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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

詩篇23篇(その3)

2009-02-16 07:56:20 | 聖書から
ヒックンがまた熱を出したので今日これから預かります。長期戦になるかもしれません。今のうちに記事をアップしておきます。


前回の続きで詩篇23編を読んで気づかされたことを書きます。


あなたのむちとあなたのつえ、
それがわたしのなぐさめです。



あなたのつえが慰めというならわかります。でも、懲らしめるために用いられるむちが慰めであるとはどういうことでしょう?

羊はときとして群れから離れ迷い出てしまうことがあるそうです。そんなとき羊飼いがむちを当て、正しい道に連れ戻します。軌道を修正してくれるのです。

自分勝手な思いで突っ走っているとき、突然思いもよらないつらい出来事が起こることがあります。神様からのむちを当てられたような感じです。
わたしの場合は、乳がんになったときがそうでした。あとから考えると、そのことによってわたしは軌道修正されたのだと気づきました。(詳しくは生かされて・・・土筆文香の先日アップした記事、乳癌その後3の「乳がんになって気づかされたこと」に書いています)


「わたしの敵の前で、あなたはわたしのために食事をととのえ、
わたしの頭に油をそそいでくださいます。
わたしのさかずきは、あふれています。」


敵対というわけではありませんが、わたしがイエス様を信じていることを快く思わない人たちがいました。どうしたらその人たちにわかってもらえるか、どうしたらキリストを信じてもらえるかと思い悩んでいました。

でも、神様がととのえてくださった食事をし(つまり、聖書のみ言葉を食するように味わい)油(聖霊)が注がれたとき、わたしの心のさかずきは神様への愛でいっぱいになり、入りきらなくなってあふれ出ました。
そうしたら、言葉で伝えたわけではないのに周りの人たちが信仰に対して好意的になってきました。主人もそのひとりです。


まことに、わたしのいのちの日のかぎり、いつくしみと
恵みとが、わたしを追って来るでしょう。
わたしは、いつまでも主の家に住まいましょう。


この詩編23編を読んでいるうちに主が共にいて下さることを実感しました。
主が共にいて下されば、たとえ死の陰の谷であっても、そこは安心できる場所です。主の家に住んでいるのですから何の心配もないのです。いつくしみと恵みが追いかけてきてくれるとは、なんてすばらしいことでしょうか! 地上にいながら天国の素晴らしさを味わっているような感じです。
昔から多くの人たちが詩篇23編を愛してきたわけがわかりました。

こんな素晴らしい詩を書いてくれたダビデさん、ありがとう。
わたしを主の家に住まわせて下さった神様、ありがとう。

おわり

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