昨日は母を連れて茨城の東京医大まで行ってきました。抗癌剤(飲み薬)の副作用で涙腺が詰まり、4月に西新宿の東京医大で涙腺に金属の管を入れる施術を受けました。2か月後に抜くことになっていたのですが、引っ越しと入院のため、眼科に行くことができませんでした。
このまま抜かなくても大丈夫と言われましたが、母としては抜かないと気が済まないようなので、茨城の東京医大へ紹介状を持って行ったのです。
わたしは運転ができないので、タクシーで往復しました。病院では車いすを借りて押して行ったのですが、母の具合が悪くならないか内心ハラハラしていました。
待たされないように朝早く出て、8時に着きました。初診だったので診察券を作るのに時間がかかりました。眼科では視力検査などを受け、ようやく診察となりました。
抜くのはあっと言う間でした。座った状態で、わずか数秒で抜けました。
母は晴れ晴れとした顔をしていました。長い間ほったらかしにしていた宿題を片付けられたという気持ちのようでした。
薬局と帰りのタクシーで待たされ、ホームに戻ったのは昼近くになっていましたが、母が元気だったので主に感謝しました。
一昨日は3か月ぶりの家庭集会でした。メンバーがそれぞれの理由で家庭を開放するのが難しくなっているので、教会の和室で行いました。
学びを通して教えられたことを書きます。
山上の変貌といって、イエス様が3人の弟子たちを連れて山に登ったとき、光り輝くという不思議なことが起きました。それだけでなく、モーセとエリヤが現れてイエス様と話をしたのです。モーセもエリヤも旧約時代の代表的預言者です。
なぜ、弟子たちがモーセとエリヤだとわかったのか、それはわかりませんが、ペテロは感激して、「ここに3つの幕屋を建てます」と言いました。
この発言について、聖書記者(ルカ)は「ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。」と書いています。
ペテロが幕屋を建てると言ったのは、モーセとエリヤとイエスさまがそこに住んでほしいと願ってのことです。でも、3人が話し合っていたのは、これからイエス様が人類の救いのために十字架に架かることについてでした。
つまり、ペテロの発言は的外れだったのです。イエス様が山に留まってしまったら、人類は救われないのです。
でも、ペテロに悪意はありません。ただ、感激して口にしたのです。
そんなペテロに対して神様のお取り扱いは何と優しいのでしょう。
神様は雷や火の中に存在を顕してくださることが多いのですが、このときは、ペテロたちを雲に包んでくれました。雲の中で恐怖を感じていると、「これはわたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい(ルカ9:35)」と、神様の声がしました。(彼とはイエス様のことです)
ペテロの失敗をとがめるのではなく、雲に包んでくださった神様。
わたしも的外れなことをよく言います。失敗ばかりしています。
数々の失敗を思い出しては、悲しい気持ちになっていたわたしの心が、優しい雲に包まれて癒されていくのを感じました。
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このまま抜かなくても大丈夫と言われましたが、母としては抜かないと気が済まないようなので、茨城の東京医大へ紹介状を持って行ったのです。
わたしは運転ができないので、タクシーで往復しました。病院では車いすを借りて押して行ったのですが、母の具合が悪くならないか内心ハラハラしていました。
待たされないように朝早く出て、8時に着きました。初診だったので診察券を作るのに時間がかかりました。眼科では視力検査などを受け、ようやく診察となりました。
抜くのはあっと言う間でした。座った状態で、わずか数秒で抜けました。
母は晴れ晴れとした顔をしていました。長い間ほったらかしにしていた宿題を片付けられたという気持ちのようでした。
薬局と帰りのタクシーで待たされ、ホームに戻ったのは昼近くになっていましたが、母が元気だったので主に感謝しました。
一昨日は3か月ぶりの家庭集会でした。メンバーがそれぞれの理由で家庭を開放するのが難しくなっているので、教会の和室で行いました。
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山上の変貌といって、イエス様が3人の弟子たちを連れて山に登ったとき、光り輝くという不思議なことが起きました。それだけでなく、モーセとエリヤが現れてイエス様と話をしたのです。モーセもエリヤも旧約時代の代表的預言者です。
なぜ、弟子たちがモーセとエリヤだとわかったのか、それはわかりませんが、ペテロは感激して、「ここに3つの幕屋を建てます」と言いました。
この発言について、聖書記者(ルカ)は「ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。」と書いています。
ペテロが幕屋を建てると言ったのは、モーセとエリヤとイエスさまがそこに住んでほしいと願ってのことです。でも、3人が話し合っていたのは、これからイエス様が人類の救いのために十字架に架かることについてでした。
つまり、ペテロの発言は的外れだったのです。イエス様が山に留まってしまったら、人類は救われないのです。
でも、ペテロに悪意はありません。ただ、感激して口にしたのです。
そんなペテロに対して神様のお取り扱いは何と優しいのでしょう。
神様は雷や火の中に存在を顕してくださることが多いのですが、このときは、ペテロたちを雲に包んでくれました。雲の中で恐怖を感じていると、「これはわたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい(ルカ9:35)」と、神様の声がしました。(彼とはイエス様のことです)
ペテロの失敗をとがめるのではなく、雲に包んでくださった神様。
わたしも的外れなことをよく言います。失敗ばかりしています。
数々の失敗を思い出しては、悲しい気持ちになっていたわたしの心が、優しい雲に包まれて癒されていくのを感じました。
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