前回に続き、教会学校小学科(低学年)でお話ししたことを紹介しています。実際に話した言葉とは少し違っているかもしれません。
次にイエス様は、わたしたちのお祈りに応えてくださる神様がどんなお方か教えて下さいました。
自分の子どもがパンを食べたいと言うのに石を与えたり、魚が食べたいというのに蛇を与えるお父さんはいますか?そんな人はいませんね。
人間のお父さんでも自分の子どもには良い物を与えるのですから、それ以上にわたしたちを愛してくださっている天のお父様は熱心に求めるわたしたちに喜んで良い物を与えて下さいます。
求めても願っていた物が与えられないことがあります。
たとえば、小さな子どもがお父さんやお母さんに「ナイフちょうだい」と言ったらどうでしょう。あげる親はいませんね。ナイフは危ないので代わりの物をあげるでしょう。
神様はわたしたちにとっていちばん必要な物を必要な時に与えて下さいます。
わたしは、子どものころからお話しを作るのが好きでした。イエス様を信じてからは、神様の愛を伝えるために童話を書きはじめました。
キリスト新聞社でクリスマス童話を募集していたので、年に1回クリスマス童話を書いて送っていました。入選するようにと祈って送ったのにいつも落選でした。9年祈り続け、応募しましたが、9回とも落選でした。そのたびに落ち込んでいました。10回目も応募する気持ちでいたのに募集が終わりになってしまいました。
そのころ事件が起こりました。今まで書いてきた童話のデーターが全部消えてしまったのです。今までがんばってきたことの意味はなくなってしまったように思え、がっかりしました。
でも、その事件によって、何のために書いているのかをもういちど考える機会が与えられました。
そんなときクリスチャン新聞で小説を募集していることを知って、わたしは祈りました。
「神さま、いままで入選したいとばかり願ってきましたが、間違っていました。いま、『書くこと』をあなたにお捧げします。『書くこと』があなたのみ心にかなっていないのなら、書くことをやめます。でも、もしみ心にかなっているのでしたら、それを用いて下さい」
このように祈って小説を書き応募すると、思いもかけず入選し、新聞に連載されました。9年前のことです。
クリスマス童話は入選しなかったのですが、神様は小説を入選させて下さいました。神様は願っていたこととは別の物を与えてくださいました。
その後はクリスチャンでないところに小説や童話を応募し続けて、そしてまた落選し続けています。でも、祈り求めることが前と変わりました。
前は入選させて下さいと祈っていましたが、今はそう祈っていません。神さまの栄光をあらわすような作品が書けますように。神様がいちばん良いと思われるとき、神様の方法で用いて下さいと祈っています。
だから落選してもがっかりしなくなりました。前は、落選するとしばらく落ち込んで書けなかったりしましたが、今は落選がわかったその次の日に新しい童話を書いたりしています。
神様はいちばん良いときにいちばん良いものを与えて下さいますから、祈りがかなえられないといって簡単にあきらめたりしないようにしてほしいです。
このことを話した後、「わたし、先生がお話ししてくれた『くしゃみ大将』覚えています。とってもおもしろかったです」と分級を一緒に担当しているEちゃんが声をかけてくれました。
Eちゃんは大学一年生。Eちゃんが小学生のときクラスを受け持っていました。
わたしが受け持ったクラスの子どもたちは、へたくそな童話を聞かされて迷惑だったんじゃないかな……と不安を感じていたのでしたが……喜んでくれていて、ずっと覚えていてくれたことを約10年後に知らされて感激しました。
「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見だそう。(伝道者の書11:1)」
クリスマス童話にだけ応募していたのではないので、落選は9回どころか30回ぐらいしています。入選した後の分も入れると落選回数は数え切れないほどです。その分、打たれ強くなっているかもしれません……。
詳しくはHP HP「生かされて・・・土筆文香」のエッセイの部屋「書くこととわたし4」に記しています。
おわり
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次にイエス様は、わたしたちのお祈りに応えてくださる神様がどんなお方か教えて下さいました。
自分の子どもがパンを食べたいと言うのに石を与えたり、魚が食べたいというのに蛇を与えるお父さんはいますか?そんな人はいませんね。
人間のお父さんでも自分の子どもには良い物を与えるのですから、それ以上にわたしたちを愛してくださっている天のお父様は熱心に求めるわたしたちに喜んで良い物を与えて下さいます。
求めても願っていた物が与えられないことがあります。
たとえば、小さな子どもがお父さんやお母さんに「ナイフちょうだい」と言ったらどうでしょう。あげる親はいませんね。ナイフは危ないので代わりの物をあげるでしょう。
神様はわたしたちにとっていちばん必要な物を必要な時に与えて下さいます。
わたしは、子どものころからお話しを作るのが好きでした。イエス様を信じてからは、神様の愛を伝えるために童話を書きはじめました。
キリスト新聞社でクリスマス童話を募集していたので、年に1回クリスマス童話を書いて送っていました。入選するようにと祈って送ったのにいつも落選でした。9年祈り続け、応募しましたが、9回とも落選でした。そのたびに落ち込んでいました。10回目も応募する気持ちでいたのに募集が終わりになってしまいました。
そのころ事件が起こりました。今まで書いてきた童話のデーターが全部消えてしまったのです。今までがんばってきたことの意味はなくなってしまったように思え、がっかりしました。
でも、その事件によって、何のために書いているのかをもういちど考える機会が与えられました。
そんなときクリスチャン新聞で小説を募集していることを知って、わたしは祈りました。
「神さま、いままで入選したいとばかり願ってきましたが、間違っていました。いま、『書くこと』をあなたにお捧げします。『書くこと』があなたのみ心にかなっていないのなら、書くことをやめます。でも、もしみ心にかなっているのでしたら、それを用いて下さい」
このように祈って小説を書き応募すると、思いもかけず入選し、新聞に連載されました。9年前のことです。
クリスマス童話は入選しなかったのですが、神様は小説を入選させて下さいました。神様は願っていたこととは別の物を与えてくださいました。
その後はクリスチャンでないところに小説や童話を応募し続けて、そしてまた落選し続けています。でも、祈り求めることが前と変わりました。
前は入選させて下さいと祈っていましたが、今はそう祈っていません。神さまの栄光をあらわすような作品が書けますように。神様がいちばん良いと思われるとき、神様の方法で用いて下さいと祈っています。
だから落選してもがっかりしなくなりました。前は、落選するとしばらく落ち込んで書けなかったりしましたが、今は落選がわかったその次の日に新しい童話を書いたりしています。
神様はいちばん良いときにいちばん良いものを与えて下さいますから、祈りがかなえられないといって簡単にあきらめたりしないようにしてほしいです。
このことを話した後、「わたし、先生がお話ししてくれた『くしゃみ大将』覚えています。とってもおもしろかったです」と分級を一緒に担当しているEちゃんが声をかけてくれました。
Eちゃんは大学一年生。Eちゃんが小学生のときクラスを受け持っていました。
わたしが受け持ったクラスの子どもたちは、へたくそな童話を聞かされて迷惑だったんじゃないかな……と不安を感じていたのでしたが……喜んでくれていて、ずっと覚えていてくれたことを約10年後に知らされて感激しました。
「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見だそう。(伝道者の書11:1)」
クリスマス童話にだけ応募していたのではないので、落選は9回どころか30回ぐらいしています。入選した後の分も入れると落選回数は数え切れないほどです。その分、打たれ強くなっているかもしれません……。
詳しくはHP HP「生かされて・・・土筆文香」のエッセイの部屋「書くこととわたし4」に記しています。
おわり

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