わたしは高校生のころから22歳まで、自分が正しいといつも思っていました。
劣等感にさいなまれていた中学時代が過ぎ、文章が認められたことで優越感を抱き始めた高校時代。
努力すれば自分の力でなんでもできると思い、おごり高ぶっていました。
受験に失敗したときはさすがに落ち込みましたが、補欠で繰り上げ合格になって、また舞い上がってしまいました。
短大では、入学試験の成績が一番悪いのだから、人一倍努力しなければならないと思い、一生懸命勉強し図書室の本を2年間でほとんど読んでしまうほどの勢いで読書もしました。
そのため、成績はほとんどA評価でした。
学校のテストは、努力すれば成績が上がるようになっていますからね。
ところが、幼稚園に就職して、その当たり前の法則が全く通用しないことを知り、愕然としました。
たったひとりの4歳児の心をつかむことすらできないのです。
親離れできなくて、「お母さんー!」と泣き叫ぶ子ども。教室を逃げ出して滑り台にのぼってしまう子ども。抱きかかえて無理やり教室の前まで連れてくると、マットを体に巻きつけて泥だらけになって泣き叫びます。いっときもじっとしてられずに、教室中歩き回って女の子の髪の毛を引っ張っている子。
初めて受け持ったクラスは、そのような子どもたちに振り回されてオロオロするばかり。そのころは学級崩壊という言葉は聞きませんでしたが、まさにその状態でした。
このようなことに対処する方法など学校では教えてもらえませんでした。
学校の成績が良かったことなど、何の役にも立たなかったのです。
わたしの中にあった、自分はいつも正しい。努力すればよい成果が得られる。という神話が崩れていきました。
三浦綾子さんの小説を読んで、自分が間違っていたと気づいて教会へ通い始めました。
自我を捨てたとき、イエスさまを心の中にお迎えすることができました。
詳しくはHP生かされて・・・土筆文香エッセイの部屋「心のすき間が埋められて(1)」に書いています。
OBIで教えていただいたことを紹介します。
SINがSONになった
【罪を英語でSINと書きます。SとNの間にIがあります。Iをゼロ(O)に置き換えると、SON
になりますね。
SONとは息子。神様の一人息子、イエスさまを指します。SONであるイエスさまがSIN(罪)を無くしてくださったのです。】
イエスさまを心にお迎えした後も、無意識のうちに自我がムクムクと頭を持ち上げてくることがあります。
わたしがすることは、I(アイ=わたし)を捨てること。しっかりとにぎっていた自我を捨てることだと改めて教えられました。