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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

サマースクーリングの恵み(2)

2011-07-08 16:12:37 | お茶の水聖書学院
イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか(マルコ8:29)」と尋ねたとき、ペテロは「あなたは、キリストです。」と正しく答えていますが、そのときのペテロはイエス様の十字架と復活の意味を理解できていませんでした。

その証拠にその後、イエス様に「下がれサタン」といさめられています。
そのときのペテロは、ぼんやりとしか目が見えていなかったのです。
のちに復活の主に出会ったペテロはすっかり目が見えるようになり、喜びをもってイエス様に仕え、大伝道者となります。

わたしたちも日ごとに朝ごとに復活のイエス様に出会うならば、罪赦されていること、永遠の命が与えられていること、神の子とされていることを実感し、喜びが湧き上がってきます。そのために必要なことは祈りです。

神との親密な交わりである祈りは『愛の深呼吸』だと教えていただきました。
「祈りは、神様に訴えるだけでなく、沈黙して、みこころを求めて神様に聴くことが大切です。祈りには沈黙のときが必要です」と聞いて、自らの祈りを顧みました。

わたしは祈るとき、沈黙することがほとんどありませんでした。朝の限られた時間にたくさんのことを祈るので、早口になりがちです。
内容は教会の先生方のこと、次週の礼拝のために、附属幼稚園と、教会のディーサービスにために。病気の方々の癒しのために。教会学校の子供たちのために。友人、知人のために。家族のために毎日祈っています。

でも、これでは神様がわたしに語りかけられたとしても、わたしはそれを聞くことができません。
なんということでしょう。自分の訴えや願いの祈りはほとんどしていなかったとはいえ、祈りの姿勢としてはよくなかったのです。

「主よ。お話ください。しもべは聞いております」というサムエルの祈りをしてから聖書を読み、とりなしの祈りをしようと思いました。

そしてさっそく6日の朝からそれを実行しました。
サマースクーリングの最初の朝はどしゃぶりの雨でしたが、翌朝は快晴でした。早く目覚めたので外に出て、自然の中でデボーションをしました。
「主よ。お話ください。しもべは聞いております」と祈ってから聖書を読みました。

毎日読んでいるところの続き、出エジプト記26章です。エジプトを出て荒野を旅するイスラエルの人々に幕屋の作りかたを細かく指示した内容で無味乾燥とも思われる箇所でした。

エジプトから逃げるようにして出て来て荒野にいるイスラエルの民にアカシヤ材や金や青銅を使って作れと言われるのは、少し酷なのではないかとさえ思えます。いままでは、このような箇所はなぜ書かれているのか意味がわらないので目で文字を追っていくだけでしたが、はっと気づいたことがありました。

エジプトを出ていく時、神様はエジプト人がイスラエル人に好意を持たせるようにして、金や銀の飾り、着物などをはぎ取るように言ったことが聖書(出エジプト3:21、22)に書かれていたのを思い出したのです。エジプト人から得た物で神様から示されたとおり幕屋を作ることができたのでしょう。

神様は不可能なことを要求されることはない。必要な物をあらかじめ備えてくださる。そう示されて、わたしの心に光が差し込んだように明るくなりました。

イエス様はときどき、わたしができないと思われる大きなことをするように言われます。でも、そのために必要なことはすでに備えられているのだと気づいたのです。

現在も重荷を背負って、その重荷に喘いでいたのですが、イエス様が重荷をすべて取り除いて下さったことを感じました。背中が軽くなって、心に喜びがあふれてきました。
イエス様は生きておられます!

M先生が言われました
「イエス様が『わたしが生きるのであなたも生きよ』とおっしゃるので、わたしは生きる。わたしの命は復活のキリストの命に支えられている。」

                     つづく


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