ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

憲法改正案についても、ちゃんと知らなきゃ大変だ

2013-07-30 15:33:43 | お役立ち

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 「豊橋」いのちと未来を守る会」が、憲法改正案について「ちゃんと知らなきゃ大変だ」、「もっと知らなきゃ大変だ」でわかりやすくイラストで解説してくれています。
  “戦争のできる国”になっちゃうのはイヤです。
 あとんなって「国・政府の言うことに従っていたら戦争に巻き込まれた」なんてことを言いたくないです。
 だからちゃんと知りたい。あなたも知ってくれたら嬉しい。

 あたしゃのんびりと酒飲んでいろんなことをうだうだしゃべって「アホだからしょうがない」とかんべんしてもらって平和ぼけでいられることを愛してるんじゃ。
 これ以上危ない暮らしはいらんわい。原発も戦争もいらないのよぉ。


脱原発国家ドイツに学ぶ 2/2

2013-07-27 14:06:39 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 東京新聞6月13日朝刊の記事「日本のエネルギーの未来図 脱原発国家ドイツに学ぶ」からの抜粋の続きです。

 
【対談】熊谷さん×福島特別支局・井上編集委員
井上 再生可能エネルギーはあんなに金がかかるのかと批判も出ている。ドイツでも電気料金が上がっている。再生可能エネルギーに価格競争力はあるのでしょうか。
熊谷 日本の太陽光による電力の買い取り価格は高いといわれますが、ドイツでも初期には今よりも高い水準でした。しかし価格は漸減しています。料金だけを見ると、ドイツで再生可能エネルギーだけを売る販売会社の電気料金は、それ以外の電力に比べ大幅に高いとはいえない。特に水力を多く使っている会社は価格競争力がある。

井上 日本では使用済み核燃料の最終処分場が決まらないまま何十年も過ぎています。ドイツはどうですか。
熊谷 市民の半数以上が反原子力である理由の一つが、高レベル放射性廃棄物の最終処分場が決まっていないことです。
 メルケル政権は15年までに候補地の要件を決め、32年ごろまでに候補地を決定するつもりです。ただ、候補地が決まれば反対運動が強まることが予想されます。

井上 ドイツから見て(今の日本は)どうですか。

熊谷 日本人は勤勉な民族です。しかし経済的効率性を追求するあまり、もっと大事な自分の人生や健康といったものを無視してまで頑張ってしまいます。私はその姿を「木を見て森を見ない」国民性だと思います。一方ドイツ人は、自分や家族の健康と安全を第一に考える。エネルギー問題に関しても、経済的利益や効率性だけではなく、自分の健康と安全にどんなリスクがあるかを優先して考える。そんなふうに感じています。

◆参加者との質疑応答
Q=原発を停止することで電気料金が上がり企業の国際競争力が落ちるということが現実にあるのでしょうか?
A=ドイツの電力販売会社は今年1月に約10%電気料金を引き上げましたが、この原因は再生可能エネルギーに対する助成金が大幅に増えたことです。原子炉7基の停止が直接の原因ではありません。
 
Q=日本では発送電分離が取り沙汰されているが、ドイツでは?
A=大手電力会社4社のうち、3社が送電部門を完全に売却して「所有権分離」を行いました。それでも英国や北欧に比べて発送電分離が遅れました。欧州委員会は発送電の分離を促進するよう、ドイツに対し強く勧告しています。


 「木を見て森を見ない」国民性……
 安全と安心を優先しようよ。


脱原発国家ドイツに学ぶ 1/2

2013-07-25 10:45:47 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 「国益を考えたら原発は推進すべき」という説があるけど、あまりに短絡・無思慮でガックリなので、6月13日東京新聞朝刊の記事「日本のエネルギーの未来図 脱原発国家ドイツに学ぶ」から抜粋してドイツのメルケル首相の判断とドイツの先進工業国としてのやり方を紹介します。

 東日本大震災、これに続いた福島第一原発の過酷事故を教訓に、ドイツはただちに稼働中の原発のうち7基を停止し、2022年末までに17基すべての原発を廃止することを決めた。一方、日本は昨年暮れの政権交代以来、「国益」をキーワードに原発再稼働の動きが強まっているように見える。ドイツ・ミュンヘンに住んで23年になるジャーナリスト熊谷徹さんに、日本同様「ものつくり大国」であるドイツが脱原発を決断した背景について語ってもらい、福島特別支局・井上能行編集委員と原発、再生可能エネルギーについて意見交換した。

 このフォーラムは「日本のエネルギーの未来図」をテーマに、5月16日に東京都港区のドイツ文化会館で開催した。

【基調講演】ジャーナリスト・熊谷徹さん
 ドイツは福島第一原発事故からわずか4カ月で、原発廃止を決定しました。このスピードに皆さんも驚いたのではないでしょうか。
 メルケル首相は福島事故を知ると、二つの委員会から意見を聞きました。一つは原子炉安全委員会。原子力の専門家に原子炉のストレステストを命じました。もうひとつは、安全なエネルギー供給に関する倫理委員会。この委員会には哲学者、教会関係者らが名を連ね、原子力の専門家は入っていませんでした。
 安全委の鑑定書を読んでみましたが、「ドイツの原発は停電、洪水などについて福島第一原発より高い措置が講じられている」と結論付けて、「原子炉を直ちに廃止するべきだ」とは一行も書かれていませんでした。
 倫理委の提言書は、事故がハイテク大国日本で起きたことへの衝撃とともに「原子力のリスク評価は、技術者、専門家だけに任せるべきでない」とした上で、社会的、文明論的な見地からも判断が必要だと、訴えていました。メルケル首相は、この意見を尊重したのです。
 物理学者でもあり、原子力を安全に使うことは可能と考えていたメルケル首相でしたが、福島事故の後、考え方を変えて原子力批判派になりました。
 その理由の一つは物理学者としての判断であり、もうひとつは政治家としてのサバイバル本能だったのではないでしょうか。

 「私は日本ほど技術水準の高い国でも、原子力の高いリスクをコントロールできないと理解した」。原子力批判派に「転向」した彼女が6月、連邦議会で行った演説が深く印象に残っています。

 私が日本で講演を行うたびによく受ける質問があります。「ドイツは自国では原子力をやめるというが、原発で作られた電力をフランスから輸入している。矛盾ではないか」と。
 欧州では各国で、需要と供給の原則にのっとり電力をやりとり(輸出入)しています。したがってドイツはフランスからの電力に原子力が使われていることを理由に「輸入したくありません」ということはできないし、物理的に原子力と再生可能エネルギーで作られた電力を分けることは不可能です。
 7基の原発を止めたため、一時的にドイツの電力輸入量が増えましたが、通年では輸出量が輸入量を超え、2012年の輸出超過量は前年の4倍に増えました。
 ドイツでのエネルギー革命ですが、50年までに80%を再生可能エネルギーにする目標は、遅れる可能性もあると思います。しかし脱原子力、再生可能エネルギーの拡大という方針は変更されないと思います。脱原子力は、国民的な合意です。これを見直そうとする党は、選挙で負ける可能性があるのです。ドイツの政治家は経済団体よりも国民の意見を重視する傾向が
あります。
 ドイツは先進工業国としてエネルギーの消費を減らしても経済成長が可能であることを世界中に示そうとしているのです。



 「脱原子力は、国民的な合意です。これを見直そうとする党は、選挙で負ける可能性があるのです。ドイツの政治家は経済団体よりも国民の意見を重視する傾向が

あります。」
 ……基本、ドイツは国民がまともってことか、ううう

 しかし、福島第一原発の事故だけでなく、原発関連の記事を読むと、日本はとっくに「技術水準の高い国」でも「職業倫理の高い国」でもなくなってると思い知らされてしまう。


原発汚染水流出中

2013-07-24 08:23:35 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 ちょっと長くなります。

 東京電力は22日に初めて、「高濃度汚染水が地下水と混じり、海に流出している可能性が高いこと」を認めました。でも、港湾全体や港湾外の海洋には影響はないとしています。
  今回の判断に至った潮位や雨量のデータは今年1月から継続的に取っており、福島第一原発敷地内の海側にある汚染監視用の井戸で高い放射能が検出され始めたのは5月下旬から。選挙が終わるまで発表を引き延ばしてたのかい?
 以下は、MSN産経ニュースからの抜粋です。

●福島第1原発、地下水放出厳しく 汚染水の海洋流出で(7月22日)
 汚染水対策は深刻だ。原子炉建屋には1日に約400トンの地下水が入り込み、放射性物質と混ざり合い、汚染水となっている。東電は事故直後から、地上タンクに汚染水を入れて保管している。これ以外に、地下貯水槽でも保管していたが、土壌汚染が確認され地上タンクへと移っている。
 汚染水が敷地内に増え続けることは廃炉を進めるうえでのリスクで、早急な対策が必要だ。そうした対策を進めるには東電の説明が信用に足るものかどうかにかかっている。速やかな公表と説明責任が東電には求められる。(原子力取材班)

●福島第1原発、汚染水の海洋流出 肩落とす漁業関係者「説明と違う」(7月23日)
 東京電力が22日、福島第1原発の汚染水の海洋流出を初めて認めたことで、漁再開を目指す福島県内の漁業者からは「これから漁はどうなる」と悲痛な声が上がった。
 福島県漁業協同組合連合会(いわき市)野崎哲会長は「これまでの説明と違う。かなりショックだ」と言葉少なだった。
 報告を受ける直前には、いわき市沖を中心に9月に試験操業を始める計画を話し合ったばかり。いわき市漁協の矢吹正一組合長は「やっとここまでこぎ着けたのに…。情けなくなっちまう。汚染水流出は漁業者にとって命取りだ。とにかく、これ以上広げないでほしい」と肩を落とした。
 既に試験操業を始めている相馬双葉漁協(相馬市)の佐藤弘行組合長は「東電には、具体的に汚染水を止める対策を、しっかり説明してもらいたい」と語気を強めた。

 原発はいらない。
 でも今回の選挙結果で、自民党は原発推進を当たり前のように推進するだろう。それはいかんよ。そうさせないようにちゃんと目を光らせていよう。
 さて、原発周辺自治体首長は今回の選挙について、「争点が隠された選挙だ」と言っている。
 東京新聞7月23日朝刊から抜粋します。

 茨城県東海村の日本原子力発電東海第二原発の再稼働に反対する同村の村上達也村長は「原発や憲法といった本質的な争点が隠された選挙だ」と指摘。
 「東京電力福島第一原発事故という世界史的な大事故が起きたのに、日本人が路線変更できなかったことは、世界から驚きの目で見られているはずだ」と嘆いた。
 中部電力浜岡原発を抱える静岡県の川勝平太知事も「ねじれ解消や経済成長の話ばかり。原発の問題などがかすんでしまい残念だ」と語った。
 全国最多の14基の原発を抱える福井県の石塚博英知事は、長期停止で地元経済が疲弊している現状に触れ、国による雇用対策の継続を求める一方「過度に原発に頼ることのないような産業構造も必要だ」としてエネルギーの多角化も訴えた。」

 景気回復も大切。でも命の安全はもっと大切。
 安全なエネルギーを創り出すことで雇用が生まれ、経済が回っていく。それはできることだからやっていこうよ。


夕立バンザイであります

2013-07-23 15:16:42 | よもやま話

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 先ほど、10分もたたないぐらい前からゴロゴログオーンと空が鳴り、つい今しがた、ドオオーンと雷が落ちたであろう音が聞こえた。
 南西の空が暗い。
 風がいきなりひんやりしてきた。
 すぐ近くで雨が降って、雷が落ちてるはず。
 やっと「夏の夕立」が来るらしい。
 うれしい。アタシが小学校ぐらいの時の夕立の感じだ。

 


中野あしびなー、猫事情

2013-07-21 12:35:55 | よもやま話

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 先日、すごく久しぶりに中野の「あしびなー」へ。
 猫のナユタ君はどこだときょろきょろ。
 いない。でもちっちゃい猫がいる

 ナユタ君、2か月ぐらい前にふらりと出ていって帰ってこないんだそうで、でも近所で目撃はされているとのこと。
 そしたら1か月ほど前、保護された子猫が持ち込まれ、2代目ナユタになったとのこと。
 よく遊ぶ元気な子で、お店のアイドルになってました。
 先代も二代目も元気で過ごしておくれよ。


扇風機の土台に寄りかかるのが大好きなんだって。
うちの幸太君と同じ。猫ってみんなそうなのか?

 ゴーヤーチャンプルーも牛筋煮も泡盛のゴーヤー割もあいかわらず美味しかった。ありがとう。
  ご一緒してくれたMさんとじっくり話せて嬉しかった。ありがとう。


ドアにしっぽがはさまれた

2013-07-15 13:01:07 | 犬猫

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 散歩のとき、エレベーターのドアにハルのしっぽがはさまれてしまった。
 ハルはすさまじい声で叫び吠え、ドアを開けなきゃとあせる私は操作が一瞬わからなくなり、ちょっとパニック。
 ドアを開けたら何事もなく鳴きやんだのでしっぽにさわったら痛がらない。よかったあ。
 しっぽをなでさすりながらの散歩、きっと「何やってんだろ。しっぽフェチ?」と珍妙に見えただろうなあ。
 ごめんね。ほんとに無事でよかった。心臓が縮み上がったよ。


「やっぱりクソネエはクソでした。
 ボクの大切なおしっぽを……。
 ぼくはこんなにやつれてしまったのです」


「ボクが無事だったのは奇跡です。
 美しいおしっぽもこのように……あれ、なんかよけいなものが」


「悪い猫がこれみよがしに……」


「美しいしっぽをご所望なら見せてあげよう」


「もういい。いやなことは寝て忘れよう、ふう」


「自然(じねん)を生きる」から 2/2

2013-07-13 12:08:30 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 あーもう、前回自分の気持ちとして書いた部分にまったくの間違いがあったのにあとで気づいて直したんだけど、すでに百人近くのかたが読んでくださったあとだった。もうもうもう、見直さずに投稿しちゃったことにガックリ。
 誤記のままを読んだかた、???だったことでしょう。お詫びします。ごめんなさい。
 

●「第3章 日本人と浄土」 お世話され上手のすすめ
  白隠の「病床の三用心」なんですけど、本当に自分の身がままならなくなったときには三つの心得事があって、ひとつは死を思うこと。リアルに自分の死をイメージする。そのとき、わが身を思い煩わずに、わが身を人に委ねよ、という。ふたつ目が、呼吸に専念する。そして三つ目が、息を引き取ったら、朝露の一滴になってでもいいから、何かを潤すことをイメージする。
 こういう、わが身を人に任せるという覚悟は、現代人はなかなかもてません。人にお世話にならない、迷惑をかけないことが大事だと思っているわけですから。
玄侑 ほんとにそうですね。だいたい、人に迷惑をかけないで死ねると思っているのが大きな誤解ですよね。
  ええ、結局のところ、老いたときや死ぬときに他者へとわが身を任せる覚悟って、どこかでもたないといけないと思うんですよ。
玄侑 河合隼雄さんが、「依存できるということは、自立していることなんだ」という意味のことをおっしゃっていて、それはさすがだと思いましたね。
  人にわが身を委ねられる人ってなかなかいないですよね。たまにいたら、ほんとにね、惚れ惚れするんですよね。そしてスタッフにもすごく人気がある。(認知症高齢者のグループホームを運営している)一方で、人に迷惑をかけないでおこうと考える人って、すごくいい人っていうイメージがあるかもしれないですけど、意固地なんですよ。ものすごくお世話しにくい。
 お世話され上手の人って、こだわりがないんです。困ったときはお願いしますっていう感じだし、だれかがきたらワーッと歓迎するけど、帰るときには「あっ、そう」とあっさりしている。なんともいえないこだわりのなさがあるんですね。
 それを見てると、現代人には人に身を委ねる覚悟が必要だと思いますし、そのトレーニングが必要やなと思うんです。人に身を任せ、自分の握っている手を離すトレーニング。普段からやってなければ、ここいちばん、老病死のときに手が離せるはずがないじゃないですか。

 迷惑をかけないようにしようと思ってかえって迷惑をかけてしまうってこと、あるなあ。うーん、あたしゃ意固地なのねえ。すまないねえ。
 人にわが身をゆだねるなんて、こわくてできないなあ。トレーニングせにゃあかんのねえ。


●「第5章 閉じて、つながる」 理は深いところに伏流している 
玄侑 人間というものは、都市にいたらどうしても因果律的な思考になってしまいます。仏陀はもともと都市に生まれ育ちましたね? その因果律的な都市の論理を引きずって、山のなかで頑張ろうとしたのが苦行の六年間です。頑張れば頑張るほどいいことがあるに違いないと思ったけれど、やってみたらそうではなかった。以前釈さんもおっしゃってましたけど、苦行って、すればするほど、してない人への軽蔑とか、嫌な感情が起こってくるんですよね。結局、それで仏陀が戻ったのは中間なんです。


 「頑張れば頑張るほどいいことがあるに違いないと思ったけれど、やってみたらそうではなかった。」って、そうなのよ。
 「苦しめば苦しむほど、得るものもらえるものがいいものになる」って勘違いしてる人って多い気がするなあ。
 方向違いのむだな努力をしていても、それに気がつかないで「こんなに努力しているのにだれも認めてくれない」なんてひがんだり恨んだりしてるってのもよくあるん。イヤな感情が起こるんだわ。
 ほんとにねえ、苦行はするもんじゃないわ。やるなら修行ねえ。

 生きてるうちにでも息を引き取ってからでも、何かをほんの少しでも潤せたらありがたいな。そんな生き方をイメージしてみよう。それも修行になるねえ。


「自然(じねん)を生きる」から 1/2

2013-07-12 09:23:29 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 玄侑宗久さんは禅宗の臨済宗、釈徹宗さんは浄土真宗のお坊さん。この二人の対談「自然(じねん)を生きる」(玄侑宗久 釈徹宗 東京書籍)から抜粋します。 適宜改行しています。

●「第1章 システム化された現代」 中国仏教の元請である道教
玄侑 中国に仏教が来て、たとえばボーディ(菩提)が道と漢訳された。そのときにはもう中国の土着宗教である道教の洗礼を受けています。翻訳作業のなかで中国人独特の考え方が仏教にしみこむのはしょうがないことですよね。
  ゴータマ・ブッダは論理的に分析し尽くし、苦の根元を見つけてそれを滅する、というような分析手法でしたが、東アジアに来れば来るほど、直感手法といいますか、主客が出合った瞬間がいちばん純粋である、というように変わっていきますね。
玄侑 そうですね。父母未生以前の本来の面目、なんていうところまで行きます。

●「第2章 縦と横」 公安というダブルバインド
  僕は宗教が世の中と同じ価値観しかもたなかったら、宗教の果たすべき役割がほとんどないような気がしています。そういう意味では来世を説いてこそ宗教という感覚があるんです。人間は見える世界だけじゃなく、見えない世界にも支えられて生きていることを語る。そうじゃないと、生きていくのがずいぶん過酷になってしまう。たとえば子どもにしたって、学校でも家でも同じ価値観はじゃ行き場がない。全然違う世界があるからこそ人間は生きられる。そういう意味で禅の公案なんかは、わざとダブルバインドをかけて、それを打ち破る力を養うトレーニングのように見えるんですけれども。
玄侑 公案で理想とされているものは何かというと、将(おく)らず迎えずという鏡のあり方です。明鏡止水という言い方もしますが、過去に縛られない、予断に妨げられない状態で今をみるということですね。
  将(おく)らず迎えずというダブルバインドをかけてくるわけですよね、公案というのは。
 ダブルバインドという概念はグレゴリー・ベイトソンが言いだしましたが、彼曰く、それは非常に精神に悪影響を与えると。たとえば、母親が子どもに向かって「愛してるわ」と口で言いながら視線をそむけたりすると、子どもは敏感にそれを感じ取って、愛してると言うメッセージと、拒否しているメッセージとを同時に受けとる。結果、子どもの精神は分裂するというんです。
 ただ、そういう無自覚なダブルバインドはだめだけど、自覚的なダブルバインドは人を劇的に成長させることがある。殻を打ち破ることがある。その典型的な例が公案だとベイトソンは言ってます。


 今何となくイメージしている仏教って、お釈迦様が本当に言った言葉や説法からどれだけ違っているんだろう。めまいがするほど違うような気がする。
 いっそのこと、お釈迦様が生きていた時代を含む初期のおよそ150年の初期仏教(原始仏教、根本仏教)だけを仏教と呼んで、それ以外は仏教というくくりははずしちゃうほうがよくないかと時々思ったりするのよねえ。

 それはさておき、禅宗は、悟り(生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付くこと)を重んじていて、公案(禅問答)はそれをうながすもの。でも浄土真宗では、自らのはからいや行などでは浄土往生は成就しないという考えらしいです。
 浄土真宗では阿弥陀如来が立てた誓いである「自分の他の衆生を救済し続ける」という本願を他力本願といい、「邪見」や「憍慢」の心にとりつかれている悪衆生たる私たちだからこそ、阿弥陀如来の他力本願を受け、念仏を素直に喜び、いただき続けていくことで浄土へ往生しようというものらしい。
 そういう考えを基本とする浄土真宗の釈さんが、“自覚的なダブルバインドである禅の公案”は人を劇的に成長させて殻を打ち破ることがあると認めているのはなかなかすてきだなあと思いました。

 


やっと猫毛布撤去

2013-07-08 11:52:04 | 犬猫

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 暑い! むちゃくちゃ暑いのよ。
 梅雨明けの早さにびっくり、30℃超えが続くことにびっくり。
 で、昨日ようやく幸太君が毛布を離れ、床に寝ころびました。こりゃあ毛布撤去のお許しが出たに違いないってんで毛布をはずし、箱を半分の大きさにしちゃった。ああすっきりした。



 ↓ 上の状態だったのをこんなふうに変更。




 でも、薄いふとんを敷いてあるので床よりも暑いだろうに、はまりこんで寝てます。

「どこで寝てたっていいじゃないの幸せならば。
 アホネエはうざいからあっち行ってて」


 もう、冷たいんだからぁ。幸太君のハートがあったまってネエチャンにも優しくなりますように

  母が、「猫の暑いは土曜の三日」と言っていましたっけ。夏の土用の三日間ぐらいしか猫は暑さを感じないってことだそうですが、ほんとだねえといつも思います。
 ちなみに、今年の夏の土用の入りは7月19日、明けは8月6日だそうです。


今ごろカモさん3羽

2013-07-03 13:37:33 | よもやま話

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 近くの小川(?)でマガモ(たぶん)を見た。すぐそばの別所沼から遊びに来たのか?
 うーん、「きれいだなあ。美味しそう」

  あれ? 「きれいだなあ」と「美味しそう」の間には「でも」がはいるのか、「それに」か「ところで」か「つまり」か。逆接か、順接か、転換か、まとめか。どんな接続詞が適切であろうか?
  しばらく考えてしまった。
 で、ワタクシの場合いちばん適切なのは「とにかく」かもしれない。接続詞じゃない気がするが。うーん、食い意地優先。

 しかーし、きみたち、今くらいの時期だととっくにシベリアあたりに渡っているんじゃなかろうか。こっちに居着いちゃったのかい。おお、そういえばオス3羽だよね。もしかしてメスに振られてボーゼンとしているあいだに置き去りに……。イカンイカン、某人間の顔が浮かんでしまった。
  カモさんごめんよ、ろくなこと連想しなかったわ。