ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

ふとんのわきに犬が……

2014-03-27 15:04:33 | 犬猫

●中浦和“ふうるふうる”のたらです。

  猫の幸太君のお気に入りの場所は、台所とつながっている部屋のソファの上の猫ハウス。トイレはお風呂場の洗面所。寒い時期には、“お犬様のお部屋で寝かせていただいておりまする”私のふとんにもぐりこんでご就寝。
 しかし退院してから後ろ足があまり動かない状態になってしまったので、あっちに行ってトイレ、そっちでお水、こっちでオヤスミなどなどができなくなりました。
 なので、幸太君がなるべく自力で用がすませられるように、私がなるべくようすをみていられるようにと、台所とつながっている部屋にケージを組み立てて猫トイレと水を入れ、犬が入りこめない程度に扉をあけて設置しました。猫ハウスはケージの横に移動。
 そして私もふとんをお犬様のお部屋から移し、ケージのそばで寝ることに。
  犬のハルト、いつもだいたい夜9時半ごろになると「クソネエめが、はよ寝ろやい」と吠えてドタバタするので、私がお犬様のお部屋で寝ないとなると暴れるんじゃないかと心配していたところ、何事も無し。ほっとしたわー。ちょっとさびしいわー。
  ハルったらいいとこあるじゃん、幸太のこと気にしてくれたのねーと思っていたら、事件は数日後の早朝に起きたのであーる。
 ハルが朝5時ごろ吠えだした。ふとんのまわりをぐるぐる走り回って吠える吠える、走りながら吠える吠える吠える吠える。
 えっれーご近所迷惑じゃわ。
 「ご飯は6時だからね。静かにしてね。6時になったらちゃんとあげるから」と説得し、ハルがまだジタバタしてるのを無視してうつらうつらしてたら、なんか、なつかしきかほりが。犬トイレに行ったらチッコだけしてある。片づけて、気のせいかーとまたふとんにもぐりこもうとしたら、なんと、ふとんのわき、枕の近くに点々と黒いかたまりが……。
  ガックリ…………。エサを待たされている意趣返しですかそうですか。ふとんにされないだけよかったということですかそうですか。
 でも、もしかしてだけど、もしかしてだけど、猫に焼き餅焼いているんじゃないのー?
 うんきっとそうだ、猫に添い寝してることに嫉妬してるんだ、そろそろ帰ってこいやーというメッセージね。そう思えばこれくらい……、ううう、かなーり無理があるわねー。
 寝るときはこっちに入れないように仕切ることにしました。どうなることやら。

 歯をきれいにしようとすると噛みつくようになり、散歩のあとに足を拭こうとすると噛みつくようになり、ブラッシングをしようとすると以前よりひどく噛みつくようになり、さわろうとすると反射的にひどく噛みつくようになり、私にはわからない理由で朝や夕方に2時間ぐらい吠えまくり、トイレでンコしなくなり等々、「のう」のぐあいがかなーり悪くなっている感じだけど、しょーがないねー。ハルもつらいねー。
  がむばる、あたいもがむばる。


松谷みよ子さんのエッセイを読んで 9(終)

2014-03-25 11:42:05 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 「松谷みよ子公式ホームページ」に、娘さんの瀬川たくみさんが次の文を載せてくれています。

『ふたりのイーダ』がこの世に生まれたのは、昭和44年(1969年)です。
日本に原爆が落とされた事実を残す役割を担うかのように、長編童話としてまとめられました。その後、社会問題を告発する童話という位置を持ち、全5刊が出版されます。高度成長期の弊害、戦争による被害者と加害者など、子供達に重いテーマを突き付けていますが、あの世とこの世の不可思議な世界に引きずり込まれながら、その問題と向き合っていくことになります。
講談社で始まった「直樹とゆう子の物語」でしたが、2作品目の『死の国からのバトン』昭和51年(1976年)『私のアンネ=フランク』昭和54年(1979年)『屋根裏部屋の秘密』昭和63年(1988年)『あの世からの火』平成5年(1993年)は、いずれも偕成社からの出版となっています。
実際、ドイツや中国にまで赴き、戦争によって人間が暴走する怖さを実態調査しつつ描かれており、後世に残してゆきたい貴重な作品群でもあります。
さて、福島の原発事故以降、日本が取り組まなければならない問題が次から次へと生じています。母は、原子力発電所第1号が出来た時、「日本は原爆を受けた国なのに、こんなものが稼動したら大変な事になる。」と言い、家中の電気を消して歩きました。電気の無駄をしないためです。旗を降るのではなく、身近な実行こそが大事なのだと教わった気がします。それにしても、この国の電化製品の多さ、便利だからと言って、つい購入してしまった自分に反省しています。便利だからと言って、原子爆弾を作り出せるプルトニュウムを生み出す物を増やす、稼働させることに無関心になってはならないという母の教えです。


 松谷みよ子さん、ありがとうございます。物語、エッセイ、再話、自伝といろいろな方面で書いてくださって本当にありがとうございます。何度も読み返すたびに、「えっ、こんな意味なのか」と発見できるものを書いてくださってありがとうございます。私はかなり鈍いので一度でわかることができないのが悔しいですが、でも、経験を積んだら、暮らしを深くたがやしていけたらわかってくるかもしれないものがあるのは幸せなことです。
 私も、 「昔のことでしょ」と捨て去られてしまうような渡し方ではなく、切って捨てられるような話し方ではなく、伝えていけるようになりたい。

 


幸太君退院 毎日インスリン注射……

2014-03-22 19:34:14 | 犬猫

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 幸太の糖尿病ですが、血糖降下剤が効かなくてインスリン注射をすることになり、適量を調べるために6泊7日入院。がんばってくれました。今日の夕方退院できました。
 これからは毎日2回注射ですが、痛がらないでくれるのがありがたい。
 でもね、足腰立たなくなっちゃってた。後ろ足がほとんど機能していない。入院前は後ろ足が少しふらつきながらも普通に歩けてたのに。
 これは糖尿病が悪化したというより、ケージのなかで生活して歩かなかったせいじゃないかな。人間でたとえたら、畳2畳かそれより狭いぐらいなところで1か月暮らしたのと同じぐらいだものねえ。そりゃ足弱になるわ。
 しかーし、こんな状態になるとは想像もしていなかたので、大急ぎで部屋のレイアウトを変更するのがかなり大変でした。
 ソファの上のお気に入りの幸太ハウスには階段を使ってのぼっていたけど、後ろ足がほとんど動かない状態の今はむり。こんな状態だと、トイレとご飯の場所もちょっと遠い。
 何とかまとめて、それを幸太君がすんなり受け入れてくれてほっとしました。なんていいこなんだ、きみは。

 しかーし、これで深酒ができなくなっちゃったじゃないのさ。早いうちから飲めなくなっちゃったしよー。
 だってさー、深酒すると翌日は寝過ごすこともあるから朝の注射の時間が乱れてしまうしさ、注射する手元がおぼつかないんじゃないかという不安もあるしのー。早くから飲むと、やっぱり晩の注射の手元が……。
 こういうことにかけては私はとってもだめなんであることは私が保証するもんね。
 いや、保証してどうする。 あほじゃ。
 うーむ、適度に飲むように、そう努力するように、がむばる努力をしよう。

 あ、今は晩の注射を済ませたから飲んでますとも。
 「刈穂 春kawasemi 純米吟醸」(秋田清酒株式会社 秋田県大仙市)。うふ、昨日ねー、森田商店さんで、よーこさんが他のお客様に説明しているのを漏れ聞いてこれに決めたのであーる。おいちー。よい御酒だなあ。
 写真とるのも面倒になっちゃったので、この御酒を紹介してくださっている記事をご紹介。http://blog.livedoor.jp/sakeakmt/archives/cat_60243558.html

 幸太君帰ってきてくれてありがとう。乾杯。
 あ、飲みすごさないようにしなければ……。そりゃゴーモンに近いのう……。


松谷みよ子さんのエッセイを読んで 8

2014-03-19 11:34:22 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 松谷みよ子さんの 『現代の民話・銃後編』を読んだときは、権力側がどんな言いがかりをつけてくるかわからない恐ろしさに、えっ、こんなことまでするのかと考え込みました。
 特にびっくりしたのが牧師さんのおしめの話です。

 第二次世界大戦中に牧師さんが特高(特別高等警察)につかまってひどいめにあわされたけど、その理由がおしめ。そのころは着古したゆかたなどでおしめを作っていたため、色や柄がさまざまなのが普通です。ところが特高は、「色や柄に意味を持たせて、干す順序で情報を送っていたんだろう」という疑いをかけてしょっぴいた。まったくそんな事実はなかったのに。

 特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)とは、特定の行為・運動の取り締まりを目的として設置される警察組織でいわゆる政治警察や思想警察のこと。疑いをかけた人を自白させるために過酷な尋問や拷問を加えたため、耐えかねてウソの自白をさせられて罪人に仕立て上げられたことも多かったそうで、「特高ににらまれたら終わりだ」と畏怖の対象だったそうです。
 牧師さんに目をつけた特高は、“神国大日本帝国に逆らってキリスト教を広めようとする国賊”を痛めつけて手柄をあげたかったんでしょう。
  今なら、「特定秘密保護法にふれることをしているから逮捕する」と、有無を言わさず逮捕するってことか。

 去年の暮れ、20代後半の女性にこの牧師さんの話を例にして特定秘密保護法について話したところ、「戦争中に牧師なんかやっているほうが悪い」と切って捨てられました。
 そのかたのお母さんはグアテマラの政変に巻き込まれて海外に逃げて財産を失い、日本人と結婚して大変な苦労をしてきたのに! 
 それを知っているのにそんなことを言うんだとビックリガックリしたけど、いや、だからこそそういう結論になるのかなあとも思いました。生活の心配なく暮らすことがいちばんだから、波風たてるようなことをしないほうが得だと。
  うーん……


漢字が……

2014-03-16 10:00:52 | おいしい

●中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 おとといはいいお酒をしこたまいただいてしまった。「洌」(れつ 小嶋総本店 山形県米沢市)純米吟醸で活性にごり。和製シャンパンであります。
 もう、那須家さんったら目利き! 「洌は、荒々しくて上品」という表現、さすが!
 するするのどをすべっていき、もう1杯、もう1杯といつもよりだいぶ過ごしてしまった。そこで一句。
 「壁」という漢字が書けなくて酔いを知り

 酔っぱらうとまず漢字が書けなくなり、次にひらがながよれよれになるん。ひらがながよれよれだと記憶がなくなること多し。
 いかんね。
 おとといもちょっと危なかったけど、二日酔いもなく快調でした。やっぱり、いいお酒は悪酔いしないのよ。
 先日受けた健康診断では特に悪いところはないとの結果だったので、これからも心おきなく御酒をいただけるのでばんざーい。


松谷みよ子さんのエッセイを読んで 7

2014-03-14 08:56:22 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 「松谷みよ子全エッセイ1 わたしの暦」(筑摩書房)から抜粋します。

●覚え書『死の国からのバトン』
 時代時代のあるところで、人びとはバスに乗りおくれまいとするように切符を買います。それは大東亜共栄圏の切符かもしれず、魔女狩りの切符かもしれず、反戦の切符かもしれません。私もまたそのように公害批判の切符を手にしただけで、それを免罪符のようににぎっただけで、次の日から書きはじめるとしたら……。
「あんまり早くわかったような気になること、それはわかっていないことではないだろうか。」


 ずっきりと胸に響く。自分への戒めの言葉だと心していかなければ。


松谷みよ子さんのエッセイを読んで 6

2014-03-10 09:04:01 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 「松谷みよ子全エッセイ1 わたしの暦」(筑摩書房)から。
 出雲の昔話の中の「猿の海岸見物」という話、これを松谷みよ子さんは絵本にしました。このことについてのエッセイから抜粋します。

●絵本『さるのひとりごと』(1987・2「いわさきちひろ」絵本美術館友の会通信掲載)
 山奥に暮らす猿が海を見に出かけて木に登り、果てしない海に感動して「海はええなあ、風は……」とひとりごとを言うと、どこからか「うん」と返事が聞こえる。またひとりごとを言うとまた返事が。頼みもしないのに返事をするなんてと怒った猿はそこらじゅうを探し回ってカニを見つけて叩き潰す。また木に登ってひとりごとを言うとしーんとしている。ひとりごとを繰り返しても静かなまま。猿はこらえきれなくなり、つぶしたカニを団子にして岩の上に据える。木に登ってひとりごとを言うとカニの団子が返事をする。日が暮れてきて猿は「また来るけえ返事をしてくれよ」と言って山へ帰る。

 さてこの絵本は幼い子の共感を得たか。「カニ、かわいそう」という子と「サル、かわいそう」というふた通りの子がいるという。またある女性は結婚した人にあげたい、といってくれた。
 その思いは私にはよく判る。

 集団から離れ、ひとりで海を見に出かけた猿。たった一人で海はええなあ、とひとりごとをいう。なのに、頼みもしないのに、うん、と返事をしたやつがいる。叩き潰しておきながら、今度は答えてくれるもののない淋しさ……。生きてきた私の歴史にも猿に似たひとはいて、理不尽な、と怒りもした。しかしその猿の孤独に、潰されて団子にまるめられながらもカニは「うん」と答えてやる、そのやさしさが私にはあったか。

 もう涙が出て涙が出て。げんこつで胸をこすりながら、声が出せずにないた。
  私は猿だな。カニだったこともあったけど、たたきつぶされたら返事ができなかったな。
 あとで絵本を探して読んだけど、もっと涙が出た。猿の身勝手さは私の身勝手さだった。


松谷みよ子さんのエッセイを読んで 5

2014-03-06 11:15:59 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 松谷みよ子さんのことばについてまだまだ書きたい。
 『松谷みよ子全エッセイ 2 私の風土記』(筑摩書房)から抜粋します。

●台本「鯉女房」のこと(1983・10「民話の手帖」掲載)
 福井の九頭竜川の河童たちは、水が汚れとる、何とかしてくれえと頼みにきている。それも十人もの上の人が聞いたから、不思議に思って川を見にいったが何事もない。しかし河童は悲痛な声をあげつづけ遂に霧のけむる日、山へ去っていった。忘れるともなく忘れていたその話を、川下へ出稼ぎにいった村人がふと学生に話した。そのことも忘れたころ県から村長に呼び出しがきた。九頭竜川がカドミウムに汚染されている。設備を改めたからもう出てはいないが、汚染された米については保障する云々という話であった。こうしたことも学生に話したことがきっかけであったときいた村人は今さらながら河童に申訳なくて、山へいって河童に謝った。すると霧の奥からかすかに答える声がした。百年たったら帰ってくるさかい、それまでに川をきれいにしておいてくれえ。
  この話は金沢在住の作家、かつおきんや氏が教え子の大学生とこの村を訪れて聞いた話を私に語ってくれたのである。たしか1974年のことであった。
 百歳近かったという直右衛門老はどんな心持で河童が公害に泣く話をかつお氏や大学生に語ったのであろうか。
 語ったればこそ、それは生きた。かつお氏から私にしっかりと渡された。そしていま私は渡し続けている。けれども渡し手がいなければ、生まれいでた民話は、たとえ生まれいでた村であっても埋もれていってしまう。それが怖い。

  かつおきんやさんから話を聞いた8年後、松谷さんが村に問い合わせたら話者はすでに亡くなり、河童の話を知っている人がいるかどうかがわからなくなっていたとのこと。
  いま、河童や精霊などが話しかけてきてもその声を聞きつけられるだろうか。自然の声をちゃんと受け止められるだろうか。
  河童たちが去ってからもう40年はたっているよね。あと60年足らずで河童たちが気持ちよく暮らせる状態にできるんだろうか。
 今、九頭竜川はカドミウムに汚染されてないらしいけど、60年もたたないうちに日本のいろいろなところが原発で取り返しのつかないことになってしまうんじゃなかろうか。河童たちが去っていった山も無事ではいられなくなってしまうんじゃないか。
 河童どころか人間が住んでいられる日本でいられるのか。いのちをはぐくんでくれるものを大切にしなくちゃ“罰が当たる”なあ。
 そんなことがまず思われてしまった。
 


相手の幸せが耐えられないのは

2014-03-05 10:58:44 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 「うわー、ずいぶんはっきり言ってるなー、でもそのとおりなんだよね」とびっくりした言葉が3月1日の東京新聞「今週のことば」欄に載っていました。全文紹介します。筆者は中村薫・同朋大大学院教授です。

 
  「自分に満足できないから、
  
相手の幸せが耐えられない。」 仲野良俊
  人間は他と比較して幸せや不幸を感じている。あの人より幸せだ、あの人より不幸だといって周りに振り回されている。それは自分に自信がないからである。自分が満足できれば、それでよいはずである。ところが仲野良俊先生は、「自分に満足できない時、今度は他人の幸せに耐えられない」と言われる。
 ある人が、隣が立派な家を新築したら途端に、自分の家が惨めに見え、羨ましくて隣の悪口を言っていたという。
 満足の裏には不足がある。人間はどれだけ欲望が満たされれば満足できるのか。
 今我々は、知足と言うことが大事である。足を知ることである。私は私、あなたはあなた、それでよしという世界である。

 うん、自分に満足している、今の自分を知りそれを受け入れている、だからこそ、「こうしてみたい」というのが出てきてさらに機嫌良くやっていく。そういうのがいいなあ。
  自分は自分、人は人、そうわきまえられるとそれぞれの良さやステキなところを素直に納得できる。自分は自分だから、なりたい自分になっていけばいいんだねえ。

  「自分に満足できないから、相手の幸せが耐えられない。」 って言えちゃう仲野良俊さんってどんな人だろうと調べてみたら、浄土真宗のお坊さんらしいです。次のような略歴がありました。
1916(大正5)年、京都市生まれ。1939年、大谷大学文学部卒業。大谷大学講師、北海道教学研究所所長、真宗大谷派教学研究所所長などを歴任。真宗大谷派・専念寺元住職。1988(昭和63)年逝去。


猫が糖尿病に

2014-03-02 11:53:46 | 犬猫

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 幸太君が糖尿病になってしまったことが判明。
 痩せはじめて、パツパツ気味だった服がゆるくなってきた。



 もともと太り気味だったので痩せるのはよいことかしらと思ったのだけど、今まであまり食べたがらなかったのにご飯時になるとぎゃーぎゃー言いながら催促するようになったので、そろそろボケたかしらと思ったのよ。
 でも水も大量に飲んでチーも大量に出す。
 いちばんびっくりしたのがフケ。フケが出やすい子ではあるけど、2週間ぐらい前からその量が半端じゃなく出るようになってしまった。ブラッシングしながら「あらまあ、幸太さまったら別の意味で“雪猫”におなりあそばされましたわねえ」と言ってしまったぐらい。
 で、血液検査をしました。私は甲状腺機能亢進症を疑っていたんだけど、糖尿病と判明。血液中の血糖値が普通の約3倍もある。 
 私の父・母・兄は重度の糖尿病で、私は気をつけていたおかげでまぬがれていたのに、猫が……。
 アレルギー対策用のキャットフードを何種類かためしながら、量も気をつけていたのに……。
 すぐに糖尿病の療法食「w/d」にかえました。「m/d」は気にいってくれなかったわ。
 獣医さんによると「猫は経口の血糖降下剤が効かないことが多いので、インスリン注射をすぐ始めるほうがよいのでは」ということだったけど、尿にケトン体が出ていないので非常にアブナイ状態ではないこと、食餌を変えたとたんに異常な食欲と飲む水の量が以前の状態に戻り、フケもほとんどでなくなったことで、とりあえず血糖降下剤を試すことをお願いしました。
 せめて一過性糖尿病とかインスリン非依存型糖尿病であってほしい。
 ごめんね幸太君。

「なーんのためにおまえがおるんじゃ。
 ちゃんとお世話しなさい」


 ちゃんとお世話してたはずなんですがねー。
 もっともっと気をつけますです。
 しかし、犬は膀胱結石&ボケ、猫は糖尿病デスカ


松谷みよ子さんのエッセイを読んで 4

2014-03-01 12:08:51 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

 パコ・デ・ルシアが死去、享年66歳とのこと。もっとお年を召しているように思い込んでいたので、66歳ということに驚きました。パコのフラメンコギター、大好き。残念です。悲しいです。

 では、『松谷みよ子全エッセイ 2 私の風土記』(筑摩書房)から抜粋します。

●祖先からのこよなき賜物(1986・1・15 In Pocket掲載)
 福島県のある村でカヤ刈りの話を聞いたときは怖くて震えた。
 カヤ葺きの屋根を支えていくには何十年かに一遍の屋根替えから差しガヤというと仕事の繕いが必要である。
 大屋根を替える仕事は、それこそ大仕事であったから、結いが組まれたという。組んだ家からそれぞれ人手やらカヤを出しあって葺くのである。ならば、人手を出せない爺婆ふたり暮らしの家はどうなるのでしょうか、と問うてみた。すると、そういう家は結いに入れない、という返事だった。
 凍りつくような思いを味わったのは、このときである。そうだったのか。
 「古屋のもり」という昔話がある。子もたずの爺さ婆さ暮しのところへ、泥棒がやってくる。その夜、馬を喰うべとて狼もしのんでくる。そこへ雨が降ってきた。爺さと婆差は、泥棒よりも虎狼よりも、古屋のもりは恐ろしいとて歎き、さてこそ俺より恐ろしいもり殿がきたげなと狼と泥棒が逃げ出す話である。
  この、古屋のもりは、つまり古い家の雨洩りのことなのだが、福島のカヤ刈りの結いの話を聞くまで私にとっては、ああそうだろうな、雨洩りは困るものな、という程度であった。しかし他の家の屋根替えに労働力を出せない爺婆は除外されると聞いたとき、俄かにこの話は現実味を帯びて私を狼狽せしめたのである。なんとこれは老人問題ではないか……。現代の日本の、核家族化され、一人暮らしを強いられる爺婆の歎きが、聞こえてくるようであった。

 昔話の背景には何があるのか。そこまで読みとれるニンゲンになりたい。こわくても見なくちゃいけないと思いました。