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原発関連で「?」なこと その1 なぜ原告側が負けるのか

2011-10-19 12:13:31 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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●なぜ原発訴訟で原告側が負けるのか

 このところ、原発関係でひっかかっていたことなどについての回答のようなものにぽこぽこ遭遇しているので、そんな話をします。長くなります。ごめんなさい。

 原発訴訟ってかなりおこなわれているのに、なぜ告発した側がまず勝てないのかねえ。
 原発が危険なことはわかっているのに変だよねと思っていたら、先日発行された「くらしと教育をつなぐWe 174号」(フェミックス)のインタビュー記事「司法は原発を止められるか――市民と科学者が共に取り組む原発訴訟」で回答のひとつを見つけました。
 
  これは、1980年に弁護士登録して以来30年間一貫して原発訴訟に関わってきた海渡雄一弁護士へのインタビュー。
 原発訴訟関連を抜粋してご紹介します。

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 まず、日本では行政訴訟の勝訴率が非常に低い。裁判所が行政のやることは基本的に間違いがないはずだと、行政の判断を非常に重視していて、よほどのことがないかぎり行政と違った判断はしない。そういう性格を日本の司法機関が帯びていることがいちばん大きい原因だと思います。
 その背景に、行政機関と司法機関の間で人員の行き来が結構あるのです。「判検交流」と言っていますが、裁判官が検察官になる、つまり、行政事件の被告側である国の代理人の事務を行う部署に、裁判官が行くわけです。
 原発訴訟でいうと、国の代理人として被告側に座っている訟務検事が元裁判官であることが多い。そういう人がまた裁判所に戻り行政事件を審理すると当然その影響を受けますよね。
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 つまり、行政と司法はお仲間同士というわけ。そりゃ原告側には不利きわまりないや。

 そう思っていたら今日(10月19日)、朝日新聞の記事「原発と司法」で、弁護士、元裁判官、法学博士からの発言がありました。これもひとつの回答でした。抜粋してご紹介します。

 おっとその前に、行政訴訟についての説明を。

 行政訴訟とは、国の機関や地方自治体などの行政官庁の行った行為(公権力の行使)の適法性についてを争い、その取り消しや変更などを住民などが原告となって求める訴訟のこと。裁判によって違法な行政作用を是正して国民の権利・利益の救済を図り、あるいは行政の適法性を確保するためのもの。
主観訴訟(個人的な権利利益の保護を目的とする訴訟)と客観訴訟(非個人的な法秩序の適正維持を目的とする訴訟) の2種類に分類される。
だそうです。では記事のご紹介です。

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★河合弘之さん(脱原発弁護団全国連絡会代表)
  原発訴訟は、大変苦しい闘いです。膨大な時間と労力をかけているのに、「やってもやっても負ける」からです。屈辱と徒労感ばかりでした。
 日本の経済社会の半分以上は、何らかの形で電力会社を頂点とする原子力利権構造に組み込まれている。私はそう考えています。だから、訴訟で多くの企業を敵に回す。(他の問題で応援してくれた企業も、反原発と言ったとたん依頼が途絶えた)「国策に盾突く危険な人」と見られたのです。
 それでも原発訴訟を続けたのは、市民運動やデモだけでは、社会から無視されるからです。
 訴訟を起こせば、提訴や判決、主要な証人の尋問のときは、メディアも報道します。裁判官も何らかの判決を書かねばなりません。
 しかし、電力会社などによる「原発は安全・安心」キャンペーンの広告による刷り込みの結果、裁判官たちも裁判が始まる前から「原発は安全」という前提で臨んでいました。
 また、「原発のように国の大きな政策に関わる判断は、裁判所の仕事ではない」といった消極的な姿勢も感じられました。
 ところが、「3・11」の後、そうした裁判所の姿勢も変わりつつあります。
 福島第一原発事故を見て、原発の問題が裁判官にとって身近な問題になりました。裁判官の判断もこれまでとは変わるでしょう。

★海保寛さん(元裁判官 大阪地裁判事のときに高浜原発訴訟を担当し、1993年に原告敗訴の判決を言い渡した 現在は宮崎市で弁護士を開業)
  原発訴訟をめぐっては前年に最高裁が一つの「判断基準」を示しました。
 要するに「国の審査指針は専門家が集まって作ったのだから、司法としては見逃すことができない誤りがない限り、行政庁の判断を尊重する」というないようでした。これが司法の流れを主導していくと考えました。下級審は最高裁の判断に影響されます。私もそれを前提に判決を書きました。
 とはいえ、すべてを「専門家」の判断に任せるわけには行きません。機器や検査態勢の不備には、かなり踏み込んだつもりです。
 当時、合議を尽くした判決です。しかし福島の事故が起きてしまった今、私個人としては原発の危険性について、もう少し、しっかりした認識を持つべきだったと思います。そして司法全体が安全性について踏み込んだ判断を積み重ねていたならば、審査指針が改善されたかもしれない。そして、今回の事故を防げぐことができたのではないか。そんな思いがあります。

★櫻井敬子さん(学習院大学教授 法学博士)
  原発訴訟の多くは行政訴訟の形を取っていますが、ほとんど原告敗訴となっています。行政訴訟は歴史的に行政側に有利に作られており、国家の秩序維持に寄与する仕組みの一つです。
 (行政事件の扱いは)裁判所が事件として受け付けない「却下」(門前払い)が民事訴訟に比べると格段い多いのです。裁判になっても行政側に幅広い裁量権が認められ、「裁量権に逸脱・濫用がない」として請求棄却されることが多い。
 なかでも原発訴訟は国策に関わるので、国は総力をあげて争います。国側には多数の訴訟代理人がつき、経済産業省などが全面的に協力するのに対し、原告側は住民とボランティアの弁護士が中心。対等な闘いになりません。しかも、国側の訴訟代理人には裁判所から法務省に出向している「訴訟検事」が含まれます。裁判官と国側の代理人の出自が同じなので、原告は法廷で孤立しがちです。
  原発訴訟で特に問題になるのは、先端的科学技術に関する判断が求められることです。裁判官の多くは文系人間。原子炉の詳しいことはわからないので、行政の裁量を理由に、実質的な判断から逃げる傾向が強くなります。
 今の司法に、原発を止めるような「元気な裁判官」の出現を期待するのは難しいでしょう。
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 うーんやっぱり、行政訴訟って「裁判によって違法な行政作用を是正して国民の権利・利益の救済を図り、あるいは行政の適法性を確保するためのもの」じゃないのね、実際は!
 


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