昨日は春を思わせる暖かさでしたが、今日はまた冬に逆戻りです。
今日、ベランダのプランターにチューリップの球根を植えました。毎年秋になると球根を買ってきて植えるのですが、今回はすっかり忘れていました。植え付け時期がとっくに過ぎていますが、ホームセンターで安売りをしていたので三袋も買ってきてあわてて植えました。
去年の球根も掘り出していなかったので、土の中からひとまわり小さくなった古い球根が出てきました。そのまま植えておきましょう。これもきっと芽を出すでしょう。
乳癌の手術を受けてその翌春、朝日新聞の「季節の風」という冊子に星野富弘さんのチューリップの絵と詩が載っていました。それを見て同感し、ぽろぽろ涙をこぼしたのを思い出します。
ちょうど今年の星野富弘さんのカレンダーに同じ詩画があって、今、またながめて感慨にふけっています。ベランダのチューリップが咲いたら、また感動するでしょう。春が待ち遠しいです。
星野富弘さんの詩を紹介します。
ありがとう
私のいのち
こんなに生きられるなんて
思わなかったよ
今、二十一世紀
春!
わたしも乳癌の手術から2年たっていますが、天気が悪いときは傷が痛みます。でも、たいした痛みではありません。精神的な痛みは大きいですが……。
痛みがあるときこそ主が共におられる。と感じておられるGONさん。すばらしいと思います。
痛みを持つ者は、他の痛みを持つ者を励ますことができるということを教えていただいてとても嬉しくなりました。
また、覗きに来て下さいね。
昨日、「クリスチャン」で色々検索している際、心に強く
訴えかけるものを感じました。当方にもおいでいただいた
ようで、感謝です。
当方、敬虔とは全く正反対の不良クリスチャンです。
でも、自分のような者がいるからこそJESUSの十字架が
更に輝くのかも・・・などと勝手に思い込んでます。
大変な経験をされているようですね・・・。
私自身も様々な経験をしています。今は労災事故により
右手が不自由です。でも、不便だけど不幸だとは思って
居ないんですよ。
痛みは未だにあります。原因不明です。
でも、痛む時にこそ主が共に居られるのかも知れません。
更に、痛みを持つ者は、他の痛みを持つ者を励ます事が
出来る、分かち合う事が出来るような気がします。
実際、文香さんの文面からそれを感じます。
当たり前って、本当に何一つありませんよね。
全て与えられたもの。恵みの中で生かされてる・・・。
その感謝を忘れずにこれからも生きて行けたらと思って
居ります。(すぐ忘れちゃう事が多いんですけど^^;)
チューリップ、大好きです。
どん底に居た時に励ましてくれた花です。
庭のチューリップ、今年もキレイに咲くかな・・・?
また時々拝見させて頂きます。お邪魔致しました。
冬が寒ければ寒いほど、春が待ち望まれますね。
わたしのチューリップは芽を出すでしょうか? 植えるのが遅かったですよね。
希望を持って待つことにします。
当たり前のことが嬉しくて、小さな事にも感動して涙を流しています。涙腺はゆるみっぱなしです。
春よ 来い 早く 来い
早く芽を出せ チューリップ の心境です。
優しいお人柄が伝わってきます。
これからも毎日見せて頂きます。