「どうして人を殺してはいけないか?」ということを聖書を用いずに話そうとすると、子供たちが納得する答えを出すのは難しいです。
人殺しは殺人罪だからダメだと言うだけでは納得しないでしょう。法で裁かれなけば悪いことではないと考えると、(極端な例ですが)殺人を犯しても誰にも知られなければ悪くないということになってしまいます。
殺人犯に対して、「あの人は人間じゃない」と言う人がいます。少なくとも自分と同じ人間だとは思えないからそう言うのでしょう。
でも、殺人犯の心理を書いた物を読むと、その人が特別冷酷な人なのではなく、追いつめられて人を殺してしまった。ほんの小さな憎しみ、ほんのささいなきっかけから殺人という行為に至ったという例が多いことに気づきます。
もちろん例外はありますが……。
自分が殺人罪を犯していないのは、環境が整えられ、守られているからだけで、心理的には殺人犯に近いときがあると思うことがあります。
「あの人なんかいなくなればいいのに」と心の中で思うことは、心の中で人を抹殺していることで、実際に殺さなくても殺人と同じ罪なのだと聖書はいっています。
小さな憎しみの芽がいつの間にかぐんぐん育って、心の中は憎しみでいっぱいになることがあります。憎しみを抱くと、その人自身の心も蝕まれていきます。
「自分の敵を愛し迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)」と聖書に書いてあります。ひとりひとりが憎しみの代わりに愛を持つことができたら、戦争もなくなり、殺人事件もなくなるでしょうね。そうなってほしいと心から願います。
人殺しは殺人罪だからダメだと言うだけでは納得しないでしょう。法で裁かれなけば悪いことではないと考えると、(極端な例ですが)殺人を犯しても誰にも知られなければ悪くないということになってしまいます。
殺人犯に対して、「あの人は人間じゃない」と言う人がいます。少なくとも自分と同じ人間だとは思えないからそう言うのでしょう。
でも、殺人犯の心理を書いた物を読むと、その人が特別冷酷な人なのではなく、追いつめられて人を殺してしまった。ほんの小さな憎しみ、ほんのささいなきっかけから殺人という行為に至ったという例が多いことに気づきます。
もちろん例外はありますが……。
自分が殺人罪を犯していないのは、環境が整えられ、守られているからだけで、心理的には殺人犯に近いときがあると思うことがあります。
「あの人なんかいなくなればいいのに」と心の中で思うことは、心の中で人を抹殺していることで、実際に殺さなくても殺人と同じ罪なのだと聖書はいっています。
小さな憎しみの芽がいつの間にかぐんぐん育って、心の中は憎しみでいっぱいになることがあります。憎しみを抱くと、その人自身の心も蝕まれていきます。
「自分の敵を愛し迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)」と聖書に書いてあります。ひとりひとりが憎しみの代わりに愛を持つことができたら、戦争もなくなり、殺人事件もなくなるでしょうね。そうなってほしいと心から願います。