ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

今日は「大雪渓」&上映会のお知らせ

2010-04-30 18:53:52 | おいしい
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
         (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 ということで(何がだ?)、今日はもうご予約がないので早じまいして久しぶりに森田商店さんへ。2週間ぶりぐらいかな。
 今日も洋子さんからいろんなお酒を教えていただけました。
 ざる頭なので覚えていられないのがもうしわけないです。ひーん。
 
 今日は「大雪渓 特別純米 無濾過生原酒」(大雪渓酒造 長野県北安曇郡)でいきまする。
 洋子さんによると、「栓を開けてから日がたつにつれて味がのってくるお酒」とのこと。楽しみ楽しみ。
 あっ、ということは、3日で飲んじゃうのはもったいないということですな。ちびちびいこう。

 このお酒の栓が面白い。はずしやすい工夫がしてあります。
 非力な手弱女(ひりきなたおやめ って読んでね!)のアタクシでもはずしやすくて助かりました。(だれだ、手ではずせなかったらかじりとるくせにと言ってるのは! ばらすな! そのせいで歯がガタガタなんだよう


上段左から、ニンジンのマリネ、“おいしい”木綿豆腐
中段左から、韓国のり、ホタルイカ、とり皮ショウガ煮


 ワタクシ、豆腐にはちとうるさい(きゃー、偉そう)。引っ越しすると、その地域のお豆腐屋さんとお酒屋さんを調べて全部行ってました(たんなるバカです)。
 お豆腐を気にかけるって、育った家で豆腐をよく食べていたからなんだろうなあ。
 父親が、木綿豆腐を欠かすと不機嫌になるひとだったんです。朝のおみおつけにお豆腐が入ってないことはめったになく、夕飯で冬は湯豆腐か豆腐入りの鍋物、それ以外の季節は冷や奴がついていなかったら変だという食生活。
 うちはなんで木綿豆腐ばっかりなのかなあと思ってたんですけど、あるときわかりました。絹ごし豆腐ならばどんなものでもそれなりに食べられますが、木綿豆腐は味がはっきりわかるんです。
 いつも買っていたのは、もうとっくになくなってしまいましたが、埼玉県庁下にあった田口豆腐店さんの木綿豆腐でした。
 まあ、育ってきたときに食べたものがいちばん美味しく感じられる、慣れた味をおいしく感じるというわけですけどね。

 その後いろんなお豆腐を食べてみて、田口豆腐店さんのお豆腐に近いぐらいおいしいなと思ったものをスーパーマーケットで見つけたりもしましたが、つい最近知った南浦和の「白兎堂 岡豆腐店」の木綿豆腐が今のところいちばん気に入ってます。

 お豆腐はぜひ常温で食べてみてほしいです。甘味や風味がよくわかります。逆に、まずいのもよくわかります。
 お酒もそうですがお豆腐も、常温で食べると味がよくわかります。お水も、うんと冷たくするとカルキくささその他が隠れるので飲みやすくなりますよね。でも、同じお水をぬるくなってから飲むと、においがひどかったりして。

 このお豆腐を常温で食べてみて、こりゃあ地場産業と手を組もうとしている大手百貨店からの引き合いが来るよねと納得しました。
 

●さてさて、上映会にどうぞおいでください、という最後のお願いです。

 映画「犬と猫と人間と」 5月1日上映

 NPO 法人アニマル・サポート・メイトからのお知らせです。

犬も猫も人間も共に幸せに暮らしたい。
そんな世の中にするために観て欲しい映画です。
犬と猫をとおして見えてくる人間の姿
動物には関心がないというひともいるかもしれません。
でも、捨てられた命を懸命に救おうとする子どもや大人の姿から見えるのは、「いのち」への愛情です。
捨てる人たちも、動物が嫌いな訳ではありません。
そして、動物の処分を担う人たちにもまた、愛情があります。
それは私たち人間が抱えるエゴと愛。
捨てるのも人間なら、救うのもまた人間です。
映画「犬と猫と人間と」からは、知られざる多くの現実の先に、
「かわいそう」という感傷を乗り越える、ささやかな希望がみえてくるはずです。

●前売り入場券は、電話またはメールで受け付けております。下記の①~④をお知らせください。
①お名前
②ご住所
③連絡先(固定電話か携帯)
④希望枚数
連絡先:080-5686-2248 olive.npo.a.s.m@ezweb.ne.jp(野田)

ご依頼者へ郵便で入場券と振込み用紙をお送りいたしますので、受け取り後一週間以内にお振込みください。振込みが確認できない場合には、入場券があっても当日ご入場できないことがあります。

■5月1日(土) 13:30 開場 14:00 上映
■市民会館うらわ(浦和区仲町2-10-22 TEL048-822-7101)浦和駅より徒歩7 分
■前売り1000円 高校生以下700円 当日1200 円(全席自由)
※前売り状況により当日券無しの場合あり。下記のブログでチケット状況お知らせします
犬と猫と人間と@さいたまブログ http://dogscatshappy.at.webry.info/
主催:殺処分ゼロ・プロジェクト上映実行委員会
【NPO 法人ペット里親会、NPO 法人アニマル・サポート・メイト】

“非”適材適所 他山の石

2010-04-27 16:03:36 | まじめな話
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 今回はあまり気持ちのよい話題じゃないと思います。ごめんなさい。

 「適材適所」という言葉、あるお店のあるスタッフさんの言動にふれるたびに頭に浮かんじゃうんです。“非”適材適所だと無用なストレスや摩擦などが発生しがちだなあと……。
 私からするともうびっくり仰天の接客を体験させてくれるのです。
 たとえば次のような。

●「客なんか来ないほうがいい。忙しいのいやだから」「今日も昼間に客がいっぱい来て頭に来た」などとさもいやそうに発言。

●お酒を注文したら、「僕、酔っぱらいの相手するの本当に大っきらいなんですよ。やめたいですよこんな仕事」と発言。

●「○○をお願いします」と注文したら「そんなのあったっけ」との返事。何を提供しているのか、メニューをきちんと把握していません。

●「これはどんな料理ですか」と聞いたら、「僕それ食べさせてもらってないからわかりません」と言い切ったままなんの動きもなし。

●注文するために手をあげて合図したら、笑いながら手を振り返してきました。自分のファンが挨拶してきたと思ったらしいです。しかたがないのでその人のところまで行って注文を伝えました。そのあとも同じことの繰り返し。

●厨房で何か注意されると、「また怒られちゃったよ。頭来るよなー」「ちくしょ」とぼやきまくります。

●夜、奥の部屋で行われる“食の勉強会”への参加者が数人来たときのこと。
「あの人たちみんな公務員なんですよ。公務員って仕事してんですかね」、「公務員なんて仕事してないですよ」と何回も発言。

●お店の大家さんのような立場の人をいつもけなします。いちばん最近では「Kさんは公務員だけど仕事なんかしてないですよ。秋になると冬眠しちゃうんだから。仕事できるわけない」と発言。

●「酒にうるさいオヤジがいて、うんちくがやかましいんだよね」などと、ほかのスタッフのことをけなします。

●4回目ぐらいに行ったときのこと。
 夜9時オーダーストップ、10時閉店のこのお店に6時50分ごろ到着。お客さんが誰もいなかったけど、開店中の札がかかっていたし、この時間ならまだ大丈夫だろうと思って店内に入ったら、
「○○さんっていつもお店を閉めようとすると来るんですね」と言われました。
 以前は7時ごろに入店してもなにも言われなかったな、今日は早じまいなのかなと思って、「ごめんなさい」とあやまって外へ出たら、「ああ大丈夫ですよ。入ってもいいですよ」と声をかけられました。
 気持ちがいいとは思えない対応だったので再度入店する気になれず、そのまま帰ってきました。

 
 こういうのでびっくりしてるのって、もしかして私の気にしすぎ?
 もしかしてご本人はジョークのつもり?
 それとも客だと思われてないから憤懣をぶつけられてる? わっはっは。
  
 このお店は、板敷きの大きなスペースがあることと、近くにほとんどお店がないために、ランチタイムは赤ちゃんづれのおかあさんたちなどでけっこう混んでいます。このスタッフさんもお昼は忙しいのであまりよけいなことを話している暇はないようですが、夜はがらがらにすいていて暇なので、つい本音が出ちゃうみたい。
 お店としては「夜もやってます。お酒もあるのでゆっくり過ごしてください」というようなPRをしていますが、こんな対応をされて「嬉しいから、楽しいから、またぜひ行きたい」と思う人ってあまりいないんじゃないかな。
 あ、じゃあなぜ行くのかって? 前(2月15日)にも書きましたが、あまりにも変だから、とっても面白い。 
 コンセプトはいいのでもっと気持ちよくいられるお店になってほしいんだけど、いったいどんなふうになるんだろうという好奇心が頭をもたげちゃったんです。友人からは「お金払って不愉快な思いをしに行くなんて、バカじゃん」と言われてます。ほんとにバカだよあたしゃ。
 
 さて、このかたに限らず、その仕事をするのをあまり快く思っていないと、表面はにこやかに対応していても、「なんで自分がこんなことをしなくちゃいけないんだ」という本音が相手に伝わってしまうんです。
 また、仕事を自己満足でやっているだけで、自分が何をしているのかの自覚がない人は、失敗しても“ついてない”とか“相手が悪い”とかに帰着させます。
 そういう人はまず本人がつらいだろうし、客側も不愉快。店の利益にもなりません。違う部署にかわるとかするほうが、本人、客、店のためになるのではなかろうか
 4月から一人、女性スタッフが接客に入ったのでずいぶんかわるのではないかと期待しているんですけれど。
 まったくよけいなお世話ではありますが、みんなが気持ちよくなる流れになってほしいです。


ねーちゃん、人のふり見てわがふり直せだよ。
ひとさまのことを言えるかね?
その人を他山の石として自分を磨きなせえ。


へい。



極端な救済者≒ストーカー!?

2010-04-24 19:26:38 | 本や言葉の紹介
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 信田さんの著書って、読むたびに「ああそうだよね」「なるほど」と思えるところがあります。机上の空論ではなく、経験に裏打ちされているからでしょう。
「家族収容所――妻という謎」(信田さよ子 講談社)では特に次の文章が印象的でした。

●カウンセリングにやってきたある女性が、「私は共依存を『自分の欲望を他者の欲望とすりかえること』と呼んでるんです」と言った。これはみごとなヒットである。実にすぐれたわかりやすい定義ではないだろうか。

●共依存は、関係を操作する支配と言える。
 家族の中で関係操作が最もうまいのは妻だ。「お父さんがご飯を食べているから、静かにしていましょうね」と子どもをさとしたり、「あの子も反省しているのだから、怒らないで」と夫をさとしたりする。家庭における妻の役割は、ほとんどが関係操作だ。いつのまにかプロの関係操作術を身につけることになる。(中略)
関係操作しかできずにその方法で生き延びてきた女性たちは、ヒューマニズムとか愛とか献身といった、万人が共感するような原理を盾にしなければ、男(夫)よりも上位に立つことができないのだ。
 男でも、不登校で大検に合格してやっとの思いで大学を卒業したようなひとは、時として福祉を仕事に選ぼうとする。尊い仕事ではあるが、対人援助の仕事に就こうとする人たちは、ある種の弱者性をもっており、ヒューマニズムという大義名分を盾にしないと生きられないひとなのかもしれない。それはカウンセラーを生業(なりわい)にしている私にも言えることだ。

●本来、救済というのは、救ってほしいというひとがいて初めて成り立つ行為だ。(中略)
 ところが、求められてもいないのに、それどころか、「おまえなんか邪魔だ」「あっちへ行け」「うるさい」と言われているのに、「だけどね、あなたのためよ」と言って引かないひとをはたして救済者というのだろうか。そのひとがしようとしている救済というのは、いったい何なのだろう。(中略)
 ストーカーの男たちは、相手の女を救おうと思っている。相手が拒否するとひるむどころか、
「ああかわいそうに。恥ずかしがっているんだよな。ほんとは僕のことを愛しているのに、彼女はほんとのことを言えないに違いない」
と言いながらつきまとう。相手の一挙手一投足を観察し、「君のことを僕は全部知っているよ」というわけだ。(中略)
 救済者の極端な形がストーカーといえるだろう。

●殴られても別れない妻、夫をアルコール依存症から救い出そうとする妻、彼女たちのようにひどい目にあわされたひとを「共依存」と呼ぶには少し抵抗がある。そう言ったとたんに、女だけの問題となってしまうからだ。彼女たちは一方で被害者であり、とすればそこには歴然とした加害者がいるはずだ。その加害者である男の問題を取り上げなければ、何も解決しないだろう。女による女たたきは、もうたくさんだ。
 男の問題として取り上げるには、妻たちの側に被害者であるという意識が必要だ。(中略)
 自分が被害者であるということ、自分が傷ついたのだということを認めるのは、とてもつらいことだ。簡単ではない。だから多くのひとは、そこを避けてくるっと後ろを向いて、「この困ったちゃん」「ぼくちゃん、だめなんだから」という立場を夫に対してとろうとする。「あんなひどいことをした夫を私は心を広くして、許してやりました。だって夫はかわいそうな、さみしがりやの未成熟な男なんです」と。
 加害者を救うようにして許していく。許していくことで自分の価値を上げていくという、非常に屈折したマゾヒスティックな被害経験の修復を行うのだ。(中略)
 悩むことをやめて救済者に回るようなことはやめてほしい。安易な手打ちは、どうかしないでほしい。


 うん!



●お知らせ
映画「犬と猫と人間と」 浦和で5月1日上映

 NPO 法人アニマル・サポート・メイトからのお知らせです。

犬も猫も人間も共に幸せに暮らしたい。
そんな世の中にするために観て欲しい映画です。
犬と猫をとおして見えてくる人間の姿
動物には関心がないというひともいるかもしれません。
でも、捨てられた命を懸命に救おうとする子どもや大人の姿から見えるのは、「いのち」への愛情です。
捨てる人たちも、動物が嫌いな訳ではありません。
そして、動物の処分を担う人たちにもまた、愛情があります。
それは私たち人間が抱えるエゴと愛。
捨てるのも人間なら、救うのもまた人間です。
映画「犬と猫と人間と」からは、知られざる多くの現実の先に、
「かわいそう」という感傷を乗り越える、ささやかな希望がみえてくるはずです。

●前売り入場券は、電話またはメールで受け付けております。下記の①~④をお知らせください。
①お名前
②ご住所
③連絡先(固定電話か携帯)
④希望枚数
連絡先:080-5686-2248 olive.npo.a.s.m@ezweb.ne.jp(野田)

ご依頼者へ郵便で入場券と振込み用紙をお送りいたしますので、受け取り後一週間以内にお振込みください。振込みが確認できない場合には、入場券があっても当日ご入場できないことがあります。

■5月1日(土) 13:30 開場 14:00 上映
■市民会館うらわ(浦和区仲町2-10-22 TEL048-822-7101)浦和駅より徒歩7 分
■前売り1000円 高校生以下700円 当日1200 円(全席自由)
※前売り状況により当日券無しの場合あり。下記のブログでチケット状況お知らせします
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主催:殺処分ゼロ・プロジェクト上映実行委員会
【NPO 法人ペット里親会、NPO 法人アニマル・サポート・メイト】

自分内暴力はやめようね

2010-04-21 15:01:59 | まじめな話
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 「なんか苦しいので、もっと気持ちよく生きられるようになりたい」、「今までのパターンを変えたい」、そう思ってドクターショッピングするようにあっちこっちのヒーラーさんを巡り歩く。そして、「これはどんな効果があるんですか」「すぐ効きますか」などと訊きまくる。それなのに、メッセージやアドバイスをもらっても、自分が欲しい言葉じゃないと受け入れない。「すぐ効果が出ないならいらない、やらない」とうち捨てる。
 これじゃあいつまでたってもつらいままだよね。

 たとえば、どんな課題を抱えているかをアドバイスされると、「私はこれだけ努力したんだから、何年も努力したんだから、もうその課題はクリアできてるんです」と言う人がいます。でも、自分では解決したと思っているだけ。それはまわりの人もなんとなく感じているので、本人は居心地悪く感じて「これだけやっているのに認めてくれない。変だ。まわりの人が悪い」「だれかが邪魔をしている」などと思ってしまったりする。

 また、「自分が幸せになるには、まずまわりの人を幸せにしなくちゃいけない」、「まわりの人を幸せにしてあげてから自分の幸せを考えなくちゃいけない」、「自分が我慢して、苦労して、人を幸せにしてあげるのが大切」と思っている人って、びっくりするほど多い。
 そういう言葉の奥には、「人を幸せにしてやってるんだから、みんなが私を幸せにしなくちゃいけない」と思う心があったりするのに、自分は高潔な人間だからそんなことは思ってもいないと否定する。
 もっとたどっていくと、あら、「自分は世界中の人を幸せにしてから幸せになる=自分はすばらしい気持ちをもつすてきな人間なのに、みんなは私のことを大事にしない」と奥の奥のところで思ってたりする。
 
 うーん、そういうのを傲慢とか欲張りっていうんじゃないのかなあ。

 「してあげてる」と思って何かをしてもその見返りがなかったら、「私がしてあげたのに」という恨みや怒りが出てきて、ひいては相手にも敬遠されるのがおち。
 その人が考える「これが幸せということ」を相手のためにと思っておこなっても、相手が望む幸せと食い違っていることって多いんです。相手が望んでいないことを、「これが幸せということなのよ」と押しつけたらやっぱり迷惑がられますよね。自分だってそんなことをされたらいやでしょ?
 「してあげてる」って人は、はたから見てるとよけいなことして邪魔になってることが多い。それなのに、「これだけしてあげたのに」って怒って、かげでグチや悪口を言ったりしてる。

 だれかに何かできるとしたら、その人が自分を幸せにしようとしていることをお手伝いすることぐらい。そして本当にお手伝いができているんだったら上々です。

 「他人優先、自分はあと」と言っている人って、「自分内暴力」をやってることがほとんどのように見受けられるんですよ。
 あ、「自分内暴力」ってなんのことかって? 
 「家庭内暴力」って「家庭内で家族構成員が起こす、家族に対する暴力的言動や行為」ですよね。だから「自分のなかで自分が起こす、自分の心と身体に対する暴力行為」のことを「自分内暴力」って言ってるんです。すみません、私が勝手に造語して言ってるだけです。たはは。
 素直に「自虐」と言えばいいのにって? 「自虐」と言うと精神的な面のほうばかりでとらえられがちなような気がするので、あえて造語してみました。もしかしたらどなたかがすでに言っていたらごめんなさい。

 自分を後回しにしたり、過剰に卑下したり、わざわざ苦行を求めたり、つごうが悪いことに目を向けずに封印してしまったりって、自分を大切にしないこと=自分を愛さないこと=自分に対する暴力行為になってしまうことがほとんどですもん。

 人のことを気にするよりも自分のメンテナンスをしっかりして、まず自分を幸せにしてあげましょうよ。
 「自分が幸せになって日々機嫌よく暮らしていくことで、まわりの人も何となく幸せな感じをもってしまうような幸せ」をつくっていったらどうかしら。それが、「人を幸せにしていく」ことでもあると思うんですけど。

 「自分内暴力」はぜひともやめてあげてね。自分を幸せにしていくのは自分の責任ですもんね。


やかましわ。それって自分に言うて聞かせてんにゃろが。
なんぎなねーちゃんやのう。
きのうのアレが悪かったんちゃうん?



きのうのアレ……。




 へーん、あげなかったからってふてくされてんじゃないわさ。
 おいちかったよ~んだ。
 御酒は「大瀬戸特別純米酒 生原酒 無濾過」(川鶴酒造 香川県観音寺市)
「ふな口から流れ出た無垢の酒を自然に沈殿させて、上澄み部分を汲み取った酒です。濾過をしていませんが霞酒と言うほどではありません。わずかにオリがからんでいるのかなァと言う程度です。」だそうです。





  

「治りませんように」を読んで

2010-04-17 17:02:03 | 本や言葉の紹介

武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
         (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 今年2月に出版された「治りませんように  べてるの家のいま」(斉藤道雄 みすず書房)で、今まで何冊か読んだ「べてるの家」関係の本に書かれていたけれどよくわからなかったいくつかがようやく理解できました。
 「治りませんように」は、べてるの家とかかわり、「世間話や会食に加え、当事者研究を聞き、講演を記録し、折にふれてメンバーへのインタビューを重ねてきた。そんなくり返しの十年から、本書は生まれている。」という本です。

 「べてるの家」とはどんなところか。
 べてるの家のホームページには次のように紹介されています。

 べてるの家は、1984年に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。社会福祉法人浦河べてるの家、有限会社福祉ショップべてるなどの活動があり、総体として「べてる」と呼ばれています。そこで暮らす当事者達にとっては、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体という3つの性格を有しており、100名以上の当事者が地域で暮らしています。

べてるの家の理念
・三度の飯よりミーティング
・安心してサボれる職場づくり
・自分でつけよう自分の病気
・手を動かすより口を動かせ
・偏見差別大歓迎
・幻聴から幻聴さんへ
・場の力を信じる
・弱さを絆に
・べてるに染まれば商売繁盛
・弱さの情報公開
・公私混同大歓迎
・べてるに来れば病気が出る
・利益のないところを大切に
・勝手に治すな自分の病気
・そのまんまがいいみたい
・昇る人生から降りる人生へ
・苦労を取り戻す
・それで順調


 精神障害を抱えている本人が自分のことを研究してそれを発表するという画期的な「当事者研究」が始まったのがここ。
 当事者たちは全国各地で講演活動もしています。また、毎年「べてるまつり」と呼ばれる催しが浦河で開催されており、「幻覚妄想大会」などユニークな企画が行われています。

 この本では「病気を生きる当事者の日常」にあるものとして次のように言っています。

「決して卓越しても達観してもいないが、さりとて自らの世界に閉じこもっているのでもない、日々耐えることのない苦労を抱えながら、大きくもなく小さくもなく、強くもなくて弱いのだけれど、弱いだけでもない、ひとりの当事者というイメージだろうか。
 そのような日常を、ていねいに生きること、それがおそらくべてるの家の当事者が会得した、彼らの生き方のエッセンスではないだろうか。サリヴァンのいう「平々凡々たる事態、すなわち、私たちのありふれた人間仲間との接触」を、ていねいに積み重ねてゆくこと。そのように生きる当事者が、当事者と出会うことによって当事者となり、当事者となることで病気の世界から現実の世界へとつながっていこうとする。
 しかしそこで現実の世界につながったとしても、それはハッピーエンドでもなければ希望に満ちた日々のはじまりでもない。日々くり返される自分の問題とつきあいながら、あきらめることも意気ごむこともなく、自分のメンテナンスを怠らないようにこころがけ、うまずたゆまず歩みつづけることだ。そこに感動や興奮を誘うドラマを見いだすことはむずかしくても、その平板さに耐えつづけ、日常をていねいに生きるのが現実とつながるということなのなのだろう。」

 これって精神障害を抱えていない人にも言えることですよね。
 人は多かれ少なかれ、苦しさを感じないように感覚を鈍らせたり、苦しくないと思い込むようにしたりと、何らかの方法でつらさや苦しさなどをごまかしたりなだめたりしながら現実や情況などと折り合いをつけて生きていますもんね。

 私は「こんな自分でも生きていていいのだ」と思えるようになるまで自分を育て直すのに、かなり長い年月がかかりました。でも、そう思えるようになれればOKかというとそうでもない。だって、「ではどう生きていくのか」という課題が前面に出てくるから。

 自分の問題とつきあいながら、自分のメンテナンスをしながら、自分で自分を機嫌よくしながら、情況や現実と折り合って日常をていねいに生きていくこと。
 これはどんな状況にあってもおんなじじゃないかしら。

 ありゃ、今日はちょっとまじめになっちゃいました。4月の雪という異常気象のせいよね、きっと。ということは、うーん、からだを温めるために日本酒をお燗して飲まなくちゃなあ。
 これは逃避じゃないのよ!
 寒い→不機嫌 にならないように、自分で自分を機嫌よくするアイテムの一つなんだからね、うん。

あ、またねーちゃんが変なこと言ってる。


しっかりしろ、ボクちゃんの目を見るんだ。


あーっ、やっぱり変だ!


目をそらしたくなるほどオカシイ!


いつものことなんだからほっときゃいいのに。
バカかまってると同じになっちゃうよって言ってるのにねえ。
あーあ……バカ二匹……。
賢いボクは遠くから観察。
 


「メッセージ」は考えるように促すもの

2010-04-15 11:29:25 | 本や言葉の紹介

武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 また一つ、以前から抱いていた疑問への「おこたえ」を見つけました。
「ヴォイス (西のはての年代記Ⅱ)」(アーシュラ・K・ル=グウィン 河出書房新社)を読んでいて次の文を見つけたとき、納得。

わたしはお告げがどうして単純明快な言い方をしないのか――なぞめいたイメージやあいまいな言葉の代わりに「抵抗するな」とか、「さあ、戦え」とか言わないのか、訊きたいと思っていた。けれども星々を見ているうちに、それは愚かな質問だと思えてきた。お告げは命令を下すのではない。その逆で、考えるように促すのだ。謎に対して思考を寄せることを、わたしたちに求めるのだ。考えて行動した結果が思わしくなくとも、おそらく、それがわたしたちにできる最善のことなのだ。」

 私の場合、明確なメッセージが来ることが多いのですが、時々、それもかなり大きなテーマについてのとき、どうとらえたらよいかよくわからないメッセージをいただくことがあります。そんなときはとにかく考えます。他の人の知恵も借りて。
 よくよく考えてもわからないときは無理に決着をつけないようにして、そのままにしておきます。だいぶ前に「疑問は疑問のまま抱えていけ」というメッセージをいただいているからです。
 そうすると、ふとしたことから答えが届いたり、だいぶたってからそのときのことを納得できる情況が訪れるのです。

 そうなんですよ、「お告げは命令を下すのではない。その逆で、考えるように促すのだ。」なのですよ。
 自分で考えて、自分で選んで、自分で行動すること。それがいちばんなんです。
 メッセージは、それを引き出すきっかけをつくってくれるものなんです。

 今回、何かに促されるように「西のはての年代記」三部作を読むことになったのですが、その流れにも納得しました。
 第1巻「ギフト」では、与えられているパワーについて振り返るように促されました。ほしいものや期待されているものと、与えられているもの(本来そなわったギフトという形でのパワー)が違う場合……。

 やっぱりル=グウィンはすごい!
 ありがとうございました。


映画「犬と猫と人間と」 5月1日上映

2010-04-14 10:44:13 | Weblog
映画「犬と猫と人間と」 浦和で5月1日上映

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犬も猫も人間も共に幸せに暮らしたい。
そんな世の中にするために観て欲しい映画です。
犬と猫をとおして見えてくる人間の姿
動物には関心がないというひともいるかもしれません。
でも、捨てられた命を懸命に救おうとする子どもや大人の姿から見えるのは、「いのち」への愛情です。
捨てる人たちも、動物が嫌いな訳ではありません。
そして、動物の処分を担う人たちにもまた、愛情があります。
それは私たち人間が抱えるエゴと愛。
捨てるのも人間なら、救うのもまた人間です。
映画「犬と猫と人間と」からは、知られざる多くの現実の先に、
「かわいそう」という感傷を乗り越える、ささやかな希望がみえてくるはずです。

●前売り入場券は、電話またはメールで受け付けております。下記の①~④をお知らせください。
①お名前
②ご住所
③連絡先(固定電話か携帯)
④希望枚数
連絡先:080-5686-2248 olive.npo.a.s.m@ezweb.ne.jp(野田)

ご依頼者へ郵便で入場券と振込み用紙をお送りいたしますので、受け取り後一週間以内にお振込みください。振込みが確認できない場合には、入場券があっても当日ご入場できないことがあります。

■5月1日(土) 13:30 開場 14:00 上映
■市民会館うらわ(浦和区仲町2-10-22 TEL048-822-7101)浦和駅より徒歩7 分
■前売り1000円 高校生以下700円 当日1200 円(全席自由)
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佐藤史生さんがご逝去

2010-04-12 18:51:34 | Weblog
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 漫画家の坂田靖子さんが大好きで、サイト <サカタBOX>をちょくちょく覗いています。
今日行ってみたら、佐藤史生さんのご逝去のお知らせがありました。

「佐藤史生先生は、数年前に乳ガンである事がわかり、手術してガンを摘出しましたが、昨年初め頃に骨や脳、その他に転移が確認され、昨年11月にふたたび入院、2010年4月4日、清瀬のホスピスでなくなりました。」

 もうびっくり。ウィキペディアでは佐藤さんの作品について次のように説明されています。

「魔術や神話を先端科学とたくみにミックスする独自の世界観には定評があり、長編『夢みる惑星』では先史の失われた文明をみずみずしく描き、『ワン・ゼロ』では意志を持ちネットワークに侵入する電子頭脳と魔神たち(大乗仏教の神々と古神道の神々との戦い)を描いた。また『心臓のない巨人』などの複合船シリーズでは、巨大な交易船で宇宙を旅しながら何世代も生き続ける隔離された人々を描き、『やどり木』では辺境星に入植した人類が植物を媒介とした壮大なネットワークに取り込まれる様子を描いた。いずれも本格派SFとして高く評価される作品である。」


 「ワン・ゼロ」でスケールの大きさと発想力にびっくりし、その後は目につくたびに読んでいた大好きな漫画さんでした。
 すばらしい作品を生んでくださってありがとうございました。この先も読み継がれることを祈っています。

ちよつとドキドキ

2010-04-08 21:35:46 | Weblog
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 昔の木造校舎の職員室のような職場で仕事をしている。
自分の担当分は片付けたぞとほっとしていたら、横の机の引出にだれかが書類を入れようとした。
 引出を開けたとたん、「この書類はどうなってるの! ○○さんが何回も聞きに来たからなんか変だと思っていたけど、ずいぶんたまっちゃっるじゃないの。早くやってくれなきゃ困る」と私に言う。
 そのことに関しての話や説明は今まで一切聞いていないので、私はとっても驚いて、どうしたらいいのかとまどっている。

 そんな夢を見てしまいました。
 「今、日々の歩みのなかで、いるものといらないものの整理をして、いらないものを捨て、いるものを残すとき。」というメッセージが見せたんだろうなあ。
 押し込めていることがまだまだあるぞ、もっと整理しなさい、ってことかしら。うーむ。

 そして続いてもう一つ夢を見ました。
 ゴシックふうで大きな石造りのような建物や、どこだかわからないけれどそんな建物が並んでいる風景などをたびたび夢に見るので、これはなんだろう、不思議だなあと思っている。
 普段はバスを利用する出先から職場への道を自転車で帰ることになり、進んでいったら、夢に出てくる光景が見える。
 いつもはバスのなかで寝てしまうので、たまに寝ぼけながらその景色を見ていたとしても意識には残らなかったんだなあ、でもちゃんと実在してたんだなあと思う。
 自転車をこいでいくが、いつもとはちがう道のようで、どこに行ってしまうんだろうかと思いながらも進んでいく。

 これもメッセージに刺激されて見たのかしら。
 まあ、先々楽しみと思っておこう、うん。


メッセージにちょっとびっくり

2010-04-07 11:07:15 | Weblog
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
       (↑これをクリックするとホームページに行きます)

 昨日、キリスト教系のかたからメッセージをいただきました。
 私は特定の宗教を信仰することはしませんが、どんな宗教でも「サムシング・ グレート(偉大なる何者か)」のある一面を表していると受け取るようにしています。
 ということで、「主がこのようにおっしゃっています」「愛する娘よ、私はあなたを愛しています」という「主」「私」はキリストさんではなく、キリストさんを介した「サムシング・ グレート」なのだろうと受け取りました。

 で、今回のメッセージをまとめると以下のようになりました。

 「愛する娘よ、私はあなたを愛しています。
 今、日々の歩みのなかで、いるものといらないものの整理をして、いらないものを捨て、いるものを残すとき。
 あなたは決断するために必要な物差しをすでにもっています。あなたの物差しは独特の物差しで、あなたしか持っていない。その物差しを使うときが来ました。
 あなたが決断して残すものは価値あるもので、あなたにとってこれから大きく育つもの、大きな実を結ぶものとなっていきます。それがあなたを祝福への道へと導いていきます。

 そしてまた、あなたが書くものを私は祝福します。あなたのブログを読む人は多く、若い人も男の人も多い。
 あなたが独特の感覚で書いているそのなかに、真実が含まれている。その明確な目的が人々を祝福の方向へ連れて行きます。書くことで人にとって道しるべとなっていく良いものを表すことをしていきます。
 与えられた書く才能をあなたが使えば使うほど、私はそれを増し加えていきます。

 愛する娘よ、あなたは型にはまらない。型にはまらないだけでなく型を打ち壊す人です。でも型を打ち壊すときに、あなた自身もすごく痛い思いをする。痛い思いをするけど、私はその痛さをすぐに治します。
 あなたが型を崩すときに、あなたの心の壁も一緒に壊されて、あなた自身が楽になるように導いていきます。

 日々いたるところに私の愛があなたのところに置かれている。私の命が置かれている、私の真実が置かれている。
 私はあなたの内側に私の心を置きました。私の言葉を置いています。そのことをあなたは知っています。そしてその言葉の一つひとつがあなたを生かし、あなたのまわりの人も生かしています。
 私はあなたの裏も表も表も前も裏も全部知っています。そのうえで愛し導いています。
 それはあなたが嫌いなべたべたした歯が浮くようなものではなくて、永遠に変わることがない愛、人に祝福を与え続ける愛です。
 私はあなたにはっきり私というものを教えていきます。それはとてもエキサイティングです。あなたの知的な好奇心を満たしていきます。
 私はあなたに豊かに私の愛を与えています。私はあなたを愛で満たします。私の復活の命で満たしていきます。そのことによってあなたが本当に解放を得ていく、ますます喜ぶ、そのことがおこっていきます。
 健康をあなたに増し加えていきます。その健康を与えるものが私であるということをあなたは知っていきます。
 私が楽しみをもってあなたを眺めているということをあなたは知っていきますよ。」 


 多分そうだよねと思っていたことを裏打ちしてもらった感じ。今せっせといろんなものを捨てているのはちょっと前のブログにも書いたっけ。
 でも、このブログを多くのかたに読んでいただけているのかは疑問だし、「こんな私でも生きていられるのよね」と、ありゃまあなことを書いてるのになあとびっくりしたのも正直なところ。
 健康を増し加えていただけるんならなによりでございますな。
 楽しんで見ていただけているならそれは私の喜びよ。
 とにかくおもしろかった。よい経験でした。ありがとうございます。

ねーちゃんてば、まーたくだらないこと書いちゃって。
僕の可愛い寝姿で、皆さんに気分を直していただくように。
うん、平和が何より。


噴出! ヒーンもったいにゃー

2010-04-04 12:45:27 | おいしい
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
         (↑これをクリックするとホームページに行きます)


 桜が満開です。前日に飲みつぶれて記憶をなくしていても、桜が満開になってしまったら嫌でもやはり花見酒をしなくてはイカンのです。えへっえへっ←これはあくまでも泣き声なのですよ。

 で、昨夜は「鍋島 三十六萬石 純米活性にごり」!!!
 覚悟はしていましたとも。
 微発泡じゃなくて激発泡だってことは。
  シャンパン並みだってことは。
 そろそろと開けたのに、栓は発射する、酒は飛び散る、アアア~~~



 しばらく御酒を落ち着かせ、私もちょっと落ち着いて、心に花を見ながらいただく。

 なんてかっこつけたけど、たんに花見に出かけるのが面倒になったので、いつも通り家で飲んだってだけのことデス。
つまみは、電子レンジでできるキスの奉書焼き、頂き物のトコブシの醤油煮、カナッペもどき(全粒粉クラッカー+アンチョビペースト+さらしタマネギ+粒マスタード+ニンジンマリネ)、白菜漬け等。

 いやあ、いい御酒です。うみゃい!

 新しい情況で一生懸命がんばっている大好きな人とも会えたとてもいい日だったので、さらにさらに御酒がおいしくいただけたのでした。
 ありがとうございます。幸せ。