追記:このブログが見えにくい方は、もうひとつのブログ、「カリス」をご覧ください。昨年末から同じ記事をアップしています。
元旦礼拝で、「予期せぬ出来事が起こるものです。思いがけない事が起きても、神の善意を信じて歩んでいきましょう」と牧師先生が言われました。
わたしは昨年12月にテレビ出演という予期せぬ出来事がありましたが、年明け早々に別の予期せぬ出来事が起こりました。
2日夜、義父が突然召されました。
義父は義母の介護を受けながら自宅で暮らしていました。主人を含め三人の子どもがいますが、それぞれ実家まで3時間ぐらいかかる場所で暮らしています。
義父は30年近く前に脳梗塞で倒れ、それから介護の日が始まりました。リハビリでかなり回復して、身の回りのことはできていたのですが、80歳を過ぎるころからだんだん歩行が難しくなってきました。
施設の入所をすすめましたが、以前義母の具合が悪くなったときに入ったショートステイが気に入らず、「施設は絶対に嫌だ」と言い張っていました。
義母は義父より8歳若いとはいえ、老老介護です。同じような状態が長く続いているように見えましたが、実際はかなり大変になってきていました。
お風呂に入れるのも、風呂場に行くだけで30分かかります(健康な人は1分でいけます)浴槽から上がれなくなって、何度も近所の方や消防署のお世話になりました。
義母だけの介護が限界を超えているので、「お風呂だけでもディーサービスなどにお願いして」と言ったのですが、義父がいやがるため、そうすることもできませんでした。ヘルパーさんも義父がいやがるので週にたった2時間しか頼んでいませんでした。
12月の初め、シャワーだけにするつもりで風呂場に行っていた義父が、義母が目を離したすきに浴槽に入り、お湯を高温で出してしまいました。皮膚感覚が鈍っていたため、熱いとも感じなかったようです。足を火傷して救急車で運ばれ、入院になりました。
火傷はたいしたことなく、2週間ぐらいで退院できると言われました。
老老介護の現実を知って、病院のケースワーカーさんが心配してホームに入ることをすすめてくれました。でも、本人が承諾しないと入所できないそうです。
誰が義父を説得できるのでしょう……。きょうだいは皆、首を横に振りました。義母はあきらめて、家に連れ帰って介護を続けると言います。
義母はかなり腰が痛んでいるようで、義母自身も申請すれば要介護になるほどの状態です。
病院から施設を紹介してくれましたが、どうしたらよいか途方に暮れていました。
見舞いに行くと、義父は義母に向かってものすごい怒りを表し、早く家に連れて帰ってほしいと訴えるのです。
とにかく、施設に入所してもらうしかないということで、主人が義母に付き添って施設に見学に行き、説明を受けました。
わたしは、義父に手紙を書きました。読んでくれるかどうかわかりませんでしたが、心をこめて書きました。怒りを抱いている義父が、施設で穏やかな心で過ごしてほしいという願いを込めて・・・。義母が手紙を持って行くと、そのときは読まなかったそうです。義母は手紙とメガネを置いて帰りました。
その数日後、義父を見舞うと顔つきが変わっていました。怒りが消え、穏やかな顔になっていたのです。とても不思議なことでした。それで入所を決めました。
退院してホームに移る日は、主人と私が迎えに行きました。母が行くと、怒り出してしまう可能性があったからです。これから施設に移るのだと主人が説明すると、「そうか」とひとこと言っただけで素直に車に乗りました。
義母が施設で待っていましたが、義母の顔を見ても怒らず共に施設での生活の説明を聞きました。義父は人が変わったように穏やかでした。
年が明けて孫たちが面会に行き、喜んでいた義父でした。亡くなるその日もいつもと変わらない様子だったのですが……夜11時ごろ、介護士さんが見回った時、異常に気づき救急車で病院へ運ばれました。心臓が停止し、マッサージをしたのですが、救急車の中で亡くなったそうです。
義父91歳。施設に入って6日目の夜のことでした。
義父は、なぜあんなに嫌がっていた施設への入所を受け入れたのかわかりません。入院しているうちに認知症になったかもしれないとも言われました。認知症なら手紙を読んだとしても理解できなかったでしょう。死期の近いことに気づき、怒りがおさまり、感謝の気持ちがわいたのかもしれません。今となってはわからないことですが、義父が怒りをかかえたまま地上での生涯を終えなくてよかったと、そのことが遺されたものたちの慰めとなっています。
こんなに早く召されるなら、家に帰らせたらよかったという思いもわいてきますが、いのちを握っておられる神さまがいちばんよいことをして下さったのだと信じます。
金曜日葬儀です。
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元旦礼拝で、「予期せぬ出来事が起こるものです。思いがけない事が起きても、神の善意を信じて歩んでいきましょう」と牧師先生が言われました。
わたしは昨年12月にテレビ出演という予期せぬ出来事がありましたが、年明け早々に別の予期せぬ出来事が起こりました。
2日夜、義父が突然召されました。
義父は義母の介護を受けながら自宅で暮らしていました。主人を含め三人の子どもがいますが、それぞれ実家まで3時間ぐらいかかる場所で暮らしています。
義父は30年近く前に脳梗塞で倒れ、それから介護の日が始まりました。リハビリでかなり回復して、身の回りのことはできていたのですが、80歳を過ぎるころからだんだん歩行が難しくなってきました。
施設の入所をすすめましたが、以前義母の具合が悪くなったときに入ったショートステイが気に入らず、「施設は絶対に嫌だ」と言い張っていました。
義母は義父より8歳若いとはいえ、老老介護です。同じような状態が長く続いているように見えましたが、実際はかなり大変になってきていました。
お風呂に入れるのも、風呂場に行くだけで30分かかります(健康な人は1分でいけます)浴槽から上がれなくなって、何度も近所の方や消防署のお世話になりました。
義母だけの介護が限界を超えているので、「お風呂だけでもディーサービスなどにお願いして」と言ったのですが、義父がいやがるため、そうすることもできませんでした。ヘルパーさんも義父がいやがるので週にたった2時間しか頼んでいませんでした。
12月の初め、シャワーだけにするつもりで風呂場に行っていた義父が、義母が目を離したすきに浴槽に入り、お湯を高温で出してしまいました。皮膚感覚が鈍っていたため、熱いとも感じなかったようです。足を火傷して救急車で運ばれ、入院になりました。
火傷はたいしたことなく、2週間ぐらいで退院できると言われました。
老老介護の現実を知って、病院のケースワーカーさんが心配してホームに入ることをすすめてくれました。でも、本人が承諾しないと入所できないそうです。
誰が義父を説得できるのでしょう……。きょうだいは皆、首を横に振りました。義母はあきらめて、家に連れ帰って介護を続けると言います。
義母はかなり腰が痛んでいるようで、義母自身も申請すれば要介護になるほどの状態です。
病院から施設を紹介してくれましたが、どうしたらよいか途方に暮れていました。
見舞いに行くと、義父は義母に向かってものすごい怒りを表し、早く家に連れて帰ってほしいと訴えるのです。
とにかく、施設に入所してもらうしかないということで、主人が義母に付き添って施設に見学に行き、説明を受けました。
わたしは、義父に手紙を書きました。読んでくれるかどうかわかりませんでしたが、心をこめて書きました。怒りを抱いている義父が、施設で穏やかな心で過ごしてほしいという願いを込めて・・・。義母が手紙を持って行くと、そのときは読まなかったそうです。義母は手紙とメガネを置いて帰りました。
その数日後、義父を見舞うと顔つきが変わっていました。怒りが消え、穏やかな顔になっていたのです。とても不思議なことでした。それで入所を決めました。
退院してホームに移る日は、主人と私が迎えに行きました。母が行くと、怒り出してしまう可能性があったからです。これから施設に移るのだと主人が説明すると、「そうか」とひとこと言っただけで素直に車に乗りました。
義母が施設で待っていましたが、義母の顔を見ても怒らず共に施設での生活の説明を聞きました。義父は人が変わったように穏やかでした。
年が明けて孫たちが面会に行き、喜んでいた義父でした。亡くなるその日もいつもと変わらない様子だったのですが……夜11時ごろ、介護士さんが見回った時、異常に気づき救急車で病院へ運ばれました。心臓が停止し、マッサージをしたのですが、救急車の中で亡くなったそうです。
義父91歳。施設に入って6日目の夜のことでした。
義父は、なぜあんなに嫌がっていた施設への入所を受け入れたのかわかりません。入院しているうちに認知症になったかもしれないとも言われました。認知症なら手紙を読んだとしても理解できなかったでしょう。死期の近いことに気づき、怒りがおさまり、感謝の気持ちがわいたのかもしれません。今となってはわからないことですが、義父が怒りをかかえたまま地上での生涯を終えなくてよかったと、そのことが遺されたものたちの慰めとなっています。
こんなに早く召されるなら、家に帰らせたらよかったという思いもわいてきますが、いのちを握っておられる神さまがいちばんよいことをして下さったのだと信じます。
金曜日葬儀です。

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