王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

原節子さん 逝く !!

2015-11-26 08:16:53 | 芸能
巨匠と出会い、名女優に脱皮=ベールに包まれた私生活―原節子さん

昨日25日女優(だった)原節子さんが9月に肺炎で亡くなっていた事が判ったそうです。
享年95歳とお聞きします。
肺炎で静かにと95才との落としを合わせると「大往生」と思われます。
ご冥福をお祈りします。

浜爺が若い頃突然得引退されたのをかすかに覚えています。
その頃浜爺が見た日本映画は小林旭や石原裕次郎とそれに絡むヒロインの女優さん 一人で稼げるのは吉永小百合さんでしたかね?!

原さんの引退の理由ははっきりしないとされていますが、どうやら小津安二郎監督が亡くなり(結婚のうわさもあった)原さんが彼に殉じた引退であった様です。
失恋や離婚そして子供の親権争い等、実生活で奮闘をしながら女優業を続ける方もすくなくありません。
原さんの生き方はその対局に有る物です。
昭和が又一つ消えました。
ご冥福をお祈りします。     合掌。


写真:スクリーンでの原さん(左側)

サンスポ:
表舞台から姿を消して半世紀余り。女優の原節子さんが亡くなっていたことが25日、分かった。つつましくしとやかだが、しんの強い女性を演じ続けて、日本映画界にその名を刻んだ原さん。その演技力は、名コンビとうたわれた小津安二郎監督をはじめとする名匠、巨匠の指導のたまものだった。日本映画の黄金期を支えた才能との仕事が“名女優”原節子を生み出した。

 戦前の映画では、品のいいお嬢さん役の印象が強かった原さんは、小津監督の「晩春」で演じた、婚期の遅れた父親思いの娘役で新境地を開拓。戦後の新時代を象徴するはつらつさと、昔ながらの奥ゆかしさを併せ持つ女性像が、女優原節子のイメージを決定付けた。

 さらに黒沢明監督や成瀬巳喜男監督など、世界的な評価を受ける名匠の質の高い作品に相次いで出演。小津監督を含めたこれら実力派監督との仕事を通じて、原さんは単なる美人女優から、実力を兼ね備えた演技派に脱皮した。高貴な美しさをたたえた女性から庶民的な妻役までを演じられる多面的な演技力で、名実共に日本映画史上に残る女優の地位を確立するに至った。

 一方、生涯独身を通したとされる私生活は、なぞのベールに包まれていた。「麦秋」の撮影中には、独身だった小津監督との結婚がうわさされたこともあった。42歳での引退は、女優として老いていく姿を見せたくなかったのではないか、ともいわれている。

 最後に映画出演した1962年の翌年、恩師の小津監督が死去。監督の命日に神奈川県鎌倉市内にある墓所を訪れる原さんの姿が見られることもあったという。 
(引用終わり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする