ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

国民の声は「やかましい」だと!?

2014-08-31 11:07:55 | まじめな話

   自民党のプロジェクトチームが、人種差別的な街宣活動「ヘイトスピーチ」規制の検討と併せて、国会周辺の大音量のデモ活動規制強化の検討を決めた。
 この件について今日8月31日の東京新聞「筆洗」が取り上げているので抜粋します。

 自民党の高市早苗政調会長が国会周辺での大音量デモの規制強化を検討したい考えを示したという。
 人種や民族の差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)の対策を検討する会合での発言だそうでヘイトスピーチと、民主主義を守る「道具」の平和的デモを同じ「悪口」と見なしているのか。
 国会周辺のデモの音によって「仕事にならない」とおっしゃるがそれは考え違いだろう。デモの声を聞き、なぜデモが発生しているのかを考えるのも、議員としての仕事、務めであるはずだ。
 デモの音を政府を批判する「騒音」としか感じないのでこういう発言になる。デモでの国民の声を「やかましい」と考え、規制を強めるのなら、こんな「おとろしい」(おそろしい)ことはない。


 デモでの国民の声を「やかましい」と考える国会議員って何様よ。
 国民は国会議員の召使いでも兵隊でもないやい。 


宮大工の棟梁・小川さんの言葉 2/2

2014-08-29 12:56:12 | 本や言葉の紹介

『棟梁~技を伝え、人を育てる』(小川三夫、聞き書き・塩野米松 文藝春秋 文春文庫にもなっています)から。

・学校や本なんかより、生活がいちばんの勉強や。
 生活の中で、しつけでも、挨拶でも、身につけるもんや。生活で身につけることは、相手を思いやることと、動きから無駄を省くことや。

・体がきついと、楽を考える。
 楽を考え出したら、終わりや。
 楽なんてないことに気がつくまで、ずっと遠回りせなならん。もしくは、楽を求めてやめてしまうことになる。

・合格点はいつも自分が納得がいく満点でなければならないのです。

・短気な人がおるが、あれは短気に扱われてきたからだと思うな。


宮大工の棟梁・小川さんの言葉 1/2

2014-08-27 07:30:51 | 本や言葉の紹介

『棟梁~技を伝え、人を育てる』(小川三夫、聞き書き・塩野米松 文藝春秋 文春文庫にもなっています)

 小川三夫さんは、日本を代表する宮大工の西岡常一棟梁の最後の弟子。
 この本、職人としての立場と棟梁としての立場の両方から語った言葉がぎっちり詰まっています。ほんの少しだけ抜粋します。

・なかなか気がつかないことやが、職業ごとに暮らし方、考え方があるもんや。

・自分で枠をはめてしまったら辛くなるだけや。それで思ったのと違うと言って出ていくんだが、おもしろさを見いだせないというのは不幸や。
 どんな仕事だってやってみれば、どこかにおもしろさがある。
 それを見つけられないと、何をやっても大変や。向こうからおもしろさや楽しさは来てくれるわけじゃないからな。それに気がつくまでは同じことを繰り返すだろうな。

・やる前に考えて、できねえと思うようなやつは、職人としてはつかえねえで。
 それでは、小さな体験からはみ出せねえってことだ。

・上手になれば、過去の自分の未熟さがわかる。
 それも上手になって始めてわかること。つまり、判断は常にそのときの自分を越えないということや。


犬のボケがかなーり進んでしまった&アニマルコミュニケーション

2014-08-23 09:19:25 | 犬猫

 ハルト、チッチだけは何とかトイレでしてくれてたのに、あっちこっちでするようになっちゃったよ。
 時刻に関係なく、すさまじい声で遠吠えするのもワンワン吠えるのも多くなってしまった。

 まだ悪化する前の6月、ハルトの状態を何とかよくしてやりたくて“アニマルコミュニケーション”をしているところを探し、S・Vというところを見つけました。ここは0夫妻がおこなっているそうで、二人でやっているからこそお互いが聞き取った内容を軌道修正できるというような説明にひかれて依頼しました。
 ところが、約束の日を1か月以上過ぎても報告書が届かない。S・Vのブログにメール事故があったことは記載されたけど、その後どうなったかの記事がなく、お客さんたちからの苦情が寄せられていました。それでもブログの更新等もされず、ほったらかしのまま。

 そしたらねー、その間にハルトのボケが進んじゃったのよ。あーあ。
 しょうがないのでほかの信頼できそうなアニマルコミュニケーターさんに連絡したところ、ばっちりでした。私が説明していなかったことを“ハルトから聞いた”といくつか言い当ててくれたので、ちゃんとハルトとコミュニケーションしてくれているのがわかり、安心して話を聞くことができました。
 ハルト、自分がぼけていることはわかっているそうな。コミュニケーションはハルトの魂とコンタクトしているから、ぼけててもちゃんとコミュニケーションできるって。
 伝えてくれる内容に、ハルトの今までを改めて振り返って涙。ときどき笑いも。
 ハルト、かなーりかっこつけてお話ししていたみたい。

 ふう、皮肉にも、S・Vが非常に無責任なことをしたおかげで信頼できるところにつながったのねえ。ありがとう。

 ハルトがしてほしいと思っていることを聞き、その通りにしてみたんだけど、行動は変わらず……。
 改善されなくてもしょうがないか。
 ま、私の中でいろいろ整理できたのでよかったよかった。
 ついでにお犬様のお部屋も変えざるをえず、整理できたからよかったよかった。
 
 ハルちゃんよ、安心しておだやかな気持ちで過ごしてちょーだいね。


猫の幸太君、回復したのはよいが

2014-08-20 08:54:33 | 犬猫

 幸太君よ、キミのおかげで肝が冷えたが涼しくないがな。

  幸太君が見つからなくて。
 幸太君が君臨しているソファがある部屋にはいない。
 台所にはいない。
 洗面所にもお風呂場にもいない。
 念のため、はいれないようにガードしてあるお客様用の部屋も見たけどいない。
 “お犬様のお部屋”を覗いてみたけどいない。
 玄関にもいない。
 押入にも戸棚にも隙間にもいない。
 ベランダにもいない。
 
 同じところを何度も何度も見て、戸棚やら引き出しやら、隙間があるところなどを何度も開けてみても見つからない。
 もしかして、5センチほど開けてた玄関ドアから抜け出したのか。

 わたしゃちょっとパニック。ほとんど1時間ジタバタしてましたがな。
 アタシとアホイヌにあいそ尽かしてエルドラドに帰っちゃったんかと思ったがな。本気で。

  「でも落ち着けー。あたしゃーアホだから必ず盲点があるはずだ」、としばし考えた。
 考えながらもあっちこっちをうろうろそわそわ。
 廊下に半分はみ出して寝ている犬のハルトを見て、お前はのんきでいいのうとプチため息。
 で、気がついた。後ろ足がよろける幸太がハルトを乗り越えて“お犬様のお部屋”に入ったとは思えなかったので、ここはざっと眺めただけだった。
 入って探索。
 いやー、みごとに隠れてた。隅っこの物陰でカーテンを隠れ蓑にしていた。
 脱力。しかしよかったよかった。

 このことであらためて気がついたのは、幸太君の足の神経麻痺がかなり回復していること。だからハルトにぶつからずに脇をすり抜けることができたのね。よかったよかった。回復おめでとう。インスリン注射のおかげ。本当によかった。

 しかし、35度もある気温なのに、なぜ暑さがかたまってよどんでるような場所を選んでひきこもってたのか……。謎だ。
 あ、ここは“お猫様のお部屋”でもあると主張なさりたかったのかしら?


暑くても騒がないのは危険?!

2014-08-17 10:00:58 | 犬猫

 「暑いぞ!」と犬が吠えるので犬用扇風機をつける。
   ↓
 しばらくしてもっと吠える。
   ↓
 犬用エアコンをつける。
   ↓
 やっと静かになる。


 去年はエアコンをせがまなかったのよ。老化が進んで体力が落ちて、暑さに我慢できなくなったんだろうか。
 このぐらいの暑さならあたしはまだまだだいじょぶだもんね。うん、まだ若いぞわたし。

 しかーし、暑いのに犬がギャンギャン吠えなくなったらもっとあぶないみたい。

  脳が老化すると、温度を認識する機能が衰えて鈍くなってしまうため、周りの温度が高くなっても自分は暑くないと感じちゃうんだって。
  高齢者(犬)は気温と体温の変化に気付けないから騒がなくなる。
 そのまま過ごしてると熱中症に。

  うん、ハルトは認知症でぼけてるけど、まだ温度認識能力は衰えてないのね。
 暑いのに静かにしてたらイエローカードだなあ。
 えっ、そうなるとワタシの温度認識能力はどっちなのか? とちょっと心がひんやり……。


今日の雨で昔の夕立を思い出したよ

2014-08-16 15:38:00 | よもやま話

 3時前ぐらいに急に暗くなり、冷たいい風が吹いてきました。どこかで降ってるなと思ったら大粒の雨が落ちてきた。
 これで今夜は涼しくなるかな。

 この夏は、夕方遅くや夜にこわいほどのカミナリ様を伴った豪雨が降ることが多かったみたい。
 思い返せば私が小学生だったころ(はいはい、すっごく昔ね)、夕立って今日ぐらいかもっともっと早い時間に降った気がするんだけど。
 小学校の夏休み、プールが午前の部と午後の部に分かれていて、「○年○組は▲日の午前(午後)」のようにスケジュールが組まれていて、午後の部が夕立で中止もしくは途中で終了のことがけっこうあったように覚えているのだけど。 

  「出かけるときは必ず窓を閉めなさい」と言われていたのに閉め忘れて、夕立が降り込んで部屋がびしょびしょになってしまって親に怒られたっけ。

 激しく降っているわけでもなく、雷が鳴っているわけでもなく、夕立っぽくない雨模様だけど、なーんかなつかしいことを思い出したよ。


昨日でよかったなあ、オーラソーマのシェアリングデイ

2014-08-10 11:41:22 | ありがとうございます

 今、激しい雨が降っています。ときどきカミナリの音も。激しく降ったり小雨になったりが続いています。
 オーラソーマの1dayシェアリングが昨日でよかった。雨がそれほどの降りじゃなかったし、風も弱かったし。ラッキーでした。

 申し込んだとき、コミュニティセンターなどで開催かなと思ったら、自宅の“ふぅるふぅる”での開催を打診されたので、ボケ犬の遠吠えやウロウロについてお話ししたら、それでも大丈夫とのこと。
 受講生が私だけだったのが、前日に急遽お一人参加ということになり、そのかたにも犬のことを説明していただいたら大丈夫とのこと。お会いしてからわかったのが、そのかたも柴犬の痴呆でかなり大変な思いをされたご経験があるということで、ハルトの行動にご理解いただけました。本当にラッキー!

 おまけに、ハルトがそんなに暴れなかったのよ! 
 いつもの、お客様がおいでくださるときの1~2時間ならまあだいじょうぶですが、朝10時過ぎから夕方6時近くまでとなるとどうなるかわからないなととても緊張していたのですが、まあなんとか。 部屋に進入しようとしたことはあったけど、吠え続けたり遠吠えしたりはいつもに比べれば少なかったし、吠えはじめたら中座して対処したらすぐおさまってくれました。
  でも、講義中に何回も中座してしまって申し訳なかったです。
 ハルトのことが気になって、言動が「ヘンなおばさん」になってしまってすみませんでした。
 狭い部屋を我慢してくださり、犬の行動と私の中座をご寛容くださった相澤美和子講師と雫理絵子さんに感謝!
  本当にありがとうございました。
 ラッキーとハッピーがたくさんの日でした。

 ハルトも一応気をつかってたみたいで、昨夜から今朝にかけてがいつもよりすさまじかったのにはがっくり。でも、それだけあんたもがんばってくれたのね、ありがとう。


『めだかの列島』

2014-08-08 12:46:43 | 本や言葉の紹介

 前回紹介した『60歳、生きかた下手でもいいじゃない』を読んで、今井美沙子さんって人間が好きなんだろうなあと思い、ほかの著書も読みたくて、デビュー作の『めだかの列島』をみつけました。
 これ、今井さんが十歳にもならない幼い日にお母さんから「美沙子、あがが大きゅうなったら、五島んおなごどんの無念さば書いてくれろ!!」と言われたり、やはり幼いときにお父さんから「戦後十年たってもパンツを着とらん子がおりましたと書いてくれろ、上んもんが嘘ば書いたらいなかけん……、これは冗談じゃなかとぞ!! 大事なことたい……」と言われたことなどが根っこになっているそうです。
 この本は1977年に筑摩書房から出版され、翌年に大宅賞の候補になりました。私が読んだのは2002年に清流出版から出たもので、筑摩書房で強力に出版をプッシュした編集者の原田奈翁雄さんが解説を書いています。その中に

 五島列島の人たちだけでなく、人間はみんな「めだかのごちゃる」存在にすぎないけれど、ひとりひとりをよく見れば、それぞれがかけがえのない一度かぎりのいのちを生きているのです。今井さんのご両親は、学校で教わる型にはまった知識としてではなく、人間としての心の豊かさやあたたかさで、十分にそのことを自覚していた。だからこそ幼い美沙子さんに向かって、くり返しこれらの人びとのことを語ってきかせたのでしょう。

 とあります。

 今井さんご両親の言動の基本のひとつにキリスト者としての信仰があるのだろうけど、私は「妙好人(みょうこうにん)」という言葉がぴったりのかたたちだなあと思いました。
 妙好人って特に浄土真宗の在俗の篤信者をさす語で、小説家の司馬遼太郎さんは、紀行文集『街道をゆく』「因幡・伯耆のみち」において妙好人に触れ、「日常の瑣末のことがらにまで仏教的な悟りに似た境地にある一般人を指す」と言い、「また同時に歴史的存在である」とも述べているそうです。
 人間の“こうありたい”姿というのは、どの宗教かは関係なく、同じようなものだなあと思います。

 『60歳、生きかた下手でもいいじゃない』も、『めだかの列島』も、読んでよかったなあ。今井美沙子さんの本、かため読みすることにしました。


『60歳、生きかた下手でもいいじゃない』

2014-08-04 10:46:58 | 本や言葉の紹介

 ノンフィクション作家の今井さんは、明治生まれでカトリック信者の父母の三女として1946年(第2次世界大戦敗戦の翌年)に長崎県五島列島の福江島で生まれました。
 『60歳、生きかた下手でもいいじゃない』(今井美沙子 岩波書店)は、
「父母がよく言っていた言葉を現在の自分の生活と重ねながらエピソードを交えて紹介したい。
 場所や時代が変わろうとも、昔の暮らしから生まれたことばは決して滅びないことを祈って……。」
という思いから書いたもの。
 でも全然かたくるしくなくて、それどころか面白いエピソードがいっぱい。
 このように生きたいなあと思う言葉もがいっぱいつまっています。
 すてきだなと思った言葉をいくつか抜粋します。

お母さんの言葉
●どうせ時間ば使ってしゃべるんじゃったら、心楽しゅうなる話ばせんばね。

●人間はさ、怒るときには心の底から怒らんばよ。それが自分のためであり、相手のためにもなるとよ。怒らんばいけんときに、ほやほやと曖昧に笑うてごまかす人間がおるばってん、かあちゃんはそげん人間は好かん。卑怯じゃっち思う。

●人が困っちょるときにさ、慰めたり、励ましたり、優しゅうすっとは簡単。また、物ば分けることも簡単たいね。じゃばってん、その反対にさ、人に良かことがあったとき、そん人と一緒になって、良かったねと心から喜んであげることは難しかとよ。言葉では良かったねとは言えるばってん、心の底から良かったねっち、なかなか思われんもんたいね。もしもさ、自分のことのごと(自分のことのように)喜び合えたらさ、そん人は本当の友だちぞ。大事にせんばよ。

●かあちゃんはひとりおっても寂しなかとよ。誰や彼や、知っちょる人どんがことば思い出して、そん人どんがために祈りよったら忙しゅうて、時間が足らんくらいたいね。ハッ、ハッ、ハッ。将来、寝たっきりになってもさ、布団の中でみんなのために祈るとたいね。それが年寄りの仕事たいね。

美沙子さんの言葉
●朝、無事に起きられたことに感謝して祈り、自分で顔を洗えたり、食事できることに感謝して祈り……と祈ることを怠らなかったら、世の中に退屈するということなどありえない。

●「何」ばするにも祈りながら」というのは、人間は弱い存在である、その弱さを大いなるものに(私の場合は神様であるが)助けられて生かされているということを日々実感することだと思う。自分を過信することなく、謙虚な心で生きていきなさいと母は言いたかったのだと思う。

お父さんの言葉
●人にほめられたらさ、それほどでもなかとよと自分に言いきかせ、人にけなされてもさ、それほどでもなかよと自分に言いきかせたらよか。自分のことは自分がわかっとるけん、いちいち、他人から言われたことに振り回されんようにせんばよ。

 (美沙子さんの言葉) 私は調子乗りの性格で、ほめられると天にも昇るような人間である。それがわかっていたので、父は特に私に念を押したのだろうと、今さらのように思う。