最近、物忘れがはげしくて、同じ事を繰り返し言ったり、物の置き場所を忘れて捜し物ばかりしています。(認知症の始まりだったりして……)
このブログの記事は、かなりの量になってきましたが、書いたことを忘れて、また同じようなことを書くこともあるかもしれません。そのときは、お許し下さい。
でも、忘れるということは、必要なことですね。神さまの下さったプレゼントだと思います。心が傷ついたこと、ショッキングな体験、つらい出来事……など、時とともに記憶が薄れています。もちろん忘たくても忘れられないことも多いのですが、知らないうちに細かいことを忘れているんです。忘れたことに気づきもせずに……。神さまが人間をそのように造ってくださったのですね。だから、どんなにつらいことが起こっても、いつかまた笑える日がくるのです。
わたしは子供のころ極端なほど無口だったので、よくいじめられました。馬鹿にされても言い返すことができないのでストレスがたまっていきました。自分のことをいじめた人、悪口を言った人のことを一生忘れるものかと思って、ずうっと恨んでいました。(恐ろしいですね)
中学生のころ、作家になりたいと思ったのですが、その動機は有名になって、自分のことをいじめたり、馬鹿にした人を見返してやろうという不純なものでした。そんな動機で作家になれるはずもなく、挫折しました。再び書こうと決心したときの動機は「若者や子供たちに神さまの愛を伝えたい」というものでした。
キリストを信じたときに、心の中にあった恨みは消え去りました。もちろん、いじめた人、悪口を言った人のことはとっくに忘れてしまいました。
忘れるというのは、赦すことなのだそうです。
わたしのように執念深くゆがんだ心の人間が、なぜ忘れることができたかというと、自分のした悪いことすべてを神さまが忘れて(赦して)くださったからなのです。多額の負債があって、その債務証書を破棄してもらったようなものです。
人のした悪は忘れても、神さまのして下さったことは忘れないようにしたいです。
聖書のことば
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主はあなたのすべての咎(とが)を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖(あがな)い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠(かんむり)をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
(詩編103:2-5)
メッセージありがとうございました。感謝しています。
赦すと言うことは、難しいです。
特に私のように、傲慢で卑しい人間には・・・。
しかしながら徐々に神の光を感じながら、そうなれたらって思います。生意気なコメントで失礼しました。
赦せるようになれたらと思い続けておられれば、きっとそうなりますよ。神さまは不可能を可能にして下さいますから。
コミュでのメッセージ,ありがとうございます。
この日記を読ませて頂き「赦すこと」への大いなるヒントを与えられました。
些細な事でも怒り,ゆがんだ心を持つ小さな私をも,神さまは愛し,私たちに「忘れる」という能力を与え,そして見守って下さるのですね。
感謝を忘れず,寛大な心を持つこと出来るように祈り続けていきたいと思います。
また,文香さんの,温かく,包み込むようなお言葉に感謝しております。
ありがとうございました。
ご快癒を心よりお祈り申し上げます。
わたしは三浦綾子さんの本に出会って、教会に行き、洗礼をうけたのです。三浦綾子さんの著書から受けた影響は大きいです。
赦すことへのヒントを受け取っていただけて嬉しいです。