生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

運命と宿命

2012-11-10 18:23:22 | 聖書から
10月はほとんど自分の時間がとれなかったので、しなければならないことが山積になり、ブログ更新が滞りがちです。

今日は、子ども家庭集会でOさん宅に行ってきました。5人の子どもが集まりました。
I先生とお話しとゲームを交代で担当しています。今日はI先生が放蕩息子のお話を現代版にして話してくださいました。
今日は特別にO長老が落語もしてくださいました。身振り手振りを交えて表情豊かに話されるので、ストーリーを理解することのできない小さい子どもたちにも大うけで、笑い転げていました。
来月はクリスマス会です。パネルシアターの準備をしなければ……。


先日「キリスト教では、運命とか宿命についてどう捉えているのですか?」 と尋ねられました。

『運命とか宿命は、定まっているので変えることはできませんよね。(献金をしておはらいを受ければ変わるという宗教もありますが……)
キリスト教には、運命、宿命という考え方はありません。将来起こることは、神様の御手の中にあるのですが、最初から決まっているわけではありません。
祈りによって神様とコミュニケーションをとっていく中で、神様がその人に最もよいことをしてくださると、私は信じています。』
と答えましたが、もう少し詳しく書いてみますね。

もし、人の運命が生まれた時から決まっていたらどうでしょう。たとえば、頭が良くて一流大学に入り、一流企業に就職するけれど、交通事故にあって若くして死んでしまうという運命だったらどうでしょう……。もしそれが子どもの時にわかってしまったら、意欲が失われてしまいますよね。

乳がんで入院していたとき、癌病棟の人たちは物静かでした。きつい副作用のある抗がん剤治療を受けていても、じっと耐えていました。
「わたしは癌になる運命だったんでしょう。仕方ないってあきらめているの」と言っていました。

人の運命が決まっていて、それが過酷なものだったら、あきらめるしかないのでしょうか……。
まだイエス・キリストを知らないとき、「わたしは不幸な星のもとに生まれたんだ」と思っていました。

ところが、教会に通いはじめたころ、
「人の運命は決まっていません。悪いことが起きたとしても、それが実は悪いことではなかったと後から思えることがあります。また、将来予定されていることを神様が変えてくださることもあります」と聞いて驚きました。

昔、ユダヤにヒゼキヤという王様がいました。ヒゼキヤは病の床にあって、神様からもう助からないといわれました。もう少し生きられるようにしてくださいと祈ると、「あと15年寿命を延ばそう」と言ってくれ、病を癒してくれました。(旧約聖書Ⅱ列王記20章に書かれています)

死の時期は、神様が定めてくださいますが、神様はいったん決めた時期をも変更してくださることがあるのです。
もちろん、誰もが死の床でそのように祈ったら15年寿命が延びるわけではありません。
人によって神様のお取り扱いが違うからです。

わたしは、乳がんになったとき、10年生存確率があまりにも低いことを知って、死を覚悟しました。わたしと同じ時期に乳がんになり、同じような症状だった人が転移して最近亡くなったことを知り、ショックを受けました。もしかしたら、わたしはもっと早く死ぬ予定だったのかもしれません。でも、神様の計画の中で生かされています。



今日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のホームページを更新しました。わたしの作品も掲載されています。ぜひご覧ください。


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