前回の続きです。
イエス様は、イエスを陥れて死刑にしようとたくらんでいる人たちによって捕えられ、神への冒涜罪として十字架刑が言い渡されました。
十字架刑とは、最も残酷な死刑のやりかたで、極悪な犯罪人がつけられるものでした。
イエス様は何の悪いこともしていないのに……。こんな理不尽なことがあるでしょうか。
イエス様は全能の神様ですから、十字架につけようとしている人たちをいっぺんに滅ぼしてしまうこともできました。十字架から降りて助かることもできました。でも、そうなさらなかったのです。
黙って十字架の苦しみに耐えました。それは、わたしたちひとりひとりをものすごく愛しておられるからです。
わたしたちを造られた神様は、わたしたちの魂が罪のために滅びてしまうことが辛くてたまらないのです。それなら罰を与えるのをやめて、罪を犯しても「いいよ。いいよ」と赦したらいいのに……と思う方がおられるかもしれませんね。
でも、神様はきよいお方です。罪の問題をそのままにすることはできないのです。それで、罪を犯した人間に罰を与える代わりにご自分のひとり子イエス様に罰を与えました。その罰というのが、十字架の苦しみを受けて死ぬということでした。
親が子どものために犠牲になる話はよく聞きますが、親が子どものいのちを差し出すなんてこと、あるのでしょうか……。あったのです。
神様は、わが子に対して痛みや悲しみを感じないのでしょうか? いいえ、感じすぎるほど感じておられたと思います。愛するわが子が十字架につけられているとき、神様はどれだけ悲しかったでしょう……胸が引き裂かれる思いだったでしょう。
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マルコ15:34)」とイエス様が言ったときも、助けの手を差し伸べず沈黙していなければならなかった神様の思いを想像してみてください。
神様に見捨てられることほどつらいことはありません。十字架上でイエス様は神様に見捨てられるという経験をしました。
そのおかげでわたしたちは決して神様から見捨てられることがなくなりました。
イエス様は死にましたが、死んで終わりではありませんでした。3日後に墓からよみがえられたのです。多くの人たちが復活のイエス様に出会っています。
そのあと、イエス様は天に昇って行かれました。
イエス様のしてくださったことによって、わたしたちはイエス様を信じるだけで、罪が赦され、永遠のいのちをいただけるようになりました。
つづく

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