6月24日9時に土浦の自宅を出て羽田空港へ向かいました。飛行機に乗るのは久しぶりです。前回は耳が痛くなり、苦痛でした。
今回はあらかじめ耳抜きのやり方を調べて練習していたので、痛みはそれほど苦になりませんでした。
羽田から稚内まで約2時間弱です。土浦では雨が降っていたのですが、稚内で降りると真っ青な空で、さわやかな空気に包まれていました。
旅行社を通して頼んでいた観光タクシーに乗って出発しました。
牧場が広がっていました。氷河期の地形をそのまま利用しているそうです。
牧場の向かい側に広がっている海は、2色に分かれていました。
鹿が車まで寄ってきました。
「日本最北端の地」の記念碑(このブログ記事のトップに画像掲載しています)
北極星の一稜をモチーフに、中央には北を示す「N」、台座の円形は「平和と協調」を表しているそうです。
大韓航空機墜落の慰霊の塔です。昭和58年9月1日未明、日本人28名を含む乗員乗客269名が犠牲になりました。この事件は印象深く残っています。ひとりひとり、みな明日があると思って生きていたのに、一瞬で失われてしまうとは……。
亡くなった方のご遺族のために祈りました。
前回の記事の写真、取り替えました。
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今回はあらかじめ耳抜きのやり方を調べて練習していたので、痛みはそれほど苦になりませんでした。
羽田から稚内まで約2時間弱です。土浦では雨が降っていたのですが、稚内で降りると真っ青な空で、さわやかな空気に包まれていました。
旅行社を通して頼んでいた観光タクシーに乗って出発しました。
牧場が広がっていました。氷河期の地形をそのまま利用しているそうです。
牧場の向かい側に広がっている海は、2色に分かれていました。
鹿が車まで寄ってきました。
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北極星の一稜をモチーフに、中央には北を示す「N」、台座の円形は「平和と協調」を表しているそうです。
大韓航空機墜落の慰霊の塔です。昭和58年9月1日未明、日本人28名を含む乗員乗客269名が犠牲になりました。この事件は印象深く残っています。ひとりひとり、みな明日があると思って生きていたのに、一瞬で失われてしまうとは……。
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