生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

死を迎えるとき考えること

2011-07-27 17:01:25 | 聖書から
人が死を迎えるとき考えることは何でしょう? 死ぬ時には、今までの人生が走馬灯のように思い起こされると聞きますが、たとえ100歳ぐらいまで長生きしたとしても、あっという間の人生だったと思うことでしょう。

クリスチャンは天国へいけるという確信がありますから、死は恐ろしいものではないと思います。
でも、イエス・キリストを知らない人は、死と向き合ったとき何を思うでしょう……。
人生の中で犯した過失を思い出し、良心の呵責に苦しむ人もいることでしょう。

わたしの父は死を迎える数週間ほど前よりホスピスに入院していました。医師、とチャプレン(病院の牧師)に2時間ずつぐらいシベリヤで捕虜になっていたときの話をしました。どういう内容だったのか詳しくはわかりませんが、苦労話だけでなく、戦争中に犯した自らの罪も語ったのです。死を迎える前にどうしても告白しておかなければならないと思ったのでしょう。

話した後、力尽きるようにして意識が遠のき、その数日後に召されました。
キリストのことは伝えてあったので、父の長い間抱えていた罪の問題が解決されて召されたのだと思います。

イエス・キリストは神様のひとり子ですので罪のないお方です。そのお方が罪ある人間の代わりに罰を受けて下さいました。それが十字架です。
キリストは十字架にかかって死にましたが、3日目によみがえりました。このことは、わたしたちの罪が赦されたという証拠です。


先日の礼拝メッセージで「『罪の赦し』これこそ良心の呵責に苦しむ人類へのプレゼントです。」と牧師先生が言われました。

聖書の『使徒の働き』には、パウロたちがニュースを伝えるために命がけで旅をしたことが書かれています。
命をかけてまで伝えたかったこととは何でしょう?
それは、イエス・キリストの十字架の死と復活のことです。この方によって、罪が赦されることを使徒たちは伝えているのです。

罪の赦しは私たちの信仰や努力にあるのではなく、イエスの十字架の死と復活にあります。すでに用意していただいているので、ただ受けるだけでいいのです。
イザヤ43:25には「わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」と書かれています。


わたしはときどき過去の失敗や過失を思い出して心が疼くことがあります。そんなときはこの聖句を読んで、『神様が思い出さないと言って下さっているのだから、いつまでもこだわることはないんだ』と思って安心するのです。

「もう思い出さない」と言って下さるとは、何と嬉しいことでしょう。
『罪の赦しはすでに備えられている』このことをひとりでも多くの人に知っていただきたいです。



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