ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

年に8ヶ月間は体調不良ということか

2020-09-23 08:35:31 | がっくり

 8月中旬にのどと鼻の奥が痛くなり、左側が特にひどく、2週間ほど続いたあとに左耳がまったく聞こえないのに気付いた。左耳は小学校のときにかかった中耳炎のせいで以前からよく聞こえなかったため、気付くのがおくれたのよ。
 頭も重いし気力は出ないしで、夏風邪か、まさか新型コロナかと外出を控えていたけど、発熱がないので耳鼻科へ行ったら突発性難聴との診断。3週間ほど服薬したら、少し回復。のどの痛みもだいぶ治まった。
 でも原因不明。ストレスなどが重なったんでしょうということだったけど、その後も不調は続いていて、なんか納得いかない。
 うーむ、体験したことのある不調ぐあいだなあと思って考えてみたら、花粉症が初めて発症したときと似てることを思い出したよ。
 2~6月はスギ・ヒノキの花粉症が発症するけど、この数年は9月頃にも軽く花粉症っぽくなることがあったっけ。ということで、飲み残しの花粉症薬を飲んでみたらだいぶよくなった気が。
 これで、2~6月、8~10月は花粉症ってことだねえ。ま、原因がわかったから対策のめどが立ったってことでよしとしよう。


図書館の閉館延長 つらい

2020-03-28 10:31:25 | がっくり

 「新型コロナウイルス感染症拡大防止に係るさいたま市図書館全館の臨時休館」のため、最初は3月初めから2週間の閉館、次は3月末までだったのに、今度は4月19日(日曜日)まで延長されてしまった。月曜日閉館だから、図書館が使えるのは4月20日になるよ。ウウウ、なんとかならないかねえ。
 館内を見て回るのは禁止でいいから、せめて、リクエストしたものを窓口で貸し出すようにしてもらえんじゃろか。さいたま市以外の図書館で、そういう方法をとっているところもあるのよ。
 切なる願いであります。


やればやるほど

2018-07-06 08:13:27 | がっくり

 「こういう成果がほしいから、あんたやってよ」って、自分では動かずにやりたいことを押し通そうとして、聞き入れられないと相手を悪者に仕立てる。
 言ってることがどんどんつじつまが合わなくなっていることに気がつかない。
 やればやるほどぼろが出る。

 こんなことをしないように気をつけよう。
 でもそういう人に出会ってしまったらどうしたらいいかね。
 なるべく関わり合わないようにしたいねえ。
 でもそれが無理なら、人間観察と自分を反省するチャンスだと思って、「見本となってくれてありがとう」と感謝するんだなあ。

 なんて言ってしまったが、役目上どうしてもかかわらざるを得なくて疲労困憊。ていねいにていねいに、失礼がないようにと精一杯がんばってたら頻脈発作が出たりして大変。
 やればやるほどむなしさが……ストレスってコワイねえ。
 ウン、それをわからせてくれてありがとう、感謝感謝。

 もう限界かもとへたばっていたところに突然の出来事があり、一息つかせていただいた。やっぱアタシ大いなる存在に愛されてるじゃん なーんてね。
 しっかし飴と鞭の使い方がうまいなあ、大いなる存在様ってば。
 もうちょっとがんばりますです。


また花を掘り盗られた

2018-05-29 15:18:02 | がっくり

 今朝マンション前のプランターの手入れをしていて、ニチニチソウが2株掘り盗られているのを見つけたのよ。これで何回目だろうねえ。悲しい。
 人心の荒廃を憂いちゃうぜ。
 以前は年配の夫婦が掘り盗っていたのが防犯カメラに映っていたこともあったけど、今回は映らない場所に植えてあった花をやられたのよねえ。
 せめてちゃんと面倒みてくれたらいいなあ。でも、ただで盗ったものをまともに手入れするかしら。
 盗られずに残っている花はどうなるか、なんか心配だわ。


フェイスブックとツイッターに転送されないうえに

2017-10-09 08:45:54 | がっくり

 私はgooブログを利用していて「Twitter、mixi、Facebookと連携の設定」をしているんだけど、なぜかTwitterとFacebookにはなかなか連携されない。何度も投稿通知をしないしてやっと投稿されることがほとんど。だから投稿をあきらめちゃうこともある。
 おまけに、Facebookに投稿されるとなぜか記事が二重投稿になっちゃう。どうなってんだろ。毎回ため息。


ミサイル発射で安倍政権を応援???

2017-09-15 11:42:42 | がっくり

 今日のミサイル発射、北朝鮮に安倍政権・自民党が依頼したんじゃないのか? って思っちゃったわさ。

 「戦争できる国にしたいから憲法を改正したいの。 うーんと恐怖をあおってよ。戦争を仕掛けられたら今のままの憲法じゃ戦えないってふうに思わせて、戦争できる国にしろという風潮を盛り上げたいんだよねー。だからさ、うまくミサイルを発射させてよ。 偉大なる指導者様には裏からいろんな援助をするからさ、いいでしょ。 
 両国のトップがいい目を見て、戦争で儲けて、国民どもの殺し合いを楽しんで、そのほかもろもろうまくやろうよ。

 なーんてやってたりしてんじゃないかって。
 安倍支持率が回復しはじめたから、さらに拍車をかけようって感じ。そう思っちゃうほどタイミング良すぎじゃわ。あーあ。
 下品な憶測? そりゃ失礼しました。でもさ、私程度のうがった見方よりもっとひどいことが画策されてる気がするんだよねえ。
 戦争いらない。憲法改正いらないあんたらが言う改正は改悪のことじゃわ。原発もいらない。


「核兵器禁止条約」に日本は反対したんだと

2016-10-29 10:42:04 | がっくり

 今朝の東京新聞1面の「筆洗」を読んで驚いたよ。全文を載せます(改行を加えています)。

 <ヒロシマはどこにあるのか/ヒロシマはヒロシマにあるのか…>。そう問い掛ける詩がある。『原爆詩一八一人集』に収められた風山瑕生(かざやまかせい)さんの「ヒロシマはわがもの」だ。
 詩人はうたう。<すべての国々は ヒロシマを持つべきだ/…ヒロシマに水はながれ/ヒロシマに木はしげり/人々は屋根をかかげて/生きる日々にちからをそそぐ/うるわしいヒロシマはきみのもの/だが ヒロシマの始源の日をおもえ/夏の朝の惨劇もきみのもの…>
 国連で来春から、「核兵器禁止条約」をつくるための交渉が始まることになった。「ヒロシマを持つ」。そう決意した百二十三もの国々が、交渉開始の決議案に賛成したのだ。
 しかし、その百二十三の国の中に、日本は入っていない。反対したのだ。「(交渉の)足を引っ張らないでほしい。もしそういうことをするなら、被爆国と言ってほしくない」。自ら被爆し、広島市の原爆資料館の館長を務めた原田浩さん(77)が口にしたという言葉が何とも、やりきれない。
 ヒロシマがあり、ナガサキがある。そして、フクシマがある。原爆と原発。核の恐怖をこれほど知り尽くした国はないのに、この国の政府は核兵器禁止に尻込みし、脱原発にも後ろ向き。核の呪縛を解こうとしない。
 世界の人々が問い掛けていることだろう。ヒロシマはどこにあるのか、ヒロシマはニホンにあるのか。

 
 「(交渉の)足を引っ張らないでほしい。もしそういうことをするなら、被爆国と言ってほしくない」

 この言葉に、怒りとむなしさとともに同意したよ。
 日本政府はどうなってんだ。安倍首相、こんなことしかできないんなら、任期を引き延ばすことなんか考えるんじゃないよ。早くおやめよ。
  戦争いらない、原発いらない、戦争に引きずり込もうとするリーダーや政府なんかいらない。


他山の石 気が重くなった話でゴメン

2016-07-14 10:30:13 | がっくり

 このところ、「こうなっちゃいけないよ」の見本をたくさんたくさん見せてもらえて……ぐったりしたぜ&まだ続くらしいぜ……。

 自分のせいでよくない結果になってることを責任転嫁しちゃいかんなぁ。
 思い通りにならないからって、無理を通そうとしちゃいかんなぁ。
 できない自分を認めるのってつらいけど、でも逃げて、弱そうな人に八つ当たりしたらますますみじめになるだけなんだなぁ。
 おまけに、弱そうだと思ってた相手のほうがすっごくレベルが高くて、「理詰めに論破して逃げ道をふさぐ」ことなんか簡単にできちゃうってことが何となくわかると、それでイラついてますますわけわかんないことをさわぐんだなぁ。それに同調するのは自分程度もしくは自分以下の人間なんだなぁ。
 あわれんでくれて手加減してくれて、なんとかよい方向にもっていってあげようとしてくれているのに、すべてを悪意にとるとますますひどい状態を自分でつくりだすんだなぁ。
 わかってる人はあきれているんだよなぁ。
 認めて反省しないと、もっとひどい雷が落ちるんだなぁ。

 はたで見てるとよくわかるけど、こういう流れって、いろんなことに当てはまるパターンだなと思っている今日この頃でございます。
 弱く見える人の中には、自分の力がすごいことをわかっているからこそ、へりくだって相手に合わせてくれる人もいるってこと。それを見誤ると痛い目にあうんだよ。でもそれさえわからない人間がいるんだってことにちょっと驚いた。
 「年をとってもバカはバカ」って言葉があるよと誰かが言ってた。自分はそうならないように気をつけようと、改めて思ったねえ。他山の石をいっぱい見てしまってかなり消耗してるン。
 自分が他山の石にならないように気をつけるぞ。


 あ、なーるほどと思ったのが、「自分のレベルではかなわない人に向かってできることは、モラルハラスメント、イヤミを言うこと。でもそれをすると、相手にあわれまれちゃう」ってこと。なんせレベルが違うから
 すんごい見本を見せてもらっちゃった。気分はよくないがとても勉強になったよ。かかわらざるをえないんだけど、巻き込まれないように気をつけるぞ。


花を掘り盗られた

2015-12-21 11:53:58 | がっくり

 マンション前の道に置かれているプランター8個とマンション敷地内の草花を誰も手入れしないので、私が花苗を植えて育てたりしてる。ラッキー!
 ほとんど毎朝見回って手入れをしているんだけど、今朝見たら、もうそろそろ咲きそうになっていた西洋サクラソウが8株ぐらい掘り盗られていたのよ。 掘り盗った跡は土をならしてあったよ。なんかセコッ
 向かいのお家にもたっくさんたっくさん西洋サクラソウがあって、日当たりがいいからもう咲いているのもあるんだけど、個人の家の前のは盗りにくかったんだろうね。
 「花盗人は罪にならない」ということばがあるけど、こういうのは犯罪よ。窃盗罪。「たかだか花ぐらいって」思ってんだろうけどさ、じゃあ、「たかだか花ぐらいでこんなことして、けちくせーよなー。かっちょわりー」だわねえ。


夫婦別姓認めぬ規定「合憲」 最高裁初判断 1/2

2015-12-19 11:23:36 | がっくり

 16日に、「家族の姓」と「女性の再婚期間」についての初めての最高裁判断が出ました。
  いやあ、私は「夫婦別姓」が認められたら法的婚姻関係(いわゆる結婚ですな)を結ぼうと約束した相手がいたのよ、これが。20年ぐらい待つうちに、結局友だちに戻ったのよ。私の場合はお互いそのほうがよかったのでいいんだけどさ。
 まあ、そんなこともあり、今回の最高裁判断には非常に興味があったわけですな。それがねー、こんなことになってねー。

 東京新聞記事から抜粋します。

夫婦別姓認めぬ規定「合憲」 最高裁初判断 「家族の姓一つに合理性」(12月18日朝刊1面)から抜粋
 最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎(いつろう)長官)は十六日、初の憲法判断を示した。夫婦別姓を認めない民法七五〇条が憲法違反かどうかが争われた訴訟では、「結婚時に夫または妻の姓(氏)を名乗る」との規定を「家族の呼称を一つに定めることには合理性があり、女性の不利益は通称使用で緩和できる」と、合憲と判断した。
  最高裁は夫婦別姓訴訟の判決で、「いずれの姓を名乗るかは夫婦の協議に委ねており、規定には男女の形式的な不平等はなく、憲法違反とはいえない」とした。ただ、希望すれば結婚前のそれぞれの姓を名乗れる「選択的夫婦別姓制度」にも一定の合理性を認め、「どのような制度にすべきかは、社会の受け止め方を踏まえ、国会で論じられ判断されるべきだ」と、国会での積極的な議論を促した。
  「姓の変更で不利益を受けるのは女性の場合が多いと思われる」と認めたが、旧姓の通称使用が一般的になっていることなどから、「個人の尊厳と男女の平等に照らして合理性を欠く制度とは認められない」と結論づけた。

 現在の規定が「合憲」との判決は裁判官十五人のうち十人の多数意見。女性裁判官三人は全員が違憲と判断し、「多くの女性が姓の変更による不利益を避けるため事実婚を選んでいる。別姓を全く認めないことに合理性は認められない」などとした。


  「いずれの姓を名乗るかは夫婦の協議に委ねており」だと? 現実を知らないのか? 知らないんだな! 結婚したら男性側の姓を名乗るものだと男女とも思いこまされているってことを。
 まだ30代の女性友人が数年前に結婚したときに、どっちの名前にするのか聞いたら、「夫の名前にならなくちゃいけないんでしょ」って言われた。もうびっくりした。その友人はレベルが高いと言われている大学も出ているし、仕事もしっかりやっている人だったから。
 「どっちの姓を選んでもいいんだよ。結婚(婚姻)は、二人とも“生まれた家族”の戸籍から出て、こんどは“生む家族”――(子どもだけじゃなく二人の文化や生き方を生み育てていくっていう意味の“生む”ね――である二人の新しい戸籍をつくるってこと。だから女性が入籍する、男性側の家族の戸籍に入るという言い方は大間違いなの。
 新しい戸籍をつくるにあたって、日本では夫か妻の名前を名乗ることになっているのよ。言ってしまえば、新しい戸籍に名前がないと不便だから便宜上どっちかの名前をつけとこうってことだよ。だから夫でも妻でもどっちの名前をつけてもいいの。妻の名前をつけたら夫が婿養子になったことになるわけじゃないの。婚姻届の、夫または妻の名字どちらかにチェックすることで、結婚後に夫婦が名乗る名字を決めることができるのよ」と言ったらもんのすごくびっくりしてた。

 かくのごとく、「いずれの姓を名乗るかは夫婦の協議に委ね」られていないんじゃい。最高裁、しっかりしてくれ。 

 それから、夫婦別姓訴訟の判決骨子に、「改姓した女性はアイデンティティー喪失など不利益を受ける場合が多いが、通称使用が広まれば緩和できる」ってのがあったけど、これって女は我慢しろってことじゃん。最高裁判所が男女差別してんじゃん。ひっどくない?。

●12月17日の社説「家族と法と最高裁 時代に合わせ柔軟に」(12月18日社説)からの抜粋
 (民法では「夫か妻の姓を名乗る」と定められているだけだが)問題なのは、どちらかの姓を強制されてしまう点だ。96%が「夫の姓」を選んでいる。女性が「自分の姓で生きたい」という願いを持った場合、法律婚は事実上、無理で、届け出をしない事実婚を選ばざるを得ない。
 だが、事実婚では、税法上の扶養家族になれず、配偶者控除などの適用外となる。相続の場合にも難しい立場に置かれる。経済的に負担となるのだ。
 だから、夫の姓を選んだ上で、旧姓を通称として使ったりする。会社など勤め先でも、それを認めるケースは増えた。ただし、その場合でも、新規につくる銀行口座や健康保険証、運転免許証などでは通称は使えない。差別的だと考えるのも理解できる。議論を進めねばならないテーマだ。
 (日本ユニセフ協会会長の)赤松さんは「私は女性が長く職業を続けることが大事だと思っています」と語っている。
 「結婚したら、どちらかが名前を変えなければいけないというのは、仕事を続ける上で迷惑なことと思います。夫婦同姓にしたり、別姓にしたり、選べるようにしたらよいのではないでしょうか。民法で姓を変えることを強制しないでほしい」
 明治民法では「家制度」が根幹にあった。夫の姓が当たり前の時代だった。「家族の一体感が失われる」などの意見は、この発想の延長線上にあるのかもしれない。だが、今や社会はグローバル化し、価値観も多様化している。選択的夫婦別姓など二十一世紀にふさわしい制度を立法府は早く構築すべきであろう。

 結婚による改姓の面倒さを女性に押しつけてるのが現状だよ。
 「家族の一体感が失われる」って? 夫よ、そういう縛りがないと妻を引き留められないのか? この判決でほっとしている夫がいたら、かなーり惨めな夫婦関係しかつくれなかったってことになるんじゃないのか? 心のつながりをつくるのがまず必要だろうさ。うーむ。


河野太郎さん、入閣したとたんに原発イケイケに変節ですか

2015-10-10 10:49:57 | がっくり

  今朝の東京新聞の河野太郎行政改革担当相についての記事を読んでガックリしちゃったよ。

 今までのブログのうち、「安倍政権による原発再稼働などを批判した過去の書き込みは、9日現在も閲覧できないままとなっている」って書いてあるけど、うん、“衆議院議員 河野太郎公式サイト”の“主義・政策”のページは「現在河野太郎の主張・政策はメンテナンス中です」になってるよ。

 ずうっと脱原発を主張してたのに、入閣したとたん変節かい。
 原発は危険だと言ってたのは信念ではなく、主義でもなかったのね。
 
 昨日の記事で、これまで脱原発を訴えてきたことに関して「政府内の議論で言うべきことは言う」けど「政府の一員である以上、決まったことは誠実に実行する」と言い、安倍首相が2012年の自民党総裁選で脱原発依存を目指す方針を掲げたことに触れ「ベクトルは(自分と)同じ方向を向いている」とも述べたって。そーんな方針とっくにねじ曲がってるじゃないのさ。
  河野太郎さん、超党派「原発ゼロの会」共同代表になってるけど、もちろん降りるんでしょうねえ。いやいや、化けの皮としてかぶり続けていくほうがお得か。

 あーあ、河野太郎、お前もか。自民党のなかではまともだなあと思っていたけど、やっぱり中身は……。

 8日と9日の記事を全文掲載します。


●超党派「原発ゼロの会」共同代表 河野行革相「政府内で言うべきこと言う」(10月8日)
 河野太郎行政改革担当相は七日夜の就任記者会見で、これまで脱原発を訴えてきたことに関し「政府内の議論で言うべきことは言う」と表明した。一方で「政府の一員である以上、決まったことは誠実に実行する」とも述べた。
 河野氏は超党派の「原発ゼロの会」で共同代表を務め、「今までは外から言っていたが、今度は政府内の議論に参加できるようになった」と指摘。安倍首相が2012年の自民党総裁選で脱原発依存を目指す方針を掲げたことに触れ「ベクトルは(自分と)同じ方向を向いている」とも述べた。


●河野行革相が自身のブログ再開 過去記事は閲覧できず(10月9日)
  脱原発の主張には触れず

 河野太郎行政改革担当相が、中断していた自身のブログを再開した。ただ「脱原発」の持論を掲げ、安倍政権による原発再稼働などを批判した過去の書き込みは、9日現在も閲覧できないままとなっている。
 再開は8日夜。「入閣に当たり」と題した同日付の記事で、河野氏は「政府の中でしっかりと主張すべきことを訴えていく」と述べた。一方で「国務大臣として政府の一員になる以上、政府の外に向かっては政府の政策を擁護し、訴えていくことになる」とした。脱原発の主張については触れていない。
 同じ内容をメールマガジンでも配信した。ブログは一時「メンテナンス中」と表示され、見ることができない状態になっていた。


 「政府の政策を擁護し、訴えていく」のね。安倍首相とベクトルは同じだったんですか、へーえ。アベボン、うまく取り込んだね。あーあ。
 悪法でも「誠実に実行する」のね。あーあ。


この国の政府は、この国をひからびさせたいのかと思った「人文系の見直し」 2/2

2015-08-02 09:55:45 | がっくり

  内田樹さん(フランス現代思想専門で神戸女学院大学名誉教授、合気道凱風館師範)も発言しているので、最初のところを抜粋します。ぜひ続きを読んでみてください。

  「就学機会を提供するのは、日本の未来を託すことのできるような市民的成熟を果たすように支援するため」、「教育がもたらす知識や技能は「商品」ではない」という意見に賛成。

●国立大学改革亡国論「文系学部廃止」は天下の愚策
 プレジデントFamily 2015年春号            
 
 国立大学から「文系」が消えようとしています。
 この件は、「東京新聞」などの少数を除いて、ほとんど報道されませんでしたが、日本社会にとって由々しき問題です。
 1991年の「設置基準の大綱化」を皮切りに、「学部再編」「独立行政法人化」「グローバル化」と、国立大学は「制度改革」を重ねてきました。当初は旧態依然とした大学を、時代に合わせて「改革」することに、一定の理解を示す大学教員も多くおりました。私もその一人でした。
 しかし、実際に「大学改革」に取り組んですぐにわかったのは、文科省が推し進めるような「改革」では大学の教育研究にとって得るものより失うものの方が多いということでした。文科省の矢継ぎ早の要請に応えるために会議と書類書きばかり増え続けましたが、教員は生身の人間ですから、制度改革のための時間は教育研究に充てる時間を削って絞り出すしかない。「もうこれ以上は無理」というのが教員たちの偽らざる本音でしょう。
 労働負荷だけが増え、予算配分も、権限も削り取られるわけですから、そこで「これまで以上の努力をする」気になる人がいたら、その方が異常でしょう。
 もう何もしないで定年を待つという教員たちが増えている。東大さえ例外ではありません。定年まで何年もある人文系の教員たちが次々と辞めています。大学に残っているともう自分の研究ができないとわかっているからです。

●株式会社化する大学に教育も研究もない
 この四半世紀の国公立大学の制度改革の意味は一言で言えば「大学の株式会社化」でした。学長がCEO、政府と財界が「株主」、受験生と保護者が「市場」です。産学協同で研究資金をかき集め、グローバル経済に最適化した即戦力を輩出して、市場に好感されれば志願者が確保できる。そういう営利企業の発想をそのまま大学に適用した。
 「市場」が求めない研究教育には存在理由がない。巨額の費用のかかる研究を続けたければ外部資金をとってくるしかない。そういうロジックが罷(まか)り通っている。地方の国立大学では年間研究費が15万円という研究室もある。これは外部資金をとってこられない研究者は定年まで研究室に寝ていろというのと同じことです。
 その結果、当然予測されたことですが、日本の学術研究レベルは急激に劣化しました。
 研究時間を制度改革のための会議と書類書きに費やしているのですからアウトカムが減るのは当たり前のことです。
 「株式会社化」は教育機関だけにとどまりません。地方自治体も医療機関も、あらゆる社会組織を効率と採算に基づいて再編し、「グローバル資本主義」に最適化するというのが現在の政官財メディアの採択している国家戦略です。
 しかし、行政や医療や教育はもともと営利目的のための制度ではありません。共同体を支える基盤として歴史的に形成されてきたものです。教育の第一の目的は「次世代を担う成熟した市民の育成」です。まっとうな公共的感覚を持った市民が一定数いないと共同体は保もちません。当たり前のことです

●学校教育の受益者は個人ではなく共同体なんだ
 営利企業モデルでは、子供たちは「教育商品の買い手=教育サービスの受益者」とみなされます。でも、学校教育の最終的な受益者は教育を受ける個人ではありません。共同体全体です。まっとうな大人が育ってくれないと先行き社会が保たないからこそ公教育が存在する。金儲けのためにあるわけじゃない。
 だからこそ、ヨーロッパの多くの国がそうであるように、教育は「無償」というのが本来の姿なのです。日本でも明治以来、国立大学を全国に設立し、学費を抑え、奨学金制度を充実させて、できるだけ多くの若者たちに就学機会を提供しようとしてきました。
 それは勝ち残ったものだけが立身出世でき、自己資産を増やせるという生き残りレースに若者たちを投じるためではありません。彼らが日本の未来を託すことのできるような市民的成熟を果たすように支援するためです。教育がもたらす知識や技能は「商品」ではありません。

記事はhttp://president.jp/articles/-/15406にあります。


この国の政府は、この国をひからびさせたいのかと思った「人文系の見直し」 1/2

2015-08-02 09:27:19 | がっくり

  1か月くらい前だったか、東京新聞で、文部科学省が国立大学に教員養成系や人文社会系の学部・大学院の組織見直しを求めたという記事を読んで驚いたのですが、あまり話題として取り上げられていないのが不思議でした。
  人文社会系って、文学、言語学、考古学、歴史学、地理学、宗教学、思想文化、哲学、仏教学、美術史学、芸術学、倫理学、心理学などなど、対象となる分野は人間の生き方や文化・文明の本質を総合的に追求していく学問領域だよね。それを国が「必要じゃない」とばっさり切り捨てるってのは、国のいちばんの基礎となる人的資源を痩せさせてしまうということだなあと思ったのです。豊かな教養や好奇心は必要じゃないのか。批判精神など持たなくて魂がひからびた人間、言われたことだけを忠実にこなすロボットをつくりたいのかって。
 で、ちょこっと検索してみたら、次のような記事があったので抜粋します。地方の国立大学では既に学部の再編や新設に乗り出す動きがあるけれど、反対している学長たちもいる。

●「人文系見直し」広がる波紋 文科省通達に国立大から異論
 京都新聞 7月26日(日)10時2分配信
 
■学長ら批判
  「特に教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めること」。6月8日、2016年度から始まる国立大学の第3期中期目標を作る際の留意点を伝える通達の中で、文科省は各大学にこう求めた。
  教員養成系を挙げたのは、18歳人口の減少に伴う教員需要の縮小を見越した対応といえる。一方、人文社会系が標的になった背景には経済界の意向が強く働いたとみられている。企業の競争力強化には、理系や実践的な知識を身に付けた人材が必要という考え方だ。
  通達には国立大学の学長から強い異論が出ている。
  京大の山極総長は6月17日の記者との懇談で「大学は今すぐ役立つ人材でなく、未来に役立つ人材を育てるのが使命。人文社会系は教養として重要だ」と力説。多様な知識を身に付けた学生を送り出すためにも、人文社会系は不可欠とする持論を展開した。
  滋賀大の佐和学長は「政府の産業競争力会議に入っている財界人や学者は、人文社会系の教育が産業振興に貢献していないと考えている」と指摘する。世界の大学ランキングで上位に入る英米の大学で人文社会系の教育研究が活発なことを挙げ、「欧州では人文社会系の学問は存在感がある。批判精神のある人間を育てるためだ。国が大学のランキングを上げたいなら、人文社会系にこそ力を入れるべきだ」と訴える。
■交付金への影響懸念
  文科省はこれまでも、国立大学に教育研究の特色や社会的役割を見直すよう求めてきた。その流れを受け、地方の大学では、教員養成系や人文社会系の定員を減らし、国際教育や文理融合などの新学部を開設する構想が相次いでいる。
  背景には国立大学の懐事情がある。収益の4割近くは国が支出する大学運営費交付金。しかも国は今後、機能強化や組織改革の取り組み次第で配分額に差をつける方針だ。佐和学長は「何もせずに交付金を削られるのは耐え難い。時代を先取りした新学部開設で前向きに対応する」と話す。
  一方、京大は今のところ、学部や大学院の再編は打ち出していない。教育担当の北野正雄理事は「人文社会系だけを取り出して議論するものではないというのが学内の意見だ。学内全体で教員を柔軟に動かせる仕組みを取り入れ、新たな教育や学問分野をつくる」と説明する。


県立浦和図書館が廃止されてた

2015-06-23 07:23:58 | がっくり

 つい最近知ってびっくり仰天しました。
 埼玉県立図書館のホームページには次のように載っています。

平成27年3月31日をもって県立浦和図書館は廃止いたしました。長年にわたり浦和図書館を御利用いただきました皆様には、心から感謝申し上げます。
  平成27年度からは県立図書館は熊谷図書館、久喜図書館の2館によりサービスを行っていきます。また、県立図書館の窓口サービスを行う浦和分室を6月11日に県立文書館建物内にオープンします。

 さいたま市浦和区は、旧・浦和市のときから“文教都市”の名が高く、“商業の大宮市”、“文化・文教の浦和市”と言われてきました。これは私だけの感覚かもしれませんが、浦和に埼玉県立図書館があるということもその“文化・文教”のイメージに大きく貢献していたように思えます。
 高校時代は特に県立図書館の児童室にお世話になりました。あのころに読み込んだ児童文学は私の大きな糧となっています。おかげで大学の卒業論文は「児童文学におけるファンタジーについて」でした。内容は、読んだ本を並べただけのような稚拙なものでしたけどなんとか規定枚数に届くことができ、「児童室様々」と思ったことでした。

 さいたま市立図書館ができてからは、新しい本がすぐ入る、館数が多いために所蔵冊数が多くてレファレンスサービスを利用しやすい、などの理由から市立図書館利用がほとんどになり、県立図書館からは足が遠ざかっていました。でも、県立図書館があるということは、なんとなくですが心のよりどころのように感じていたんです。それが廃止されてたなんて! ビックリでガックリです。
 再開は無理なのかなあ。残念です。今までありがとうございました。


NHKってなにさま? と思ってしまった

2015-04-25 20:34:14 | がっくり

 私はNHKの受信料を払っていません。テレビ自体がないし、テレビを見られる状態のものがないから。

 放送法の第64条に受信契約と受信料について次のように定められています。

放送法
第六節 受信料等  (受信契約及び受信料)
第六十四条   協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。第百二十六条第一項において同じ。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。


  つまり、テレビ番組を受信できる設備(テレビ、テレビ受信機能のある携帯やパソコンなど)を設置した人は受信料を払え。でも、テレビを見るためではない受信設備は除外するということです。
 テレビ受信機能のある設備でも、テレビを見るために持っているわけではないものについては契約をしなければならない法的根拠はないわけです。でもそのことを、NHKの人でもあまり知らないようで、2~3か月ぐらい前にうちに来た受信料集金係もそうでした。

  「とにかく受信機器があるなら受信料を払わなくちゃいけないことが法律で決まっているので」とばっかり言ってきたので、
・10年ぐらい前にテレビを捨て、そのことをNHKに通知してあるし、その後うちにはテレビがない。家の中をとことん捜してくれてかまわない。
・携帯をもっているけどテレビは映らない機種。
・パソコンを使っているけど、アンテナなどはないのでテレビは見られないし、見るために買ったものではない。
と伝えました。そうしたら携帯とパソコンをもってくるように言われたのよ。
 見せたら、すっごく上から目線で、「パソコンは受信できない古いものだからこれはいいです。でもパソコンはチューナー内蔵で映る機種だから、持ってるだけでも受信料は払わなくてはいけない」とまた言ってきた。
  「放送法では、受信できないものなら受信料を払う必要はないと定めています。NHKのホームページにもちゃんとでてるから、きちんと調べてもっと勉強してください」と何度か説明したらやっと帰ったけど、うそをついたと思われるのはイヤなので、「NHKのホームページで放送法第64条について書かれているところ」をコピーして渡しておきました。

 なのに数日前と今日、別のNHKの人が「受信料支払いについて説明しますので」といきなりやってきた。
 インターフォンでやりとりしたんだけど、なんか犯罪者扱いされてる感じでした。
 やりとりをすっごくかんたんにまとめると次の通り。
 
NHK 玄関先で話したい(=オートロックを解除しろ)
    ↑
  前に来たかたに説明したとおりです。
 来るならアポイントメントを取ってからにしてください。私も仕事をしているので予約してからじゃないと迷惑です。
 どんなご用件かを文書にしてポストに入れておいてください。 

NHK 予約はできません。
    文書にはできません。ちゃんと話して説明したい。
    ↑
  言葉で説明できるものを文字にできないのですか。それはおかしいですよね。
 予約できないという理由も一緒に、ご用件を文書にしてポストに入れてください。
 お願いします。

 これでうち切ったけど、もう、なんか、非常に消耗したのよ。犬の左目のことでガックリきてるところに追い打ち食らった感じだわさ。
 ああもう、こんなことに人件費を費やすなんてもったいないわねNHKさんってば。
 NHK自体に、なにが公共放送だ権力の言いなりじゃないか、このところは特にさ、と非常に疑問を感じていたけど、ますますガッカリとってもウンザリでした。