ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

やっぱり日本酒、やっぱりクソネコ

2011-10-30 18:24:50 | おいしい

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 最近知った近所のおそばやの那須家さん、日本酒の品揃えがいいんだ! 
 つまみも工夫してる。洋風の素材にはびっくりするくらいさりげないふうに手をかけて「和」の味、「日本酒に合う味」にしている。
 もちろんおそばもおいしい。小盛りがあるので、お酒のあとにもいい。でも、小盛りでも盛りがよすぎて私にゃちとつれえぐらいだ。

 で、昨夜はK氏を拉致してお店に直行。
 その後2軒ほどはしご。
 スナックで「座頭市」を3,4回歌ってたそうな。
 どうりで今朝起きたときにのどがちょっと痛かったわけだ。
 じゃあのどをうるおさなければイカンってことで森田商店さんへ。今日は「真野鶴 純米原酒ひやおろし」(尾畑酒造 新潟県佐渡市)。
 うまいよ!!!

 ワタシ負けない! お酒になんか負けない! がんばる!

 と言ってる時点で人生負けてるような……と言われそうだ。

 わーははは わーははは ほっといてくれ。

今日のつまみは、ししゃも、ピータン、ブロッコリー、くるみ、塩。うふ。
で、このパソコンを立ち上げてるすきに、猫にししゃもを1匹かっさらわれた。
クソネコを取り押さえられなかったのが無念であーる。


望都さんが朝日新聞で発言

2011-10-28 15:11:04 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 萩尾望都さんが今日(10月28日)の朝日新聞朝刊「耕論」の「放射能汚染を物語る」で発言している。
 読めてよかった!
 朝日新聞の前ふりには『「社会問題」と距離をとり続けてきた2人の創作家が3・11後、原発事故と正面から向き合う作品を相次いで発表した。何が彼女たちを突き動かしたのか。』とある。望都さんが社会問題と距離をとり続けてきたとは、私は思わないが。

  それはさておき、私には要約しにくいので、全文読んでみてね。
 へエーおもしろい発想だなあと思ったのは次の発言でした。
 「プルトニウムの歴史を調べ、この危険な人造の物質を人類がいかに愛し、固執してきたか、ということを実感しました。核兵器の材料になるし、夢のエネルギー源にもなりうる。こんなに求められる物質って、人々の目にはマリリン・モンローやレディー・ガガのような男性を悩殺する美女に見えているのかなあ、と思ったんです。」
 
 もう一人は、「原子力は人間の手に余る」ということを自分にできるやりかたでどうしても訴えたかったので、「神様、2011」を発表したという、理系出身の作家の川上洋美さん。
 ちょっとだけですが発言をご紹介します。青い字地が原文です。

「(地球ができたあと、長い年月をかけて放射性物質が自然崩壊して減ったために複雑な生命が住める環境がようやく整った)
 せっかく放射能が少ない環境になったのに、なぜ今になって残りわずかな「ウラン235」という放射性物質をかき集めて核分裂させ、さらには自然界に存在しなかったプルトニウムという放射性物質をつくり出すのか。

 人間もいつかは種としての終わりを迎える。放射性物質の利用は、自分たちの手でわざわざ終わりを早める可能性を広げる行為ではないか。
 原爆も原発も原理は同じ。今回の事故でも、広島の原爆の168倍もの放射性セシウムがまき散らされた。

 人類って大したものじゃない。技術力は高くて核兵器や原発をいっぱいつくったけど、それを制御する力はない。そうした面では非常に絶望的です。
 でも、生物としてみれば「生きているだけですごい」と思います。日常がどんなに変わってしまったとしても、生の本質を味わう自由なのびのびとしたひととき、生きているよろこびはありますし、それを手放すことは決してしたくない。そう思っています。

 
 同感です。


知事の発言記事でビックリじゃ

2011-10-27 14:20:02 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 10月20日のブログ『原発関連で「?」なこと その2 なぜ広まらなかったか』で、
海渡雄一弁護士の「今までの基準を見直して安全点検したうえでなければOKを出せないと明言している知事もいる。各地域でそういう知事を支えてがんばることがかなり効果的です。」という発言をご紹介しました。

 そしたら10月26日の朝日新聞「耕論」ページの「原発と自治体とカネ」という記事に、3人の知事の言い分が載りました。抜粋してご紹介します。青い字が原文です。
~~~~~~~
★村上達也さん 茨城県東海村長
(東海村の日本原子力発電東海第二原発も、津波があと70センチ高ければすべての冷却機能が失われていたかもしれない。それがあったから原発相に「選択肢として東海第二の廃炉ということも考えるべきではないかと問題提起した)
 「原発がなくなったら村民の雇用をどうするのか」「村の財政をどう維持するのか」という議論も村内にはあります。しかし、原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を1基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円のカネが入る。その金がなくなると、また「原子炉を誘致せよ」という話になる。尋常な姿ではありません。
(東海村の人口の3分の1は原子力事業所と関わりを持っている。原子力関連からの財源は一般会計の3分の1にあたる。まさに「原子力の村」)
(現在村では原子力に関する科学・技術や人材を総合的に集積する「原子力センター構想」を策定中。「脱原発」の場合も、廃炉や放射性廃棄物の処理、原発事故の環境修復などさまざまな技術や人材が必要になるので、そのための基盤研究、人材育成を担う構想)
 福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢にすぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです。

★西原茂樹さん 静岡県牧之原市長
(牧之原市では、静岡県のトップ企業である自動車のスズキの工場や関連する企業が多くあり、市税の1割強はスズキに負っている。
 しかし隣接する御前崎市には浜岡原発があり、スズキの工場まで11キロの距離。スズキの会長に「万一のときは車をつくれなくなるのでリスク分散のために工場の半分ぐらいを別の場所に移さなければならない」と告げられたとき、「エネルギーを必要とする産業化にとっても、原発はリスクなのだ」と気づいた。他の大手企業にも聞いたら半分以上が移転や機能分散を示唆。実際にそうなったら大きな痛手を受ける。)
  市民に意識調査をしたところ、「浜岡原発は止めたままのほうがいい」という人が約6割を占めました。それを受けて市議会は9月に「永久停止すべきだ」との決議をしました。原発周辺の自治体の一つがそう主張する限り、浜岡原発の再稼働は難しいはず。「永久停止」は、企業をここに引き留めるための切り札です。
 これまでの
(原発関連の)交付金の総額は66億円。おかげで文化施設などの整備ができたのは事実です。でも、私たちは福島の原発事故を見てしまった。あのような事態を覚悟してまで原発を受け入れたのではありません。財産を手放し、健康を脅かされて故郷を離れる。そんなこと、あってはならないんです。
 東海地震が30年以内に起きる確率は87%と言われています。それでもまだ、未来を原発に託すのか。原発の恩恵には感謝しつつも、「次」へ進まなければなりません。地域の安全を基本に据え、新たな産業をつくりだすことを考えるべきだと考えています。

★河瀬一治さん福井県敦賀市長
  敦賀市は原子力と「共存共栄」してきた街です。原発には確かにリスクがある。けど、我々は一定のリスクを背負った分、経済的なメリットを受けるという選択をしています。
(市内には日本原子力発電の敦賀1,3号機、日本原子力研究開発機構の「もんじゅ」、解体中の「ふげん」がある。敦賀市は全歳入の14%が電力関係でまかなわれている。市民には電源三法の金を使ったサービスが喜ばれている。原発が地域の雇用の柱、人口約6万9千人のうちの1万人の生活を支えられる産業は原発以外にない)
  敦賀市では敦賀3、4号機の増設も求めています。「原発マネー」への依存体質になっているって? 私はそうは思いません。他の都市でも工場がなくなったら、別の工場を誘致してくるでしょう。私たちは原発という「地域産業」を誘致しているのです。そして、その成果として、交付金145億円をありがたく受け取るのです。
 敦賀市長としては原発は敦賀に必要だと言い続けます。福島の事故後、市民から「原発をより安全なものにして下さいね」という声は聞きます。けど、「原発要らないよ」「3、4号機なんて必要ない」との声は聞いていません。これが敦賀の現状なのです。
~~~~~~~

 読んでみて、?マークがぽこぽこでてきてしまった発言があったよ。議員や長を選ぶのって、本当に重要なことなんだよねえ。

  ン、もう、うーんとくだらなくっておもしれえことや笑っちゃうようなことをたっくさん書きたいのに、いま違うほうの話題ばかりになっちゃって我ながらつまらん。すんません。
 お詫びに、うちのこじゃないけど、かわいい犬さんの写真をどうぞ。

車に引きずられてるのかと思った!


安眠中でした。


「んー、じゃま」ですと。ごめんごめん。


イチゴは木になるのだ わはは

2011-10-23 11:00:10 | おもしろ

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 まんまるいイチゴが木になってるのをみつけちゃったよ。ちゃんと食べられるんだよ。花と実が一緒に見られるよ。

 

 これ、「イチゴノキ(イチゴの木)」という名前の木。
 調べてみたら、「イチゴノキは本来、樹高が5~10mになる高木。秋から冬にかけて、白や薄桃色の壷のような形をした花を咲かせ、同時期に果実も熟すので、花と果実を同時に楽しむことができる。果実はヤマモモに似た赤い果実で、甘味が少なく、生食よりも加工用に適している」そうな。
 お世話になっている歯医者さんの建物の入り口でみつけました。かわいくっておいしいなんて、まあなんていい木だこと。

 これはご近所で見つけたアメジストセージ。花の色が濃い紫で株が大きくて立派。メキシカンブッシュセージとも言いますね。花がベルベットみたいなので、ベルベットセージとも言われているみたい。

 うちの白花のシュウメイギク(秋明菊)。
 菊って名前だけどどうにも菊には見えないなあと調べてみたら、アネモネの仲間なんですって。「キンポウゲ科の植物の一種。別名キブネギク(貴船菊)。花びらに見える部分は実は萼(がく)が変化したもの」だそうです。
 花屋さんで一目惚れしてしまった。葉っぱもかわいいなあ。

 玄関に花を飾っているのですが、びっくりしたことに1週間ももたない。
4日ぐらいたつと疲れてる。
 前の家のときは1か月ぐらい元気に咲き続けてくれて、そろそろ違う花を飾りたいと思ってもなかなかそうはいかなかったので、あまりの違いに驚きました。
 どうやら地磁気と関係があるようです。自分のからだにもいろいろ変化がありました。かなりおもしろい!

 悪影響を受けない対策をしているので、これからどのようになるかが楽しみです。
 家や空間も成長するのよ! おもしろいねえ。


原発関連で「?」なこと その2 なぜ広まらなかったか

2011-10-20 10:07:26 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

●原発の危険性や問題点についてなぜ広まらなかったか 

 ちょっと調べただけでも、“3.11”以前に、原発や原子力についての啓蒙書や警告書、体験談などがけっこう出版されてるのがわかりました。
 でも、日常で目につくことってなかったよ。
 私は編集のほうの仕事の関係と自分の興味から広瀬隆さんなどの著作を読んだりしていたので、けっこう注意していたはずなんですが。
 で、思ったのは、なんで知られていなかったんだろうということ。
  これへの回答も「くらしと教育をつなぐWe 174号」(フェミックス)の海渡雄一弁護士へのインタビュー記事「司法は原発を止められるか――市民と科学者が共に取り組む原発訴訟」に見つけたので、抜粋してご紹介します。

~~~~~~~~
(質問 そもそも日本のメディアはなぜ反原発や脱原発の情報を取り上げないのでしょう。)
 非常にはっきりしているのは、少なくとも3・11事故が起きる前は、大手のマスコミは原子力について批判的なことを書くのに大きなハードルがあったということです。それはコマーシャルのスポンサーの問題です。
 電力会社はすごく大きなスポンサーなので、その意向に逆らって報道することが非常に難しい。新聞には小さく載るかもしれないけど、原発に批判的な人はテレビにはほとんどでられない。そういう世界で僕らはずっと生きてきた。
 (大きな事故が起きたときは)原発に対して批判的な人のいることも取り上げてくれる。しばらくたつとその報道はぱたっと終わり、元の状態に戻る。その繰り返しでしたね。
 今回は特大の大波が来ているので、日本人の原子力への考え方がかなり根本的なところで変わったのではないかと思いますが。

 日本は原発を動かしている国々のなかでもとびきり危険な国なんですよね。これほど巨大な地震が頻繁に起きるところはないんですよ。原発を建てるのにもっとも適さないところに原発をこれだけたくさん建ててしまった。
 原発の耐震性のための研究に対してものすごくたくさんの研究費がでて、地震学者の多くがそれで食べていけるということになってしまった。だから地震学者としてみればむしろ主流であって異端でもなんでもない石橋先生
(地震学者の石橋克彦)のような方が異端みたいになって、「原発はつくるべきでない」ということを他の学者は言えないようなかたちになってしまっていた。

 結局、日本社会は何か重大な事故があるちょっとの間はものを考える訳ですよ、しかしそれは長続きしない。
 僕が原発反対運動に関わってからでも何度かあって、(中略)そのたびに僕らも一生懸命できるだけのことをやって、何かしらそこで制度も変わったりするんです。
 いくつかの改革がなされるんだけど、結局のところは、原子力を推進する勢力の強さの前に敗れていってしまう。最近はあまり大きな事故も起きていなかったので、どんどんどんどん推進派の側が強くなってしまっていた。
~~~~~~~~

 テレビとの関係は、タレントの山本太郎さんの発言(「原発関連の発言が原因で、予定されていたドラマの仕事を降板することになった」)でけっこう知られるようになったみたいですね。

 「日本社会は何か重大な事故があるちょっとの間はものを考える訳ですよ、しかしそれは長続きしない。」という言葉には、自分個人として恥ずかしくなりました。熱しやすくさめやすい……。水に流しちゃいけないことってたくさんあるんだよ。

  さて、海渡雄一弁護士は原発を止める方法について次のように言っています。

 僕は今、原発を止めるために一番効果があると思っているのは、運転が定期検査で止まったときの対応です。再稼働のときに知事の同意が必要で、(中略)今までの基準を見直して安全点検したうえでなければOKを出せないと明言している知事もいる。各地域でそういう知事を支えてがんばることがかなり効果的です。
 もちろん国の行政だって、まともな人がまともに国の行政をやれば、いま原発を動かすということにはならないはずなのです。行政と交渉するとか、国会議員を動かすとか。国と地方自治体と裁判所、この3つのどこかで勝てばいいのだから。

 九州電力と佐賀県知事や北海道電力と北海道知事の癒着はおおやけになったけど、ほかはどうなんだろう。
 知事だけじゃないよね。市町村長、議員その他、どんなことをやっているのかちゃんと知らないと、いつのまにか何かが改悪されてたり……こわい。
  デモだけでなく、具体的にどう動くか動けるかを考えなくちゃねえ。
 うーむ、「国」、「地方自治体(簡単にいっちゃえば都道府県や市町村)」、「裁判所」かあ。


原発関連で「?」なこと その1 なぜ原告側が負けるのか

2011-10-19 12:13:31 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

●なぜ原発訴訟で原告側が負けるのか

 このところ、原発関係でひっかかっていたことなどについての回答のようなものにぽこぽこ遭遇しているので、そんな話をします。長くなります。ごめんなさい。

 原発訴訟ってかなりおこなわれているのに、なぜ告発した側がまず勝てないのかねえ。
 原発が危険なことはわかっているのに変だよねと思っていたら、先日発行された「くらしと教育をつなぐWe 174号」(フェミックス)のインタビュー記事「司法は原発を止められるか――市民と科学者が共に取り組む原発訴訟」で回答のひとつを見つけました。
 
  これは、1980年に弁護士登録して以来30年間一貫して原発訴訟に関わってきた海渡雄一弁護士へのインタビュー。
 原発訴訟関連を抜粋してご紹介します。

~~~~~~~~~~
 まず、日本では行政訴訟の勝訴率が非常に低い。裁判所が行政のやることは基本的に間違いがないはずだと、行政の判断を非常に重視していて、よほどのことがないかぎり行政と違った判断はしない。そういう性格を日本の司法機関が帯びていることがいちばん大きい原因だと思います。
 その背景に、行政機関と司法機関の間で人員の行き来が結構あるのです。「判検交流」と言っていますが、裁判官が検察官になる、つまり、行政事件の被告側である国の代理人の事務を行う部署に、裁判官が行くわけです。
 原発訴訟でいうと、国の代理人として被告側に座っている訟務検事が元裁判官であることが多い。そういう人がまた裁判所に戻り行政事件を審理すると当然その影響を受けますよね。
~~~~~~~~~~

 つまり、行政と司法はお仲間同士というわけ。そりゃ原告側には不利きわまりないや。

 そう思っていたら今日(10月19日)、朝日新聞の記事「原発と司法」で、弁護士、元裁判官、法学博士からの発言がありました。これもひとつの回答でした。抜粋してご紹介します。

 おっとその前に、行政訴訟についての説明を。

 行政訴訟とは、国の機関や地方自治体などの行政官庁の行った行為(公権力の行使)の適法性についてを争い、その取り消しや変更などを住民などが原告となって求める訴訟のこと。裁判によって違法な行政作用を是正して国民の権利・利益の救済を図り、あるいは行政の適法性を確保するためのもの。
主観訴訟(個人的な権利利益の保護を目的とする訴訟)と客観訴訟(非個人的な法秩序の適正維持を目的とする訴訟) の2種類に分類される。
だそうです。では記事のご紹介です。

~~~~~~~~~~
★河合弘之さん(脱原発弁護団全国連絡会代表)
  原発訴訟は、大変苦しい闘いです。膨大な時間と労力をかけているのに、「やってもやっても負ける」からです。屈辱と徒労感ばかりでした。
 日本の経済社会の半分以上は、何らかの形で電力会社を頂点とする原子力利権構造に組み込まれている。私はそう考えています。だから、訴訟で多くの企業を敵に回す。(他の問題で応援してくれた企業も、反原発と言ったとたん依頼が途絶えた)「国策に盾突く危険な人」と見られたのです。
 それでも原発訴訟を続けたのは、市民運動やデモだけでは、社会から無視されるからです。
 訴訟を起こせば、提訴や判決、主要な証人の尋問のときは、メディアも報道します。裁判官も何らかの判決を書かねばなりません。
 しかし、電力会社などによる「原発は安全・安心」キャンペーンの広告による刷り込みの結果、裁判官たちも裁判が始まる前から「原発は安全」という前提で臨んでいました。
 また、「原発のように国の大きな政策に関わる判断は、裁判所の仕事ではない」といった消極的な姿勢も感じられました。
 ところが、「3・11」の後、そうした裁判所の姿勢も変わりつつあります。
 福島第一原発事故を見て、原発の問題が裁判官にとって身近な問題になりました。裁判官の判断もこれまでとは変わるでしょう。

★海保寛さん(元裁判官 大阪地裁判事のときに高浜原発訴訟を担当し、1993年に原告敗訴の判決を言い渡した 現在は宮崎市で弁護士を開業)
  原発訴訟をめぐっては前年に最高裁が一つの「判断基準」を示しました。
 要するに「国の審査指針は専門家が集まって作ったのだから、司法としては見逃すことができない誤りがない限り、行政庁の判断を尊重する」というないようでした。これが司法の流れを主導していくと考えました。下級審は最高裁の判断に影響されます。私もそれを前提に判決を書きました。
 とはいえ、すべてを「専門家」の判断に任せるわけには行きません。機器や検査態勢の不備には、かなり踏み込んだつもりです。
 当時、合議を尽くした判決です。しかし福島の事故が起きてしまった今、私個人としては原発の危険性について、もう少し、しっかりした認識を持つべきだったと思います。そして司法全体が安全性について踏み込んだ判断を積み重ねていたならば、審査指針が改善されたかもしれない。そして、今回の事故を防げぐことができたのではないか。そんな思いがあります。

★櫻井敬子さん(学習院大学教授 法学博士)
  原発訴訟の多くは行政訴訟の形を取っていますが、ほとんど原告敗訴となっています。行政訴訟は歴史的に行政側に有利に作られており、国家の秩序維持に寄与する仕組みの一つです。
 (行政事件の扱いは)裁判所が事件として受け付けない「却下」(門前払い)が民事訴訟に比べると格段い多いのです。裁判になっても行政側に幅広い裁量権が認められ、「裁量権に逸脱・濫用がない」として請求棄却されることが多い。
 なかでも原発訴訟は国策に関わるので、国は総力をあげて争います。国側には多数の訴訟代理人がつき、経済産業省などが全面的に協力するのに対し、原告側は住民とボランティアの弁護士が中心。対等な闘いになりません。しかも、国側の訴訟代理人には裁判所から法務省に出向している「訴訟検事」が含まれます。裁判官と国側の代理人の出自が同じなので、原告は法廷で孤立しがちです。
  原発訴訟で特に問題になるのは、先端的科学技術に関する判断が求められることです。裁判官の多くは文系人間。原子炉の詳しいことはわからないので、行政の裁量を理由に、実質的な判断から逃げる傾向が強くなります。
 今の司法に、原発を止めるような「元気な裁判官」の出現を期待するのは難しいでしょう。
~~~~~~~~~~

 うーんやっぱり、行政訴訟って「裁判によって違法な行政作用を是正して国民の権利・利益の救済を図り、あるいは行政の適法性を確保するためのもの」じゃないのね、実際は!
 


発電と送電の分離 その2

2011-10-19 10:23:55 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

●朝日新聞の記事から

 で、朝日新聞のPPSについての記事からかいつまんでご紹介します。
~~~~~~~~
  新潟市のコンサルティング会社が企業の電気代節約のためにPPSへの切り替えを進めると、電力会社がただでイベントをしてくれるからとか、社長のつきあいがあるとかで断られ、有形無形の圧力を受けていると悔しがる。
 PPSは全国に四十数社あるが、経営が成り立っているのは半分ほど。
 電力会社は、電気工事、通信、不動産など、多くのグループ企業をかかえ、持ちつ持たれつの関係を隅々まで築き、PPSの前に立ちはだかる。
  原発事故を受け、変化の兆しもある。東京都立川市の市営立川競輪場がPPSにかえたところ、電気代が前年度より3割減った。市公営競技事業部の高橋博さんは驚く。「契約変更だけで、ここまで違うのか」。もっとも、多くの自治体は、しがらみから離れられないでいる。

 発電から送電、配電まで一貫した独占的な供給が、電力会社の力の源だ。一方で国から競争を求められてもいる。電力会社幹部はいう。「PPSは生かさず、殺さずがいい」
 
  政治からくらしまで深く入り込んだしがらみをはらい、電力改革にふみ出せるのか。市民オンブズ事務局長の新海聡弁護士は思う。
「まず身近な自治体でエネルギー政策を議論してほしい。そうすれば、政策や電力の支配構造も理解しやすくなる。問題は一直線には解決しないが、少しずつあぶり出されるはずだ」
~~~~~~~~

  いやァ、「発電と送電をわけたほうがいい」ということが言われたけど、どういう意味かよくわからなかったんですわ。でも、これでよくわかった。私も分離に賛成。IPPとPPSの利用に賛成。


発電と送電の分離 その1

2011-10-17 21:26:22 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

●IPPとPPS

 「福島原発メルトダウン」(広瀬隆 朝日新書 2011年5月30日発行)をまた読み返していて、
IPP(Independent Power Producer)と呼ばれる独立系発電事業者の電力をフルに活用すれば、日本は将来にわたって、停電など百パーセント起こり得ないのです
というところが気になりました。そのあとをいくつかピックアップしてご紹介します。

 1997年12月の「電気事業審議会基本政策部会」中間報告によれば、(中略)将来に制度を改革すれば、潜在的参入規模は3800万~5200万キロワットに達する見込みである、と述べているのです。
  この制度改革とは、電力会社が握って、他の発電業者を排除する嫌がらせに使っている送電線の独占をやめさせることだけです。発電と送電の事業を分離し、送電線は国家が「国民のために」管理するべきなのです。
 自由に発電できる業者が最大5200万キロワットあるなら、全国の原発5000万キロワットは即刻廃絶しても、まったく問題ないことに気づきませんか?

  日本に原発は、まったく必要ないのです。
 日本人の生活と企業に必要なのは、原発でも放射能でもなく、電気なのです。原発ばかりを宣伝して国民の生活を脅かし、テレビ界を支配して、なおかつ政治家の腐敗、官僚の腐敗をはびこらせる電力会社に頼らずに、電気が使えるようになるなら、それほど好ましいことはないと思いませんか?

 そもそも、真夏の日中に起こる、本の一時的な大量のピーク電力需要をまかなうことを目的として、原発の建設を進めたり、その運転を続けたりすること自体が、不条理きわまりない話です。
 ピーク時の電気代を高くするように時間別の電力料金制度を設定すれば、企業はコストにめざといので電力節約に走り、電力の消費量さえ簡単に下げることができるのです。
 また、すぐれた発電法はほかにいくらでもあります。発電所や発電設備はできるだけ分散し、安全で小型なものに向かうべきであって、そのために必要なのは、電力会社が独占してきた電力の完全自由化と、送電線の分離であると、日本全土が声をあげるべき時期です。

 かなり気になっていたら、翌日(10月15日)の朝日新聞「電力支配 下」にPPS(新規の電気事業者)のことが載りました。タイミング良すぎてびっくり。 

★IPP(発電事業者 Independent Power Producer)とは、余剰電力を電力会社に卸売りする事業または事業者のこと。
 自社の電力需要を補うためや停電に備えるために自家発電設備でつくった電力のうちの余剰電力を売る。卸電力事業とも呼ばれる。
  首相だった菅氏が言っていた「埋蔵電力」はIPPのこと。
★PPS(特定規模電気事業者 Power Producer and Supplier)とは、一般電気事業者(○○電力などの電力会社)以外で、電力を売る事業または事業者のこと。
 自分の発電所で発電したり、工場などの余剰電力を買ったりした電力を、電力会社より安価で大口需要家に供給する。電力の供給は、電力会社が有する電線路を通じて行われる。
 日本では、1995年の電気事業法改正により電力供給等についての競争原理が導入され、電力会社だけでなくPPSによる供給も可能となり、複数の電気事業者が誕生。しかし、経産省・資源エネルギー庁の電力調査統計によると、4月の発電実績のうちPPSによる電力量は全体のわずか1%で、小売自由化部門の販売電力量のシェアでも3%止まり。
 その大きな理由は、電力会社がPPSと競争になった場合、採算を半ば度外視した価格設定で契約を押さえにかかったり、電力調達の場である日本卸電力取引所(JEPX)や送電線の利用を制限することなどによる。


白い上着を染めたら

2011-10-15 10:53:41 | びっくり

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

  数回しか着ていない上着、白がねえ、黄ばんできた感じで、ところどころしみもあるような感じになっちゃった。
 染めて着よう。
 で、浦和のユザワヤへ。水で染められるダイロンコールドカラーにしようと思って注意書きを見たら、コールドだと化学繊維は染まらない。素材はたしか麻だったから大丈夫のはず。だめだったらやり直せばいいや。

 説明書通りにゴム手袋をはめて染めを開始。
 おお、みごとに染まる。なんか、ちょっとしたカケに勝った感じでいい気分。

 が、色がかなーり濃い。思った以上に濃い。蛍光色みたいな感じさえする。
 染色するのに選色を間違えちゃったのか?
 でも染まっちゃったもんはしょうがない。
 濡れてると色が濃く見えるから、乾いたら少しは落ち着くんじゃないかと期待した。

 

 ガッビーン、ほとんどかわらん。
 
 ま、着ているうちに色あせして、いい感じになるかも。
 うーん、その前に、着る気になるか?


「いのちと放射能」を読んで その2

2011-10-14 17:18:05 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 ほんの少しですが原文をご紹介します。

 私たちは宇宙的な時間のスケールでものごとを考えなければなりません。
 おそらく、私たちの子孫はもっとよいエネルギー源を見つけるでしょう。
 けれども、それがいつになるのかわからないのですから、かれらが資源の枯渇や環境の汚染で困らないようにしておくことが、前の時代を生きるものとして、当然わきまえるべきことではないでしょうか。

 私たちはあまりに無神経にエネルギーを浪費していないでしょうか。
 生活の質を落としても、エネルギーを節約しようではありませんか。

 それでもなお原子力発電は必要なのでしょうか。

  目覚めようではありませんか!
 地球と生命を守るのはわれわれ庶民なのです!
 子孫に美しい地球を残すために世界の人々と手を取り合って、ひとりひとりが自覚して行動する勇気をもとうではありませんか。


 8月12日のブログで、「七世代にわたっておよぼすことになる影響」という言葉をご紹介しました。原子力のことを知るほどに、この言葉と、「自然は子孫から借りているもの」という言葉の重さに思いいたります。

 

 

 原発についてはこれからも話題にしていきます。自覚して行動するひとつとして。


「いのちと放射能」を読んで その1

2011-10-12 14:30:44 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
             (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 「いのちと放射能」(柳澤桂子 ちくま文庫)は、生命科学を研究してきた柳澤さんが、1986年4月のチェルノブイリ原発事故をきっかけに『「放射能は生き物にとって非常におそろしいものである」ということを一人でも多くの人に理解してもらえるようにつとめることが自分の責務である』と思って書きあげたものです。
 柳澤さんは、「放射能の本当の恐ろしさは、突然変異の蓄積にあると思います。原子爆弾や原子力発電の事故によって、地球が壊滅してしまわない限り地球は汚染され、すべての生物において突然変異の蓄積が進みます。その結果、何が起こるのかということを予想するのは難しいでしょう。」と言っています。
 これは1988年11月に地湧社から刊行され、2007年にちくま文庫にはいった本なので、福島第一原発事故をむかえてしまった現在では、体内被曝や被曝量と健康被害についてなどもっと詳しい情報が流れています。でも、この本に書かれていることは基本的な情報としてわかりやすいのではないかと思うので、私なりにまとめ、他で調べた補足を入れたものを記載します(緑色の文字が補足です)。
 もし記述に誤りがあれば、それは私の理解不足によるものです。ごめんなさい。ご指摘いただけたらありがたいです。

●放射線と放射能
  放射線は物質を通り抜ける強い力をもつもの。放射能は放射線を出す能力のこと。放射性物質とは放射能をもつ物質のこと。
* 懐中電灯に例えると、光が放射線、懐中電灯が放射性物質、光を出す能力が放射能にあたる。
 
  放射線には物質を突き抜ける力が異なる三種類がある。アルファー線は薄い紙一枚も突き抜けることができない。ベータ線は厚さ数ミリのアルミ板でさえぎられる。ガンマ線は数センチの鉛板でないとさえぎれない。

 放射性物質の原子は不安定な性質をもち、アルファ線やベータ線、ガンマ線などの放射線を出しながら、別の安定性の高い原子へ変化していき、最後には放射線を出さなくなる。放射能の強い物質ほど一定の時間でたくさんの原子がこわれる。
 放射性物質が放射線を出す能力(放射能)が元の半分になるまでの期間を半減期といい、例えばヨウ素131の半減期は8日、コバルト60は5年、ストロンチウムは28年、セシウム137は30年、プルトニウム239は2万4千年である。
* ウラン238は45億年。

 放射能を浴びたときに受ける影響を共通の尺度であらわしたのがシーベルトという単位で、人間が短時間で全身に放射線を浴びたときの致死量は6シーベルトとされている。
 0.25シーベルト(250ミリシーベルト)以下になると目に見える変化はあらわれないが、体内では着実に変化が起きている。
* 1シーベルト(Sv)=1000ミリシーベルト(mSv)=100万マイクロシーベルト(μSv)

●細胞一つひとつにある人間を成り立たせている情報テープ
 人間のからだは60兆個の細胞でできており、細胞一つひとつに情報テープが入っている。その情報テープは総司令部のようなもので、一つひとつの細胞の総司令部が正しく働くことで、人間として生きていける素地(例えば、二足歩行すること、手を器用に使うこと、ものを考えること、食べ物を消化してそのエネルギーを使うことなど)ができあがる。
 この情報テープは46本に別れていて、デオキシリボ核酸(DNA)という糸のような長い分子でできている。DNAの糸は2本が対になり、らせん状になっている。
 2本の糸の間をつなぐものに、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という4つの分子がある。
 人間の1つの細胞の中にあるDNAは、ATGCが30億個もつながったもの。言うなれば、DNAという情報テープは30億個の文字から成り立っている。
 人間が人間であるのは、DNAが親から子に正確に伝えられるから。父親のDNAをもつ精子と母親のDNAをもつ卵子がひとつになって子どもが誕生する。

●放射線が情報テープを傷つけてさまざまな問題を引き起こす
 微量の放射線を浴びると、細胞の中の情報テープが切れたり、ATGCによって書かれている文章に間違いがおきたりする。遺伝子に起こるこのような変化を突然変異と呼ぶ。そして、盛んに分裂している細胞ほど放射線に弱い。
 放射線によって損傷を受けた細胞が傷を持ったまま増えるといろいろな問題が起こる。
 細胞は、増殖する過程で情報テープが正確にコピーされ、新しい細胞にその情報テープが組み込まれるが、放射線によって間違いが起きると、間違いがそのままコピーされていく。
 胎児のときから成長期にかけては細胞が盛んに分裂するため、影響は深刻である。
 たとえば胎児期に放射線を浴びると、細胞分裂がうまくいかなくなって死亡したり、染色体に異常がおきて奇形が引き起こされたりする。子どもが生まれるまでに合計0.5シーベルト(500ミリシーベルト)の放射線を浴びると、突然変異が2倍になるという報告がある。
 放射線によって細胞をガン化させる情報が書き込まれると細胞がガン化して、大人でも胎児期と同様の速さで分裂をはじめる。
 いちばんこわいのは、情報テープについてしまった傷が、卵子や精子を通していつまでも子孫に伝えられてしまうことである。

●微量の放射線でも危険
 放射線による被害を防ぐために、許容量(限界線量、線量限度)が定められている。これは、それだけ浴びても安全という値ではなく、「それくらいまでは仕方ない」という値である。
* 職業人(原子力関係の仕事、放射線を扱う仕事に就いている人)人については1年間に0.05シーベルト(50ミリシーベルト)と定められていたが、2011年3月11日に起きた福島第一原発の事故に際し、この値が0.25シーベルト(250ミリシーベルト)に引き上げられた。一般人の許容量は1年間で0.001シーベルト。
* 放射線を浴びると、被曝したあとすぐに(せいぜい数週間後までに)出る急性障害と、数年、場合によっては数十年後に出る晩発性障害がある。
 急性障害は250ミリシーベルト以上浴びると出るといわれ、やけど、出血(内臓からも)、けいれん、脱毛、目の水晶体混濁、意識混濁、白血球減少、永久不妊などがある。さらに多量に浴びた場合は死に至る。
 晩発性障害としては、ガン、白血病、白内障、胎児の障害、寿命短縮、遺伝障害などがあるが、これらが発現したとしても、その原因を数十年前に浴びた放射線だと特定することは難しい。統計的に、放射線を浴びた人たちの間で、これらの障害の発生の確率が高くなるとされている。

 自然の中にも、地球の外から来る宇宙線や土や岩石などに天然の放射性物質が含まれており、私たちは絶えず1年間に0.005シーベルト(5ミリシーベルト)ほどの微量の放射線を浴びている。人間の細胞には放射線が情報テープにつけた傷を治す修復酵素があるが、それでもなお天然の放射線によって一部のガンが引き起こされていると考えられている。
 人工的な高濃度の放射線を浴びた場合、この修復酵素では間に合わない。
 生物は放射線には大変弱いのである。

●放射線に汚染されたゴミが積もっていく
  原子力を使うことによって放射線に汚染されたゴミが大量に廃棄されるが、どう処理したら安全かがわかっていない。
 1人が1年間に使う電気を原子力発電で生産するために出る放射性物質のゴミを、まあ安全というくらいまで水で薄めようとすると、100万トンの水が必要と計算されている。千年たっても1000トン、百万年たっても10トンの水が必要。
 2万4千年たっても半分しかこわれないプルトニウムをどう処理できるだろう。だれもその安全な処理方法を知らない。
 事故が起きれば放射線がもれて、事故のたびに積もっていくのだ。情報テープの傷もどんどん増え、突然変異が起こってしまう可能性も蓄積していくだろう。
 私たちは、捨てかたもわからないゴミを自分の欲望や快楽のためにどんどんつくりだして、地球を汚しているのだ。
 人間は原子力に手を出してはいけない。原子力は禁断の木の実だ。


 長くなってしまってごめんなさい。


「援助職援助論」から

2011-10-08 10:45:51 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
              (↑これをクリックするとホームページに行きます)

  2010年12月17日のブログで「援助職援助論 援助職が〈私〉を語るということ」(吉岡隆編著 明石出版)をほんの少しご紹介しました。
 また同書から“問題”についての言葉と、“鬼軍曹と強要”についての話をご紹介します。

▼▼▼▼▼▼▼▼▼
● 「問題」をもっていない人などいないし、「問題」のない家庭もないだろう。「問題」があることが問題なのではなく、「問題」に向き合わないことが問題なのだ。自分にできることを人に頼むのは依存だが、自分にできないことを人に頼むのは健康だったのだ。僕は長い間、自分にできないことでも自分で何とかしなければいけないと、ずっと思っていたことに気がついた。

● ぼくは治療の初期には「提案」ではなく、「強要」が必要だと思っている。「提案」ではミーティングに行かないからだ。ぼくはアルコール依存症や薬物依存症から回復してきた人たちに、「あなたの回復に役立ったのは、どんな援助者だったか」と尋ねたことがあった。そのときに、異口同音に聞いた答えは「鬼軍曹」だった。入院中にやりたくないことを「やれ!」と強要した援助者だったというのだ。「そういうことを言わない優しい援助者のことは記憶にない」とも語ってくれた。
 こうした話に力をもらって、ぼくは病棟で「鬼軍曹」役に徹することにした。ぼくはアルコール・薬物病棟に入院した患者さんには、いつも3つだけ質問をした。

Q1 あなたの問題は何ですか?
Q2 その問題から回復したいですか?
Q3 回復するためにはどんな行動でもしますか?

 ぼくの役割は、患者さんがやりたくないことを、やってもらうことである。援助者なら誰でも患者さんから嫌われたくはないだろう。できればいい人だと言われたい。しかし、命のかかっている病気を抱えた患者さんたちに、いい人なんかやっているわけにはゆかないのだ。人として嫌われることはいやだが、役割として嫌われることは引き受けよう、そうぼくは腹をくくった。
 (中略 相互援助グループのセミナーで「鬼軍曹にひどい目にあわされた」という話をした女性が言った最後の言葉)「くやしいけど、今はちょっぴり感謝している」
 鬼軍曹の目に涙があふれそうになった。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 “強要”については治療に関してのことなので、すべてに通じることだとは言えないでしょうが、約1年前に読んだときの私にとって大変に大きな示唆となってくれました。
 「役割」として嫌われることをおそれないこと。私も腹をくくるぞと覚悟しました。

 さて、理屈をこねて立ち止まっているより、やってみることが大きな転回点になる。気が進まないことでも、やっているうちにおもしろくなったりすることも多いよ。

 んじゃ、とりかかってみよう。