王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

ブラック X’マス ? 東証1010円下げ

2018-12-26 13:41:09 | 為替 ドル 株式
東京株、1000円下げ=1万9155円、1年8カ月ぶり水準―世界経済先行き懸念

昨日25日東証の日経平均株価はNYのダウ式株価の値下げを受けて」あれよあれよついに5営業日ぞくっらくの終わ値で前週末比1010円。45銭下げの1万9千4155円74銭を付け2017年4月以来1年8日月振りの水準となりました。

米政府の政治の行方に対する不透明感が台頭、海外の投資家を中心に日本株の売りが広がり大幅下げとなりました。

今朝26日の朝1番では200円近い買い戻しがありましたが午後2時ではさらに前日比200円近い下げの1万8950円台で推移しています。
とんだ米国からのX’マスプレゼントになりました。

大納会まであと2日、下げ止まりで終わりますかね??
まあ一般人は今年1年の稼ぎがぶっ飛んでしまいました。
アベノミクス第4?第5?の矢はどうなりますかね。
難しい年になりそうです。


写真:25日株価を示す電光ボード終り値で前日比1010円の下げ

時事通信:
25日の東京株式市場は、世界経済の先行き懸念を背景に投資家心理が悪化し、大幅安となった。日経平均株価の終値は前週末比1010円45銭安の1万9155円74銭と、5営業日続落。2017年4月以来1年8カ月ぶりの水準で、下げ幅は2月6日(1071円)に次ぐ、今年2番目の大きさだった。

 東証株価指数(TOPIX)も72.64ポイント安の1415.55と5日続落。連日で年初来安値を更新した。

 米政府機関の一部閉鎖や、パウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長の解任検討報道などにより、米国政治の行方に不透明感が台頭。海外投資家を中心に、日本株の持ち高を圧縮する動きが広がった。

 為替相場での円高進行も株安を加速。精密機器、機械などの輸出関連株を中心に下げが目立った。市場では、相場下落により「損失が膨らんだ個人投資家が穴埋めのため、株式や投資信託の売却を迫られた」(中堅証券幹部)との声が聞かれた。
(引用終わり)
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フィギュア 宇野昌磨 3連覇で世界選手権へ !!

2018-12-25 07:14:08 | スポーツ
宇野昌磨3連覇で世界選手権切符!高橋大輔は2位

昨日24日フィギュアの全日本選手権男子のフリー演技の部でSP首位の宇野昌磨選手が」187.04点、合計289.10で優勝しました。
オメデトウ御座います。

SPを首位で発進したものの足首に異常が起きたらしく? フリーの公式練習には参加しなかった事で出場を危ぶむ声が有った様です。最高点で優勝を決め良かったですね!!

そして2位になったのが今シーズン現役に復帰した高橋大輔さん[32]が239.62で2位に入りました。
そして3位には田中刑事選手(24)が236.45で3位に入りました。
まあ成績から見れば日本選手権2位と3位ですから連盟は世界選手権には誰を送るかと興味がありました。
そしたら何と2位入賞の高橋選手が世界選手権の出場を辞退したのだとか。

かくして日本選手権3連続欠場の羽生結弦選手は平昌五輪金メダルほかの活躍を評価され世界選手権に3位の田中選手が繰り上がりの2位で世界選手権に挑戦となりました。
若手に世界の場を経験させたいとの高橋選手の男気?親心ならぬ兄貴心でしょうが田中選手の得点ではよほど目覚めるものが無いと苦しいでしょうね?
でも上司を見ても17-18歳の活躍の時代ですから男子フィギュアも新しいシニアが出てきて欲しいものです。
宇野さんも羽生さんも足のけがを良く直してくださいね。
しっかり見守っています。


写真:演技中の宇野選手

日刊スポーツ:
<フィギュアスケート:全日本選手権>◇24日◇東和薬品RACTABドーム◇男子フリー

男子ショートプログラム(SP)首位の宇野昌磨(21=トヨタ自動車)が187・04点、合計289・10で3連覇を達成した。優勝したことで、宇野は日本スケート連盟の代表選考基準を満たし世界選手権代表切符を獲得した。

今季現役に復帰したSP2位の高橋大輔(32=関大KFSC)は合計で239・62で2位、SP4位だった田中刑事(24=倉敷芸術科学大大学院)が合計236・45で3位に入った。冬季五輪2連覇の羽生結弦(24=ANA)は右足首故障のため、3年連続で出場していない
(引用終わり)
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女子フィギュア 坂本花織が初女王 !!

2018-12-24 12:46:49 | スポーツ
坂本花織が初女王 「計算ミスかな」
昨日23日大阪で行われたフィギュアスケート全日本選手権で女子のフリーが行われ坂本花織(18)が今季の自己ベストを大幅に更新する152.36点をマークし合計228.01で初優勝をを遂げました。
また世界選手権代表にも内定しました。
オメデトウ御座います。

つい最近若い娘さんが出て優勝と言う記事を書いたと思いました。つい先月10日のGP第4戦NHK杯で紀平梨花さん(16)は21日のSP 演技で大コケして(のちにシューズが合わなかったとの事ですが)第5位発進となり優勝に危険信号がともってしまいました。それでもフリーは頑張っ坂本選手の得点を上回りましたが合計点155.01点の2位と盛り返しました。
立派立派!!

宮原嬢はSP1位で発進しましたがフリーで4位と振るわず総合3位となり連覇を逃しました。
近頃の協議スポーツはやたらと試合をしていて何の大会で優勝なのか? 若い娘さんの名前と顔を瞬時に見分けるのが困難になってきました。
それだけ若手が伸びてきているという事なのでしょうね!!
誰が優勝しても結構ですよ!
切磋琢磨して東京五輪で活躍してください。
見守っています。


写真:演技を終えた坂本選手

スポーツ報知:
◆フィギュアスケート 全日本選手権 第3日(23日、大阪・東和薬品ラクタブドーム)

 女子のフリーが行われ、平昌五輪代表の坂本花織(18)=シスメックス=が今季の自己ベストを大幅に更新する152・36点をマークし、合計228・01点で初優勝。初の世界選手権切符も手にした。

 フリーでは7種類のジャンプをダイナミックに決めた。フィニッシュでは右手で宙を殴りつけるような気合のガッツポーズ。「ここであきらめたら1年の頑張りが無駄になる。死ぬ気でやるしかない」との気迫が高得点を引き出した。

 フリーの今季自己ベストは10月のスケートアメリカで出した142・61点。9・75点も上積みした。キスアンドクライで点数が明らかになると、両手で顔を覆ったまま固まってしまった。「計算ミスかなって一瞬思った。うれしいけどあんまり実感がない」。昨年の大会ではSP首位から宮原に敗れ2位。リベンジを果たし、笑顔が絶えなかった。
(引用終わり)
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天皇陛下 ご在位最後の誕生日会見 !!

2018-12-23 10:13:20 | 天皇家
時おり声を詰まらせ“天皇としての旅”ふり返られる...天皇陛下がご在位中最後の誕生日【動画全録】

今日23日は天皇誕生日でこのため20日に収録されていた記者会見の様子が動画で流れました。
まだ23日が天皇誕生日である事の刷り込みが浅くてこの三連休は「23日が日曜日なので24日は振替休日」のためでした。
下々の例に例えては失礼ですが先帝昭和天皇は「現人神」から「人間天皇」へと身分を変えられ戦前と戦後の混乱期の日本人を(精神的に)纏めていらっしゃいました。今上陛下は中興の先代を引き継ぎ「象徴天皇である事を意識しその行為を(多分)国民の気持ちに寄り添う祈りを行う」事と絞った様に見受けられました。
明治憲法を含めても憲法が天皇の権能に制限を加え「それ以前から続く天皇家の行事でありかっては国の行事でもあった行為」のいくつかは良く判らないまま実体として継承されてきました。
もともと法治民族でない日本人が論理的かつ首尾一貫して象徴天皇の行為と国事行為と切り分けることなどできませんでした。

それでも今上陛下は「象徴天皇とは祈りである」と規定されそれさえも十分な体力と気力に支えられなければ「満足に果しえない」とされ来年4月末日を持って生前ご退位となりました。
それも決まるまで実に10年くらいはかかっていたのですね。

しかしその結果平成の御代は他国に戦争を仕掛ける事も仕掛けられる事も無く終わりそうです。
これは実に偉大な事だと思います。

又陛下自らが述べられましたが民間から皇室に入られた美智子妃殿下の天皇陛下に捧げる公私に亘る愛情と寄り添いは滅私と呼んでも差し替えないほどにお見受けしました。ついに実家の正田ご一族は一度も国民の前に現れる事なく過ぎました。
是非御退位後はお二人で私的旅行でもお楽しみいただきたいと思っています。
さてそこで三代目ですがどうなりますかね?
浜爺は心配しています。
まあ今日はその事を語る場ではありませんので述べません。
惜しまれつつ去ると言うのは難しいものです。
平穏なご退位を願っております。


写真:ご在位中最後となる誕生日記者会見で

FNN Prime:
23日、天皇陛下はご在位中最後となる、85歳の誕生日を迎えられた。誕生日に先立ち行われた記者会見で、天皇陛下は時おり、涙で声を詰まらせながら平成を振り返られた。

(陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなるが、現在のご心境と、今、国民に伝えたいことは?)

この1年を振り返る時、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。

集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。

新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。

命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。

譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。

世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。

終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々とわが国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。

そしてその翌年、英国のエリザベス2世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。

それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、わが国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。

昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。

沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。

皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。

沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。

先の大戦で多くの人命が失われ、また、わが国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。

平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。

そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、さらにその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。

皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

次に心に残るのは災害のことです。

平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。

ただ、その中で、人々の間にボランティア活動をはじめ、さまざまな助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。

また、災害が発生したときに規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

障害者をはじめ困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。

障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。

パラリンピックをはじめ、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年、わが国から海外への移住が始まって150年を迎えました。

この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。

こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

そして近年、多くの外国人がわが国で働くようになりました。

私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。

日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国からわが国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者がわが国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。

明年4月に結婚60年を迎えます。

結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。

また、昭和天皇をはじめ私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子どもを育てました。

振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の1人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います。

そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。

多くの関係者がこのための準備にあたってくれていることに感謝しています。

新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあとわずかとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。
(引用終わり)
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羽生竜王で100期ならず!!

2018-12-22 13:57:29 | 芸能
無冠となった羽生の称号どうなる?「前竜王」名乗れるが辞退なら「九段」

昨日21日竜王戦7番勝負の7局で広瀬章人八段(31)が羽生竜王(48)を破り竜王のタイトルを奪いました。
マスコミ各紙の扱いは広瀬新竜王をアップに映すより羽生竜王タイトル無い あるいは通算100期ならずを大きく取り上げていました。
それだけ羽生さんの成し遂げてきたことが偉大だと」言う事なのでしょうね。

藤井7段の様に去年から今年であれよあれよと7段になった人材が出る将棋界ですから間もなく50歳になる羽生さんが追われる立場になりのも仕方のない事なのかもしれません。
昔は大山名人とか升田名人はては中原さん辺りまでは長い事強かったのでないかと印象だけを持っています

羽生さんにはぜひタイトルを奪還して欲しいし若い人はどんどん伸びて将棋界を面白くして欲しい。一粒で二度美味しくなることを願っています。


写真:対局後の羽生竜王

デイリースポーツ:
将棋の羽生善治竜王(48)が21日、山口県下関市で行われた竜王戦7番勝負第7局で広瀬章人八段(31)に167手で敗れ、1991年以来27年ぶりにタイトルを失った。

 現役のタイトル保持者以外は通常、段位で呼ばれるが、「名人」と「竜王」に関しては、失冠して無冠になった場合、次期タイトル戦終了までは「前名人」「前竜王」と名乗る資格が与えられる。

 羽生は90年に竜王位を失って無冠になった際は「前竜王」と名乗った。98年に名人位と竜王位を失った谷川浩司九段(56)は称号を辞退し「九段」となった。

 羽生が肩書として段位を名乗ったのは、89年に竜王位に挑戦した際の「六段」が最後。平成の期間は必ず肩書を持って年を越していたが、無冠となって「前竜王」「九段」のどちらで新年を迎えるのかも注目される。
(引用終わり)
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