ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

もう、ドキドキ!

2008-04-29 13:30:04 | まじめな話
 26日に受けたチャネリングの内容があまりにすごくて。
「そんなすごいことが私におきてよいのでしょうか? この私にですよ? こんな私ですぜ??? 選び方があまりにひどいんじゃないの???」としか思えなくて。
 先日受けた自動書記と方向性は同じなのですが、より具体的&スケールアップなのでとってもびびりまくってしまって。

 そうしたら、石井ゆかりさんの筋トレの「今週の空模様」(2008/4/28-2008/5/4)が以下のようになってました。


一見派手に見えるアイドルの生活がわりとジミだったり
華やかに活躍しているその裏側で地道な努力が重ねられていたり
ということは誰でもある程度知っているわけですが
そのギャップについて具体的に聞かされると
えっ、そうなの?
という驚きを感じます。

今週の牡羊座の空模様は
そんな感じとちょっと似ています。
つまり
目指していることの大きさと
今目の前でやらなければならないことのスケールのギャップに
とまどいを感じる、という雰囲気があるのです。

今の貴方は、大きな目標に確実に近づきつつあるのですが
その一歩一歩がきわめてジミで、
ありふれていて、日常的で、小さくて
「こんなもんでホントにいいんだろうか」
という気分を味わっているかもしれません。
でも、みんながびっくりするような素晴らしいアイデアは
しばしば、何気ない出来事や下らない雑談の中から生まれるもので
今週の空気にはそんな「瓢箪から駒」の気配が濃厚です。
「駒」の姿がすぐには見えなくても
ひょうたんを並べたり磨いたりしておくことに
ソンはないだろうと思います。



 チャネリングのときに、自分を低く評価しすぎである、謙遜しすぎはエゴであるとも言われて。

 28日に受けた身体のセッションでも、「自分に許可を出す」がポイントになっていたし。

 27日、29日におこなったセッションで、セッションの質がさらに変容したことがはっきりしたし。

 これはいよいよ覚悟を決めなくてはと。
 はい、私は受け取りました。腹をくくりました。もう、ドキドキです。

 すみません、自分にしかわからないことを書き連ねてしまいました。どこかで表明しておかないと逃げ出しそうで、書かせていただきました。

フール、ふうる

2008-04-23 13:32:45 | “ふうるふうる”のご紹介
 去年、20年以上みてもらっている鍼灸師の澤田先生(西国分寺の「温故堂治療院」)から「“ふうるふうる”って名前、どういう意味だっけ」と聞かれ、
「いや、意味はないのよ。“たらセラピースペース”を変えるとき、内容だけでなく名前も変えたほうがいい、意味を込めた名前ではなく、音の響きだけで選ぶほうがいいというアドバイスをいただいて。いろいろな候補のうちのひとつ」
と返事をしました。
 すると「何かの意味があると思うよ。そのうちにわかるんだろうね」と言われたのです。

 何となくそのやりとりを思い出して、「そういえばこの名前をつけるときに、外国のお客様がおいでになるかどうか聞かれたっけ。foolって馬鹿者っていう意味だから、英米語圏のかただったらバカにされたと思われるかもって言われたなあ」と店名をつけたときのことが甦りました。

 それで、愚者以外の意味はあるのかな、フランス語ならどういう意味かなあなどと辞書をめくってみました。

 絶句!

 道化者、道化師、陽気な人、突飛な人……などの意味が。

 4月6日に「トリックスター」というタイトルで、「多面性を持つ道化師、私は、いろいろなものの見方ができることを道化者として多様な方法で展開するためにいる」というようなことを書きましたが、これまで「ふうるふうる」がそれを表現しているとは思ってもみませんでした。

 これに気がついたときに、「まいりやした。さすがですねー、驚いた」と、思わず口に出していました。大いなる何ものかに対して。
 “音の響きだけで選んだ”と思い込ませ、今この時期に気づかせるなんて。

 このこと、1週間ほど前に意識できたことでした。
 そして今日、「河合隼雄全対話 Ⅳ」の山折哲雄さんとの対話に「フールな老賢者」というのを見つけました。


河合 グーゲンビュールに言わすと、オールド・ワイズマンというのをみんなは思いすぎる。だいたいオールドは、もともとフールなんやと(笑)。オールド・ワイズマンというのはぼくらの心の中にあるけれども、人間で見ると、何も年とったものイコール、ワイズマンになるということもないんだし、年をとるということは、ある意味ではどんどんフールになっていくということを受け入れたほうが、お互いにもっと楽しいんじゃないかと。
山折 その場合はむしろ狂気に近くなっているとことで、トリックスターとして受け入れられる……。
河合 ワイズというのをインテリジェンスが高いと思うのは間違っているんで、フールだからワイズなんですよね。



 う~~~、またまたやられました。
 “やっとたどり着いた、スタート地点にやっとたどり着いた”、という思いです。
 やっと準備が整ってきたねという感じです。

 しかしこれらは思い込みかも。お昼におみおつけを2杯も飲んで胃痛でヒーヒー言ってる自分ってば、やっぱり単なる“とってもおばか”って気がする。ううう、イテテ。

あっちい

2008-04-22 13:37:20 | Weblog
 室温30℃以上! ひゃー、びっくりです。

 寒い間は日の当たる唯一の部屋を閉めきりにして、ドアの犬猫さん用出入口だけを開けています。今日もそうして、お昼過ぎにその部屋に入ったところ、あっちい!

 猫の幸太君はその部屋でのんびりひなたぼっこしてましたが、いや、これ、暑すぎじゃない?

 窓とドアを開けて風を通しました。

 いやァ、私、暑いの好きで、今日の状況ならば湿気がなくて暑いという理想的な環境になってくれているのですが、部屋をこのままにしておくとあと5分以内にビールを買いに走りそうだなと……。

 理性と本能が戦い、理性が勝ったみたいです。
 しかしその数時間後の今、甘~い日本酒を炭酸で割って飲んでまして。

 おお、数時間は理性が勝っていたのである! すばらしい!!

 
玄関の花。うちで咲いてくれている花さんたちに来てもらいました。


これ、けしの花でしょうか。近くの空き地に咲いているのですが、花が直径8センチぐらいで大きいのです。


先日うかがった、東浦和のおそばの一邑さん。おそばももちろんおいしいのですが、内装のすてきなことにうっとり。外が桜並木ですが、うかがったときにはもう若葉が鮮やかでした。来年は桜の時期の昼間にぜひ! と思いました。

自己実現と成道(じょうどう)

2008-04-21 13:39:48 | 本や言葉の紹介
 「河合隼雄全対話 Ⅱ」での川田洋一さん(医学博士)との「象徴と無意識の世界」、おもしろかったです。特に、54~66ページの、釈迦(しゃか)が禅定(ぜんじょう)に入り、魔と向き合い、悟りを開き、梵天勧請(ぼんてんかんじょう)を受けるまでを、アニマの働き、影の働き、自己の顕現、共時性などで解き開いていくのが非常に興味深いものでした。
 文中の言葉を借りると、

川田 釈迦の成道(じょうどう)という過程は、まさに、心理学的にいうと、自己実現の過程の究極までいったものであるという……。


 また、“自己認識の道と衆生済度(しゅじょうさいど)の道が一致したのは、自己認識がある線を越えて究極まで行ったためだ”というのは納得でした。


河合 ところがそのへんを間違って、衆生済度のほうだけ意識して宗教家になろうとする人はよく失敗しますね(笑)。だから自分のことをほうって、ただ他人のためにひたすらがんばっておられる宗教家には、むしろ近所迷惑することが多くて……(笑)。


 これ、宗教家だけじゃなくて、ごく一般的に言えることですね。


川田 個人的なものからそれ自体が深まっていくと、人類的基盤にまで達する。個人から人類にまで及ぶ道が開かれてくると。
河合 深く深くゆくと、それは自然に普遍的な衆生済度の道につながっているというところが非常に面白いと思いましたね。
川田 そのあたりが宗教の本来的な見方でしょうね。あるいは修行の過程の本来的な道でしょうね。


 うーん、納得納得。

左手に告げるなかれ

2008-04-18 13:40:59 | 本や言葉の紹介
 「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」(マタイによる福音書6章)

 それは、右手がおこなった施しを人目につかせないため。
 それは、自分で自分のしていることを意識的に忘れてしまうため。
 人に評価してもらうことも、自分で評価することも断念するために。

 良きこととされる行いをする動機は何? そのときの思いはどこに向いている?
 その行為は純粋に無償の愛がなせるわざ?

 「右の手のすることを左の手に知らせない」という、たったそんなことが、ときにむずかしくなることがある。
 なっさけねー、ちっちぇえなあ、私ってば。

この春

2008-04-15 13:43:51 | 本や言葉の紹介
 この春ほど、“春”を意識したことがなかったように思います。気温、天気、花、鳥……。去年までの春は薄かった。と言うより、あまり感じていなかったのでしょう。
 恋をしているわけでもないのに、いろいろなものが鮮やかに感じられます。
 まさか、花粉症で涙がにじみ、それでいろんなものがきらめいて見えるというわけではないよね。
 感受性が高まったのか、もののあはれがわかるようになったのか、年とったのか。

 とにかく、「すごいなあ、すごいなあ」と思いっぱなしの春です。

 「なんとすごい、なんとすごい季節でしょう」という感じだなあと繰り返し思い、そして思い出しました。このフレーズ、「綿の国星」にあったはず、と。
 で、探したところやっぱりありました。第1話の終わりのほうです。花で埋まった見開きページには次の言葉が載っています。


 ひとつの事を  考えようとしても  もう次の考えに  うつってしまいます

 外のけしきが一日一日と  うつりかわってゆくからです

 おばけのような桜が  おわったとおもうと  遅咲きの八重桜
 
 すみれや  れんぎょう  花蘇芳(はなずおう)

 黄色い山ぶき  雪柳 
 なんとすごい  なんとすごい  季節でしょう


 「綿の国星」は1978年と、30年前に書かれた作品です。私は30年間、言葉は覚えていたけど、春のすごさを実感できていなかったのねえと脱力。でも、気づけて嬉しい。

 読み返してみて、猫アレルギーのお母さんがチビ猫を素手で抱いて、「感謝します!」と思う場面では胸が痛くなって涙ボロボロ。

 年を経て読み返すたびに、それまでとは違ったことに気づける。より深く感じられる。これはやっぱり大島弓子さんの大名作、大傑作であり、古典(ある分野において、歴史的価値をもつとともに、後世の人の教養に資すると考えられるもの)と言っていい作品だと思います。

ご近所の牡丹。

最近読んだ本で、心に残った言葉たち

2008-04-14 13:45:44 | 本や言葉の紹介
★キューブラー・ロスの言葉
・「河合隼雄全対話 Ⅴ」から
 大人で、50歳、60歳、70歳の人々というのは、し残したことがいっぱいあるんです。そのために、死が近づくにつれ、憤り、怒り、憎しみ、罪悪感、恐れが募ります。そして、自分たちの人生を生きなかった。お金はためたけれども、生きてこなかったと言うんです。「生きていないって、どういうこと?」というふうに私のほうで聞いてあげます。
 とても悲しい話をしてくれます。たとえば、木が好きで大工になりたかった。彫刻家になりたかったんだ。歌手になりたかったんだ。ダンサーになりたかったんだ。でも、お父さんが、医者になってくれれば嬉しいなっていったんで、医者になったんだ。お金は得たけれども、自分のしたいことをやることができなかった。こんな人々なんです。
 愛を買ってしまったのです。こんな人は他人を満足させるためだけに生きてしまったのです。そして、死ぬときにはもう悲しみでいっぱいなのです。全人生を売り渡して、愛を求めてきたのです。愛を買ってしまったのです。こういった人々は無条件の愛、無償の愛とは何かということを知りません。そして、無条件の愛というのを知らない人は、本当に不幸せな人だと思います。そして、死ぬまで愛をお金で買おうとするのです。でも、愛は買えません。


(このあとに、だからこそ自分たちの仕事は無償の愛を体験させることであるということが述べられています)


・「宇宙意識への接近」(河合隼雄+吉福伸逸=共編)から
 (死が間近な5歳の男の子からの質問への返事)
 ほしいものは手に入らなくても、必要なものは手に入るとその子にいったのです。
 もし本当に必要ならば、ちゃんと頼めばそこにいる、と私はいいました。


 (……その子は2,3日してまた臨死体験をして、自分の質問への答えを見つけました。必要なものが自分を待っていることを知ったのです。)


★遠藤周作と河合隼雄の対話(「河合隼雄全対話 Ⅴ」から)
遠藤……最近はひとつの結論に達したんだけど、その人を生かしてたのは罪であったと。罪というのはキリスト教の表面的なところからいうとマイナスですが、もっと大きな考え方からいうと、その人にとってはプラスであったという場合がある。
 心の奥へ押さえつけているものとか、それからユング派の方たちがいう影というものがエネルギーの源になっとるんじゃないかなという。
河合……だから、難しいのは、それをなくするんじゃなくて、それを生かすということだと思いますけど。私がずっと話を聞いてるということは、それをなくそうとしてるんじゃなくて、それをどう生かせるか。生かせるところまで付き合おうとしてると思うんですけど。
 ある方が来られましてね。いつもいつも愚痴をこぼしていかれるわけですね。その方が、「どうも先生をごみ箱がわりにして申しわけない」嫌なことばっかり言ってと。私がそのときに「いやあ、ごみ拾いしておったら、ときどきダイヤが混じっておるので、この商売やめられません」と言ったんですけど、つまり人はごみだと思ってるんですけど、ダイヤモンドが入っておるわけですね。それが見えるから仕事をしていると。

蔵元交流会

2008-04-13 13:50:10 | Weblog
 昨日12日、浦和のうりんぼうで蔵元交流会がおこなわれました。参加者約30人で超満員。

 蔵元さんとして、寒梅酒造、内木酒造、麻原酒造、釜屋、晴雲酒造などが参加。いろいろなお酒を試飲できて嬉しかったです。
 日本酒が好きな人の集まりだったため、日本酒に対して日頃抱いている気持ちを蔵元さんに直接言えて良かったという人が何人も。蔵元さんとしては対応が大変だったろうなあ。
 楽しい会でした。
 店主ののりちゃんとスタッフのかたたちに感謝!




 中央が店主ののりちゃん。右の釜屋の小森君にお酒をついでもらってにっこり。

自動書記

2008-04-12 13:54:17 | まじめな話
 8日は春の嵐が吹き荒れましたね。そんな中、自動書記を受けてきました。

 自動書記とは、特定の高い霊体や意識が、人間の手やキーボード等を用いて文字や文章を記載させる現象のことです。

 約2年前にも受けたのですが、メッセージが「そんなこと私にできるのかな」と思ってしまったほどステキなものだったので、そのときにはあまり現実的とは思えずにいつのまにか忘れていたのです。
 そのメモが、本棚の整理をしていたときに目についたので「ああ、こんなことしたねえ」ぐらいの気分で読んでみたら、びっくり。
 この2年の間に、いつのまにかできるようになっていた。

 また転換期が来ているなあと思っているこの時期にこれが出てきたということは、今後の課題について確認するよい時期ということだろうと勝手に解釈し、また受けてみることにしたのです。

 確認したいこと等を箇条書きにしたものをもとにきいていったのですが、やっぱりなあと思うお返事を伝えていただきました。本当は自分でわかっていることを確認しに行ったわけですね。

 ちょうど誕生日のころに本棚の整理をしたことがこうつながったということは、偉大なる何ものかからの粋なプレゼントだったんだね、と思おう! 8日の春の嵐は、私にとって素晴らしい自然による浄化でしたし。

 我ながら今後が楽しみです。

合羽橋

2008-04-11 14:07:58 | Weblog
 “片口”がほしくて、合羽橋に行ってきました。

 北浦和西口のおそばの「なごみ」さんで日本酒用に使っている片口が好きで、購入先をお尋ねしたところ、合羽橋の「陶正」を紹介してくれました。

 どうせ行くならおもしろそうなお店をたくさん見て回ろうと、3時間ほどかけてうろうろ。
 残念ながら「陶正」では品切れで、今後入荷するかどうかはわからないとのこと。
 それでもあちこちのお店で気に入ったものが見つかりました。

これは「なごみ」さんの片口です。
  
今回購入したものたち。えっ、ジャンルがかたよってるって?!

猫さんのアップです。

「源氏物語の時代」

2008-04-08 14:09:46 | 本や言葉の紹介
 一条天皇ってどういう人か、納得できました!

 一条天皇の后として有名なのは定子と彰子……と言うよりは、定子サロンで活躍した清少納言が残した「枕草子」と、彰子サロンに招かれた紫式部の「源氏物語」が各后を有名にし、その夫である一条天皇はそのおかげで他の天皇より記憶に残った、というほうが私の実感に近いのですが。

 「源氏物語の時代」(山本淳子 朝日新聞社)では、時代考証が確実な資料と、時代考証よりは、時代の人物や物事としてあらわれたことを文学的に表現した資料を上手に使って、特に「枕草子」に書かれているエピソードの裏にある史実をとてもわかりやすく解説しています。

 事件の背景、出来事がどう絡み合って起きたか、貴族たちの動き、一条天皇の決断……。

 いやー、びっくり仰天。目からウロコが何枚も落ちた!

 特に私は、藤原行成の役割と動きにポイントをおいた解説にうなりました。一条天皇の個としての思いと“政治者”としての選択とが、行成の動きでわかりやすく浮かび上がっています。

 このころの時代が好きな人は、清少納言派と紫式部派とか、定子派と彰子派などに分かれてそれぞれをひいきしがち。でもこの本は、定子側にも彰子側にもかたよらないように、それぞれの立場と政治的背景をわかりやすいように書いてくれているのが嬉しい。
 と言っても、私はますます清少納言が好きになりましたが。

トリックスター

2008-04-06 14:12:25 | 本や言葉の紹介
 このところまた、河合隼雄さんの著作を集中して読んでいます。さっと流していこうと思ったのですが、とてもそんなことはできなくなっています。何度か読んでいるのに、以前とは違ったところに目がとまったり、以前に「ああそうだよね」と思ったことが、「う~ん、本当にそうだ、そうだったねえ」とより深く感じられたり。

 「心の扉を開く」では、「ロミオとジュリエット」に出てくる神父さんについてふれて、次のようにおっしゃっています。

“多くの悲劇は、善意の人が張り切って起こすのです。われわれ心理療法家も、やっぱり、ある程度、人の役に立ちたいと思う仕事をしているから、すごい教訓になりますね。うっかり人助けをしてはならないということがものすごくよくわかります。”

 非常に僭越な言い方になりますが、もし、自分こそが人を助けてやろうと思っていたり、技術や技法を追い求めることにやっきになっていたりとらわれているセラピストさんやカウンセラーさんがいらしたら、河合隼雄さんの著作を読んでいただきたいなあと思いましたデス。

 話はちょっとそれますが、何年も前、越智啓子さん(精神科医師、いろいろなヒーリングを取り入れたカウンセリングをなさっています)の第1回沖縄ツアーに参加し、空港でさよならするときに、「私は北欧神話に出てくるロキのようなものです」という言葉がポロッと口から出ました。

 ロキをご存じなかった越智先生に、
「ロキってトリックスターです。良いことも悪いこともするいたずら者で、多面性を持つ道化師みたいなものです。膠着した場面を引っかき回して、破壊と創造の両方をうながす役割をします。
 私は、あることが起きたりテーマとして出てきて膠着状態にあるかたに、いろいろなものの見方ができることを道化者として多様な方法で展開して、その状態から抜け出せる力をその人自身が得て、使っていけるようになるためにいるらしいんです」
というような説明をしたのでした。

 また、一昨年の一人台湾旅行のときには、「おまえは、わははは、わははは、と笑いながら道を拓いていく者」だというメッセージをいただきました。
 
 河合隼雄さんの「魂にメスはいらない」を読んでいたら、その二つの体験がどういうものであるのかをより深く理解させてくれることが書かれていたのです。

 谷川俊太郎さんの「トリックスターというのがありますが、あれもアーキタイプの一つなんですか」という質問への答え。

“トリックスターというのは、いたずら者で変幻自在で途方もないことをやる道化ですね。ですからトリックスターは破壊性を持っているんだけれども、非常に思いがけない動きをするので、そこに思いがけない結合が生じてクリエーションを促す役目を果たす場合が多い。破壊かクリエーションかという瀬戸際のところに生きているわけです。
 それから、周辺と中心をつなぐものという意味を持っているんです。
 トリックスターは、破壊性のほうが強調される場合でも必ず笑いを誘うものがあって、救われるわけです。それがなかったら完全な破壊者ですよね。”

 また、別の箇所で次のようにおっしゃっています。

“「ぼくは」心理療法を学ぶ学生によく言うんです、どんなにおもしろくないことからでもおもしろいことを見つけ出す才能がわれわれには要ると。
 ぼくは自分の心を生きたものにする工夫というのをしょっちゅうしています。ぼくらの心が死んでいるということは、治療に決定的に悪い影響を及ぼします。”


 これらを読んで、思いがけないときに思いがけないフォローをしていただいたな、なんか嬉しいなと思いました。こういうことも、偉大なる何ものかのトリックスター的側面を見せてもらえたってことなんでしょうね。

 そして昨日、“うりんぼう”でたまたま隣りに座ったかたと話していて、どんなことをしているのか説明したのですが、話しながら、「ああ、自分のやっていることってこういうことなんだね」と以前より深く理解できたように感じられました。
 まったく、いいタイミングで順を追って“深くひろく”ひらかせてくださっているなと、偉大なる何ものかにまた感謝しました。

 人様と出会うっていうのも本当におもしろいものです。

愛着度アップ

2008-04-04 14:16:39 | Weblog

この写真は、ある共通点をもつ器たちです。さて、その共通点とはなんでしょうか?


 
 こっちの写真を見たらわかるかなあ。



 「酒器」というのは誤答よ。確かにすべてお酒に使ってますが、本来の使い方ではないのもあるんですからね。



 正解は、欠けたところなどを金継ぎ(金繕い)したものたちということ。 

 大好きなのにちょっと欠いてしまった陶器、金継ぎを頼もうかと思ったのですが、かなり高い。どうしようか迷い、捨てられずに20年以上持っていたものもあります。

 思い立って金継ぎについて調べてみたら自分でもできそうなので、やってみました。

 「セメダイン・エポキシパテ金属用」で欠けたところを埋め、表面をきれいにならし、「特製うるし(金)」を塗ればOK。

 実は、パテで埋めたところをきれいにならそうとして、参考資料にあった「耐水ペーパー♯1000」をかけたのですが、ほとんど削れないため作業途中であきらめていたのでした。

 ところが、中国茶の翡翠館マスターにその話をしたところ、「ダイヤモンドやすり」がよいとアドバイスしていただきました。やってみたところ、おお、これは良いではないですか! さすがマスターです。

 ということで完成しました。私はあまり器用ではないので、美しい仕上がりにはほど遠いけど、でも嬉しい。手をかけたぶん、なおさら可愛く思えます。

 見上げれば桜、足元にはたんぽぽ、からすのえんどう、むらさきだいこん、はこべ……そんな景色の中でうららかに、この杯たちとほんのりしてみたいなあ。