生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

レビ記の体験記

2012-11-30 20:25:15 | 日記
始めてから15年ぐらいになるでしょうか、教会の小グループで聖書輪読会を行っています。数人が集まって、最初は毎週水曜日に行っていました。(いまは月に1度)1回で聖書1章を1節ずつ順番に読み、感想を言い合っています。小さな集まりですが、継続していることが不思議なぐらいです。これまでに新約聖書2回通読しました。旧約聖書に入ってもうじき3年になろうとしています。

いま、レビ記を読み始めたところです。レビ記は規則ばかり書かれているので、果たしてどういう意味があるのか……と考えてしまう箇所です。でも、一見無味乾燥な文章のなかに神様の愛が隠されていることに気づかされます。

1章には、動物のいけにえをささげる方法が書かれ、2章には穀物のささげものをささげるやり方が書かれています。
「これを、実践してみない?」メンバーのひとりが言いました。
(えっ、動物の皮を剥いで切り分けるの?)と一瞬思いましたが、そうではなくて、穀物のささげものを聖書に書いてある通りにやってみようということでした。

レビ記2:2には、
「人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え」と書かれています。小麦粉はひとつまみです。その他は量が書かれていないので適当にするしかありません。

乳香はネットでも販売されていますが、友人が持っていたので、それを使わせていただくことにしました。乳香とは、樹木に傷をつけて分泌された樹脂が空気に触れて乳白色に固まったものです。


一昨日、水曜礼拝の後、お弁当を持ってメンバーのひとりの家に向かいました。
まずは5人で昼食を共にして楽しく語らい、聖書を読んでから外に出て実験開始です。




ひとつまみの小麦粉をアルミホイルの上に載せ、乳香を入れ、オリーブオイルを数滴たらしました。



アルコールランプで熱すると……しばらくは何の変化もありませんでしたが、やがてブクブク泡立ってきて、煙が出てきました。
においをかぐと、何と表現したらよいか……・博物館のにおいのような……防腐剤のにおいのような……うっとりするようなにおいではないけれど、神聖なにおいでした。





子どものころギリシャ正教会に通っていた友人が「ギリシャ正教会で礼拝のときにたく香のにおいと同じ」と言っていました。
「これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」と聖書に書かれています。

「神様は、このにおいがお好きなんだろうか?」
「もしかしたら、動物を捧げるときにたくさんの血が流れ、血の匂いがしているので、それを消す意味もあるのかもしれないね」
と話しました。


乳香だけガスコンロで熱すると、火がつきました。小麦粉と油と一緒に熱した方がたくさん香りが出た気がします。

旧約聖書の時代は、人が罪を犯した時、その人の罪が赦されるためにその人の代わりに動物を身代わりに殺していました。その動物は傷のない雄でなければならないと書かれています。のちにイエス・キリストが来られて、イエス様ご自身がいけにえとなって殺されます。レビ記に書かれていることは、このことを示しているのです。

神様は罪に対して厳しいお方です。旧約の神様が厳しい神様で、新約の神様がやさしい神様なのではありません。神様は新約においても厳しさには変わりありません。

新約において、神様は人類の犯した(これから犯す)罪の罰をすべてイエス様に下したのです。だから、わたしたちは罪を犯しても罰せられないですむようになったのです。
罪を犯したとき、キリストの十字架以前は、神様にいけにえをささげ、なだめのかおりのささげ物をささげなければなりませんでした。十字架以降はささげものは必要なくなりました。ただキリストを見上げて悔い改めるだけでいいのです。

「新約の時代に生まれてよかったね」
と皆で言いました。

小麦粉はイエス・キリストを表すと聞きましたが、だんだん焦げていく小麦粉を見ていたら、十字架上のイエス様の姿がオーバーラップして涙が出そうになりました。



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