ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

鬼が笑う? でも来年のカレンダーを購入

2008-10-27 14:46:06 | うれしい
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 うふふー、「くるねこカレンダー」と「ネコまる週めくり」を眺めては頬をゆるめています。
 「来年を無事に迎えられるかどうかわかんないよ」と鬼に笑われそうですが、でもねえ、ほしかったの~~~!
 お正月までなかを見るのを我慢しようと思ったのですが、無理だった!!!

 くるねこ大和さんの猫マンガのファンで本を持っていますが、カレンダーはどうしようか迷っていたんです。でも、見たとたん手が喉から出ちゃって足がかってにレジにむかっていた。
 くるねこ愚連隊の面々がかわえーこと!
 お江戸好きのくるさん、カレンダーにもお江戸テイストがたっぷり。7月は蒲焼きがテーマですが、うしろのほうにさりげなく平賀源内ポーズのくるさんがいたりして。

 「ネコまる週めくり」は、写真に添えられているキャプションが楽しい! 何年か買い続けています。

 週めくりの「犬川柳」柴犬編も楽しくってほしいのですが、欲張りすぎだなと反省。置くところがないしね。う~ん、でもまだ迷っていたりするです。

 数日前からジェラルド・ダレルの本をかためて読み直しているし、なんかアニマルづいているきょうこのごろ。

『精神科医がものを書くとき 1』から

2008-10-24 20:54:41 | 本や言葉の紹介
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 今日、M園に行ってきました。22日の「心と身体……仏教から、精神科医から その1」で書いた「心はどこにあるか」と問いかけてくれたスタッフのかたがいらしたので、お礼を言うことができました。ああよかった。
 M園に通って3年ほどですが、今日初めて雨にあいました。秋の雨を楽しめてラッキーでした。


 前回にせっかく『精神科医がものを書くとき Ⅰ』(中井久夫 広英社)について触れたので、ほかにも「へえ!」と思った文章をご紹介します。
 なお、分裂病という表記についてですが、分裂病という名称は2002年から統合失調症に変わりました。しかしこの本は1996年刊行のため、分裂病という表記になっていることをご了解ください。


●「ここでいっておきたいのは、キリスト教は労働を無条件に肯定しているわけではないことです。これが西洋と日本との違いです。
 ヨーロッパのキリスト教の場合は、アダムとイヴが楽園にいたときには働かなくてよかったんですが、蛇に教えられて、してはならないことをしてしまったために二人は楽園から追放されてしまいます。そのときの神の呪いで人間の命が有限になり、また額に汗して働かないとパンが得られないことになった。そういうことで、ァベルとカインが牧畜と農業を始めたわけですから、働くことは神の呪いの結果であるわけで、ヨーロッパと日本では働くということに微妙なニュアンスの違いがあります。」

  ……おお、欧米ではバカンスや仕事を引退してからの生活が待ち望まれているというのは、こういう意識から来ているのかァ。


●(発病の時に)「いろいろな身体症状がいっせいに出る時期があります。
 ここで休養すれば、精神病は回避できるかもしれません。身体が教えることに耳を貸さないか、身体の状態が意識に上がらない人だけが、この安全装置を活かせずに、病気になるのかもしれませんよ。
 健康な睡眠をとっていて、そのままで発病した人はないと私は思っています。睡眠と目覚めているときとを一つのセットとして、健康な頭の働きがあると思うのですね。」

 ……睡眠って本当に重要!
 この本のほかの箇所でも、“睡眠と便通が重要”、“緊張を体のほうからほぐすことも無視できない効果があります”とお話しされています。

 そういえば、三好春樹さんの高齢者介護に関しての本の中で、徘徊や不眠、情緒不安定などの異常行動が起きたとき、便通がつかずに便秘状態であることが多いというようなことが書いてありましたっけ。

心と身体……仏教から、精神科医から その2

2008-10-24 11:12:23 | 本や言葉の紹介
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 たまたま、精神神経科の中井久夫さんの『精神科医がものを書くとき 1』(広英社)を、『講座 仏教思想 第四巻』の直後に読んだのですが、またびっくり。患者さんと向き合うなかで、心と体の関係に気づいていったことが書かれていました。
 いくつか抜粋します。


●(患者に指圧をすることになってやってみたところ)
 びっくりしたんですが、左肩と右肩を同じ高さで押しているのに、左のほうが高いという。左は非常に気持ちがいいけれども右は気持ち悪いとか、そんなことがわかってきたんです。たとえば頭の真ん中をさわって、これは左ですか、右ですか、真ん中ですか、と聞くと、右に寄っています、と答える。人間の体はその人の病気によってものすごくゆがんでいるということがわかってきて、これはぼくにとっては大変なビックリなんです。

●その患者さんは、それまでニキビなんかが出ていて、非常に汚かったし、妄想や幻覚からなかなか抜け出られなかったんだけれども、あるとき、非常にスカッとした顔をしてあらわれたんです。
 その人を数年みているものだから、いったい何事がおこったんだろうと思ってお母さんに聞いたら、この一か月のうちに、足の裏のウオノメを取って歯を治しましたというんです。ぼくは、あ、これかもしれない、と思ったんです。
 というのは、足の裏にウオノメがあった場合、左にあったら右の脳に行く刺激と左の脳に行く右足の刺激とが違うわけで、これは悪循環です。どこかで埋め合わせをしなければいけない。そして、歯が悪くて、右だけで噛んでいたら、左の脳には刺激が行くんだけれども、右の脳にはあまり行かなくて、これもアンバランスになる。これを埋め合わせるために、脳は仕事をしなければいけない。
 あごの筋肉と足の裏を治した結果、精神的な余裕ができた。どこにできたか知らないけれども、精神的な余力、脳に余力ができたと思うんです。で、幻聴とか妄想とか統制を外れて動いているものが消えた。
 そして、それが自律神経系にも何かいい作用をもたらしたらしくて、ニキビがさっと治ってしまった。

●その人のからだのイメージのゆがみが一時スカッとなくなった時がありましたね。からだのゆがみというのは、意識がつくり上げている面があるかもしれない。その人の生き方とか、ものの考え方とかが、身体イメージに影響を与えているのかもしれません。


 心と体っておんなじもん、根っこはおんなじだと思うんですよ。ほんとにねー、意識して、体がしんどいときは心の手入れをして、心がしんどいときは身体の手入れをしてとやってみると、かなり違ってきます。

 8月のふとした問いかけ、般若心経、アビダルマについての言葉、アビダルマ関連の本、無量寿経、中井久夫、これらの偶然に並んだような点がみごとにつながって一筋の線を見せてくれたように思えました。面白いです。

心と身体……仏教から、精神科医から その1

2008-10-22 21:22:07 | 本や言葉の紹介
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 8月、月に一度のボランティアにうかがっているM園で、スタッフのかたが「通っている整体士さんに“心はどこにあるか”と聞かれて困ってしまった」と話していました。答えを尋ねたら、逆に「心ってどこにあると思う?」と聞かれたので、とっさに「自分という存在全ての中に。心は肉体があってこそ」というようなことを答えたのですが、なんか足りないなあと思いました。家に帰ってゆっくり考えたとき、「自分以外の存在があるというのが条件だなあ」と思ったのです。
 うまく言えませんが、「他者という存在があってこそ自分の存在に気がつく。気がつくということにおいて心が動いたということである。つまりそこに心が存在する。そして心も身体も同じもの」というようなことを思ったのです。
 
 さて、質問してくださったかたにその場で、「心については仏教の認識論が大きなヒントになると思っています」とお返事したことがきっかけで、その後は般若心経の「空即是色 色即是空」についての話に発展したのでした。

 十分に知っているわけではなかったので、これは「空即是色 色即是空」の意味について考え直すいいチャンスだと思い、解説書をいくつか読みました。おかげで以前に読んだときとはまた違ったことに気がつけたのですが、いろいろな解釈があるんですよね。

 何となくそのときのもやもやした気持ちが残っていたのか、ちょっと前に「空(くう)という言葉一つを解釈するにも、アビダルマを知っていなければ正確に理解することはできない」というような文章を見つけ、アビダルマについて知りたいと思いました。
 アビダルマとは、「ダルマ(仏陀の説いた真理)についての研究」とか、「ブッダが説いたダルマ=法・真理を解釈し、仕上げられた壮大な思想大系を意味する」といわれているものです。

 関連している本を図書館にリクエストして何冊か読んだのですが、理解できたのは「う~ん、とっても細分化されているのね、哲学なのね」ということぐらいかのう。

 読んだ中で、1975年というちょっと昔に出された『講座 仏教思想 第四巻』の『第二部 心理学 第一章 原始仏教・アビダルマにおける心理学――心識論――」で、仏教では心をどう見ているかについて書いてあるのが印象的でした。
 抜粋してご紹介します。


 仏教は宗教として、現実の苦しみ悩みを解消し、苦しみのない浄楽の状態を得させるための教えである。換言すれば、むさぼり(貪欲)・いかり(瞋恚)・おろかさ(愚痴)などの誤った心ばえとしての煩悩を除いて、悟りという自由の境地に至らしめるものである。ところで、苦悩とか浄楽とか、また貪瞋痴の煩悩とか、悟り(菩提)とかいうものは、全て心に関係したものであるから、仏教は心の問題を主として取り扱うものであることが知られる。
 この意味で、仏教は心理学に深い関連をもっているということができる。しかしここで注意しなければならないことは、仏教は心の動きを、一般の心理学のように、動きそのものとして純粋に研究するものではない。科学としての心理学な実験などによって把握されうる客観的事実のみを取り扱うが、仏教では客観的に実験することの困難な価値の問題を取り扱うことが多い。すなわち心の動きにおける善悪とか迷悟洗浄というような倫理的、宗教的な価値または反価値として見るのである。そこには倫理的、宗教哲学の範囲に属するような要素が入っている。
 さらに仏教では心を心だけとして見るのではなく、これを肉体や外界とも関係させて考察する。仏教によれば、心は心だけで単独に存在するものではなく、心身一如、または心身相関といわれるように、肉体と密接に関係するだけでなく、他の人々や周囲の自然環境とも関連しているとされる。
 このように、心を問題とすれば、倫理・宗教・哲学・整理などの関係し、さらに一般に経験され得ない前世や来世にも及ぶことがある。


 おや、私が「他者という存在があってこそ自分の存在に気がつく。気がつくということにおいて心が動いたということである。つまりそこに心が存在する。そして心も身体も同じもの」と思ったことって、あながちはずれていないではないですか。
 面白いですねえ。ほわんと疑問をもっていると、いつかどこかでお応え・お答えが届くのかも。

 それと、このところ『無量寿経』を読み返したのですが、この抜粋した文章の最初のほうって無量寿経を凝縮したエッセンスみたいだなと感じました。
 無量寿経って、「善きことを思い、実行しなさい」ということを美しく、またくどくがあるからねとそそるように表現しているんだなと思ったので。

(次に続きます)

枕を並べてはいませんが

2008-10-18 13:33:13 | 犬猫
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 昨日は浦和駅脇のうりんぼうで、また長居をしちゃいました。充分に御酒をいただいたおかげで、しっかり眠れたような気がします。
 
 コウちゃんもハルちゃんものんびり寝。



 コウちゃんのおなかのどぇんどぇんさがわかるでしょうか。顔と手がちいちゃいのにおなかはぽってり。ぽっちゃりタイプが好みだけど、糖尿病が心配なのよ。ごはんを少なめにしているつもりなのですがねえ。




ハルちゃん、最近はあまり緊張しないで寝てられるようになったみたいです。よかったよかった。

嬉しい再会でした

2008-10-16 20:46:15 | Weblog
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 今日、N・Aさんに約1年半ぶりにお会いできました。会ったとたん、嬉しくなりました。明るくやわらかな光が以前よりたっくさん輝いているの。
 お話から、「自分を楽しませる」「喜び探しゲームをする」「状況を受けとめる」等々すてきなエクササイズをがんばって実行してきたことがうかがえ、もっと嬉しくなりました。
  
 そんなすてきな過ごし方をしているかたに対して、「飲みすぎたためか顔に赤い斑点が出た」とか「犬と猫が組んで悪さをする」とかが話題の私って……うう、なっさけないのう。

 あ、驚いたことがありました。昨日の夜のけっこう遅くに、「N・Aさん、どうしてるかな。お子さん元気かな」などとふっと思ったのです。そうしたら今朝電話をいただいて。昨夜私のことを思いだしてくださってたんですって。う~ん、こんなこともあるんですね。
  
 N・Aさん、喜びを分けてくれてありがとう!
 素晴らしい成長を見せてもらえるなんて、私ってやっぱり幸せ者だなあ。



玄関で咲いてくれているアメジストセージ。メキシカンブッシュセージとも。
Sさん、前に間違った名前をお伝えしてしまってごめんなさい。

秋の花や実

2008-10-13 09:33:24 | Weblog
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 「これ、面白いよ」と差し出された本のタイトルにちょっとびっくりしたのが『老人介護 じいさん・ばあさんの愛し方』。
 教えてくれたのが、そういう方面には興味ないという人だったので、そういう人でさえ面白いと思える本ならばかなり期待がもてるなと読んでみたら、うん、どんぴしゃ。
 (しかし彼は、興味ないのになぜこの本を手に取ったんだろうか?)

 著者の三好春樹さんのほかの著書を読みたくて、書館にリクエストしていたところ、届いたと連絡を受けました。ということで昨日は秋晴れの中、図書館へ。
 今、三好さんの本も含めて20冊ほど読みたい本が手元にあります。しあわせ~。

 途中、秋の花や実が鮮やかに目にうつりました。

 
キンモクセイが真っ盛り。

 
ムラサキシキブ。

 
これ、なんという花でしょうか?

 
この名前も知りません。キバナコスモスかしら? 

 
ザクロ。




あーおもしろかった ←抑揚なし、棒読み

2008-10-10 13:31:40 | Weblog
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 やっとホームページに決着をつけました。
 内容は変わっていませんが、見た目を変えてみました。
 とっても大変だったけど、とっても面白かったけど、その割には成果が上がっていないかもなァ。

  でも、もうこれでいいも~ん。
 今の自分としてはできるだけやったも~ん。ほんとにおもしろ楽しかったしね。

 よし!!! たまっちゃった読みたい本をガシガシいくぞ。うれしいね。

どこまで続くぬかるみぞ

2008-10-08 00:24:28 | Weblog
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 肌寒いときもあるけど、晴れた空にキンモクセイのよい香りが漂っています。お散歩びよりの日が続きました。
 それなのにほとんど外にも出ず、ま~だしつこくホームページの再作成にチャレンジ中。とりあえずできたからいいかなとも思ったのですが、こうしたらどうかああしたらどうかと試してみたくって。我ながらしつこいなあ。

 できないからこそやってみたくなるっていうのはどんなもんか。もしかしたら、現実逃避のためにホームページ作成にこだわってるのか。それはないと思うのだけど。ハルト君の散歩の催促にも対応が鈍りがちで悪いなあ。でもあまり深酒しないのはいいなあ。……などと考えながらも抜けられまへん。

 結局、もっと見やすくきれいにしようとしても、私の力量ではあまり変えられないということが判明しつつあるだけのようです。う~ん……。

『逃避行』
一、どこまでつづく ぬかるみぞ   三月(みつき)毎夜を 酒もなく
  クリックひびく マウスから
二、せかせる声も たえはて ふて寝する犬の 恨み目を
  すまぬと今は 振り捨てる
三、実力不足の 乱れ髪   充血まなこ 乾ききり 
  脳みそ絞り 日暮空

(本歌は『討匪行』 八木沼丈夫作詞 藤原義江作曲・唄 昭和7年)
一、どこまでつづく ぬかるみぞ 三日二夜を 食もなく
  雨ふりしぶく  鉄かぶと
二、いななく声も たえはて 倒れし馬の たてがみを
  かたみと今は 別れ来ぬ
三、ひずめのふとに 乱れ咲く 秋草の花 しずくして
  虫が音はそき 日暮空



 こりゃどうも、お古いネタでまことに相済みませんこってございます。

ホームページ作り直しました

2008-10-03 14:42:45 | Weblog
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 やっと直しました。何度試行錯誤したことか……。
 ついでだからバージョンアップさせてみようと思ってホームページビルダー12を使ってみたのですが、前のよりわかりにくくなっているためあえなく挫折。
 でも、見た目はあまり美しくないけど、内容的にはわかりやすくなっていると思います。
 よろしくよろしく。