待ちに待った救い主が誕生するのですから、全世界が光に包まれるとか、大音響が鳴り響くとか……世界中の人がびっくりするほどのことが起きてもいいと思います。
でも、誕生の知らせを告げる天使の歌声を聞いたのは、ベツレヘムの野原で羊の番をしていた羊飼いたちだけでした。
羊飼いの仕事は、卑しい仕事であるとみなされ、社会から疎外されていました。神様はそのような人たちにまず救い主誕生を知らせたのです。
マリヤが臨月を迎えたとき、マリヤとヨセフは住民登録のため、ナザレの町からベツレヘムへ旅をしなければならなくなりました。ベツレヘムで宿に泊まろうとしたのですが、宿はどこもいっぱいで泊まるところがありませんでした。それで家畜小屋に泊まったのです。その夜、救い主が誕生しました。
もし、彼らが救い主の両親になる人たちとわかっていたら、宿屋の主人はほかの客を追い出しても部屋を開けたでしょうね。
イエス様が家畜小屋という最低なところで生まれたのはなぜでしょう……。それは、イエス様がいちばんに貧しい人たち、しいたげられた人たちに救いの手をさしのべることを意味するのだそうです。
さて、イエス様は大工の息子として育ちますが、30歳を少し過ぎたころ、人々に神様のことを伝え始めます。神の国のことを話し、多くの人を癒し、奇跡を起こされます。
奇跡は、イエス様が全知全能であり、まことの神様だということを示すために起こされたのです。
人々は、押し迫るようにしてイエス様のところへやってきました。イエス様がエルサレムに入城されるときは、人々はシュロの葉を振って「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。(ヨハネ12:13)」と叫びました。
ところが、そのとき叫んだ群衆が、後にイエス様を「十字架につけろ」と叫ぶようになるのです。人々はなぜ心変わりしたのでしょうか。
当時、ユダヤの国はローマ帝国の支配下にありました。王の王と預言されていたイエス様がイスラエルの王様となって、ローマの圧政から救い出してくれることを多くのユダヤ人たちは望んでいました。
でも、イエス様は、貧しくてしいたげられている人や、病に苦しむ人などに目を留めて語りかけ、癒しの奇跡を行っていました。
ローマ帝国を滅ぼしたり、人々の暮らしを良くしたり……そのようなことはなさいませんでした。人々は、いつまでたっても王となろうとしないイエス様にがっかりしました。
イエス様が地上に来られた目的は、地上で王になることではありませんでした。人々の罪を赦し、人々に永遠のいのちを与えるために十字架にかかって死ぬことでした。
イエス様はご自分がもうすぐ十字架で死を遂げることを弟子たちに話しますが、弟子達でさえ理解することができませんでした。
つづく
まだ続きますが、明日から実家に行きますのでしばらく更新ができません。この続きは来週になります。
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でも、誕生の知らせを告げる天使の歌声を聞いたのは、ベツレヘムの野原で羊の番をしていた羊飼いたちだけでした。
羊飼いの仕事は、卑しい仕事であるとみなされ、社会から疎外されていました。神様はそのような人たちにまず救い主誕生を知らせたのです。
マリヤが臨月を迎えたとき、マリヤとヨセフは住民登録のため、ナザレの町からベツレヘムへ旅をしなければならなくなりました。ベツレヘムで宿に泊まろうとしたのですが、宿はどこもいっぱいで泊まるところがありませんでした。それで家畜小屋に泊まったのです。その夜、救い主が誕生しました。
もし、彼らが救い主の両親になる人たちとわかっていたら、宿屋の主人はほかの客を追い出しても部屋を開けたでしょうね。
イエス様が家畜小屋という最低なところで生まれたのはなぜでしょう……。それは、イエス様がいちばんに貧しい人たち、しいたげられた人たちに救いの手をさしのべることを意味するのだそうです。
さて、イエス様は大工の息子として育ちますが、30歳を少し過ぎたころ、人々に神様のことを伝え始めます。神の国のことを話し、多くの人を癒し、奇跡を起こされます。
奇跡は、イエス様が全知全能であり、まことの神様だということを示すために起こされたのです。
人々は、押し迫るようにしてイエス様のところへやってきました。イエス様がエルサレムに入城されるときは、人々はシュロの葉を振って「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。(ヨハネ12:13)」と叫びました。
ところが、そのとき叫んだ群衆が、後にイエス様を「十字架につけろ」と叫ぶようになるのです。人々はなぜ心変わりしたのでしょうか。
当時、ユダヤの国はローマ帝国の支配下にありました。王の王と預言されていたイエス様がイスラエルの王様となって、ローマの圧政から救い出してくれることを多くのユダヤ人たちは望んでいました。
でも、イエス様は、貧しくてしいたげられている人や、病に苦しむ人などに目を留めて語りかけ、癒しの奇跡を行っていました。
ローマ帝国を滅ぼしたり、人々の暮らしを良くしたり……そのようなことはなさいませんでした。人々は、いつまでたっても王となろうとしないイエス様にがっかりしました。
イエス様が地上に来られた目的は、地上で王になることではありませんでした。人々の罪を赦し、人々に永遠のいのちを与えるために十字架にかかって死ぬことでした。
イエス様はご自分がもうすぐ十字架で死を遂げることを弟子たちに話しますが、弟子達でさえ理解することができませんでした。
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