくる国をつくらない(その国にとっても日本が大切な存在になる)かという観点で外交努力をしていく必要があるのです。周辺諸国との友好関係が築かれれば、軍隊で常に警戒するということも必要なく、相手の警戒心を和らげ、相互に軍縮をはかることも可能です。

●戦争に行っても、愛する人は守れない
  国家権力が国民を犠牲にして行うというのが戦争の本質だと言いましたが、「自分は強制されなくても国が危機になれば、愛する人を守るために戦う」という人が出てくるかもしれません。
 問題は、それがどういう戦いなのかということです。愛する人のために戦うと言いながら、じつは国家が発動した戦争にただ動員されていくしかない状況になっていないか。それ以外の選択肢がないところで、戦う理由を自分で納得するために、仕方なくなされたものにすぎないのでじゃないのか。
  敵と戦うことによって、戦争をますます長引かせ、それによって愛する人が非常な苦難をなめることになるかもしれない。
 個人的な決意というものをはるかに超えたところ、国家権力同士の戦いが起こっていますから、そのなかで個人的に愛する人を守るということには、実際にはまったくならないということを、まず冷徹に見る必要があるだろうと思います。
 ですから、もし、本当に愛する人を守りたければ、自分が国家の命令で戦争に行かなければならなくなる状況をつくらない、ということの方がよほど意味があるわけです。
  さらに、戦争に行けば、あるいはその人を「銃後」で支えれば、愛する人とともに自分が加害者になってしまいます。
 もし、本当に命を捨てる覚悟があるのなら、国家の命令によって、従順な国家の手駒となって敵を殺すのではなく、戦争を続ける国家を批判し、その体制に終止符を打つために命を捨てるという選択だってあるわけです。たとえば、映画になっているドイツの「白バラ抵抗運動」の人たちはそういう決断をしました。
  そして今日の日本であればなおさら、戦争によって国を守ることもできなければ、愛する人を守ることもできないでしょう。
 日本は小さな島国に人工が稠密で、現在では都市化も情報化も非常に進んでいる。エネルギーや通信のインフラが破壊されれば、都市は大きく打撃を受けます。原発も何基も稼働しているので、そこにミサイルを撃ち込まれたらその被害の大きさは計り知れません。そういうところで軍事力によって他国とけんかを始めたら、国民の生命・安全は大変なリスクにさらされます。愛する人はそのなかに巻き込まれることになるわけです。
 本当に愛する人を守りたければ、何よりも戦争だけはしてはならないのです。
 ですから、まず他国と戦争状態に入ることを回避する、そのような状況をつくらない。そのためにあらゆる政治的な力を発揮し、努力を続けていくことが重要だと思います。

 
 


改憲についての本から 4 自衛隊は国民を守らない

2013-09-25 08:56:29 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
         
 「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(高橋哲哉・斎藤貴男 編著 日本評論社)から抜粋します。

●改憲されても、結局自衛隊以外の人は関係ないのでは?
 軍隊が設置され、戦争を行うということになれば、軍人だけが関係するというわけにはいかないでしょう。必ず徴兵制がしかれるということにはならないと思いますが、それでも兵員の中核部分は、志願の職業軍人でまかない、予備役の軍人を確保するための短期兵役や兵役に代わる公的ボランティアといった選択肢を設けたシステムなどが導入されることも考えられます。そうしたシステムが作られてしまえば、軍人以外の一般人も戦争には無関係ではいられませんし、公務員や医療・運輸・通信関係などの仕事をしている民間人が、軍隊を支援する業務に就かされることは大いにあり得ることです。
 また、現在進行しつつあるようにアメリカのような格差社会となると、結局、貧しい階層の人々は戦争に行きたくなくても、軍隊にしか就職口がないという状況にもなりかねません。

●元自衛隊トップの話――「自衛隊は国民を守らない」
 かつての日本軍は皇軍という天皇の軍隊だったから天皇のために戦ったかもしれないけれど戦後の自衛隊はやはり国民を守ってくれるのではないか、国民を守るのが任務ではないかと思っている人は多いでしょう。ですが、たとえば、栗栖弘臣氏の『日本国防軍を創設せよ』を読んでみましょう。
(栗栖弘臣氏は陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊を統合運用する統合幕僚会議の議長だった。いわゆる制服組のトップ)

  「今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。」政治家やマスコミも往々この言葉を使う。しかし国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(警察法)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は『国の独立と平和を守る(自衛隊法)』のである。この場合の『国』とは、我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇制を中心とする一体感を共有する民族、家族意識である。決して個々の国民を意味しない。もし個々の国民を指すとすると自衛官も守られるべき国民であるから、生命を犠牲にすることは大きな矛盾である』。

 最初の有事法制といわれる、武力攻撃事態法など有事三法が成立した年に、朝日新聞に「国守る自衛隊」という記事が載りました(2003年5月16日)。この中に陸上自衛隊幕僚幹部の発言があります。
 国民の生命や財産の安全は二次的なことで、国家を守ることがあくまで第一次的な任務である。自衛隊は国民を守るためにあるというのは間違っている。こう素直に語っている。

  (多くの国民は)いざとなったら自衛隊は私たちを守ってくれると根拠もなしに思っている。そこが極めて危ういところです。

●自衛隊をきちんと「軍」にすべきでは?
 災害救助などでの自衛隊の活動は評価すべきです。しかし、それは軍隊にしなくても自衛隊のままでも、あるいは「国際レスキュー隊」といった専門組織にしてもできることです。
 自衛隊を軍隊にした上で法律でしっかり統制すればよいのだ、という意見がありますが、現在でも必ずしも十分にコントロールが効いているわけではありません。それが、憲法の後ろ盾を持って正式の軍隊になったら、それをコントロールできるかというと、現在でもちゃんとできないのに、軍になったらますますできません。

 現在の自衛隊では、いくらアメリカの要請があっても後方支援までで、直接戦闘行為には参加できませんが、軍隊になればそれを拒むことは不可能です。したがって、軍隊になれば、自主性が増すどころかますますアメリカの手駒として、アメリカ軍の負担軽減のために、どんな任務にでもつかされることはあきらかです。


 『「我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇制を中心とする一体感を共有する民族、家族意識」である国の独立と平和を守る』のが自衛隊って、その意識ってさ、戦前の軍隊とどこらへんが違うの?
 じゃあ災害救助なんかはなぜやってるか。武装集団である自衛隊は法的根拠がなくては出動できない。だから訓練という名目をつくるんだそうです。たとえば鳥インフルエンザ発生で鳥の処理のため出動要請されたときは、「生物テロ対策の訓練」ではちょっと言い過ぎなので「防疫事業の訓練」を法的根拠にした。
 でもね、戦争のときは国民・民間になんかかまってらんないのよ。災害が起きても国民は守らないのよ。
 やっぱり“救助(レスキュー)隊”を別につくって、自衛隊と峻別したほうがいいと思うなあ。
 自衛力は持つほうがいいと思ってるけど、自衛隊についてはとりあえずこのままにしておいてもっともっと考えていく必要があると思うんだけどね。


改憲についての本から 3 戦争したいから9条を変えたい

2013-09-23 08:22:11 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
             

 5月17日に「戦争絶滅受合法案」について書いたけど、「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(高橋哲哉・斎藤貴男 編著 日本評論社)でも書いてくれています。

   国家元首を中心とした国家の権力者たち、そして彼らと利益を共有するものたちが自分たちの権力や利益を確保し、あるいは拡大するために国民を犠牲にして行うのが戦争の典型的な形である。国家の戦争とは、国民の犠牲のもとに権力者たちが領土を獲得したり、資源を獲得したり、権益を拡大していくものなのです。そういう真実をこの法案は正確にとらえて暴露しているということです。

 本当にねえ、世界中の国が「戦争絶滅受合法案」を成立させたら戦争は起こらなくなるんじゃないの?
 
  では憲法9条についてなどを、「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」から抜粋します。

●憲法が変わったら、戦争になるのですか?
 憲法9条が戦争放棄・戦力不保持・交戦権拒否を定めているため、憲法をそのままにして戦争を行うこと(戦争に参加すること)はできませんが、9条を変え、特に、戦力不保持(この場合の戦力とは軍隊のこと)をやめて自衛隊を正式に軍隊とし、交戦権否認を削除してしまえば、基本的にはいつでも戦争を行えるようになります。
 9条が変われば、海外に軍隊を派遣して他国に圧力をかけるということもできるわけで、またそういった行為が本格的な戦争のきっかけになるという危険性もあるでしょう。
  また、現在憲法を変えたいと強く思っている人たちの当面の目的は、世界中で展開されているアメリカの戦争に日本がついて行けるようにすることです。戦争の危険性は、現在に比べてとても高くなってしまうといえるでしょう。

 なぜ「憲法を変えるべきだ」ということになるのでしょう。それは、今の憲法のもとではどうしてもできないことをやろうとしているからです。現在の自衛隊は、海外で直接、軍事行動をとることはできません。正規の「軍」となれば、「敵」を殲滅(皆殺しにして滅ぼすこと)を目的とした軍事行動が行えるようになります。
 外国に戦争をしに行けるようにすること、それが憲法9条を変える目的なのです。

●じつは9条だけじゃない
 自民党は9条や、ほかの条文を多少変える「改正案」でなく、丸ごと新しいものにする「新憲法草案」を提案しています。
 ここで気がかりなのが、自民党の憲法草案では立憲主義や「個人の尊重」がかなり弱まってしまうということです。
 「国」を治めているのは、現実には、私たちが選んだ(はずの)政治家とそれを支える官僚です。この人たちも人間ですから、必ず間違えることがある(「権力は暴走する」)。 ですから、自分の生活を守ろうとするなら、そして、国のことを本当に思うなら、この国が今どうなっているのか、これからどっちに向かうべきか、それぞれ多様な一人ひとりがきちんと自由に考えて、それを表現することが必要です。

●9条に限らず、60年も経った古い憲法なのだから、変えたほうがいいのでは?
 憲法が定める原則で、本当に変えたほうがよいものがあるかどうかは、もう少しきちんと今の憲法が果たしてきた役割をみてからでも遅くないのではないでしょうか。
  まず9条についていえば、実際これがあったために、日本はこれまで60年間、あからさまな戦争をせずにきました。
 9条が、ちゃんと戦争への「抑止力」になってきたのです。
 それ以外についても、憲法の規定はもともと原則であって、抽象的なものです。それを根拠に新しい法律ができたり、裁判が起こされたりして、国民の具体的な人権が少しずつ進展してきました。
 憲法が定めた権利がまだ十分に保障されていないなら、それは国会や行政の仕事であって、憲法の責任ではありません。
 自民党がこれまでほとんどずっと国会で多数を握り、そしてたびたび憲法を変えようとしてきたにもかかわらず、国民は歴史の節目でいくたびかその動きを拒否してきました。これは結局、日本の国民が、今の憲法を選択してきたということではないでしょうか。


 じゃあ今、憲法を改正しようという動きが大きくなっているのはなぜか?
 実際に戦争を体験した人が身近にいなくなっているということも大きいんじゃないかと思う。
 それから、戦争ってどんなものか想像できない人や、自分だけは安全だと何となく思っている人、ゲーム感覚でしかとらえられない人が多くなっているんじゃないか?
 すっごく不安だ。


改憲についての本から 2 憲法は権力を縛るもの

2013-09-22 09:50:45 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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憲法第99条
天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 憲法を変えようとしている大臣、議員党の公務員さん、あなたがしていることは重大な憲法違反なのよ。
 それなのになぜ変えたがるのか。

 自民党の「日本国憲法改正草案」のどこがアブナイのかについては「ちゃんと知らなきゃ大変だっ!! 豊橋いのちと未来を守る会」がイラストで解説してくれています。わかりやすいです。

  では、「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(高橋哲哉・斎藤貴男 編著 日本評論社)から抜粋します。

●「権力を縛る」のが憲法
 近代以降の憲法の役割は、国の権力を縛ることです。
 フランス革命やアメリカ革命などの市民革命を経て、人々が主権者となりました。その時に、国は人々との間で、これからは、一部のエライ人の特権を守るのではなく、人々の人権を守るために活動しますという契約を結びました。この契約を文書にしたのが憲法です。
 特別な権力を持つ国を、憲法で「縛る」という考え方を「立憲主義」といいます。

●憲法は抽象的な大原則しか決めていない
 憲法が定めるのは抽象的な大原則で、具体的にそれを実現していくのは国のいろいろな機関の役割です。憲法の原則を生かすために、国会が具体的なルール=法律を作り、内閣が行政を担当してその法律を実現していく仕組みになっています。

●大切な「平和主義」と「個人の尊重」
 日本国憲法が定める三大原則が「平和主義」と国民主権と基本的人権の尊重。これらを貫く日本国憲法の精神は、「個人の尊重」ということです。
 「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法13条)。
 国のために人々があるわけではなく、人々の幸せのために国ができているのです。国の権力は、人々が自分たちで選んだ人々たちに預けているだけで、もともとは人々のものなのです(国民主権、民主主義)。
 そして、「個人の尊重」と「平和主義」は、切っても切れない関係にあります。
 漠然と「あの国と戦争する」と考えるのは平気でも、具体的な個人の「○○さんが住むあの国」と戦争するのはかなり嫌ではありませんか。


改憲についての本から 1

2013-09-22 09:48:00 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(高橋哲哉・斎藤貴男 編著 日本評論社)。この本、加筆されて今年の7月に「憲法が変わっても戦争にならない?」と改題されて筑摩書房からちくま文庫で出ています。
 私が読んだのは最初のほうの本です。

 憲法が変わっても別に自分には関係ないよ、憲法が変わっても戦争にならないよと思っている人へ、憲法ってどんなものなのか、憲法を変えることがなんで問題なのかなどについてを多彩な執筆陣がいろいろな視点からとりあげています。とても読みやすかった。

 何回かに分けて抜粋します。まずは目次をご紹介。

絵で見る憲法・戦争
はしがき

Ⅰ 憲法? ソレがどう変わる?/木下智史
 1 そもそも憲法って?
 2 9条―改正案の目玉
 3 じつは9条だけじゃない
 4 憲法を変える仕組み―国民投票とは

Ⅱ 井筒監督の教えたるわ! 歴史と憲法/井筒和幸
コラム:息子を兵隊になんかさせません/室井佑月(作家)

Ⅲ 憲法と現代戦争Q&A/山田 朗・森永卓郎・木下智史
 1 憲法が変わったら、戦争になるのですか?
 2 誰が、なぜ戦争をしたいのですか? そこに日本がついて行くメリットは?
 3 自衛隊をきちんと「軍」にすべきでは?
 4 改憲されても、結局自衛隊以外の人は関係ないのでは?
 5 北朝鮮が攻めてきたら?
 6 アメリカに守られるだけでいいですか?
 7 憲法を変える必要はないのですか?
コラム:戦争は臆病者のすること/貫戸朋子(国境なき医師団)

Ⅳ 戦争する国と愛国心/高橋哲哉
 1 「戦争する国」の構造
 2 靖国の論理と愛国心
 3 「愛する人を守るため」に
 コラム:本当の愛国心とは、戦争をしないこと/金子安次(元兵士)

Ⅴ 戦争への3点セット 監視・格差・個性の否定/斎藤貴男
 1 自由な発想を抑える監視社会
 2 個人の生き方を国が決める?――立憲主義の大転換
コラム:不自由の沼のこと/こうの史代(まんが家)

Ⅵ ジャーナリストの見た憲法改正議論/豊 秀一
コラム:戦争は戦争の顔をしてこない/田口 透(新聞記者)

さらに読み進めるための文献ガイド/辻子 実
 憲法条文(抜粋) 


参院幹事長「選ぶ人『あほう』でも選ばれる人は立派」発言

2013-09-19 11:26:12 | ありがとうございます

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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  自民党の脇雅史参院幹事長は18日、東京都内のホテルで開かれた会合のあいさつで「政党が国会議員の候補をきっちり選べば、選ぶ人が『あほう』でも選ばれる人は立派だ」と述べた。有権者を軽視する発言として反発を招きそうだ。同席した安倍晋三首相らが「ちょっと」と制止したため、脇氏はその後に「『あほう』と言ってはいけないかもしれない」と弁明した。

 新聞各紙が取り上げていたよ。↑これは毎日新聞からの抜粋。

 ほほう、脇さんあなたは「あほうな国民に選ばれたけど、自民党は国会議員の候補をきっちり選んでいるから自分は立派」なのね。
 トコトンなめられているのね、国民って。
 「『あほう』と言ってはいけないかもしれない」の発言のあとで胸の中でつぶやいたんじゃないの、「『あほう』じゃなくて『バカ』だった、いや『間抜け』か、それとも『とんま』か」って。
 いよいよノンポリではいられないじゃないのさ。


あたしゃノンポリなのにさ

2013-09-19 11:14:01 | ありがとうございます

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 え、ノンポリって死語なのかあ。学生運動が盛んに行われたころの言葉だものねえ。
 学生運動が盛んな時期、運動に参加せず、政治に関心を持たない学生のことを「ノンポリ」(ノンポリティカルnonpoliticalの略)と呼んでた。私はもっと後の世代だけど、「政治に無関心」の意味で自分をノンポリだなと思ってました。
 鼓腹撃壌(こふくげきじょう)でいいじゃんって。でもさ、腹つづみをうち、足で地面をたたいて拍子をとって「政治なんか為政者なんか自分の暮らしにかかわりないよ」って歌ってられるのは、まつりごと(政治)がおさまって善政が行われ、政治のことなんか考えなくてすむ状態だからこそ。平和な生活を送れるからこそ満足して自分の生活を楽しめる。
  原発や労働、経済状況などで暮らしの安全が脅かされたり、戦争ができるようにうごめいている動きなどを知ってしまったら鼓腹撃壌してらんない。あーあ。
 女子どもの感情論と言われようが、「安心して安全に暮らしたい」「原発は危険」「平和憲法を維持しよう」などなど言っていかなきゃ、いいほうに変えて行かなきゃやばいじゃん。あーあ。
 ノンポリだって言ってらんなくなっちゃたじゃないのさ。すばらしい皇帝や天子や王様がまつりごとをおこなうっていうことならともかく、自分たちの代表として政治家を選んで政治を行わせているんだから、まずはまともな政治家を選んで投票すること。そして、どんなことをやってるかちゃんと知ること、目を光らせていること。おかしいことには声をあげること。
 これは権利であり義務なのよねえ。


原発なくても電力は大丈夫と判明

2013-09-16 12:53:29 | ありがとうございます

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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  昨日の15日、国内で唯一稼働中だった関西電力大飯(おおい)原発4号機(福井県おおい町、118万キロワット)が発電停止に向けた作業に入り、今日(16日)に原子炉が完全に停止した状態になりました。これで、2012年7月以来、1年2カ月ぶりに国内の商業用原発50基すべてが止まりました。
 でも、新しい規制基準に基づいて4つの電力会社が12基の再稼働を申請していて、原子力規制委員会で審査が進んでおり、「原発ゼロ」は数カ月で終わる可能性があります。
  原発に頼らずに電力需要をまかなえることがはっきりしているのに、なぜ再稼働するの? 
 今日の東京新聞朝刊から抜粋します。

●猛暑の今夏 電力余裕
 本紙は7月から9月上旬まで、電力各社の資料や取材を基に、各日のピーク時、各社が用意した供給力の何割が使われたかを示す使用率の推移を調べた。(この間、動いていたのは関西電力大飯原発3、4号機の2基のみ)
 北海道、東北、東京の電力三社では、使用率が90%未満の「安定」した状態がほとんど。95%以上の「厳しい」日はゼロだった。
 一方、気温35度以上の猛暑日に連日見舞われた西日本では、冷房などの需要が増え、「やや厳しい」(90%以上95%未満)日が目立ったものの、全体的には「安定」が大勢を占めた。ただ、原発依存度が高かった関電と九州電力では、「厳しい」がそれぞれ4日あった。
 東西で電力を送れる量は今後、大型の原発2基分に相当する210万キロワットに拡大する。広域で支え合う仕組みが整えば、原発に依存しなくても電力不足の心配は減る。
 電力需給に詳しい植田(うえた)和弘京大大学院教授は「需給だけをみれば、原発は必要ないことがはっきりした。広域の融通体制の強化や、節電で利用者が得をする料金体系の拡充など、対策の余地はまだある」と指摘する。

 人間に制御しきれない危険な原発を再稼働するのは“狂気”だよ。
 前にも書いたけど、「狂気……それは、同じ事を繰り返し行い、違う結果を予期することである」(アインシュタイン)。

 安全な環境で安心して暮らしたい。関わっている人たち、その人たちが関わっている人たち、そのまた先の人たちすべてを無用な危険にさらしたくない。原発はいらない。


ほめられたら「ありがとう」

2013-09-15 12:18:08 | よもやま話

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 ほめられると過剰に謙遜してしまう人ってけっこう多いんじゃないかな。「いえいえ私なんか」「全然そんなことないです」って。自分もその傾向がかなり強くて、ほめられるとどうしても「ほめていただけるほどのことはしてないのに、恥ずかしい」と思って否定してしまう。でも、誰かをほめたときに「私なんかとてもとても」なんて謙遜されると、「私はお世辞は言わないのに」ってちょっと寂しくなっちゃう。
 我ながらどうしてかなあと思ってたんだけど、ほめられて否定するのは「相手が提示してくれたイメージと自分が持っている自分のイメージとのギャップが大きいから」で、「それは自分に意識が向いていて、せっかくほめてくれた相手のことを考えていないから」という説明を見つけて、なるほど! と思いました。

 日本では謙遜は美徳という考え方があるから、ある状況において社交儀礼としての単なる挨拶としてのほめ言葉ならばある程度の謙遜は必要かもしれない。でも本当にそれがいいと思ってほめている言葉って何となくわかるよね。
 本当のほめ言葉だったら、ほめてくれる相手の気持ちをありがたく受け取って「ありがとう」「うれしい」とこたえればいいんだ。ほめ言葉を否定してしまったら、ほめてくれた相手は「自分は信用されていないんだ」「私の感覚がおかしいって言われてるのか」と思って悲しくなるしね。
 たとえ本当のほめ言葉じゃなくても「ありがとう」を言って、ほめ言葉にふさわしい自分になろうと受けとめればいいんだね。だから、わざと反対のことを言っていじめてやろうとか恥をかかせてやろう、おとしいれてやろうと思ってのほめ言葉でも、ありがとうとお返事しよう。
 
 なんかちょっとすっきりした気がする。ありがとう。


「さあ、ほめなせい」
 

 うぷぷ、幸太様はどのような格好をなさってもかわゆくておすてきですこと。おつむりのマッサージにちょうどよいものをご発見なさったのね。まあおかしこいこと。

「うむ、遠慮せんでええよ」


 あー、うー、お年の割にご強健でお食欲は激しいほど旺盛でお見事ですわ。最近はチッチをちゃんとトイレでできる確率がほぼ9割とあざやかなるご成績をおあげになり、さらにまたンチのほうのご成績が1割ですから足せば10割、100%でございます。まことにすばらしいことですねえ。

 こんなもんでかんべんしてください~~~

 


幸太君9連発

2013-09-12 11:00:45 | 犬猫

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 どんなことがあっても幸太さまのお姿をながむればいやされますでございますよ。
 明け方、タオルケットに入り込んでお寄り添いいただいたとき、「ああ、夏も過ぎるのである」と実感いたしましたよ。

   
  
  

 どんな格好をなさっても、どこにおいででも、アアかわええ。

 今日からひなたぼっこ再開ですか。
 気温は30度をこしましたが、空気が乾いておりますからちょうどようございますね。
  


「汚染水問題に関する基本方針」は誰がどうやるのかと斎藤さんが発言

2013-09-11 10:18:35 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 前回のブログで紹介した東京新聞「福島忘れさせるな」と同じ紙面に掲載の「本音のコラム」で、原子力災害対策本部が3日に発表した「汚染水問題に関する基本方針」についての斎藤美奈子さんが発言しています。これも抜粋します。

「抜本的な作文」
 具体的な対策がかなり詳しく示されている。
 「多核種除去設備(ALPS)について、不具合を修正し、高濃度汚染水の浄化を加速化する」とか、「建家付近への地下水の流入量を抑制するため、建家の周りを囲む凍土方式の陸側遮水壁について、国費を投入して、技術的課題を克服しつつ構築する」とか。
 一見もっともらしいけど、しかし「不具合を修正し」って、いつ誰がどうやって修正するのだろう。「技術的課題を克服しつつ」とは、いつどんな形で克服されるのか。これって「対策」というより、希望的観測に基づく「願望」では。
 ALPSは試運転中にトラブルが発生して、目下停止中。凍土方式の遮水壁にしても課題が多すぎ、このペーパーにも「平成26年度中を目途に運用開始」と書かれているありさまだ。
 こうなるともう作文ですよね。勝てる見込みのない甘い見通しで兵士を戦場に駆り出した旧日本軍のやり方を思い出させる。作戦本部はそれで満足かもしれないが、現場はたまったもんじゃない。


 本当にたまったもんじゃない。


東京五輪決定後の海外メディアの発言

2013-09-11 10:10:38 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 今日(9月11日)の東京新聞朝刊「福島忘れさせるな」から抜粋します。

 国内のお祭り騒ぎの一方、汚染水の国際的影響に言及し、政府・東電の収拾能力に疑問を呈してきた海外メディアは、開催地決定後も事態を冷静に見ている。
●イギリス インディペンデント
  原発事故の危険は続いており、(東京は)五輪開催地にふさわしくないと考える人は多い。

●イギリス BBC放送
 十万人以上の人々が、2年半前に起きた原発事故で家に帰れずにいる。福島の人びとは残りの日本人から忘れ去られ、政府は原発を再稼働させることばかり気にしていると感じている。
 かろうじて復興が始まったばかりの被災地にとり、東京に多大な金がそそぎこまれることは良いニュースではないだろう。

●アメリカ ニューヨーク・タイムズ
 日本の指導者らは放射能問題の深刻さを否定しているか、誤解させていると批判する声もある。

●中国 国営中央テレビ
 安倍総理の現実認識は、汚染水問題に対する日本国民の目線とかけ離れているという批判がある。

●ドイツ シュピーゲル
 福島の汚染水問題が(五輪招致で)失敗の原因になると見られていたので、東京開催の決定には驚いている。

 ドイツ・ミュンヘン在住のジャーナリスト熊谷徹さんは「ドイツでは福島の事故発生以来、汚染水漏れに最大の関心が集まっている。環境問題を重視する国でもあり、首相が断言したことで、今まで以上に日本の」対応を注視している」と語る。

 立教大の平川克美特任教授は「子どもでも分かるウソを一国の首相がついたのに国内で追求されないのは、五輪招致に成功して『勝てば官軍』になったからだろう。細かいことでガタガタ言わずに水に流そう--と言うことになった』とみる。

 映画監督の想田和弘氏は国内の状況をこう描写し、懸念した。
 「放射能汚染や人びとの苦しみを『なかったこと』にしないと、五輪の高揚感も経済的利益も台無しになる。招致の成功で、多数派には原発事故をないものにする強い動機が生まれた。


 福島原発事故は終わったことどころか放射能による汚染を毎日毎日つくりだしている。安全であるわけがない。
 安部首相は「東京は福島と違って安全」って強調したけど、それって福島は危険ってことだよね。
 福島原発の汚染水は外洋に流れ出ている。どうして東京は安全って言えるの。選手村や競技会場など多くの場所が東京湾近辺だよ。海は地球全体に広がってるよ。汚染水は世界につながる海に流れ込んでるんだよ。放射能は空気中にも広がってる。
 ネガティブなことばかり言いたいわけじゃないのよ。現状をちゃんと認識して、今できる最上のことをして、もっと良い手が打てるように研究開発できるようにしてほしい。ちゃんと調査して、状況情報を隠蔽するのではなく公開して、人間の叡智を使おうよ。私は自分にできることをやっていこう。


オリンピック東京開催決定だから原発事故を

2013-09-09 10:24:10 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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  決まったんだよねえ、東京に。
 こうなったら、オリンピック開催までの7年以内に政府が福島原発事故の後始末をきっちりしなくちゃしょうがないってことだよね。東京電力まかせにしないできっちり処理するってことだよね。
 まさか、「東京に決定したということは、福島原発事故がたいしたことではなく、原発再開がよいことであると世界が認めたという証拠です」なんて言いださないよね。

 だってね、今までの流れを見てるとなにがなんだか……。

7月22日 東電が、事故直後以来、初めて汚染水の海洋流出を認めた。
8月  7日  経産省が、汚染された地下水1日300トンが海洋に流出しているとの試算を発表。
8月20日 東電が、地上タンクから300トンに上る高濃度汚染水が漏洩したと発表
8月21日 東電が、タンクの汚染水が原発の港湾内ではなく外洋(港湾外)に流れた可能性を認めた。

それなのに①
 東京電力は、9月6日までに英語版ホームページに広瀬直己社長の動画メッセージを掲載し「放射性物質は原発港湾内に限られ、外海への影響はない」などと発言した。

それなのに②
  安倍首相は国際オリンピック委員会(IOC)総会で、「状況はコントロールされている」、「汚染水の影響は福島第1原発の港湾内0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」と明言した。

 どーゆーこと
  なーんかギリギリと歯がみでもしたいような感じがしていたんだけど、作家の松井今朝子さんのブログを読んで、ちょっと笑えたので抜粋します。(適宜改行しています)

2013年09月08日「おこわ弁当、30品目サラダ」
 (乗馬クラブの)オペラ歌手のSさんに至っては 「ずっと垂れ流しといて、アベさんも全く問題ないなんてよく言えるよねえ。私なんか東京の震災が怖くて引っ越しを考えてるくらいなのに、よく外国から呼ぶ気になるよね〜」と実に手厳しい。
 この私も、天変地異の報道をさんざん流す一方で、嬉々としてオリンピック報道をしているマスコミの神経がよくわからず、まるで年を取って病気と借金を山ほど抱え込んでる人がヤケクソで近所の人を集めて宴会するみたいな感じに受け取れちゃって困ってしまうし、東京にそれだけの金があるならもっと震災用に使えばどうなの?と思ったりもするのだった。ただ日本みたいな災害列島に住んでいる人は先祖から受け継いだ超楽天的なDNAがこの際に活性化し、超前向きな気分でハッピーになったらそれはそれでいいじゃないかという気もする反面、嫌なことから目をふさぎたいダチョウ症候群ってのも困ったもんだよなあと思わざるを得ないのである。
 ともあれ2020年までに再び震災があって東京復興オリンピックなんてことにはならないようにと祈りつつ、今度の招致で歓迎すべき点が一つあるとするなら、それは世界の目を日本に向けておくことかもしれない。福島原発対策に470億の投入がこの時期に決まったのも海外の目を意識したせいだろうし、現日本政府は色んな意味で世界に監視させておくに越したことはない気がするのである。
 ひょっとしたら海外の人たちも原発がどうなるか監視をしたいために、日本でオリンピックをしてもらおうという気になったのかもしれません。

 
 うん、「海外の人たちも原発がどうなるか監視をしたいために、日本でオリンピックをしてもらおうという気になった」と思いたいね。
  安部首相、9月3日に自分が言ったこと忘れないでね。

 安部首相は、原子力災害対策本部と原子力防災会議の合同会議で汚染水問題に関し、「世界中が注視している。政府一丸となってその解決に当たっていく」との決意を表明した。さらに「汚染水問題については東電任せにせず、政府が前面に立ち解決に当たる」と強調。「従来のような場当たり的な事後対応ではなく、汚染水問題の根本的な解決に向け汚染水対策の基本方針を取りまとめた」と述べている。

  というわけなんだからね。まさか、都合が悪くなったら首相をすげ替えてチャラにすれば大丈夫なんて思ってないだろうねえ自民党さんよ。