ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

2回目のトランスフォーメーションゲーム体験

2007-02-20 20:50:18 | Weblog
 19日に鎌倉のマジェンタさんで2回目のトランスフォーメーションゲームを体験してきました。1回目は傍観者になってしまっていたので、参加者としてちゃんと体験したかったのです。これはよい選択でした。

 今回は参加者3人、ファシリテーター1人で、参加者3人ともが偶然にもヒーリング関係者で、各人のテーマやゲーム展開から多くの気づきをプレゼントしてもらったのです。

 前回のテーマはかなり抽象的なものだったので、今回は現実的なものにしたのですが、結局、自分の中のいちばんの根っこがフォーカスされました。それは前回のテーマの答えでもありました。

 今回は4つのレベルすべてをクリアして上がったのですが、自分一人でがんばっているときはあまり進みませんでした。ファシリテーターの力を借りたことと他の参加者が助けてくれたことで上がったのです。これには考えさせられました。

 私は、すべて自分一人でやっていかなくてはいけない、他人に頼ってはいけない、苦しさやきつさを見せてはいけない等の思いをかなり強烈にすりこまれており、自分を見せるくらいならおちゃらけて自分を笑いものにしておくほうが楽という縛りがかなり強いのです。自分を規制せずに生きていきたいとは思っているのですが、なかなかそれができにくい……。それを、力を借りられるときは素直にお願いしたほうがよい結果が出るんだよとゲームの展開が具体的に教えてくれ、私もそれを素直に受け取れました。

 また、今後は過剰な卑下や謙遜をしないこと、自分の力を認めることなどを、おちゃらけずに、自分以外の人に宣言できたことも私にとっては大きな意味がありました。おちゃらけという大きなキーワードをプレゼントしてくれた玲ちゃん、ありがとう。

 ゲーム終了後に明らかになった“隠されている強み”は「豊かさ」でした。

 各人がそれぞれ自分のゲームをしつつ、皆でゲームをやっているということにも心配りできているという気持ちのよい場を体験できたことに感謝。

 ゲームする前と終了後にオーラ写真を撮ってもらったのですが、それも自分の方向性やパワーを明確に示してくれておもしろかったです。

食べ物のびっくり2話

2007-02-09 20:51:37 | Weblog
・刺身のつまが腐らない
友人宅にスーパーでお刺身を買って持っていきました。2週間ほど後にまた行ったところ、残ったつまだけが冷蔵庫に入っており、少し乾燥した程度でほとんど変わっていなかったのです。どんな保存料を使っているのかとぞっとしました。お刺身を選ぶときは魚には結構気を遣っているのに、つまにまでは配慮していませんでした。でもねえ、まさか……という気持ち。

・トマトジュースが腐らない
 ペットボトル入りのトマトジュースの栓を開けて少量飲み、冷蔵庫に入れたまま何となくそのままにしていたら1か月以上たっていました。悪くなっているだろうなあ、もったいないことをしてしまったと反省しながら取り出して栓を開けたら、全く変化がありません。食品表示には保存料の表記はありませんが、トマトジュースってこんなものなの? 悪くなっていないことへの気持ちの悪さで、もったいないと思いましたが捨ててしまいました。

 私は食品関係の仕事もしていたため知識としてはかなりあるし、食品表示があるものは必ず読んでから購入するかどうかを決めていますが、それだけでは間に合わないのでしょうか。何を選ぶかというのは大切なことなのですが。
 あなたはどうお思いになりますか?

最近ウ~ンとうなった言葉

2007-02-03 20:56:03 | 本や言葉の紹介
 最近ウ~ンとうなった言葉を抜粋してご紹介します。

●「身体を通して時代を読む―武術的立場」(内田樹・甲野善紀 バジリコ株式会社)

内田 たとえば、修業の道の初歩の段階にいる人間が、「この先自分の前には無限の道が広がっているんだ、どんなことが起きるんだろう楽しみだなあ」という心の持ち方をする場合と、「この先どれほど努力しなければならないのだろう、ああ前途遼遠だなあ」と思う場合とでは日々の稽古の豊かさというか味わいというものがまったく違ってくると思うんです。「これだけ努力して精進したんだから、他人には負けられない、なめられちゃいけない」というふうに突張るよりは、「まだまだ未熟者ですから自分の可能性がどれだけ開花するか見当もつきません」という心の持ち方をして稽古する方がずっと愉快だし、稽古そのものも生産的になりうると思うんです。」


どんなことが起きるのかワクワクしながら日々生活していくって楽しい。一寸先はバラ色よと思って生活していくと大分違いますね。


内田 問いから答えまでの間に、考える時間が何百時間あってもいいじゃないですか。問いを頭の中に置いたまま、ご飯を食べて、お風呂に入って、仕事して、結婚して、子どもを育てて……いろんなことをして、ある日「あ、そうか!」と答えがわかる。そういうことってあるでしょう。困難な問いであればあるほど問いから答えまでのインターバルが長いんです。
 人間はある種の問いを考えたまま生きているわけですよね。いつも頭の隅に解けない問いかけが転がっていて、僕たちはその問いを答えるときの参考になりそうな情報や経験を無意識的に選択している。八十年かかるか九十年かかるかわかりませんが問い等から答えまで一番長い時間をかけた人こそが、本当の意味で活発な知的活動をした人だと言えるんじゃないかと僕は思うんです。



 だいぶ前、お風呂に入っているときに「問題は問題としてそのまま抱えて生きなさい」というようなメッセージをいただき、どうしてかなあとちょっと疑問に思ったのですが、答えのひとつがこれでしょう。ンもう、「充分考えたかい?」と時間差アタックで打ち込んでくるんだもん、ハイアーセルフさんたちってばオチャメさん!


●「憑霊の人間学」(鎌田東二・佐々木宏幹 青弓社)

 私は昔、自分にもいくらかなりとシャーマン的資質があると思っていた。そして、そうしたシャーマン的資質をある種の修業によって開花させ進化させることができると思っていた。そして、そうしたシャーマン的資質をある種の修業によって開花させ深化させることができると思っていた。しかし、「魔」に直面して以来、私はいっさいのそうした自力的修業を放棄した。修業や超能力の獲得にとって人格が破壊的に変容することがあるのを目のあたりにしたからである。
 そこで私は何よりもバランスと徳の大切なことを学んだ。とりわけ、ソクラテスの「無知の知」やブッダのいう「中道」の重要さに思いいたった。一部のわずかな能力を怪物的に肥大させることは、自我のいびつなインフレーションやスタグフレーションをもたらし、自他を破壊する。こうした自我の破壊的変容をくいとめるものは、「物事をありのままに見ようとする態度」と神仏や自然や他者への畏敬と感謝、そして神仏や自然や他者の恩恵以外にないと思う。
 とすれば、ゴータマ・ブッダが八正道の第一に「正見」を置いていることの意味、そして呪術を禁止したことの意味は深いといわねばならない。「正見」を徹底することは、いいかえると「自己審神」するということである。そして「自己審神」の徹底こそが、因縁カルマの網の目に気づき、大悟成道をはたして「審神」に至る道なのである。さらにまた呪術を行使しないということは、正しく世界を見、バランスをとるということである。おのれの煩悩のよってきたる根底を、無明や渇愛の立ち起こる源を正見し、ありのままに見ることは、その当の無明や渇愛のなかにいること、すなわち執着・とらわれの渦中にいることから離れることである。

 眠れるシャーマン的意識の目覚めのときには、必ずやその破壊的な負の、闇の部分も同時にあらわになるであろう。このとき徹底的な「魔」の体験、すなわち「自己審神」のプロセスが必要となるであろう。そして、「魔」をときほぐすことができるのは、「正見」する意識への果敢な勇気と存在への愛と慈悲であり、それこそが普遍思想の中核をなすものであろう。



 さすがに鎌田先生、大切なことをきちんと言ってくださいました。

 シャーマンとしてもですが、私にとって、バランスをとるということは幼いときからのとても大きな課題です。

 トランスフォーメーションゲームのときにあらわれた、そのときのグループのエンジェルもバランスでした。
 昨年末から今までにかけて特に、バランスや中庸ということについて再確認することが多かったです。ありがとうございます。 

ふう、やった!

2007-02-01 21:00:01 | Weblog
 見た目は秋冬物なのに、着るとあまり温かくない上着がありました。

 素材は絹なのですが、太い糸をざくっと織ってあるため、風が吹くとヒューと寒いのです。裏地をつければだいぶ違うのではと思い、自分でやってみることにしました。

 まず、新聞紙に上着を置いて、そで、右前身ごろ、左前身ごろ、後ろ身ごろをおおまかに型どりします。それを元に、必要な量の裏地を購入。

 裏地を広げてそれぞれの型紙を置き、縫いしろを忘れないように気をつけながら裁断。
 あとはそれぞれを縫い合わせてから、上着に縫いつけていくだけ……なのですが、結構大変でした。裁縫は苦手なんですよ~。

 中学の時の家庭科でパジャマを作った経験がとても役に立ったのにおどろきました。経験にむだはないね。

 結局5時間ほどかかって完成。いやー、裏地をつけるだけでだいぶ違います。温かく気持ちよく着られるようになりました。私にとっては快挙! うれしい。

オリジナルハッピーソング

2007-02-01 20:58:01 | Weblog
 2006年5月21日に「「生まれて死ぬまであっちゅうま 生きてるだけで丸もうけ 一寸先はバラ色よ! あ~り~が~と~う~」と書きましたが、最近は

「生きてるだけで丸もうけ、すべてはうまくいっている、一寸先はバラ色よ ありがとう」

と歌っております。特に自転車をこいでいるときに。演歌風、オペラ風、ロック風など、つまりはでたらめにメロディーをつけたり、知ってる歌のメロディーだけをお借りしたりして。

 メロディーがあまっちゃったら(こんな表現でいいのか?)、“ありがとう”のところを何回か歌ったりして。
 アホらしくって楽しくって、ようござりますよ。
 楽しくなっちゃうオリジナルソングをつくってみるのって、かなりなもんです。