昨日は体調が悪く、いちにち横になっていました。頭痛がするので風邪だと思っていたら、肩こりからくる頭痛のようでした。40肩、いや50肩なのかもしれません。とにかくとても疲れていて、気持ちも落ち込んでいました。でも癒しのみ手が働いて、だいぶ元気になりました。
今日は日本クリスチャン・ペンクラブから去年の12月に発行された「生かされている喜び」に掲載されたエッセイ「死と隣り合わせになって」を紹介します。これは、乳癌手術の後の心境を綴ったもので、2004年3月に書きました。この本には、以前紹介した「傷つき渇いている心に」と「風の種」、とこの作品あわせて3作品が掲載されています。
死と隣り合わせになって
2003年12月にわたしは乳がんの手術を受けました。初期だったので温存手術ですみ、退院後、放射線を当てに通院しました。
1年でいちばん寒い時期でした。放射線を当てれば転移の心配もなくなるのだと思って毎日必死に自転車をこいで病院に通いました。
通っている間は緊張していたためか元気でした。ところが25回の照射が終わると、急にがっくりとしてしまいました。放射線を当てている間は再発転移の可能性はない。でも、今後は大丈夫なのだろうか。抗ガン剤は飲んでいるけれど、効くのだろうか……。
乳癌が肝臓に転移して亡くなった人の話を聞き、不安でたまらなくなってきました。
わたしが死んだら、子供たちは……。主人は……。年老いた両親は……。いろいろ考えると落ち込む一方で、夜も眠れなくなり、情緒不安定になってしまいました。
受難週の礼拝で三度イエスさまを裏切ったペテロの話しを聞いて、自分は三度どころか数え切れないほどイエスさまを裏切っているなあと思いました。
我が家の家庭集会に八年間集い、求道している姉妹のために何年も祈り続けてきました。彼女が救われるならこの命が削られてもかまいませんと祈りました。でも、現実に命が削られそうになってあせりました。
「神様、ちょっと待って下さい。まだ死にたくありません。せめて娘が成人するまで、いや娘が結婚するまで、いや娘が子供を産むまで……。あと10年、いや、あと20年生かして下さい」
気がつくとそう祈っていました。心の中には彼女の存在はなくなっています。友のために命を捨てることなど、とうていできません。死と隣り合わせになって、友のためだけでなく、主人や子供のためにも死ねない、愛に欠けた自分の姿を発見しました。
そのとき、「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」という星野富弘さんの詩を思い出しました。
いのちよりも大切なものというのは、イエス・キリストへの信仰だと思ったとき、イエスさまのしてくださったことの大きさに気づき心が震えました。
人のために命を捧げることのできないわたしですが、イエスさまはこんなわたしのために命を捨てて下さいました。その大きな愛に迫られて、自分がまだ神様に委ねきってないことに気づきました。わたしを愛して下さる神様は、わたしに最善をして下さる。だから、すべて委ねようと思い、
「神様、いっさいをあなたに委ねます」
そう祈ったとき、平安が訪れ、夜もよく眠れるようになりました。
これからは、一日一日生かされている日々を大切にして、与えられている時間を無駄にしないように使っていきたいです。
今日は日本クリスチャン・ペンクラブから去年の12月に発行された「生かされている喜び」に掲載されたエッセイ「死と隣り合わせになって」を紹介します。これは、乳癌手術の後の心境を綴ったもので、2004年3月に書きました。この本には、以前紹介した「傷つき渇いている心に」と「風の種」、とこの作品あわせて3作品が掲載されています。
死と隣り合わせになって
2003年12月にわたしは乳がんの手術を受けました。初期だったので温存手術ですみ、退院後、放射線を当てに通院しました。
1年でいちばん寒い時期でした。放射線を当てれば転移の心配もなくなるのだと思って毎日必死に自転車をこいで病院に通いました。
通っている間は緊張していたためか元気でした。ところが25回の照射が終わると、急にがっくりとしてしまいました。放射線を当てている間は再発転移の可能性はない。でも、今後は大丈夫なのだろうか。抗ガン剤は飲んでいるけれど、効くのだろうか……。
乳癌が肝臓に転移して亡くなった人の話を聞き、不安でたまらなくなってきました。
わたしが死んだら、子供たちは……。主人は……。年老いた両親は……。いろいろ考えると落ち込む一方で、夜も眠れなくなり、情緒不安定になってしまいました。
受難週の礼拝で三度イエスさまを裏切ったペテロの話しを聞いて、自分は三度どころか数え切れないほどイエスさまを裏切っているなあと思いました。
我が家の家庭集会に八年間集い、求道している姉妹のために何年も祈り続けてきました。彼女が救われるならこの命が削られてもかまいませんと祈りました。でも、現実に命が削られそうになってあせりました。
「神様、ちょっと待って下さい。まだ死にたくありません。せめて娘が成人するまで、いや娘が結婚するまで、いや娘が子供を産むまで……。あと10年、いや、あと20年生かして下さい」
気がつくとそう祈っていました。心の中には彼女の存在はなくなっています。友のために命を捨てることなど、とうていできません。死と隣り合わせになって、友のためだけでなく、主人や子供のためにも死ねない、愛に欠けた自分の姿を発見しました。
そのとき、「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」という星野富弘さんの詩を思い出しました。
いのちよりも大切なものというのは、イエス・キリストへの信仰だと思ったとき、イエスさまのしてくださったことの大きさに気づき心が震えました。
人のために命を捧げることのできないわたしですが、イエスさまはこんなわたしのために命を捨てて下さいました。その大きな愛に迫られて、自分がまだ神様に委ねきってないことに気づきました。わたしを愛して下さる神様は、わたしに最善をして下さる。だから、すべて委ねようと思い、
「神様、いっさいをあなたに委ねます」
そう祈ったとき、平安が訪れ、夜もよく眠れるようになりました。
これからは、一日一日生かされている日々を大切にして、与えられている時間を無駄にしないように使っていきたいです。
二十歳以前の事。
子供の頃の体験は、溺死寸前になったことであった。
溺死を体で感じることが3回あった。
「もうアカン!」と諦めた時、大きな岩に脚が支えられた。周囲は無関心であった。
足先が触れ、岩盤に身を持ち上げられ手、救われた。20歳の体験は魂の死。
田舎から上京して2年、学生寮の個室。畳三枚の蛸部屋。ある夜中、睡眠に入ったとき、・・・・
人って生きるように本能的になっているとばかり思っていた。
しかし、人は死にたい、無への渇望があることが分かった。
「生きたいか?」「唯信じるのみ。」
魂を絞り、シゴキ、最期の時、主は「信じれば、命。信じざれば、死。」と迫られた。
「助けて!信じます。」と応えた。
その後、神の迫りが三度反覆して、言葉に尽きない平安を賜りました。神は在る!
主は、神学校へ行けとは言われない。何も言われない。わたしも心新たに志しを立てる事をしなかった。
「何でも見てやろう!」精神で哲学科に転入した。
今は、教会に繫がり、OBIで学びを10年しています。これで善かったのだ。小さき者のお証しでした。