ノンフィクション作家の今井さんは、明治生まれでカトリック信者の父母の三女として1946年(第2次世界大戦敗戦の翌年)に長崎県五島列島の福江島で生まれました。
『60歳、生きかた下手でもいいじゃない』(今井美沙子 岩波書店)は、
「父母がよく言っていた言葉を現在の自分の生活と重ねながらエピソードを交えて紹介したい。
場所や時代が変わろうとも、昔の暮らしから生まれたことばは決して滅びないことを祈って……。」
という思いから書いたもの。
でも全然かたくるしくなくて、それどころか面白いエピソードがいっぱい。
このように生きたいなあと思う言葉もがいっぱいつまっています。
すてきだなと思った言葉をいくつか抜粋します。
お母さんの言葉
●どうせ時間ば使ってしゃべるんじゃったら、心楽しゅうなる話ばせんばね。
●人間はさ、怒るときには心の底から怒らんばよ。それが自分のためであり、相手のためにもなるとよ。怒らんばいけんときに、ほやほやと曖昧に笑うてごまかす人間がおるばってん、かあちゃんはそげん人間は好かん。卑怯じゃっち思う。
●人が困っちょるときにさ、慰めたり、励ましたり、優しゅうすっとは簡単。また、物ば分けることも簡単たいね。じゃばってん、その反対にさ、人に良かことがあったとき、そん人と一緒になって、良かったねと心から喜んであげることは難しかとよ。言葉では良かったねとは言えるばってん、心の底から良かったねっち、なかなか思われんもんたいね。もしもさ、自分のことのごと(自分のことのように)喜び合えたらさ、そん人は本当の友だちぞ。大事にせんばよ。
●かあちゃんはひとりおっても寂しなかとよ。誰や彼や、知っちょる人どんがことば思い出して、そん人どんがために祈りよったら忙しゅうて、時間が足らんくらいたいね。ハッ、ハッ、ハッ。将来、寝たっきりになってもさ、布団の中でみんなのために祈るとたいね。それが年寄りの仕事たいね。
美沙子さんの言葉
●朝、無事に起きられたことに感謝して祈り、自分で顔を洗えたり、食事できることに感謝して祈り……と祈ることを怠らなかったら、世の中に退屈するということなどありえない。
●「何」ばするにも祈りながら」というのは、人間は弱い存在である、その弱さを大いなるものに(私の場合は神様であるが)助けられて生かされているということを日々実感することだと思う。自分を過信することなく、謙虚な心で生きていきなさいと母は言いたかったのだと思う。
お父さんの言葉
●人にほめられたらさ、それほどでもなかとよと自分に言いきかせ、人にけなされてもさ、それほどでもなかよと自分に言いきかせたらよか。自分のことは自分がわかっとるけん、いちいち、他人から言われたことに振り回されんようにせんばよ。
(美沙子さんの言葉) 私は調子乗りの性格で、ほめられると天にも昇るような人間である。それがわかっていたので、父は特に私に念を押したのだろうと、今さらのように思う。