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ノーモア広島から ノーモア被ばく者へ

2016-03-15 09:47:13 | 原発

 東京新聞3月14日の朝刊記事から抜粋します。

●ノーモア広島から ノーモア被ばく者へ
 放射能の苦しみを知る広島は、核兵器廃絶を訴え続けてきた。だが、被爆地ゆえに「原子力の平和利用」の旗振り役を担わされ、反核運動のなかで「原発」はしばしば切り離された。東日本を放射能汚染の危機にさらした東京電力福島第一原発事故は、ヒロシマと原発の関係も大きく変えた。東日本大震災から5年を迎えた11日、被爆者たちは四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の運転差し止め訴訟に踏み切った。
●ヒロシマの「3.11」
 「(放射能の)害という意味では、原爆も原発による害も変わらない」。伊方原発1~3号機の運転差し止めを求める訴訟を広島地裁に起こした原告団団長の堀江壮さん(75)は、提訴後の記者会見で力を込めた。
 今回の弁護団にも名を連ねる脱原発弁護団全国連絡会の河合弘之共同代表は「伊方原発が過酷事故を起こしたら、風向きによっては放射能が飛んでくる今回、世界で最初に原爆の被害を受けた人々が、新たな被爆を拒んで立ち上がった。この歴史的な意義は大きい」と強調する。
●「原子力の平和利用」と葛藤
 (11日)原爆ドーム前では、母の体内で被爆した元英語教師の三登浩成さん(70)が終日、手製の資料を手に外国人観光客らを案内していた。
 福島事故後、海外の観光客から「なぜ被爆国の日本にこんなにたくさん原発があるのか」と問われることが増えた。「『知っていても何も変わらない』と言われるが、そうじゃない。知らないんです。戦後70年たっても、やっぱり事実を知らない人が多い」
 昨年8月の平和記念式典でも、松井一実広島市長は原発問題に触れない。「行政も専門家も残留放射能や内部被ばくの影響をほとんど無視してきた。70年前の戦争も、命よりも経済を優先して暴走した。今も何も変わっていないのではないか」
【デスクメモ】
 被爆地・広島ならではの動きがあるに違いない。3.11から数か月後、広島の地元紙や全国紙の地方版をめくった。が、見事に裏切られた。脱原発の声が特段大きいわけでもなく、多の地域と似たような記事が並んでいた。そこでハタと気づく。「原子力の平和利用」に翻弄(ほんろう)された被爆地の歴史を。

 うーん、やっと言えるようになったわけだけど、それをつないで続けていくことが大きなテーマになったねえ。
 「戦後70年たっても、やっぱり事実を知らない人が多い」……知る努力、知らせる努力をしていこう。


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