今日 2/11は、ご存じ「建国記念の日」。1966=昭和 41年の「国民の祝日に関する法律」の改正で制定。翌年のこの日から施行に至るも、元々は皇統初代とされる 神武天皇の即位日に因む「紀元節」に由来するとされ、明治期から終戦直後までの 国民の祝日になっていた流れを汲むものとも理解できよう。「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とされる事に異議はない。
ただ ややもすると、祖国愛とは「思っていても言わぬもの」的な風潮が一方にあるのも事実。これは多分 戦後幅を利かした日教組を初めとする左派文教勢力によって広められたのでは?とするのが拙見方だ。確かに余りの露骨は控えられるべきも、例えば先のサッカー W杯・カタール大会にての日本代表躍進を称える 国旗・日の丸を掲げての「ニッポン・コール」や、特に試合に勝利した場合などの 選手と観客多数による国歌・君が代の大いなる斉唱は断じて尊重されるべき。このレベルの行動は 世界中のどの国民も実行しており、我国だけが「やめろ」などと難癖をつけられる云われはない。今日はとに角、建国記念の日に 心静かに祝意を表したい。
本題です。その健全な愛国心の涵養に対してさえ難癖をつける左派野党・日本共産党の関係者の方が、党首公選制を求める文書を 党方針に反して刊行されたかどで、除名処分を受けたのは広く知られる所だろう。志位執行部からは 一定の説明があったも、言論封殺の繋がる印象が付き纏うのは事実。この動きに関し、先日 日共にも思考が近いとされる朝日新聞からさえも批判の論調が示された。去る 2/8付の同紙社説がそれで、対する志位執行部は反発している様だが それは適切なのか。以下に引用の次第。
「共産党員の除名 国民遠ざける異論封じ」
党勢回復に向け、党首公選を訴えた党員を、なぜ除名しなければいけないのか。異論を排除するつもりはなく、党への「攻撃」が許されないのだと言うが、納得する人がどれほどいよう。かねて指摘される党の閉鎖性を一層印象づけ、幅広い国民からの支持を遠ざけるだけだ。
共産党本部の政策委員会で安保外交部長も務めた ジャーナリストの松竹伸幸氏が一昨日(2/6)、党を除名された。党トップの委員長を 全党員による投票で選ぶことなどを提案した「シン・日本共産党宣言」の出版からわずか半月余り。党規約で「警告」「権利停止」「機関からの罷免(ひめん)」の上の 最も重い処分だ。
委員長は現在、2、3年に 1度開かれる党大会で選出された中央委員会が決めることになっている。松竹氏は 開かれた党首選を行うことで「異論を許さない怖い政党」という国民の見方が変わり、共産党を含む野党共闘への不安感も和らぐのではないかと指摘。他の野党が懸念する安保・防衛政策についても、その機会に議論を深めることができるとした。
朝日新聞も昨年 7月、共産党の結党 100年にあたっての社説で、多様性を重視する若い世代をひきつけるには「誤りを認めない無謬(むびゅう) 主義や閉鎖的な体質から脱却する必要がある」として、党首選が「党を開く改革」になると主張した。
共産党は、党首選は「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制の組織原則と相いれないという立場だ。激しい路線論争が繰り広げられていた時代ならともかく、現時点において 他の公党が普通に行っている党首選を行うと、組織の一体性が損なわれるというのなら、かえって党の特異性を示すことにならないか。
もっとも 今回の除名は党首公選など主張の中身ではなく「党に敵対する行為はおこなわない」「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」などの党規約に背く「重大な規律違反」が理由とされる。
小池 晃・書記局長は「共産党は 意見を言う自由は認められている。問題は 党の中で述べることなしに、突然攻撃してきたことが重要」と語った、しかし 党のあり方を真剣に考えての問題提起を、一方的に断罪するようなやり方は、異論を許さぬ強権体質としか映るまい。
一般の党員や党所属の地方議員らが、どう受け止めるのかはわからない。ただ 党内の結束が保てたとしても、これまで共産党の政策や活動に理解や共感を示してきた 党員以外の有権者や知識人の心が離れるなら、党勢は細るばかりだと思い知るべきだ。(引用ここまで)
或いはお感じかも知れないが、今回引用の朝日紙社説にも 微かだが「我々は、共産党の為を想えばこそ この様な主張をしているのだ」風な気配を感じはするも、同党側が露わにした「不見識」とか「悪意ある」文面には流石に見えないのも事実。少なくとも今回に限っては「概ね中庸な 一新聞記事」とみて差し支えないのではないか。詳しくは末尾にリンクの関連記事に譲る所もあるが、そうした論調に対してさえも「悪意」「不見識」などと難癖をつけ、聞く耳を持たない傲慢姿勢を表し続ける 志位日共執行部の側こそ異常で病的とみるべきだろう。
今回の除名劇に対しては、同じく左傾の毎日紙も 朝日紙に近い批判の主張を同紙社説に載せ、これに対してさえも 日共幹部が反発の挙に出た由。「判で押した様な」とはこの事だ。近い立場といえど 複数のメディアから批判される重い事実と、日共は心あるならもっと謙虚に向き合ったらどうなのか。最早何を言っても無駄とは思うが、日共はここで党の体質や方向性の大転換でもできない限り、先細っていずれ消滅の流れを変える事は、増々困難となろう。
対する朝日・毎日の両紙も、今回の様なバランスを慮った中庸な姿勢、つまり朝日紙の (ただの)お題目になり下がった「不偏不党」の社是に少しは立ち返れれば、読者や国民の見方も少しは好転するだろうにとも思う者だが、やはり無理・・か。まぁ双方共、引き続き泥試合に耽ってくれる方が 我々保守側にとっては有難くもあるが。今回画像も振り返り恐縮。この所毎夏の「終戦の日」に訪れる、愛知県護国神社・拝殿前辺りの様子を。以下に 関連記事を 2件リンク致します。➀「産経新聞 2/9付」志位氏が朝日社説に猛反論も…「産経」と言い間違え (msn.com) ➁「東洋経済オンライン 2/11付」「共産党」大揺れ、改革訴えた党員「除名」で待つ試練 党首公選制導入を否定、問われる志位長期体制の可否 (msn.com)