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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

コミュニケーション

2011-01-22 16:55:49 | 聖書から
昨日は我が家での家庭集会でした。10人の方が来て下さいました。娘も仕事が午後からだったので久しぶりに参加しました。新しい方が来て下さって、感謝でした。
牧師先生はいつものような質問形式の学びではなく、聖書からお話をして下さいました。
人と人とのコミュニケーションについて考えさせるお話でした。


現代は、コミュニケーション不足で断絶が多いと聞きました。
先生と生徒、政治家と国民、夫婦、親子関係の断絶です。同じ家に住んでいても何を考えているかお互いに知らないこともあります。

マタイ20:29~34には、ふたりの盲人が、イエス様が通られると聞いて「主よ。私たちをあわれんでください」叫んだことが書かれています。群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめます。
二人の盲人と群衆との間に断絶があります。「あわれんでください」と言う盲人の言葉を聞いて、群衆はお金を恵んでくださいという意味にとらえ、止めようとしました。

盲人は何を求めていたのでしょう。イエス様の噂を聞いて、希望を見出したから叫んでいたのです。
でも、「あわれんでください」だけでは言葉が不明瞭です。

コミュニケーションには3段階あります。
①事実の伝達
②思考の伝達
③感情の伝達
群衆と盲人の間にはコミュニケーションが欠けていました。

関係の回復のためには、
①立ち止まって余裕を見つけることが大切です。
②相手の気持ちを聞くことが大切です。

イエス様は立ち止まって、盲人たちに尋ねました。「わたしに何をしてほしいのか」
盲人は答えます。「主よ。この目をあけていただきたいのです」
イエス様と盲人たちのコミュニケーションは成立しました。
群衆は余裕を失っていたので、盲人たちに対して「黙れ」としか言えなかったのです。


わたしも自分のことで精一杯で心の余裕を失っているときがあります。相手の気持ちを聞く余裕がなくて、こちらの考えを押し付けたり、黙らせようとしたりしたことがあったと反省しました。

声にならない叫び声をあげている人がまわりにいるかもしれないのに、こちらに余裕がないとその声を聞くことができませんね。

毎日一緒に暮らしている夫婦でも、お互いに思考回路や感じ方が違うのだから、
言葉で伝えていかないとわかってもらえないことがありますね。結婚して30年近くたって、ようやくそのことに気づき始めたところです。

旧約聖書伝道者の書に「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。(4:12)」と書かれています。
この意味は単にふたりで力を合わせなさいと言っているのではなく、
二人の関係がイエス様と三人の関係になったとき、より糸が切れることはないという意味なのだそうです。


お互いにイエス様を見上げる関係こそ、コミュニケーションのとれた関係なのですね。
主人との関係も、いつかそうなれることを祈りつつ……。


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