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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

受け取るだけでいい

2011-01-25 17:21:01 | 教会
今週は木曜日から主人の実家へ行き、引き続いて自分の実家に行くので、今週中にしなければならないことを昨日、今日の2日間でしようとしていました。

今日は分刻みに計画を立てて、朝の片づけが終わるとすぐにとりかかりましたが、妹から電話が入って時間がずれ、疲れて休憩もしたので大幅にずれたまま夕方になってしまいました。
計画そのものが無理だったことに気づき、計画変更です。

いままで計画を立ててその通りできたことは、ほとんどありませんが……。
CS(教会学校)の準備とJCPの課題文だけはできたので、ブログを書くことにしました。

この前の日曜日は聖餐礼拝でした。
イエス様の『贖(あがな)い』という役割についてメッセージをいただきました。

旧約聖書には、いけにえをささげることによってその人の罪が赦されることが繰り返し書かれています。動物のいけにえによる贖いの儀式を忠実に行えば、罪が赦されるということで、レビ記などには細かな規定が書かれています。

これは旧約聖書における古い契約であり、型であります。新約の時代に入って、イエス・キリストにより実現されます。

イザヤ書53章6~8には 
「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの自分勝手な道に向かって行った。
しかし、主は私たちのすべての咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれていく羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。」


と書かれています。

イザヤ書はキリスト誕生の700年も前に書かれたものですが、イエス・キリストのことが預言されています。
神様は、羊のようにさまよい、自分勝手な道を歩んだわたしたちの罪を赦すために、傷のない子羊としてイエス・キリストを用意して下さいました。
キリストのなさったことは、ただ一度で永遠の贖いです。


わたしは、22歳で洗礼を受けたとき、このことがわかっていませんでした。
キリストを信じれば罪赦されることはわかりました。洗礼を受けた時、それ以前に犯した罪は赦されたけれど、その後に犯した罪はどうなるんだろう・・・と悶々としていたのです。

洗礼を受けるときは、受けたら新しく生まれ変わるのだから、もう罪を犯さない者になるのだと誤解していました。けれども受洗後、かえって罪深くなったような気がしました。それは罪に対して敏感になっていたからそう感じただけだったのですが……。

それで苦しくてたまらなくなり、教会へ行くのを止めてしまいました。
わたしは旧約の世界にとどまっていたのです。まるで、罪の赦しのため、いけにえの動物をささげたけれど、そのあとお金が無くなってささげられず、その後の罪が赦されないまま落ち込んでいる者のようです。わたしの考えによれば、何度も洗礼を受けなくてはならなくなります。

でも、イエスキリストの贖いは完了しています。贖いは、過去、現在、未来において有効で、一度限りのものです。このことがわかったとき、わたしは大きな喜びに包まれました。

正しく生きたいと思ってもそれができない者です。きよらかな心になりたいと思っても、腹をたてたり、人をうらんだりしてしまう醜い心の自分です。
そんな罪深い者に対して罪の赦しが約束されています。


「キリスト信仰は、心の貧しい者に対する神の素晴らしいメッセージです」と牧師先生が言われました。

キリスト教は、教えではないんです。神様のしてくださった素晴らしいことを受け取るだけでいいんですね。



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