ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

幸太君が食べてくれない

2017-08-26 12:19:21 | 犬猫

 「ご飯よこせー、まだかー」と雄叫びをあげるのに、ちょっと口をつけるとやめちゃう。
 基本が糖尿病用の療養食。カリカリが食べにくそうなのでふやかしてつぶしてみたり、普通の猫缶をあれこれ混ぜてみたりといろいろ工夫してるんだけどねー、困った。
 よく食べよく飲みちゃんと出して、すこやかにお過ごしいただきとうございます。

 ご機嫌はよいようなのじゃが、バアヤに心配させまいとぐあいの悪さをこらえておられるのやもしれぬ。
 それとも、ぐあい悪そうにしているとすぐ動物病院に連れて行かれるのを警戒しておいでなのか。
 
 猫さまの17歳は人間だと84歳ぐらいだから、ヨレルのも当たり前ですがのう、どうにか召し上がって体重を維持してくれんかのう。
 幸太様がご機嫌で安心して過ごせる環境づくりを心がけますじゃよ。
 だから原発いらない。戦争いらない。改憲いらない。

毛並みもよいしカワエエし。うふ、うふ。
ン、もう、一緒にお過ごしいただけてバアヤは嬉しゅうございますよ。


肉球新党のバッジとキーホルダーを作ってみたよ

2017-08-18 10:59:00 | うれしい

 肉球新党さんの缶バッジ大好き。 今回も何種類か購入しました。
 で、自分でも、バッジとキーホルダーを作ってみた。ダイソーのフォトキーホルダー用にプリントできるようにしてくれたイラストのなかから、好きなものを使ったよ。
 バッジは、ダイソーのくるみボタン作成キットを利用。布のかわりにコピーした紙でボタンをくるみ込んだよ。ぬれても大丈夫なように、ラッカーなどを塗りたかったんだけど、透明のちょうどいいのが見つからなかったので、ダイソーで見つけたマニキュアの透明なトップコートを塗り塗り。
  キーホルダーは、切り抜いたイラストをダイソーのフォトキーホルダーに挟み込むだけ。表と裏は違うイラストを選んだよ。
 今回はダイソー様々でございます。

  バッグと服にじゃらじゃらつけてます。ちゃちくたって好きなんだよーん。もちろん肉球新党の缶バッジもつけてるよ。

左上が肉球新党さんの缶バッジ。
自作のものはそれより一回り大きくて直径38ミリ。

  戦争いらない。改憲いらない。原発いらない。動物虐待いらない。


福島事故 現代の「棄民」か なかにし礼さんインタビュー 2/2

2017-08-15 11:05:14 | 原発

◆個人が抹殺される
 -現代の「棄民」についてどうお考えですか。

 福島の原発事故が起きて、当時は民主党政権でしたが、あのときの情報を開示しない状況から思い付いたのは「棄民」でした。今も事故によって故郷を追われ、避難民生活を余儀なくされている。

 戦前、国策で満州へどんどん人を入植させました。戦争でやばくなったら、さあ帰ってらっしゃいというのが普通の国家です。今は除染されたから帰れ、帰らないと補助金はあげられないなんて棄民を絵に描いたようなものです。

 国という一つの組織となると、人格を失うというか。まさに戦争とは非常事態宣言です。個人がいかに抹殺されても国家の正義だというものが論理の上では成り立つわけですから。それでは個人がたまったものではない。犠牲になるのはすべて個人です。そう経験した人たちがだんだん減り、戦争を知らない人たちが戦争を云々(うんぬん)しているのは危険だなと思いますね。


  戦争いらない。改憲いらない。原発いらない。


だから僕は、憲法を守りたい。 なかにし礼さんインタビュー 1/2

2017-08-15 10:56:27 | 憲法

 今朝の東京新聞に作家で作曲家のなかにし礼さんのインタビュー「過去を忘れるのが早すぎないでしょうか」が掲載されました。
 満州で敗戦を迎えたなかにしさんは、“関東軍によって棄民された、居留民はできるかぎり現地に定着せしめると外務省が命令した、日本政府が引き揚げ政策をGHQ(連合国軍総司令部)に丸投げした”ことで、「三度にわたり、国家から見捨てられたわけです」と語っています。そしてそのなかにしさんは、日本国憲法を「最高の憲法」「奇跡的な、最高の芸術作品」と表現しています。
 記事から抜粋します。

◆憲法は最高の芸術
 -日本国憲法を「芸術作品だ」と表現されていますね。

 地獄の底でも落ちる深さが深いほど、跳躍する高さは高くなるでしょう。あの戦争でアジア全体で二千万人以上が亡くなった。大変な犠牲を払い、ついに手に入れた最高の憲法ですよ。
 米国の押しつけだとか言いますね。けれど、これは戦後日本の再出発の宣言書なんです。世界に向けた宣言書。各国が認めて、反対しませんでした。世界が希望する国の形を与えてくれたとも、われわれが選んだとも言えます。大きな歴史のうねりの中で生まれた。本当に奇跡的な、最高の芸術作品だと思います。
 その憲法のもとでとにかく戦争しないで七十数年やってきました。一体これの何が不都合なのでしょうか。国民は誰ひとり戦争が起きて幸福にはならないのに、なぜ政治家のまねをして改憲に賛成しなきゃならないのか。政治家とつるんで金もうけでもたくらんでいるのでしょうか。
 「美しい日本」「取り戻す」。そうした抽象的な言葉で何に回帰したいのでしょうか。日本の理想はまだ実現されていません。この憲法の名の下にこれから実現するべきなのです。なのにその努力を怠り、反省すべきを反省せず、戦前の軍国主義を勘違いして、そこに「美」を求めるのはとんでもない反動です。

 自民党は改憲を言うとき、「対案を出してくれ」と求めます。それには各党が「反対なんだから対案なんて出す必要はない」と言えばおしまいなんです。もともと改正の必要がないわけだから。そうすれば国民の目も覚めますよ。

 自民党の改憲草案は、発想が国家ありき。憲法は国民ありき、個人ありきなのに、逆転の発想がしたくてしょうがないようです。棄民思想をずっと日本はやってきたわけですが、少しも進歩していません。


  戦争いらない。改憲いらない。原発いらない。


日本国民は自立できたのか……キーンさんのコラムから

2017-08-13 13:54:44 | 本や言葉の紹介

 毎月1回「ドナルド・キーンの東京下町日記」が東京新聞に掲載されます。
 キーンさんは日本文学研究者として高名ですが、第二次世界大戦終戦後、太平洋戦争中にアメリカ海軍日本語学校で一緒に学んだ大親友のテッド・ドバリーさん(コロンビア大学名誉教授 先月亡くなられた)は東京に、キーンさんは中国に派遣されました。歴史の重要な岐路を目撃していると認識した二人は共通の友人7人を巻き込んで見聞したことを手紙にして送り合いましたが、これは書簡集としてまとめられ、2006年に「昨日の戦地から」(中央公論新社)という本になっています。
 それらについて書かれた昨日12日のコラムに、うーん、そうなんだよなあと胸が重くなった文があったので抜粋します。テッドさんからの手紙を読んでキーンさんが思ったことです。 

●色あせぬ72年前の忠告
  手紙には気になる一文があった。「日本人が上からの命令に頼る性質を清算しなければ、ある一つの独裁政権から別の独裁政権に移行する可能性がある。連合軍からの布告がなければ何もできないようでは、日本国民が政治的自立に向かって歩き出すとは思えない」。72年も前の忠告なのだが、日本国民は自立できたのか。5年前に日本人になった私には確信が持てない。


 前回「空気を読んで流れに乗ってしまいやすい点は変わっていないのではないですか」という高畑勲監督の言葉を紹介したけど、同じ朝刊にキーンさんのコラムも載っていて、お二人の言葉が重なって胸に響いたのでした。
 戦争いらない、原発いらない、憲法改悪いらない。流されないように頑張る。自分の頭で考えて行動する。


ボロボロの平和繕え……高畑勲監督の発言から

2017-08-12 19:28:11 | 本や言葉の紹介

 今朝の東京新聞「考える広場『気分はもう戦前? 今の日本の空気』」欄に、高畑勲さん(アニメーション映画監督)の発言が載っていたので最初と最後の部分を抜粋します。

●ボロボロの平和繕え 
 現政権は戦後を終わらせて、日本を新たな「戦前」にしてしまったのではないでしょうか。自衛隊は憲法九条二項の「戦力の不保持」に反してはいますが、これまで国連平和維持活動(PKO)でも武力の行使はできませんでした。ところが2015年9月に安保関連法が成立し、戦争ができる国になりました。
 しかも、特定秘密保護法で都合の悪いことを国民に隠せるようになり、「共謀罪」法で国民を見張ることもできるようになりました。国民を支配して黙らせて一定の方向へ向かわせる-。まさにあの戦前と同じ流れではないかと思います。
 9歳で終戦を迎えた僕は戦後民主主義の一期生です。新憲法下で70年、民主主義は日本で成熟したでしょうか。空気を読んで流れに乗ってしまいやすい点は変わっていないのではないですか。希望を持ちたいのですが無力感も大きいのです。

 「君が平和を欲するならば、準備せよ、戦争を」。これは古代ローマ以来、連綿と信じられてきた警句です。諸国はこれに基づいて軍備を増強してきました。ところが、第二次大戦後の冷戦で欧州が戦争の危機に直面したとき、フランスの詩人プレベールはこれを大真面目に駄じゃれでひっくり返しました。
 「君が戦争を欲しないならば、繕え、平和を」。フランス語のprépare(準備せよ)の「p」を削り、répare(繕え)に変えたのです。
 安倍首相は戦争の準備をしていますが、今こそボロボロの平和を繕うために、日本は全力を注ぐべきではないでしょうか。


 「空気を読んで流れに乗ってしまいやすい点は変わっていないのではないですか
 うん、その通りだと思うな。「共謀罪」がそれにますます拍車をかける……。やなこった、流されたかぁねえや。流れにのってしまいやすい自分を自覚して踏みとどまるぞ。
  戦争いらない、原発いらない、憲法改悪いらない。


自衛隊の災害救助は演習、国民の命が助かるのはついでの結果

2017-08-06 11:13:49 | 本や言葉の紹介

 今朝(7月6日)東京新聞「新聞を読んで」欄掲載に、自衛隊について触れた文章があったので抜粋します。

  「日報」があったかどうかでむっちゃ混乱・泥仕合をしている組織に、もっと慎重であるべき事態が起きたときに判断を任せていいのかね。もしかしたら事態をあいまいにするためにやってるとしたら、さすが日本の官僚組織は優秀だ……というような出だしにもニヤリとしたよ。

●「『日報』一事が万事」(荷宮和子 女子供文化評論家)
 大学の教養課程での憲法の講義だったか。「自衛隊の災害救助はいざという時の演習、国民を助けるのが目的ではない」と聞き、なるほどなぁ」と思った覚えがある。天気にも気温にも恵まれた状態で常に戦闘できるとは限らない。
 災害救助は演習もできて、国民も救助できる。自衛隊について国民から点数を稼ぎたい為政者にとっては魅惑のプランだ。
 改めてはっきりさせておきたい。自衛隊員に災害救助を命令するものにとっては、助かった国民の命は「当初からの目的」ではなく「ついでの結果」なのだ、ということを。
  そう思ってこの年まで生きてきたため、「国防ではなく、『災害救助で人助けをする』という目的意識を持って希望する子が増えた」(7月7日の特報面)には危機感を覚えた。世間知らずな高校生はまだしも、彼らの就職をあっせんする教師でさえその程度の認識なのか、と。悪意のない、善意の人々ほど、利用しやすいものはない。


 うん、そうだよね。
 自衛隊員の懸命な救助には心から感謝しています。でも、自衛隊はたとえば「○○のための演習」という名目がつかないと災害救助ができないそうだよ。それが遅れたために救助に向かうのが遅れたことがあるそうな。
 だからこそ、自衛隊とは別に、災害救助をするための専門家集団を設立するほうがいいと思ってるんだけど、そう言うとほとんどの男性は反対し、女性は賛成する。なぜかしらねえ。
  戦争いらない、原発いらない、核兵器いらない、改憲いらない。


安倍政権の改憲は改悪

2017-08-03 11:01:45 | まじめな話

 “動詞を中心にして読み、それに主語を補うと書かれていることがよくわかる”という詩人・谷内修三が、その読み方で現憲法と自民党の改憲案を読み比べたところ、わかったことが7月15日の東京新聞「考える広場 9条、変える?」に掲載されました。
 わかったことって何かって? それは「首相が国民の解釈(異議申し立て)を禁止し、権力者として「国」を指揮、監督する」こと、「首相の独裁を保障しようとしている」こと。
 フザケンジャナイ、デゴザイマス。
 記事から抜粋します。全文の約80%なので、もはや抜粋なんてもんじゃないかもしれないけどね。
 
◆独裁保障につながる 詩人・谷内修三さん
 現憲法の九条の主語は一貫して「日本国民」です。日本国民が政府に対し、「戦争をさせない」と言っている。ところが、改憲案では次々と主語が変わっています。冒頭こそ主語は「日本国民」ですが、九条の二で「国防軍は(…)国会の承認その他の統制に服する」と主語が「国防軍」になる。「日本国民」の意思が無視されているのです。九条の三では「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」と、「国」が主語になる。ポイントは「国民と協力して」です。軍隊は一人ではできない。「国」によって兵隊として使われ、殺し、殺される多数の「国民」が必要なのです。つまり、「徴兵制」が含意されていると思います。主語の変更の中に「国」が「国民」を支配するという思想が表れています。

 安倍晋三首相は、現九条を維持しつつ自衛隊の存在を明記する改正方針を新たに提案しました。それを受け、自民党憲法改正推進本部が議論のたたき台として出した条文案は、九条の二として「前条の規定は(…)自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない」としました。現憲法の主語である「日本国民」を押しのけ、条文をさまざまに解釈することを「日本国民」に禁止しているのです。

 誰が禁止するのか。「内閣総理大臣」です。首相が国民の解釈(異議申し立て)を禁止し、権力者として「国」を指揮、監督するということです。この改憲案は単に自衛隊の明文化を狙っているのではない。首相の「独裁」を保障しようとしています。憲法は「国」のためのものではない。「日本国民」である「われら」の、もっと言えば「私」のためのもの。私はそれを「内閣総理大臣」などには渡したくないのです。


 憲法ってさ、国家の基礎となる法で、つまり国家のあり方を決めたルール。
 で、国家権力は放っておくと暴走して、好き勝手なことをするから、憲法はそれに歯止めをかけている。
 その憲法を元に法律が作られる。
 憲法は国家権力の暴走から国民の自由を守り、国家権力を制限して人権を保障するためのもの。
 法律は「憲法理念の具体化」や「社会秩序の安定」のために国民の権利や自由を制限するためのもの。

  安倍政権の憲法改正案は、国民の権利や自由を制限して国家権力が・首相が好き勝手できるようにするってことなんだね。なーにが改正だ、改悪の悪の悪じゃん。まっぴらごめんだね。
 憲法改正反対。独裁者はいらない。戦争はいらない。原発はいらない。