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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

かすかな光がさしこんで

2009-03-10 16:03:56 | 日記

昨日はヒックンが下痢の風邪をひいたので、一日預かりました。先週は高熱が出たのですが、週明けには熱は下がり、昨日は元気をもてあましていました。

ひとり遊びができなくて「あそぼ・あそぼ」と言いながらわたしのあとを追ってきます。娘は友人と出かけてしまい、頼りになりません。
畳のへりを道路にみたててミニカーを走らせる遊びやお絵かき、工作などして過ごしました。2時間も昼寝をしてくれたので助かりました。

左腕と右肩の痛みがあるので抱き上げることはできません。でも、感謝なことにヒックンは今月末で2歳になるので、ほとんど抱き上げる必要もなくなっています。(無意識に3回ぐらい抱き上げてしまいましたが……)ヒックンがいる間は全く痛みを感じませんでした。

主人が仕事を調節して遅く出勤し、早く帰って来てくれたので助かりました。主人はヒックンをお風呂に入れるのが生き甲斐になっているようです。今日もまたこれからきます。


わたしは今、昨年の9月に行われた茨城児童文学の会の合宿で提出した長編小説を書き直しています。直すところがありすぎて、どこから手をつけたらよいのか見当がつかず、しばらく放置していました。合宿で原稿を提出したのは4人でしたが、今年1月の例会でその中のひとりが書き直して持って来られたのです。わたしと同じぐらい、原稿用紙200枚近くの小説です。

バイタリティーある彼女から刺激を受けて、わたしもようやく重い腰をあげたのですが……途中で童話を書いたりしていたので遅々としてすすみません。

そして、壁にぶつかり、また立ち止まってしまいました。とにかく頭はザルのようで、自分の書いたことすら忘れる。語彙、表現力が乏しい。想像力に欠けている……で、わたしには無理なような気がしてきました。

そんなとき、クリスチャン・ペンクラブの方で、このブログともリンクさせていただいている希望の風さんが発行されているマガジン「ひまわり」が届きました。

「ひまわり」には大江健三郎氏の著書の中にある言葉のエラボレーション、すなわち≪言葉をみがく≫ことについて書かれた文章から、あかし文章を書くためのメッセージが述べられていました。以下希望の風さんが書かれた文章です。


【一つのことを相手に伝わるように、相手の心を捕らえるように表現することは容易ではありません。的確な言葉が必要です。言葉をみがくとは言葉を選ぶことも含まれているでしょう。たくさんの類語の中から、この事実を、この真理を、この恵みを、明確に伝えるために、一番フィットする言葉を選び出すのです。
つまり言葉をみがくのです。これは知識やテクニックやその人の語彙の問題だけではありません。言葉を選ぶのはほかならぬ自分です。信仰に生きる自分です。オーバーかもしれませんが、選ぶ言葉の一つ一つに生き方がにじみ出てくるはずです。信仰姿勢が見えてくるのです。言いかえれば≪文は信なり≫なのです。】


合宿の折、「展開が安易です。言葉にあまり気を使わずに書きましたね」と言われました。それ以来、意識して『言葉』に気を使いながら書くようにしていますが、これまでの読書量の少なさや知識のなさがわざわいして限界を感じるようになりました。言葉集めをするような気持ちで必死に本を読んでいますが、今更勉強しても追いつかないという気がしてきました。言葉を選ぶといっても、選択肢が少なければフィットする言葉をあてはめることができません。

ところが、「ひまわり」にはテクニックやその人の語彙の問題だけではないと書かれています。もちろん、語彙は多い方がいいでしょう。テクニックも必要でしょう。そのための勉強は必要です。
でも、わたしが書く小説は、あかし文章としての作品なので、信仰に生きる自分が織り込まれていなければ、書く意味がないのです。そのことに気づかされてはっとしたのです。

また、「ひまわり」には、最初に書いた時間の2~3倍の時間をかけて書き直すといった大江氏のことばを紹介して、推敲することの大切さが書かれています。
わたしは、小説を書いた時間と同じくらいの時間、推敲してきました。それだけで息切れしていましたが、その2,3倍の時間をかければ、もしかして完成できるのでは?という希望の光がかすかにみえてきました。
さて、今年の合宿に間に合うでしょうか?

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。ぜひご覧ください。


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