王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

フランシーヌの場合

2006-03-30 07:14:38 | 海外
来月4日再びスト合意 仏労働団体が方針協議 (共同通信) - goo ニュース

共同通信の報道によれば仏政府の若者雇用政策「初期雇用契約(CPE)」の導入に対し労働組合団体と学生が4月4日に再びストを行うことに合意したと 28日には学生と労働者がパリを始め全土で300万人(政府側発表105万人)がストに参加した

爺は仏の労働事情など知る由も無いが学生・労働側がCPEの完全撤回を求めるならもう一波はストを企画しその後第三波を組む構えを見せないと要求は貫徹されないと思っていたから学生と労働組合の戦術は正しい

爺が書きたいことはCPEの事ではない
全国ストの前にもパリで学生が抗議行動をしたり一部暴徒に催涙ガスが打ち込まれるTV映像を見て「フランシーヌの場合」という歌を脈絡も無く思い出し続いて「カルチエラタン」という単語となぜか「樺美智子」が頭に浮かんだ

「フランシーヌの場合」とは新谷のり子さんという歌手が歌った(歌詞と作曲は別人)歌だ 1969年3月30日 パリでフランシーヌ・ルコント嬢(学生 30歳)がベトナム戦争とビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺した ベトナム戦争反対は解説の要は有るまいがビアフラ飢餓とは当時ナイジェリアで内戦があり東部地区のビアフラで戦死殺害死餓死で100万人とも150万人とも言われる死者が出た 特に子供の飢餓がひどく腹だけ出て手足が枯れ枝の様な子供達の写真が報道された 彼女は国際社会が(政治的事情で)弱者に冷たい事に憤り抗議の自殺であろう この事件に想を得て新谷のり子さんが同年6月15日にレコードを発売した この日は樺美智子さんの祥月命日であった 9年前の1960年6月15日デモ隊が日米安保反対の抗議行動であわや国会議事堂突入という場面で東大生であった樺(かんば)美智子さんがガス弾を頭に受けて死亡した その事を悼んで反戦の日と(当時)呼んでいたのに因んでの発売であった これでフランシーヌと樺美智子が繋がった

さてカルチェラタンだが当時世界的な(ベトナム)反戦運動は米国はもとよりフランスにも及んでおりパリの学生街の一角(これがカルチェラタン)に街路の石畳をはがし路上に積み上げバリケードにして反戦運動・活動が盛んでありこれに倣って日本でも駿河台下に同様の事をしたのが日本版カルチェラタンだ 日本では70年安保が政府の学生・労働勢力に対する強力な押さえ込みによりあっけなく改定される 又賃金が毎年15%も20%も上がるようになると大衆動員型の労働運動は影を潜めた 一方残った者は少数化・過激化し内ゲバとかセクト内殺し合い(総括殺人)ついには浅間山荘事件へと繋がっていった

新谷のり子さんは「フランシーヌの場合」を80万枚売るがまもなく音沙汰がなくなる 爺なんかは新谷さんは反戦過激グループと公安にマークされ(業界から)消されたとのまことしやかな話を今でも信じている HPによると何処にも居そうなおばさんになり今でも地味に反戦平和活動に取り組んでいらっしゃる様で殺されなくて良かった 良かった

今日は奇しくも3月30日 以下は「フランシーヌの場合」の歌詞である
フランシーヌの場合(昭和44年)
いまいずみあきら作詞     郷伍郎作曲       新谷のり子唄    JASRAC作品コード074-2033-1

フランシーヌの場合は
あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は
あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ

ホントのことを云ったら
オリコウになれない
ホントのことを云ったら
あまりにも悲しい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ

ひとりぽっちの世界に
残された言葉が
ひとりぼっちの世界に
いつまでもささやく
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ

フランシーヌの場合は
私にもわかるわ
フランシーヌの場合は
あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ

今でもフランスの学生や労働者は連帯したり団結出来るのだね(懐かしい言葉だ)
イギリスでも年金問題で戦っている 日本人は団結も連帯もしないから使いきり・切捨ごめんだものね
 ♪余りにも悲しい---♪


コメント
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